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可能性に満ちあふれ強靱な
熊切拓 (在日ビルマ難民たすけあいの会)
数年前のこと、ぼくは非キリスト教徒ながら、タイの某所で「カレン人キリス
ト教徒の使命」と題された会議に参加していた。会議はビルマ国内外で働くバプ
テスト、聖公会、カトリックのカレン人聖職者の代表が集うエキュメニカル(超
教派的)なものであり、また、ビルマ国籍カレン人ばかりでなく、タイ国籍のカ
レン人も加わっていた。基調講演を行ったのはソウ・サイモン牧師で、彼はメラ
難民キャンプで聖書学校を運営する著名な神学者だ。カレン人ではない参加者
は、ぼくをのぞけば、韓国人の牧師がふたりいるきりだった。タイのカレン人の
間で宣教活動をする彼らは、流暢なスゴー・カレン語を話した。
「カレン人キリスト教徒の使命」と書いたが、じつはこれは本当のプログラム
名ではない。たとえ日本語であっても本当の会議名を記せば、ビルマ国内からの
参加者の身に危険が及ぶかもしれない。会議で知り合ったある神学生はこう語っ
た。「ビルマを出国するときは、ただ観光に行くんだって申請したんだ。ラン
グーンの空港の待合室では、何人か牧師がいたけれど、互いに知らないフリをし
てね、本当は同じ会議に出るんだけど」
日本の法務省の公式見解は、ビルマに宗教的迫害は存在しないというものだ。
かくして、ビルマ出身のキリスト教徒の難民不認定処分理由にはたいてい「関係
資料によれば、ミャンマーでキリスト教徒が迫害されているという事実は認めら
れない」などと記されることとなる。もっともこの「関係資料」がいったい何を
指すのか、それを知りえた人はいないのだが。
いっぽう、ビルマにおける宗教的迫害を証明する資料はいくらでもある。もっ
とも有名なのが、アメリカ合衆国国務省が毎年公表している「世界各国の宗教の
自由に関する報告」で、2008年度版ではビルマの宗教状況を「非常に抑圧
的」としている。また、弾圧されている側からの告発や弾圧の事例をまとめた報
告も、英文で数多くまとめられている。ビルマで宗教的迫害を受けている人々
は、非ビルマ民族が多いので、これらの民族の報告にも宗教的迫害の事例が数多
く見いだされる。キリスト教徒の迫害に関する報告で、もっとも包括的なもの
は、クリスチャン・ソリダリティ・ワールドワイドという国際的なキリスト教団
体のベネディト・ロジャーズが2007年に出版した『十字架を背負って』だ。
2008年4月に、日本のカチン人の政治団体、カチン民族機構(日本)KNO-
Japanが根本敬先生の素晴らしい序文をつけて日本語版を自費出版している(ぼ
くも監修と編集に関わらせてもらった)。また、チン人、カチン人、カレン人の
運営するニュースサイトにも、宗教的迫害のニュースが頻繁に登場する。
とはいえ、日本の法務省が誤った認識を持つのにもわけがある。ビルマにおけ
る宗教的弾圧のあり方はぱっと一目で分かるようなものではないのだ。その理由
は、ひとつには迫害の大部分が、非ビルマ民族の住む山岳地域で進行しているこ
とにある。そこにはほとんど外国人の目が、いやヤンゴンやマンダレーに暮らす
ビルマ人の目すらも届くことはないのである。
もうひとつの理由は、宗教者の行動原理に由来するものだ。ビルマのような政
府のもとに生きる宗教者の務めといえば、まずなによりも信仰者たちを守ること
にある。いわば、自分たちが楯になって、信仰者たちを政府から守らねばならな
いのである。それは、ひとえに政府との関係いかんにかかっており、宗教者たち
は政府との対応にまさに骨身を削るような思いをしているのだ。そして、こうし
た努力の一例が、ぼくが上に引用した神学生の言葉なのである。
こうした慎重さを武器に権力の暴力をかわさねばならないという厳しい状況の
中、カレン人のキリスト教活動をどのように発展させるか、それが前述の会議の
主要なテーマとなっていた。カレン語の分からないぼくには、どのような議論が
行われたのかは具体的には分からなかったが、韓国人牧師はビルマ国内における
宣教活動の重要性を説いたようだった。つまり、信徒数が増えれば、それだけ大
規模で多様な活動ができるというのだろう。だが、その日の会議が終わって、と
もにお酒を飲み交わす時間が来たとき、古くからの友人である牧師がぼくに呟い
た。「韓国の牧師たちの主張は、タイのカレン人の状況においては有効かも知れ
