平和の翼ジャーナル

皆さんのご意見をお待ちしております…

無題

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全40ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

ダディンチュ 祭 2011 に行きました。 
     
              牛久入管収容所問題を考える会 ・田中喜美子
 

 懐かしい顔に逢いにダディンヂュ祭に行きました。今年は311以降の「何となく心が落ち着かない」中、春の水かけ祭りにはとうとう行きそびれてしまいました。

1023日、東京・木場公園には賑やかにもビルマの人たちのテントが並び秋の「燈明祭」がおこなわれてました。久しぶりに逢いたかった懐かしい顔、顔、顔,みんなお祭りを心から楽しんでいます。かつて牛久に収容された経験をお持ちの人たち、そしてビルマの民主化を求めるデモ・集会で知り合った人々・・・民族の歌と踊り、「羽衣伝説の天女か?」とも思ってしまう薄衣のショールをまとった女性の踊り手・・・暫し、「うっとり!」。
かく言う私は,各テントを覗きながら次々とビルマ料理を食べまくり・・・。近況を聞き、情報を交換し、ビルマ難民の生き抜く力強さを実感した1日でした。
 
 この1020日から22日にかけて,ミャンマー政権の外務大臣ワナ・マウン・ルイン氏が16年ぶりとなる日本の招聘により来日,玄葉外務大臣等と会談しました。
 日本政府はタン・シェ軍事独裁政権下で一定程度ビルマとの外交関係を後退させていました。しかし、対アジア政策の中で今年3月に発足したテイン・セイン政権下で豊富な地下資源や低賃金労働者の存在に外国資本が注目し始めていることに「後れを取る」とばかりに外交攻勢をかけようとしています。特に中国との密接な関係を強化しているミャンマー政権に対して関係改善をする必要性にかられています。
 ちなみに外国資本による直接投資は直近までの累計で約360億ドル、国別では中国がトップで約167ドル、以下タイ、韓国と続き日本は2億ドル強で12位(10年度末時点)。

 自民党政権下において、 欧米諸国による旧軍事政権下での民主化・人権問題を理由とした経済制裁に、日本も追随せざるを得ませんでした。ただし、日本の企業はミンガラドン工業団地で02年から創業している伊藤忠商事の子会社、TIガーメントの縫製工場が年間270万枚のワイシャツなどを生産、全量を対日輸出している・・・等というやり方をしています。この工場、1000人規模の若い女性労働者(平均年齢24才)が働いていますが、平均賃金は月6万チャット(約6000円)です。昼食代は会社負担とありますが、月6000円!、日本でも青年(若い女性)の非正規化・低賃金化が進んでいますがそれでも8時間労働で16000円では安すぎ、それが月6000円!とは。

 テイン・セイン政権下で外国資本に対する規制の緩和とも相まって,この超低賃金労働を生かした生産基地としての注目が集まっています。・・・世界の工場だった中国は賃金水準が上がり、ビルマの賃金水準の約89倍、スリランカが4倍、ベトナム・カンボジアが約2.5倍、バングラデッシュが1.3倍(日本貿易振興会調べ108/月時点)、資本は国境を越えてどこへでも動き回ります。日本の繊維業界、電機部品メーカーも現地視察団を次々に送り始めています。
 今回のワナ・マウン・ルイン外務大臣の訪日で日本政府はミャンマー軍事政権下での深刻な電力不足に対して、インフラ整備・エネルギー問題の解決のため、バルーチャン第2水力発電所補修案件への援助・協力等を約束、より密接な関係改善を推進するとの声明を出した。
 

 背広を着た軍事政権テイン・セイン政権下で豊かな資源を持つビルマが、アジアの最貧国にまでなってしまった現状を変えるため「貧困撲滅」が叫ばれています。外資の導入はますます資本の餌食にビルマの人々とビルマの豊かな国土を差し出すものです。貧富の差は至るところで拡大します。そして、うまみが無くなればすぐ逃げるのも新自由主義です。

 
 現在テイン・セイン政権下で、外資との規制緩和と相まって「民主化:」が言われています。アウン・サン・スー・チーさんとの対話、NLD等の政党の選挙への参加が予定されていたり、200名程度の政治犯が釈放されたり・・・と。
 私はこれらの見せかけの「民主化」に危惧を覚えています。タン・シェ軍事政権下でのような強権一本やりの恐怖政治は繰り返されてはなりませんが現状は民主化されたとは、ほど遠いと言わざるを得ません。
 少数民族との軍事衝突、人権侵害、人道犯罪は増えています。

