平和の翼ジャーナル

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軍事政権トップが訪中 中国は総選挙支援表明

毎日新聞 9月7日
 ミャンマー軍事政権トップのタンシュエ国家平和発展評議会議長が7日、北京に到着した。中国側は同議長訪中を受けて、ミャンマーで11月に実施される総選挙を建設的に支援する姿勢を表明した。内政不干渉を原則とする中国が友好国とはいえ、外国の選挙に支援を表明するのは極めて異例だ。

中国外務省の姜瑜副報道局長は7日の定例会見で「ミャンマー国内の政治的緊張や地域の平和・安定へのマイナスの影響を避けるため、国際社会は総選挙を建設的に支援していくべきだ」と述べた。

副報道局長は、具体的な支援内容を明らかにしていないが、国際社会が選挙を理由に制裁などを科さないよう国際社会に求めていくことなどを念頭に置いているとみられる。

欧米や日本は民主化運動指導者のアウンサンスーチーさんを総選挙から排除した軍事政権への圧力を高めている。今回、中国が、スーチーさんを排除したままでも選挙を積極的に支援する姿勢を示したことで、ミャンマーの強硬姿勢を崩すことは難しいとみられ、日米欧側も対応を迫られそうだ。

同議長の訪中は03年1月以来。5日間の中国滞在中、8日に胡錦濤国家主席と、9日には呉邦国全国人民代表大会常務委員長(国会議長)と温家宝首相と個別に会談し、上海万博と経済特区のある深セン(広東省)も視察する予定だ。

中国海軍艦船がミャンマー初寄港

産経新聞 8月31日
 中国海軍の艦船2隻が8月30日、ミャンマー最大都市、ヤンゴン近郊のティラワ港に寄港した。中国海軍艦船がミャンマーを訪れるのは初めて。11月7日のミャンマーの総選挙を前に、初めての海軍艦船の寄港は、両国の親密さを改めて印象づける形となった。

中国国営新華社通信などによると、今回寄港したのは、アフリカ・アデン湾沖で海賊対策にあたっていた中国海軍第5護衛艦隊のフリゲート艦「巣湖」と駆逐艦「広州」。同通信によると、今回の訪問は両国海軍の友好関係の促進が目的で、5日間の滞在中、さまざまな交流事業を行う予定だ。

中国はミャンマーとの関係強化を通じ、資源確保と同時にインド洋側に安定的に利用できる港の確保を目指しており、今回、海軍艦船が初めてミャンマーに寄港したのも、こうした戦略の一環といえる。

両国間では今年6月、中国の温家宝首相が同国首相としては16年ぶりにミャンマーを訪れた。温首相は首都ネピドーで、軍事政権トップのタン・シュエ国家平和発展評議会(SPDC)議長らと会談し、原油・天然ガスのパイプライン建設や水力発電事業など15の経済協力協定に署名した。

同パイプラインは、ミャンマー西部の港町シットウェから同国を横断し、中国雲南省昆明へとつながる全長2380キロ。完成すれば原油を年間2200万トン、天然ガスは120億立方メートルを輸送できる。
映画から見えるビルマ(ミャンマー)
 
氏名 アウンミャッウィン
  法学部 政治学科 学生番号8726
 
はじめに
 
私はビルマ(ミャンマー)で生まれた。私は14歳からミャンマーの民主化運動に参加してミャンマーの民主化指導者であるアウン・サン・スー・チー氏が率いる国民民主連盟の青年部のメンバーでもあり、ビルマ学生連盟のメンバーでもある。それに、私はビルマ(ミャンマー)で学生運動に参加したため首都ランゴン(ヤンゴン)のランゴン(ヤンゴン)大学から退学処分を受けた。また、ミャンマー軍事政権に逮捕され軍事探偵の収容所に収容された経験もある。さらに、海を渡って船で来日して日本政府に政治亡命を求めたが、日本政府に2年間収容された経験もある。ミャンマーは1962年から軍事独裁政権が続いており、今日まで軍事独裁政権の下でミャンマー国民は苦しんでいる。ミャンマーは世界一貧困な国であり、世界一アヘンを作って売っている国である。また、世界一長い紛争が起きている国でもある。ビルマ(ミャンマー)は東南アジアの西の端に位置し、人口はおよそ4500万人いる。面積は日本の1.8倍近くの67.7万平方キロメートルある。1948年にイギリス政府から独立され、1989年までビルマと呼ばれてきたが、1989年からミャンマー軍事政権は国民の真を問わずにミャンマーと勝手に変えた。私の母国であるビルマ(ミャンマー)のことを描いた映画は様々あるがその中でBeyond the Rangoonラングーンを越えて)BurmaVJ消された革命)を紹介してビルマ(ミャンマー)の現状を説明し二つの映画を比較したい。
 
