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 惜しみないもてなしは四日間、中断されることも手厚さが減じることもなかった。唯一の仕事は火曜日の午後にノーベル賞受賞者として講演することだった。与えられた二〇分のほとんどを「電子と陽電子の理論」の説明に費やし、量子力学と相対性理論のおかげで「陽電子の予測」が可能になった経緯を話した。陽電子についての自分の推測をはじめて「予測」と呼び、もう一つの予測をいつもより自信たっぷりに述べた。「負の陽子も存在するかもしれません」。最後に正と負の電荷には対称性があるように見えると指摘し、続いて宇宙は等しい量の物質と反物質でできているのかもしれないとほのめかした。

 地球には負の電荷の電子と、正の電荷の陽子が圧倒的に多く存在することは偶然と考えねばなりません。いくつかの恒星系では逆になっていることは十分ありえます。実際それぞれの種類の恒星系が半分ずつ存在するのかもしれません。

 しかし人間の存在だけはほとんど完全に物質だけの領域に限られるという。いつたい単なる推測にすぎないのか、自信や根拠に裏打ちされた予測なのか、聴衆は戸惑いを覚ええた。
 しかし自分が最初でないことには気づいていなかったようだ。一八九八年の真夏J・J・トムソンが電子を発見した直後、アーサー・シェスターが同じことを思いついた。ネイチャー誌の夏号に載った論説で、原子は反原子が溜まったプールへ流れていく、見えない流体を生み出している奇妙な考えに基づいて、等しい量の「物質と反物質」でできた宇宙を考え出したのだつた。しかし奇抜なアイデアには理論的にも実験観察の点でも基盤がなく、自身が呼んだように「休日の夢想」に留まり、一〇年もすると忘れ去れてしまった。
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ディラック
 翌日ストックホルムじゅうの新聞売りが、「三一歳のディラック教授は、女性には目を向けない」。という見出しの新聞を販売した。

 (授賞式の状況は省略)
 授賞式のあと受賞者はグランド・ホテルに連れ戻され、ノーベル賞受賞記念晩餐会に出席した。ディラックが演壇にあがると内気さを捨てた。主催者達に敬意を評したあと物理学についてでなく、理論物理学者による経済問題への取り組みについて、話をしたいと述べた。バナールなど同僚がせっついたテーマだったが、初めて公に発言するのにノーベル賞の場を選ぶとは予期しなかったろう。一つの根本的な間違いから生じているという説を披露しはじめると、人々は不安げに視線を交わした。

 (前略)物を買う人が激減しているという全世界が被っている苦境の原因は、所有したいと思わないことにあるのではなく、一定の収入をもたらす可能性があるものを手放したくないと思っていることにあると、容易に理解できます。収入が定期的に入りつづけることは、一度にすべて支払われてしまうより数学的な意味で価値があると仮定すれば、難しいと思われていた問題が明らかになることを、みなさんも論理を追って考えれば納得していただけるのではないでしょうか。

 検証されうるかのヒントを与えぬまま、最後にラザフォード流に科学を親しめるものにしようとする人々を批判し、「自分自身で考えたほうが一般向の本を読むよりも、物理学の現実への当てはめ方に対して、はるかに優れた洞察が得られるでしょう」。と結んだ。忍耐強く聞いてくれたことに謝意を述べると自分の席に戻った。まばらだった拍手が揺るぎない喝采になったが、出席者はどのように受け止めたものかと不安げに笑っていた。ほかの二人はドイツ語で離し、政治的に物議を醸しそうなことには触れずに、慣習に従ったスピーチを行なった。

 ディラックの論理にシュレーディンガー夫妻は首をひねり、夫人は「共産主義プロパガンダの長い演説」と呼んだ。しかし記録した文書が正確ならば論じていたのは、政治を超越した理論経済学の問題だった。だが利息が低い場合に近似的に正しかったのであり、利息が上がって続くときにはまとまった金をもらうほうが理屈に適っていることを考慮に入れていなかったのである。ケンブリッジの同僚のジョン・メイナード・ケインズのような専門家に相談していたなら、ナンセンスいう判断をのちに下されずに済んだかもしれない。