 2007年、ラベンダー革命を闘った人々の力の前に「民主化」を言わざるを得ない軍事政権の本質はそのままです。私の尊敬するミン・コウ・ナイン氏を初め、全ての民主活動家、政治犯が解放され自由に政治活動が出来るようになったとき初めて「ビルマの民主化の第一歩が始まった。」と言いたい。

 
 牛久入管収容所ではこのところビルマからの日本への入国時に成田で入国拒否にあい,以後牛久に移送されてくる人がいなくなりました。ビルマの日本大使館がビザ審査を厳しくして、なかなかビザを出さなくなっているとも聞きます。
 10年、第3国難民受入に基づくカレン民族・難民家族の受入は、特に千葉県に入った家族の状況を聞くと惨憺たる状況です。
 私はいつも怒っているようで、実際怒っているのですが「現状変革のパトス」に燃えて皆さんと共にありたいと思っています。

<ミャンマー>大統領、恩赦示唆 国外活動家の帰国促す

毎日新聞 8月17日(水)
 【バンコク西尾英之】ミャンマー国営放送によると、テインセイン大統領は17日、首都ネピドーで演説し、軍事政権時代に国外に脱出した民主化運動活動家に帰国を促した。大統領は活動家たちが過去の罪を認めれば「寛大に考慮する」と述べ、恩赦を示唆した。

大統領は「今は互いに非難しあう時ではなく、国の発展のために団結する時だ」と指摘。活動家の帰国が認められれば民主化へ向けた大きな一歩だが、国際社会が求める2000人以上の政治犯釈放については言及しなかった。政権内で保守派と改革派のせめぎあいが続いているとの情報もあり、恩赦については懐疑的な声もある。

ミャンマーでは88年の民主化運動が軍事政権の弾圧で崩壊した後、学生など多数の運動指導者が国外へ逃亡。日本などで亡命生活を送りながら母国の民主化運動を続けている。

ミャンマーでは今月に入り、政府が初の記者会見を開催。民主化運動指導者、アウンサンスーチーさんの8年ぶりの地方への遊説旅行も黙認された。背景には、経済制裁解除や14年の東南アジア諸国連合(ASEAN)議長国就任など、国際社会への本格復帰を目指したい思惑もある。

平和の翼の寄付金

開く トラックバック(1)

アウン・サン・スー・チーさんにインタビュー
 
アウン・ミャッ・ウィン(編集長 平和の翼ジャーナル)
 
アウン・サン・スー・チーさんは「ビルマ独立の父」と敬愛される故アウン・サン将軍の長女である。インドや英国で政治学などを学び、1985年には京都大学東南アジア研究センターの客員研究員を務めた。母親の看病で帰国した88年、民主化を求める大規模な学生デモと激しい武力弾圧を目の当たりにして国民の前で初めて演説をし、民主化運動の象徴となった。同年、90年総選挙に向けて国民民主連盟(NLD)を創設し、書記長に就いた。その後、89年から繰り返し軍政によって拘束、軟禁された。91年、ノーベル平和賞を受賞した。英国人学者の夫(99年病没)との間に2人の息子がいる。ミャンマー(ビルマ)軍事政権は20101113日、民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさん(65)の自宅軟禁を解除した。アウン・サン・スー・チーさんの解放は3度目の拘束が始まった20035月以来、約7年半ぶりである。正確には89年以降、約20年にもわたって繰り返し軍事政権から自宅軟禁処分を受けてきた。今も国民に高い人気があるスー・チーさんは、民主化運動を再開するとみられる。
私は20101231日、日本時間19時(ミャンマー時間1630分)、ミャンマーの民主化指導者アウン・サン・スー・チーさんにインタビューをした
 
アウン・ミャッ・ウィン:1990年総選挙でスー・チーさんが率いる国民民主連盟は82%以上で当選したにもかかわらず、軍事政権を交代せずに2010年に再び総選挙を行ったことについて、どう感じていますか。
 
アウン・サン・スー・チー:2010年の総選挙に参加した一部の政治家達は「総選挙なしでは民主化にはならない。」と言います。総選挙があるだけで民主化になるわけではないです。その総選挙は正式な選挙であり、その総選挙で国民が選んだ結果を尊敬し、認めて行動しなければなりません。1990年総選挙は国民が正しく選んだ結果であり、それを認めるようにミャンマー政府に国連は言い続けてきました。それは国連総議会で決議したものです。私が言いたいことはそれです。
 