Beyond the Rangoon
 
Beyond the Rangoon1995年のアメリカ映画である。タイトルを日本語で訳するとラングーンを越えてと意味する。映画の監督はジョン・ブアマンで、舞台はミャンマーで、ストーリーは一人のアメリカ人女性の実語である。出演の俳優はパトリシア・アークエット、ウー・アウン・コー、フランシス・マクドーマンド 、スポルディング・グレイ、アデール・ラッツ、チャーリー・ブアマンである。映画の中でパトリシア・アークエットはアメリカ人医師役をしていた。俳優ウー・アウン・コーはミャンマーの元教授役をしていた。
映画の時代は1988年ヤンゴンミャンマーでヤンゴン(ランゴン)大学の学生たちの学生運動から始めた民主化運動の時である。強盗に夫と子供を殺されたローラの心は暗く閉じていたので、姉に連れられてミャンマーに旅行としてやって来た。ローラたちはミャンマーで民主化運動に囲まれたのである。ローラはヤンゴンの夜にホテルから出て民主化運動を見に行った。その時、ミャンマーの民主化指導者であるアウン・サン・スー・チーとミャンマー国民に出会った。学生たちの熱い心、僧侶たちの姿、軍事政権に銃口に素手で立ち向かうミャンマー国民の強さ、そして何よりも国民のリーダーで、ミャンマー軍事政権に屈せず闘う勇敢なアウン・サン・スー・チーとの偶然の出会いが、次第にローラを変え始めた。また、その後現地のガイド、ウー・アウン・コーと出会いローラに変化をもたらした。観光ガイド、ウー・アウン・コーは、元大学教授であり、民主化運動で投獄された過去があった。しかし、検問でローラを助けたウー・アウン・コーが逮捕されそうになった。彼女とウー・アウン・コーは命がけで救出し軍隊からの逃れ、ウー・アウン・コーと国境を目指す過酷な逃亡をした。ウー・アウン・コーを通して知り合った学生と仲良くなった。もちろんのことだがウー・アウン・コーは信頼できる仲間になった。また、ともに、命をかけてタイまで逃げ延びるまでの決死の逃亡であった。最後にはローラと仲間たちはランゴン(ヤンゴン)を乗り越えた。
 
感動したシーン 
 
ローラが夜中にホテルから外に出た時、ミャンマー国民がデモを行っていた。そのデモを止めるために軍隊がやって来て、国民に銃を向けた。国民が、「アウン・サン・スー・チー」と叫ぶと、アウン・サン・スー・チーがビルマ(ミャンマー)国民の前に現れ、軍隊の銃撃を止めたシーンが感動的な場面である。また、ローラが軍隊に逮捕されそうになった時に、観光ガイドのウー・アウン・コーが彼女を助けたシーンも感動的であった。さらに、学生たちやローラが一丸となって逃亡した場面や、軍のスパイが僧侶のふりをしていたことを告白した時に、学生達やローラ、観光ガイド、ウー・アウン・コーが許してそのスパイを仲間に入れたシーンも感動的であった。また、国境を越えるときに、国境にいた兵士が学生達を撃つこともできたのに、彼らを見逃して国境を越えさせたシーンも感動的であった。ローラの逃亡する、すべてのシーンにワクワクさせられ、次の展開が待ち遠しく感じた。
 
文化
 
 映画でビルマ(ミャンマー)国民が人を助けるシーンがたくさん見られる。また、ビルマ(ミャンマー)のきれいな景色である山や田んぼなどをたくさん見る事が出来る。映画を見て、ビルマ(ミャンマー)にはたくさんの僧侶がいる国で、仏教徒であることが分かる。それにビルマ(ミャンマー)は軍事政権が支配している国なのでたくさんの兵士が国中にいて国民を弾圧し迫害していることもわかるようになる。ビルマ(ミャンマー)は僧侶と兵士が中心であると思われるシーンがたくさんあった。また、仏教のパゴダや仏教のお寺がたくさんあるシーンがあって、ビルマ(ミャンマー)の文化を見る事が出来る。ウー・アウン・コーとローラの車が雨の中で壊れた時に学生達が助けたシーンもあった。それは先生であったウー・アウン・コーにビルマ(ミャンマー)の学生たちが尊敬しているところを見られる。雨の中で服が濡れていたローラに学生たちがビルマ(ミャンマー)の民族衣装を着せたとこを見て、その映画でビルマ(ミャンマー)の男女が常に自分の国の民族衣装を着ていて、大切に守ってきた事が分かる。(続き)
 