ないが、ビルマにいる私たちの文脈からすればズレている。今、重要なのは宗教
間対話なのだ」
ビルマにおいては「仏教はビルマ民族ナショナリズムと同義で」ある、とベネ
ディクト・ロジャーズは述べているが、ビルマ軍事政権の宗教迫害政策の背景に
は、こうした宗教的民族主義がある。だが、この宗教的民族主義とは思うに、た
だ単に政策によってのみ発生するものではない。むしろある特定の集団の内部に
すでにあった心的傾向が、政策によって煽り立てられるのである。軍事政権は遠
からず姿を消し、政策的な宗教迫害も止むときが来るだろうが、この差別的心性
が残る限り、非政策的な迫害・差別が軍事政権と命運を共にすることはありそう
にない。日本国憲法で「法の下の平等」が定められて何十年も経つにもかかわら
ず、今なお多くの人が性別や生まれによって差別されているのと同様である。
そればかりではない。軍事政権が長らく続けてきたいわゆる「分断統治」によ
り、宗教と宗教との間に深い溝が生じてしまっている。軍事政権は退場に当た
り、ご丁寧にもその溝を修復しようなどとはしないだろう。つまり、この深刻な
分断は民主化されたビルマへとそのまま手渡されるのだ。
このような見通しの中で、自分たちの果たすべき役割は何だろうか、と日々の
宗教活動の現場で問い続けたキリスト者が導き出した答え、それが宗教間の対話
なのであった。もちろん、ただ対話するだけではない。そのようなかけ声だけの
対話、「対話することに意義がある」式の対話は、暇つぶしに日本の神学者や宗
教者にやらせておけばよい。あの会議で友人の牧師が語った宗教間対話とはまさ
しく、自分の宗教のもつ排他性、差別性を批判的に見つめながらなされる対話、
あらゆる宗教の自由を確保するための対話、あらゆる信仰を持つ人々の命を守る
ために必要に迫られて行う対話なのである。
対話は、もちろんのこと仏教、イスラム教をはじめとするビルマ国内のあらゆ
る宗教からの参加があって可能となる。キリスト教徒がキリスト教徒のためだけ
に行う対話などありえない。
この対話の包括性、非限定性は、日本からのビルマ民主化支援のあり方とも無
関係ではない。まず、ビルマにおけるキリスト教徒の迫害は、ひとり日本のキリ
スト教徒のみが気にかけるべき問題ではなくなった。対話の実現を目標にする以
上、日本の仏教徒のみならず無信仰者の関わりすら必要とされている。そして、
もっと大事なことなのだが、ビルマにおける宗教間対話の構築過程は、日本にお
ける宗教の位置と役割を理解するさいに新たな視点を与えてくれることだろう。
公人による靖国参拝など、国家神道的原理主義が、それとはっきり悟られないう
ちに力を得つつある現在の日本を考える上で、仏教原理主義国家であるビルマに
おいて慎重に目論まれる宗教間対話、新たな宗教の自由の可能性の追求は非常に
重要な意味を持つように思う。それは日本のみならず世界を席巻しつつある宗教
的不寛容といかに立ち向かうかの、貴重な実例となるであろう。日本人はビルマ
で迫害された人々を支援することもできるが、同じ人々から学ぶこともできるの
である。
たしかに、多くの報告書が明らかにしているとおり、ビルマのキリスト教徒は
差別され、迫害され、時には命すら奪われるような危機にさらされている。だ
が、やられているばかりではない。目立たない動きかもしれないが、宗教の自由
を取り戻すための闘いが、迫害される人々の間で進行している。これらキリスト
教徒たちは単なる弱々しい被害者ではない。苦難の中にありながらも、世界のど
こを探しても見あたらない可能性に満ちあふれた強靱な人々なのだ。
平和の翼ジャーナル(Vol.5)
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勉強になりました。
2009/2/3(火) 午後 8:54
「エキュメニズムの日の集い」案内
期日: 2011年4月29日 金曜日
午後1時30分〜 4時 午後1時 開場
場所:日本基督教団 信濃町教会JR中央・総武緩行線「信濃町駅」より徒歩3分http://www.shinanomachi-c.jp/access.html
プログラム
難民・移住労働者問題キリスト教連絡会活動紹介
難キ連事務局長 佐藤 直子
賛美 「ああ主よ われは深き淵より」(讃 第2編 227)ほか
会費: 500円
2011/4/28(木) 午前 7:23 [ イエスちゃん ]