アウン・ミャッ・ウィン:ある一部の日本人達が言います。国民民主連盟は軍事政権に解散されたのではなく、国民民主連盟自身が2010年総選挙の政党の登録申請をしなかったので解散されたと言っています。それについて何かありますか。
 
アウン・サン・スー・チー:それについての説明は法律の専門家たちは説明できると思います。何故ならば、私たちの国民民主連盟は1988年総選挙の登録法により申請した政党であります。その政党登録法では、新しい総選挙において、以前、登録申請していた政党を解散することができる、とは書かれていません。2010年の総選挙が行われた時に、私たちの党である国民民主連盟のような政党などを困らせるように新しい選挙法を作りました。その新しい法によって再度、政党の登録申請をしなければ解散すると、したことは間違っています。それは法律と矛盾し、法律違反です。それについて異議申立てを、後1週間から10日後にします。
 
アウン・ミャッ・ウィン:元ミャンマーの日本大使である山口洋一さんは日本のメディアや彼の講演会などで「アウン・サン・スー・チーはアメリカ政府から現金や物質を受け取ったり、政治的指導を受けた人である、スー・チーさんが政権を取ったらミャンマーのという国は無くなる。2007年の僧侶運動に参加した参加者らに国民民主連盟は現金を渡して参加させた。」と言いました。それについて何が言いたいですか。
 
アウン・サン・スー・チー:そういう風な言い方をしている人達には、特に何も言うことはありません。
 
アウン・ミャッ・ウィン:あるミャンマー人達から聞いた話しと言って、ある一部の日本人達は質問をしています。それは「スー・チーさんはイギリス人と結婚した人で、長年海外に住んでいたので、ミャンマー国内に住むミャンマー人達の本当の心を分かるわけがない。」ということです。それについてどう思いますか。
 
アウン・サン・スー・チー:その人達が言っていることは、いつからいつまでの話ですか。その人達の話は、私が外国に行く前ミャンマーに住んでいたことです。今22年間ずっとミャンマーにいることを言わないで自分たちが責めたい部分だけを言っていることである、と言いたいです。
 
アウン・ミャッ・ウィン:日本政府はミャンマーにODA支援をすべきですか、どうですか。
 
アウン・サン・スー・チー:どういう方法でODA支援をするかがとても大事です。ミャンマーに支援する時、本当に困っている国民に全ての支援が届いているかを見なければいけないです。ODAの意味、発展支援という意味をどういう風に日本政府は理解しているかによります。
 
アウン・ミャッ・ウィン:ミャンマー国民と世界中に居る国民にスー・チーさんのこれからの活動を分かりやすく教えてください。
 
アウン・サン・スー・チー:分かりやすく言うと、ミャンマー国民と世界国民が繋がることができるようなネットワークを作ろうとしています。そのネットワークは、ミャンマーの民主化運動をミャンマー国民だけがやるのではなく、世界中の国民が協力、支援しミャンマーが民主化になることが目的です。
 
アウン・ミャッ・ウィン:今、おっしゃったネットワークのことを分かりやすく教えてもらえますか。
 
アウン・サン・スー・チー:そのネットワークというのは情報収集のことです。
こちら側だけの情報だけでなく、お互いの情報交換です。国民民主連盟が上に立って、他の団体などを引っ張っていくのではなく、全国にある全ての政治団体、社会活動団体とそれらに興味のある個人などが参加できるようなネットワークです。そのネットワークによって全ての団体・人々は政治活動・社会活動を共に参加できます。そのネットワークの狙いは私たちが望んでいる国民の団結の到着点であります。
 
アウン・ミャッ・ウィン:今の時期、ミャンマーで日本の企業はビジネスをすべきですか。
 
アウン・サン・スー・チー:日本だけでなく世界中の企業はミャンマーでビジネスをするとしたら、ミャンマーの国と国民の利益を考えて欲しいです。企業の利益だけを見ないで、本当にミャンマー国民のためになるかを見て行動して欲しいです。
 