続き

BurmaVJ
 
Burma VJ Reporter i et lukket land)は、2008デンマーク映画である。タイトルのVJビデオ・ジャーナリストの略語である。タイトルを日本語で訳すと「消された革命」という意味になる。映画の監督はアンドレス・オステルガールドで舞台はミャンマーで、軍事政権の支配下のビルマ(ミャンマー)20079月にヤンゴン(ラングーン)で起こった出来事を伝えたドキュメンタリー映画である。ドキュメンタリーなので、俳優はなく、主人公の顔を明かさないビデオジャーナリストが危険を感じてタイのチェンマイに逃れてチェンマイからビルマ(ミャンマー)国内にいるビデオジャーナリストたちに指導していた。ビデオジャーナリストと言っても彼たちは一般市民である。彼たちはノルウェーにあるDemocratic Voice Of Burmaというビルマ民主放送局の一般市民のビデオジャーナリストたちである。

彼たちはブロのビデオジャーナリストたちではなくても一生命ビテオを回してミャンマーの事実を伝えていた。彼たちビルマ(ミャンマー)軍事政権に逮捕・収容・殺害されながら命をかけて世界中の人々にビルマ(ミャンマー)の民主化運動、平和運動のことを伝えている。今日も彼たちはビルマ(ミャンマー)のどこかでビテオを作成しているに違いない。Burma VJ Reporter i et lukket land)の元はDemocratic Voice Of Burmaというビルマ民主放送局のドキュメンタリーニュースである。それをデンマーク人監督アンドレス・オステルガールドは編集してデンマーク映画として作った映画作品である。

 
感動したシーン 
 

 僧侶たちは雨の中でデモ行進を行ったことにビルマ(ミャンマー)市民は僧侶たちの周りを囲んで守っているシーンが感動的だった。ビルマ(ミャンマー)の僧侶たちは普段おとなしいが苦しんでいる国民の生活のため道路に出てデモ行進を行って、しかも仏教的に平和を伝えたシーンはたくさんあって感動的だった。またビルマ(ミャンマー)のビデオジャーナリスト達は、自分の目の前で国民が国軍に暴行され、殺害されていることを木や林の中に隠れて撮っていたシーンや、ビルマ(ミャンマー)のビデオジャーナリスト達が日本人のビデオジャーナリストの長井健二さんをミャンマー軍隊が殺害している生々しいシーンを真近で撮っていることに感動した。そのシーンは2007年に世界中の各メディアで流され日本政府がミャンマー政府に怒りをあらわにした。

 
文化
 

 映画の中でたくさんのシーンを見てビルマ(ミャンマー)の国民の平和的な運動と国の宗教である仏教を深く信じ、僧侶たちに国民が深く尊敬していることがわかって、ビルマ(ミャンマー)でたくさん僧侶が存在していることが分かる。観客は映画を見てビルマ(ミャンマー)軍事政権の悪さを知ってビルマ(ミャンマー)の国民の苦しみとその国はどういう国か分かるようになる。また、国民の服装なども見られ、多くのビルマ(ミャンマー)国民が日常生活に民族衣装を着ていることが分かる。また、バコダやお寺などを撮っていたシーンがあってビルマ(ミャンマー)の文化を見ることが出来る。

 
2つの映画の共通点
 2つの映画はどれもビルマ(ミャンマー)国民が自分たちを弾圧し迫害しているビルマ(ミャンマー)政府に批判して起こった革命であった。Beyond the Rangoon1988年に起きたビルマ(ミャンマー)の民主化運動で、Burma VJ Reporter i et lukket land)は2007年に起きた民主化運動であった。どちらもビルマ(ミャンマー)の民主化運動である。どちらの映画にもビルマ(ミャンマー)軍隊が国民を殺害し民主化運動の参加者たちに弾圧をかけていることが見られる。2つの映画には僧侶たちの運動と学生たちの運動、いわゆるビルマ学生連盟の運動が見られる。また2つの映画はどれもビルマ(ミャンマー)の真実状況を世界中の人々に見せるつもりで作った映画である。
2つの映画の比較
 2つの映画を比較してみた。まず、Beyond the Rangoon1995年のアメリカ映画である。Burma VJ Reporter i et lukket land)は、2008デンマーク映画である。また、2つの映画はビルマ(ミャンマー)の民主化運動を描いたがBeyond the Rangoon1988年に起きたビルマ(ミャンマー)の民主化運動でBurma VJ Reporter i et lukket land)は2007年に起きた民主化運動である。民主化運動が起きた年代は違った。それに、アメリカ映画であるBeyond the Rangoon監督、ジョン・ブアマンは真実を語った映画ではあったが、作成現場で作った映画で、一方、デンマーク映画であるBurma VJ Reporter i et lukket land)は作った映画ではなくビデオジャーナリストたちが命をかけて描いたドキュメンタリー映画である。
 
