教会の鐘が今 旅立ちを告げるよ 作詞・作曲:菅原庸介
改めて驚くは上記が歌いだしのZELDAの「エスケイプ」、ガンダムシリーズの主題歌と言っても、
通ること。ロックの人間を主人公にした場合の人物像の考察で、ぴったりの曲を探そうとZELDAで、
見繕うと思ったのです。始めに「とらわれ」を聴き、次に聴いた「エスケイプ」がまるでガンダムの、
「人と人が戦う宿痾(しゅくあ)」、「一片の希望としてのニュータイプ」を語っているように思えて。
後の方の以下の文句は「ΖΖ(ダブルゼータ)かよ!」
暗い宇宙突き抜けて 子どもたちの方舟 収録されているファーストアルバムは1982年8月25日発売というから、「めぐりあい宇宙」が、
春に公開された年の夏であり。P−MEDELやFRICTIONやLIZARDにAUTO−MOD、
THE STALINも入れていいと思うけど、(日本の)ロックとSFは近しい関係にあると、
(多分)当時から思ってました。しかし『機動戦士ガンダム』を高橋佐代子が歌ったとは今さら驚く。
今にして思えば冷戦時代の未来像だったと思う。冷戦末期に連の載が始まった『AKIRA』は、
廃墟でも人は生きる/活きることを物語る。しかし「新型爆弾」の炸裂という断絶があるので、
やはり冷戦期の物語と理解でき。一方で二十一世紀の人間の私たちが経験しているのは断絶の後の、
「ぐずぐずの世界」。希望も絶望も中途半端で、不安に駆られやすい社会が今の現実。
だから今という状況でむSFをやるなら安定を求めるか、安定を求めるのを諦めるかの対立が、
主題になるべきと私は考え。先に検討したレムの『ソラリス』は「考え続けること」で、
自分が変わることを受け入れる、つまり「安定」を放棄する物語と私には考えられ。
[4035escape.txt]
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ロック
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責任転嫁は奴等のやり口作詞・作曲 遠藤ミチロウ 実はミチロウが批判するのは人(ist)であって、主義(ism)を皮肉るのは(愛国でも)、
避けていると思う。でも先月末記事にした[4078]「主義者(イスト)」 荻上チキに捧ぐで、
書き忘れたけど、注意して歌詞を読むと主義者(≒ロマンチスト)を揶揄や批判する一方で、
(全面)否定しているかは疑問なのです。
単純に言えば否定するにはミチロウ自身の主義を告白する必要があるが、歌詞の主張から言って、
矛盾を来たすこと。だからミチロウは(言外に)主義に対しては敬意を表す一方、
主義に準じる人は限界があるんだよと、当時のパンクの聴き手(出来れば日本の大衆)に、
注意喚起したかったと思うのですよ。
今回取り上げる、後年のソロアルバム『THE END』では「THE STALIN」と曲名を変えた歌詞も、
主題を「自分で考えろ」とすると全く同じと思うのでした。特に以下の部分。
救われないのは保証付き 「救われ」は受動態だから他人(例えば政治家)任せという意味を含む。しかし「否定」が、
「保証付き」というなら、よりよい人生を生きたいなら、さらに社会を動かしたいなら、
「(聴いてる)お前が活動しろ、動け」という意味になる。しかし注意すべきは、
ぶち壊すだけじゃ収まらないぜ
とも言っていることであり。つまりミチロウも破壊に対する否定は避けるが「時代が泣いている」の、
次の箇所を言っていると私は解釈。
型にはめられたルール通りに作詞 秋元康/作曲 芹澤廣明 続く歌詞は「だけど 古い ロープに縛られちゃいけない 」であり、大衆相手の商売人の秋元康の、
真骨頂と考えられ。一方の(多分)文学青年であり31歳のいい大人だった遠藤ミチロウはさすがに、
大人の責任として能天気な言葉は避け、「最後まで責任を取れ」と歌ったと思うのですね。そう、
今回の総選挙についても。
[3958the stalin.txt]
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初めて聴いたのは今年の『題名のない音楽会』。調べたら以下の日時と特集においてでした。