アウン・ミャッ・ウィン:日本の大学生たちや青年達、日本国民に伝えたいメッセージはありますか。
 
アウン・サン・スー・チー:上記の質問などにより、特に伝えたいことはミャンマーの民主化運動について、一部の日本人は本当にわからないからか、わからない振りをしているのかの状態であり、勘違いしている所があると思います。ミャンマーのことを理解し、ミャンマーで何が起きているということ、ミャンマー国民が本当に何を望んでいるかを詳しく調べる必要があります。
 
アウン・ミャッ・ウィン:そうですね、ミャンマーの元日本大使である山口さんの発言などについて、私は平和の翼ジャーナルで反論の原稿を書いたことがあります。日本政府に伝えたいことはなんですか。
 
アウン・サン・スー・チー:私たちが日本政府に言いたいことはミャンマー政府だけで繋がるのではなく、私たち野党側とも、より繋がって意見の交換をし、お互いを理解して欲しいです。日本は民主国家なので、ミャンマーで本当の民主化が誕生するために、助けて欲しいです。
 
アウン・ミャッ・ウィン:日本政府は1982年から国際難民条約に批准しましたがミャンマーの難民や世界中から来た難民を長年収容していることについてどう思いますか。
 
アウン・サン・スー・チー:最新情報として海外ラジオで聞いたのは、日本政府はミャンマー難民達を以前より受け入れたということで、その情報に間違いがなければの話ですが、その情報が正しかったら日本政府はこのままミャンマー難民達を日本でもっと支援・保護を続けていくこと望みます。
 
アウン・ミャッ・ウィン:日本にいるミャンマー難民達に伝えたいメッセージはありますか。
 
アウン・サン・スー・チー:まず、皆さんに考えて欲しいのは何故日本に来たかということです。経済的な問題ですか、政治的な問題ですか何の問題ですか、何で難民になったのですか。全ての問題の原因はミャンマー国内から出てきた問題です。自分が難民になった原因を考え、その問題を変えていく必要があります。それに協力して欲しいです。忘れてはいけないのは自分が亡命している国に感謝することです。また、母国の問題も忘れてはいけません。
 
アウン・ミャッ・ウィン:2011年の政治舞台で第二のピンロン会議(19472月にビルマの独立の父アウン・サン将軍が少数民族の代表らに連邦制の実施や自治権を約束したもの)はできると思いますか。
 
アウン・サン・スー・チー:第二のピンロン会議というのは正しい連邦制の志です。その志が現れることを望んでいます。
 
アウン・ミャッ・ウィン:その第二のピンロン会議を実行するため、国軍は参加しなければならないですか。
 
アウン・サン・スー・チー:全ての立場から参加して欲しいです。国軍も参加して欲しいです。国軍が参加すれば全てが成立します。
 
アウン・ミャッ・ウィン:京都大学で勉強したとお聞きしましたが、日本語は話せますか。
 
アウン・サン・スー・チー:日本語は知っています。しかし、日本語ではなくどこの国の言葉でもいつも使わないと忘れちゃうのです。もう、20年以上日本語と離れていました。私は自宅軟禁中、日本語の教科書を何度も繰り返して読みました。正直に言うと、たくさんの日本語を忘れてしまいました。
 
アウン・ミャッ・ウィン:来年私は、京都大学の集会でスピーチする予定があります。京都大学の学生達に何かメッセージはありますか。
 
アウン・サン・スー・チー:まず、言いたいことは京都大学で私は勉強していた時にとても幸せで充実した生活をしました。そのことは忘れません。とても感謝しています。次に言いたいことは、京都大学の学生達はミャンマーの若者・学生達の教育についてもっと勉強して欲しいです。日本の若者・学生達が自由や権利を持つように、ミャンマーの若者・学生達にもその自由や権利を持つことができるように様々な方法で助けて欲しいです。
 
アウン・ミャッ・ウィン:ありがとうございました。2011年に体も心も元気で幸せでミャンマーを民主国家にできるように祈っています。アウン・サン・スー・チーさんに神の祝福がありますように。
 
アウン・サン・スー・チー:ありがとうございます。心も体も元気で幸せで夢が叶いますように新年のお祈りを申しあげます。

全40ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
最大10万円分旅行クーポンが当たる!
≪10月31日まで≫今すぐ応募!
抽選で150,000名様に当たるチャンス!
マツモトキヨシで期間中何度でも使える
100円引きクーポン<Yahoo! JAPAN>
衛生対策製品クレベリンの姉妹ブランド
クレベ&アンドハンドジェルが新登場
今だけ。お試しキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事