感想
 私はビルマ(ミャンマー)人であり民主化運動に参加した学生であって逮捕・収容された経験もあった。私はビルマ(ミャンマー)人であるからこそビルマ(ミャンマー)のことは詳しい者である。2つの映画は私にとって十分理解できてビルマ(ミャンマー)の国民の苦しみ、困難なことを分っている。しかし、私は2つの映画のどちらかを選んでと言われたらビルマ(ミャンマー)のビデオジャーナリストたちが命をかけて作ったドキュメンタリー映画であるBurma VJ Reporter i et lukket land)を選ぶ。なぜならばドキュメンタリーでありビルマ(ミャンマー)の現場をちゃんと見られるからだ。
 
まとめ

 民主化運動家である私は2つの映画を作ってくれた監督や映画の関係者の皆様にとっても感謝している。その2つの映画を通じて世界中の人々はビルマ(ミャンマー)のことに関心を持って、ビルマ(ミャンマー)が民主国家になるため支援してくれると期待している。いつかビルマ(ミャンマー)は民主国家になって私も母国に帰える日が来ると心から深く信じっている。最後に伝えたいことは生きていく上で大事なことは自分の命を含む人一人の命を大切にすることだということである。私たちは国の壁、民族の壁、宗教の壁、文化や言葉の壁などを越えて戦争や差別のない自由で平和な世界を作るべきだ。

 
参考文献
・田辺寿夫 『ビルマ「発展」のなかの人びと』 ㈱岩波書店 1996年 Pⅰ
 


 

ミャンマー、北と秘密協力 元高官「国交回復前にミサイル技術買う」

6月20日 産経新聞
 国際紙、インターナショナル・ヘラルド・トリビューンは19〜20日付でミャンマー元政府高官の寄稿を掲載、同元高官は、ミャンマーと北朝鮮が国交回復(2007年)前の1990年代にすでに秘密の関係を結び、ミャンマーが北朝鮮からミサイル技術などの供与を受けていたと証言した。両国の秘密軍事協力の実態が明らかになった格好だ。(黒沢潤)

この元高官は、ミャンマー国防省の情報機関幹部や在米大使館幹部だったアウン・リン・フトゥット氏。米国に05年、亡命した。

ミャンマーと北朝鮮は1983年、北のテロで韓国の閣僚が爆殺されたラングーン事件を契機に国交を断絶した。だが、ミャンマーは92年、現・国家平和発展評議会議長のタン・シュエ氏が軍政トップの座に就くのに合わせ、北朝鮮と「秘密の関係」を結んだという。

背景には、ミャンマーで数百人が犠牲となった88年の反政府騒乱後、外国企業との合弁による武器生産が中止に追い込まれ、米国やインドへの対抗措置として兵器が必要だった事情があるという。ミャンマー政府は核兵器も欲していた。

北朝鮮はこの後、韓国ビジネスマンを装った要人らをミャンマーに派遣。フトゥット氏はヤンゴンの空港で、「特別な接待」を受ける要人を実際に見たという。北朝鮮はミサイル技術と引き換えに「ただちに」金を受け取ったが、それは、ミャンマーがタイに天然ガスを売って稼いだものだった。ミャンマー政府は現在に至るまで、ミサイルや化学兵器開発に従事しているとされる。

ミャンマーと北朝鮮とのこうした関係は、日本や韓国にも秘密にされた。天然資源獲得を目指す日韓両国から、一層の投資を呼び込む思惑があったという。

一方で、2003年秋、ミャンマーと北朝鮮との関係について調査を始めた米上院議員のスタッフが、駐米ミャンマー大使やフトゥット氏と面会するため、在米大使館を2度訪問したことがあった。しかし、タン・シュエ議長がフトゥット氏らに対し、「秘密関係」について米国にウソをつくよう指示。ウィン・アウン外相(当時)もパウエル米国務長官(同)に、疑惑を否定する書簡を送ったという。

ただ、英政府は真相を把握しており、同外相を「ウソつき」呼ばわりしていたという。(黒沢潤)

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