佐渡裕が案内人の時分に、招いた大友良英が好みのCDをかけまくった回は佐渡の挙動を含めて、
面白かったです。しかしジブリ映画の音楽の作曲家で日本の大衆には殊に有名な久石が、ノイズの、
先駆けと思える音楽を「歴史を彩る」と紹介したことにまず驚き。ということは佐渡はノイズの回、
引いて聴いていたと記憶するけど、韜晦だったと考えられ。
現代音楽といえば不協和音と覚悟して聴いた方が安全と私は思う。意外にメロディがあったり、
人間の活動を模したような音があったりして聴きやすいと思うはずだから。しかし聴き入ることを、
拒絶する音と私は認識し。例えば塚本晋也監督の『野火』を、私は努めて観察者として鑑賞を。理由は、
気楽に鑑賞すると(一時にせよ)精神がおかしくなると想像できたため。
今回買った二枚組のCDも集中した聴取は避け、実際の風景の中の音として聴くべきと思うのですね。
ペンデレツキとしては各々の音の組み合わせと並べ方に意味があるはずだけど、聴く方が考えると、
メロディの存在に一喜一憂したり唐突な展開に戸惑ったりして、ノイズの需要に失敗すると私は考え。
私自身はポップグループやキャバレーヴォルテール、スージー&ザバンシーズなどで免疫を持つ。
だから私も『あまちゃん』で知った大友が(『題名のない音楽会』の前)ノイズ好きなのを知って、
嬉しかったと記憶。しかし、不協和音の現代音楽は私もたまに聞く機会があったけど、クラシックの、
次の段階が「ノイズ」と故障される前のノイズ・ミュージックとは、恐れ入ったこと。CD二枚とも、
曲の区切りは当然あるけど、私は長い二曲として聴くことに。
[3608penderecki.txt]
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ミチロウの囀りを常々見ている人には既報と思ったので、昨日の吉田豪との対談はブログでも、
私からの宣伝を避けました。回線が不通になるのも嫌だったし。実はつい忘れて十数分ほど遅れて、
視聴したのです。対談としては吉田がミチロウを好き過ぎるのか、母親との関係を聴いた時の応えが、
一番面白く。訊いたら失礼になると思ったか、バンド活動に関しては詳細は回避したみたい。
例えば「〈ザ抜きのスターリン〉で目指したことは達成されたのか?」とか、結果として、
「売上げが低迷したことの自己分析は?」とか。というのも私は今から振り返って「スターリン」は、
バンドとしての音を一度「壊した」方が良かったと考えているので。『題名のない音楽会』が、
発送元で、一流の音が出せる音楽家は自分の形を壊すべきと、ジャズ奏者言った覚えがある。
だから「スターリン」という形式を獲得した遠藤ミチロウに、でたらめな演奏を私は期待を。そう、
私は「ザ抜き」の失敗の理由を(きつく言えば)「ウマヘタ」と考え。だから今回演奏の、
「オデッセイ・2016・セックス」(福島弁版)を聞いた時、驚いたとともに嬉しくなり。つまり、
先週の金曜日の私の記事に、既に応えていたと分ったから。
上記の記事で私は、
私がパンクの究極であり典型と定義する遠藤ミチロウですが、実は唯一「お国言葉の排除」という、 と指摘。しかし今回聴いた〈オデッセイ〉はミチロウのお国言葉による「うた」というもの。私は、
聴いた印象でも「凄さ」を認識したのですね。また女の人には「標準語」が受け、「福島弁」は、
嫌われるのも理解可能。前者は思春期の少年の問題であり発達学で考えれば、「当然のこと」を、
歌っただけという理解が可能に。しかし福島弁で歌うと、変態オヤジの弁解に聴こえるということ。
連想するのは自分の父親や会社の上司があり得るけど、「いい年して性欲があるのか!」と憤慨の、
対象と私は推察。つまりお国言葉にしたことでミチロウは「社会人として隠すべき男の本音」を、
ばらせたと考えられるわけ。歌うことになったのは震災以降というからミチロウが出自の「東北」を、
自分で認識して利用するには「非日常」が必要だったと考えられ。
[3179michirou.txt]
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