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一人で帰ろうと校門まで歩く途中、由加さんと肩を組んでいるタッちゃんを見かける。由加さんは右脚を浮かしてる。南はだいたい事情を察することができた。
「あ、南。俺のカバン、家まで頼む」
「どうしたの、由加さんの足?」
「とろいんだよこのマネージャー。俺の打球を足に当てちまいやがんの」
そうだろうと思った。
「それでぜひ家までくれって、上杉さんがいうもんですから」
「こら、ちょっと待て」
倒れた由加さんはウソ泣きみたいな顔をしてたけど、私は判断保留することにした。
「とにかく、ひとりじゃ歩けないっていうし、いちおう俺の責任でもあるからな」
「ふーん」
でもあえて「軽いんじゃないの?」、そんな表情をする。
「あんなとこでウロチョロしてた私がいけないんです。だれも恨んでません。とっても痛いけど」
何はともあれ八神いぶきちゃんみたいな積極派の女の子だった。
「悪かったよ、さ、行くぞ。立て」
「おんぶ」
さすが由加さんとしか云いようがなかった。そこまでなら平静でいられたけど、後ろを向いてのあっかんべえにはさすがに南の堪忍袋の緒が切れる。
「ったく、女に甘いんだから!」
タッちゃんに告げ口なんてできるわけないから、夜道で大声をあげるだけ。
「わ!」
身体が固まって電信柱に寄り掛かっただけの反応だったのは、南のイメージがくずれるという打算もあった。でも声の主は旧知の人。
「驚いた?」
「気をつけた方がいいわよ。あなたの場合、冗談にならない場合があるから」
「女のひとり歩きはぶっそうだぜ。送ってやるよ」
南は無知だった。何も起きなかったから説明しないけど、甲子園への物語の『タッチ』が中途半端に終わる事態もあったのです。でもこのときのボディーガードのおかげで、南は気楽に缶蹴りができた。
「ご機嫌ななめみたいだな」
「ピンポーン! みんなあの監督代行のせいよ」
監督とは認めたくない。
「柏葉英二郎か」
「厳しくてもかまわないのよ、愛があるなら。野球部を強くするため、甲子園を目指すためなら。でも、」
どうしても愛のムチには見えない。
「だろうな、あれは一種の復讐だからな」 [4052touch.txt]
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小説「タッチ」
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これは青木ひかる著の「もうひとつのラストシーン」の不満から始めたもので。現在八回を数える「番外編」というのは、思いついたエピソードから書いていく方法を取っているからで。いずれ順番になるように整理する予定です。
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それからの「柏葉英二郎クエスト」は、実質暗礁に乗り上げた。学校の図書館やタッちゃんが新田くんと出会った市の図書館で新聞の縮刷版に目を通したけど「柏葉」の名前はなかった。大きい図書館で探すことも考えたけど国会図書館は手続きが面倒そうだったし、大矢壮一文庫は存在を知らなかった。それに南も新体操に本気にならなければと気づいた出来事があったので、男同士の問題として鬼監督と野球部のことはタッちゃんに任せることにした。
だから野球部も南の新体操も順調なら予選大会前の合宿まで省いても良かったけど、南さえ予期しなかった女の子のターンになった。新田明男くんの二つ下の妹で、新田くんの予告通りにわが明青学園高等部に入学した新田由加さん。
「あ、タッちゃん。週番のくせにどこ行ってたのよ」
三年生は最上階の四階なのに階段を下りて来たタッちゃんを不思議とも思わなかった南、少し苛立っていたと思う。
「次の授業のしたくがあるんだから、早く白井先生のとこ行って!」
「へい委員長」
ボケもツッコミもない単なる掛け合いコント。でも小さくなる足音がない。タッちゃんはこっち見てた。両手を双眼鏡にして。
「なにやつてんの? 早く行きなさい!」
やっと漫才になった。そして一人になった南はやっと冷静になれ、屋上、双眼鏡の形から、覗きをしていた可能性に気付いたっけ。もっともその時間が新田さんのクラスの水泳の授業だったと知ったのは、かなり後だったけど。でも新田さんが不良グループに囲まれたことは、次の日に私の耳にも入った。『タッチ』の本筋からはだいぶ逸れるので名前の明示は避けるけど、本人から直接聞いたことは記しとく。問題は新体操部で模範演技をした後のひととき。
「こらこら一年生、おまえらなにしに新体操部に来たんだ。ここは浅倉南のファンクラブじゃねえんだぞ」
べらんめえ調は南を引き込んだ文子。
「一生懸命練習して自分が第二、第三の浅倉南になるんだ。そして、この新体操部が団体戦でもインターハイに出場できるよう、かんばらねばいかんのだ。わかったか!」
「はーい」
「声が小さい!」
「はーい!」
最後は大きい声の合唱になった。春から繰り返された掛け合いだれど、南は後輩を指導する余裕はなかった。でもここまではいい。次に浅倉南のいやな部分が出るので、次回に先送りにします。
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「で、タッちゃんどうする?」
「あん?」
「あれだけ鬼監督に難くせつけられて…」
割れ物を掃き出しながら訊いてみた。野球部のことであり、男同士の問題だから慎重にだったけど。南がいくらやりたいと思っても、タッちゃん自身がその気にならないと動けない。やってはダメなことだった。