 過ちは気づかれずに終わったか、少なくとも食後の騒ぎの話題にもされなかったようだ。フローはゲストたちと笑ったりジョークを言いあったりするのを間近で見ていた。ディラックは会話を続けるのに骨を折り、ときおり会場からいなくなった。物理学賞受賞者で極端に年を取っていたシュレーディンガーは自分がリーダーと誇示しようとしたが、二人とも拒否した。フローはまたシュレーディンガー夫妻が、ディラックと同時に受賞するのを「ひどく悔やんでいる」ことに気づいた。温厚なハイゼンベルクと、オランダの羊飼いの娘のような服装の母のほうが好きだった。ハイゼンベルクの「気取りがまったくないところ」を尊敬したが、「女性にちゃらちゃらする困った男」とも思った。息子が若い女性に囲まれているのを見たことがなく、目の当たりにして嫌な気持ちになった。だが気づいていたか否かに関係なく、息子のほうから離れつつあつた。
「量子の海 ディラックの深淵」より


[3742ej33 1210 moto.txt]

 ディラック親子が朝八時前にストックホルム駅に付いたとき、もう駅の売り場に並ぶ新聞の記事になっていた。一五分後ハイゼンベルク、シュレーディンガー、連れてきたゲストが列車から降りてスウェーデンの要人に迎えられたが、ディラック親子の姿が見えないのにやきもきしていた。だがカメラマンたちが写真を撮るので並んでくださいと頼んだときやってきて、フラッシュのなかに現れた。歓迎団は虚を衝かれて訊ねることもできなかったろう。母親が眠りこけていたので車掌にたたき出され、さらに衣類、ヘアブラシ、櫛を車窓から投げ出したのだった。騒ぎが一段落すると親子は暖房のきいた待合室に行き、歓迎団とは離れた場所に座っていた。そして歓迎段が待合室に出る段になると、あとを無言でついて行ったのだつた。

 ハイゼンベルクとシュレーディンガーはインタビューに応じたが、残る一人は礼を失しない程度でホテルに逃れたかった。母親とともに運転手付きの車でホテルまで送ってもらったが、財団が付けた随行員が同乗した。最初の大仕事は親子の泊まる部屋を選びなおすことだった。気を利かせたつもりでスイート・ルームを押さえておいたが、フローは自分一人の部屋を要求したからだ。受賞予定者はもうすぐ賞金がもらえるのだからと――今日の貨幣価値に換算すると二〇万ポンド――、思わぬ出費を耐え忍んだ。
 二人の受賞予定者が風呂でくつろいでいたころ、三人目の予定者は母親を連れてこつそり抜け出した。ホテルを出てしまえば素性を知られることもなく、街を歩きまわることができた。ノーベル週間のためにストックホルムは最高に美しい姿に整えられていたのだ。夕闇に包まれると、まるで要請の国のようだった。

 しかしフローはメディアの注目を避けさせられるのはご免だった。息子が休んでいるあいだに四人の記者に会い、自分のスイート・ルームに一人ずつ呼んで息子の話をしたり、買ってもらったドレス、毛皮、宝石を見せた。記者は元気のいい人間とは気づいていたが、しばしば支離滅裂な言葉で自分の母性愛を聞かされるはめになるとは予期していなかった。話のなかで批判した標的の一つが授与する側の当局だった。「世界一の教授!」なのに「ディラック博士」としか呼ばれなかったというのだ。
 家庭生活について訊ねられ、息子の父親を「仕事、仕事、仕事」がモットーの、「過程における暴君」と非難した。フェリックスのことは触れず、ポールは幼かったころからほかの少年と遊ぶことを許されなかったと話した。