「ああ、俺たちも調べるか」
「分かったタッちゃん!」
たぶん意気揚々としてた南、今になって考えるといやな女の子と思う。
でも善は急げとばかり、途中の食事をせかした南は二十分後には、野球部の資料室にタッちゃんとともにいた。年に一回整理のために開けるだけでほとんど開かずの間の空間、作り付けの棚は詰まってるけど床床面積は三畳ていどあるので息苦くはない。だから一冊を引っぱり出そうと十冊ぐらい散らばった時、簡単に一冊ずつ見つけることができた。
「大丈夫タッちゃん?」
「ああ、何年くらい前かな?」
「老けて見えるけど、意外と若いんじゃない?」
「十年くらいかな?」
それなら今年で二十七か二十八.いい線かも知れない。
「昭和五十年、四十九年…あれ?」
「どうしたの?」
「四十六年から四十八年まで抜けてるぞ?」
「え? 去年、南が整理したときはちゃんと揃ってたわよ」
それは確かなことだった。マネージャーは南嵩の一人体制だったから、作業量が膨大だったことを覚えてる。だから学業のほうが疎かになり、少し順位を落としてた。新体操部も気楽にやれてた時期だった7から、顧問の先生も部長も大目に見てくれてた。南にとって野球部のマネージャー業を本気でやってた幸せな時間。
「ということは」
タッちゃんの問いかけに、南は答える。
「たぶん」
「見ろやっぱりだ!」
この時点の推測としては合理的といまでも思う。
「絶対なにかあると思ったんだ。あの監督代行には!」
そうそう。
「記録をみりゃだいだいどんな選手だったか想像できる」
そういうこと。
「あんなもうろくした監督の記憶なんかあてにならねえからな」
西尾監督のことです。そこで突っ込む南。
「ところがその記録がない」
「そうあいつが隠したんだ。俺たちに知られては困る秘密があるから」
「どんな秘密?」
「さあな」
正直に言う。南はこの掛け合いに喜んでた。久しぶりの夫婦漫才だし、鬼監督をこらしめるきっかけになったと思ったから。しかし事実は鬼監督より早く、柏葉英二郎の情報を隠匿した学校関係者がいたのです。私もあえて匿名を通しますその人を、権力者とだけ明言しとく。 [4006touch.txt]
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背広の前を開けている肩幅の広い体躯、サングラスで眼の表情をかくす姿は逆光だったこともあり、怖さより不気味を思った。もっとも扉が閉まったあとは怒った顔つきのタッちゃんを見て、ふだんの態度になってた。
「いらっしゃい…ませ」
お客さんに対してでなく、鬼監督に対する「ふだん」だったけど。
「なんだよォ。練習は1時からじゃねえのかよ」
タッちゃんと南だけの店内。南も鬼監督が問題を起こすにはちょうどいいと思ってた。監督の相手が二人だけなら口止めできるから。当時の南はそこまで柏葉英二郎を否定してた。もちろん、タッちゃんにさえ言うことはなかったけど。
「ああ、そうだ」
じゃあ何の用と、南もいぶかる。
「ただの偶然だ。コーヒーを飲みに入っただけだ」
「さよけ」
「コーヒーですね、少々お待ちを!」
乱暴に水をおく南に、自分が招かるざる客とわかるはず。
「明青学園野球部OB、野球を心から愛し、人を思いやりまじめで一生懸命」
病室でタッちゃんが聞いたという、西尾監督の柏葉英二郎の評価。
「いったい誰のことなんでしょうね」
南が言いたかった台詞だけど、プロとしてコーヒー淹れは疎かにできない。
「はい、おまちど」
左手を腰に当てて睨みつけてやったけど、最低限のウェイトレスの仕事はした。でもカウンターに座ってくれて良かった。テーブルに運ぶまでの邪念の時間をもたずにすんだ。その時は気づかなかったけど、この点でも南とタッちゃんは鬼監督に負けてた。
「おまえ、双子だっそうだな。一昨年の予選大会の日に交通事故で死んだんだってな。できのいい弟のほうが」
正直、いつか言われると覚悟してた。予選大会だから全国的な知名度はなかったようだけど、将来を嘱望されていた上杉和也の死は、葬儀までのあいだ全国紙の東京版の紙面をにぎわせてた。
「成績はつねに学年トップ、一年生にしてエース。そいつさえいれば甲子園は決定的だったそうじゃないか」
さらに週刊誌やスポーツ雑誌などに若干の回顧記事があったようだから、当時でも大宅壮一文庫に行けば簡単に必要な情報が知れるはずだった。もちろんそんな図書館があるとは知らなかったけど、情報収集能力は私たち高校生より上と覚悟してた。
「あぶないとこだったな」
「あぶない?」
「甲子園なんぞにでられたら、それだけでもう全国的な有名人だ。ちょいと目立ちゃ卒業後の進路まで新聞が心配してくれる。おまえは一生、そのヒーローと比較されて生活しなければならなかったんだ」
南は「あんたに言われたくない!」と叫びそうだったけど、タッちゃんかいたからすんでのところで抑えてた。
「ところが今じゃ、日陰者だったおまえが明青のエースだ」
そこまで言われて黙ってる南じゃない。
「ちょっとォ」
「気は楽だよな、どんな負け方しようと美談好きの新聞が書きたてて世間の同情を買ってくれるからな。き弟の夢をうけついだ兄の、涙の力投ってわけだ」
そこまで言うかと、南も肩の力をぬくのに苦労した。タッちゃんの表情は、まったく見てない。
「南、コーヒー」
声をかけてくれてやっと見て、怒ってる顔でかえって安心してた。しかし、
「いいときに死んでくれたよな」
ぐんぐん押してくる鬼監督に、南は躊躇する。この怒りを正直に表現していいのか? 男同士の問題ならタッちゃんに任せるべきではないのか?