 結果ポール・ディラックは、子供というものを知ることはなかった。母親自身にも責任があるのではと質問した記者はいかったようだ。父親は息子の成功に満足しているのかと訊ねたとき、「そうとは言えないでしょう。息子に追い越されたわけですし、そのことを悔やんでいましたから」。息子さんに異性に対する関心はいかがですか? 「若い女性には関心ありません。[……]イギリスで一番美しい女性たちがケンブリッジにいるんですがね」。母親である自分、妹、「おそらく、白髪の女性たち」(イザベル・ホワイトヘッドのことを言いたかったのだろう)だけでしょうと答えた。一〇年前、フェリックスのガールフレンドの訪問を拒否したときから、おそらく前から、一人になった息子は、若い女性が自分の息子に惹かれるのを恐れていると気づいていた。
「量子の海 ディラックの深淵」より


[3741ej33 1209 moto.txt]

一二月八日
ディラック、ハイゼンベルク、シュレーディンガー
 ディラックは自分の父親を嫌っていたので式典に招待しなかったと言われることが多いが、真実ではないだろう。ハイゼンベルクは母親を連れてきたしシュレーディンガーは夫人を連れてきた。母親と出席したのもおかしく見えることではなかった。フローは息子と旅に出ることは出発直前まで黙っておいて、チャールズに仕返しをした。

 一九三三年一二月八日金曜日夕方、ディラックと母親はスウェーデンのマルモ港で夜行列車を待っていたが、新聞記者に見つけられ急遽記者会見となった。「ひじょうに内気で臆病な若者」と「元気がよくて話好きの女性」というニュースねたが取れたのだった。母親がスウェーデンのことを知りたがり、記者はいつのまにやら質問に答えてばかりという状況になってしまった。メディアに注目されて浮かれていたのであった。息子も黙りっぱなしだったわけでなく、量子力学は日常生活に当てはまるかと訊ねられたときは、率直で相手の俗物性を見透かす、洞察に満ちた返事で報いた。

ディラック「私の研究には、実用的な価値はありません」
記者「あるかもしれないしゃないですか?」
ディラック「わたしにはわかりません。でも、ないと思いますよ。いずれにせよ、私は八年間研究してきて、陽電子についての理論を作りはじめたところです。わたしは文学には興味ありませんし、劇場に行くこともなければ音楽も聞きません。わたしは、もっぱら原子の理論に専念しているのです」
記者「この八年間であなたが作り上げた科学の世界は、あなたの日常生活の出来事の見方に影響しているのですか?」

ディラック「わたしはそれほど変人ではありません。もしそうなら[影響があるなら]気が狂ってしまうでしょう。休むとき――眠っているときはもちろん、散歩のときや旅をしているときということですが――、考えることからも実験からも、完全に離れます。ここ(自分の頭を指差して)で爆発が起こらないようにするため、必要なのです」
「量子の海 ディラックの深淵」


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高木貞治
 若い日本人高木貞治が、国費留学生としてゲッティンゲンに訪れた頃である。
『ヒルベルト――現代数学の巨峰』より
ヒルベルト
 ヒルベルトはフレドホルムの仕事に、自身の変分法の研究において得られたものよりも進んだ解析学を統合するためのアプローチが存することをすぐに認めた。いま、ヒルベルトは自身のプログラムを惜し気もなく棄て去り、積分方程式のテーマに努力を集中した。いまや学生に、ただ積分方程式についてのみ語っていた。
『ヒルベルト――現代数学の巨峰』より

ヒルベルトのセミナーの面々
 討論のテーマは異なったものになったが、毎週のセミナー・ウォークは続けられた。しかし、田園の静けさはエンジンを持って走る怪物の荒々しい鼻息によってしばしばかき乱された。ヒルベルトの友人ネルンストが新式のモーター・カーを買い、他のモータリストにとつて越えられなかった丘陵が、物の数に入らなくなったのである。
『ヒルベルト――現代数学の巨峰』より



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大塩高志
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