「ついてるぜ、おまえは」
タッちゃんが動いてやる気だと思ったけど、同時に(ボクシング部!)と想念してた。そしたら早い。一瞬の判断で柏葉英二郎の左頬をはたいたのです。タッちゃんも驚いたという。男同士の問題に割って入ること、そして南の他人に向ける怒りに。
「感謝してほしいわね。タッちゃんに本気で殴られたら大けがしてるわよ」
南自身、いつになく言葉もきついと自覚してた。
「いい判断だ。女に殴られたんじゃ人にはいえんからな。とりあえず暴力事件での出場辞退はまぬがれたな」
でも南も、忠告するのを忘れない。
「でも、二度目はタッちゃんにまかせますからね」
その場にいるタッちゃんへの信頼の告白だった。
「コーヒーうまかったぜ。じゃあな、練習に遅れるなよ」
お世辞を言う監督じゃないはず。そして最後のタッちゃんへの捨て台詞もいつになく優しい。南ははじめて、柏葉英二郎を魅力的と思えたことを覚えてる。
とりあえずお客を無事に帰すことができたけど、タッちゃんにも怒りのはけ口が必要だった。だから商売道具のお皿を一枚、生贄したのです。そのあとの掃除が少し大変だったけど。
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その夜、つまりタッちゃんと西村くんとの“浅倉南杯”が放課後にあった夜、入院中の西村監督にまた探りを入れるひとが来た。その人の名誉のために素性は明かせないけど、この小説で出てきている人物です。しかも以前タッちゃんや孝太郎くんが聞き出した情報より細かい。南たちがこの程度の情報を得るには少し時間がかかったので、いまの時点では会話もふくめてふせとく。ただ一つ来訪者は、私たちが憶測してた「監督代行の恨み」に気付いた。
だから今日は久しぶりの休日から始めることにする。祝日だったその日、野球部の練習は午後1時から。
「こんにちはァ」
午前中だけでもデートしようと上杉家にあがり込んだっけ。
「ちょうどいいとこへ来た。マッサージ…」
まだパジャマのタッちゃん! なんて呆れるか怒るところだけど、階段の手すりに二の腕を乗せていれば。だから南は特注のマッサージをタッちゃんに施した。
「はい、おしまい」
「相変わらず荒っぽいな」
「でも、楽になったでしょ」
「やっぱ南でないとだめだな」
なるほど。
「昨日新田の妹にやってもらったんだけど、なんの効果もありゃしねえ」
「ほー」
もちろんいやみの相槌。
「おれがたのんだわけじゃねえぜ。あいつが勝手に」
「いいマネージャーになれそうね」
このときの南、突っ込みがきつい。
「どうかな、チャラチャラしすぎてるからなァ」
「でも、かわいいから人気あるでしょ?」
「かわいい?」
タッちゃん、全然こたえてない。というより由加さんを女の子として見てないんだ。
「あー、おふくろ、またおれの飯忘れてる」
だから南はいい気持ちで誘ったのです。南風に。
「特別サービス、スタミナつくわよ」
お肉をたっぷり、ニンニクも効かせた南ちゃん特性のスペシャル炒飯!
「うん、うまい。ほんとしっかり食っとかねえと、体がもたねえよ」
南は頼もしく思った。
「ずいぶん辛抱強くなったね、タッちゃん」
「泣いても笑っても三年生。夏までの我慢だからな」
そうね。
「それにしても腹がたつのは、あの」
気配。タッちゃんも気づいたみたい。
「ステキな監督代行」
が来たことを。
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