平和の翼ジャーナル

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ミャンマー軍政、裁判で有罪の米人権活動家を釈放

3月18日
(CNN) ミャンマー(ビルマ)軍事政権は18日、先月裁判で禁固5年の有罪判決を言い渡したミャンマー系米国人の人権活動家ニ・ニ・アウン氏(別名ゾー・ルイン氏=40)を釈放した。軍政関係者が語った。早期釈放の理由は不明。

同氏は昨年9月、最大都市ヤンゴンの空港で拘束された。弁護士によると、同氏は偽造身分証明書の使用や登録法違反、2000ドル(約18万円)以上の外貨の無許可所持で訴追された。一部の罪状の判決を同時に執行するため、収監期間は3年間となる見通しだった。

同氏はミャンマー生まれで米国籍を持ち、拘束前にはミャンマー政治犯の釈放を求めるタイの団体で活動。母親といとこ2人は2007年のデモに参加したとして、ミャンマーの刑務所で服役している。

2010年のミャンマー総選挙とNLD
アウン・ミャッ・ウィン
ミャンマー軍事政権の国営テレビは3月8日に、軍事政権が年内に予定している総選挙の実施に関する法律の公布を伝えた。また11日には、ミャンマー・アリン新聞で総選挙法第16条91(カ)を発表した。その内容は、1990年総選挙の結果は無効になるというのもであった。同ミャンマー軍事政権は1990年にも総選挙を行った。その総選挙で最大野党の国民民主連盟(以下、NLD)は全国の総選挙区の82%以上で、多くの当選結果となった。
発表した現在の政党登録法では、各党が60日以内に政党登録を行った上で、90日以内に1千人の党員を組織するということが義務づけられている。NLDの党員のうち、約420人が政治犯として収監され、さらに地方支部も閉鎖されたままであり、新たな党員の確保は容易でない。ミャンマー軍事政権は、2010年の総選挙法と今年予定されている総選挙の実施規則を定めた関連法のうち、下院選挙法と上院選挙法の内容を公表した。それは有罪判決を受けた者は上下両院とも議員に立候補できないと規定している。これにより民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんが選挙に参加する道は完全に閉ざされた。更に政党登録法では、有罪判決を受けた者が政党を組織することや、党員になることを禁止した。NLDの書記長で民主化運動指導者のアウン・サン・スー・チーさんは国家防御法違反罪で昨年8月、禁固3年の判決を受けたため、党の選挙活動をすることができないことに加え、選挙法により出馬もできないことが確定した。下院の定数は440人、上院は224人で、それぞれ4分の1は軍人に割り当てられる。3月10日の午後5時頃に軍事政権はNLDのヤンゴン担当ドークタ・タン・ニェインを呼び、最大野党のNLDに対し、閉鎖していた地方支部の再開を許可し、また2003年にスー・チーさんを拘束した際に地方支部の閉鎖を命じた。NLDは12日にはカヤー州以外にあるNLDの地方事務所(約300カ所)を再開したと発表しが、総選挙に参加するかしないかは明らかにしてない。総選挙に参加するということは、スー・チーさんを党員から省くということである。スー・チーさん無しで、NLDの勝利はあり得ない。これからNLDは党を守るか、またはスー・チーさんを守るかを決めなければならない。更に問題は、60日以内に政党登録を行われなければ政党としての立場がなくなるということであり、NLDにとって危機的事態である。このような状況の中、11日にはシャン国民民主連盟を含む仲間党の少数民族12党は軍政の憲法を改正しなければ総選挙に参加しないと発表した。
また、20年間軍事政権の刑務所に収容された後、昨年釈放されたNLDの幹部であるウィン・テンさんは12日の80歳の誕生日で、軍政の弾圧について民主化活動家たちは軍事政権と戦うよう、スピーチした。1990年から2010年までおよそ20年もの間、NLDはアウン・サン・スー・チーさんだけに頼り過ぎている。スー・チーさんが軟禁から釈放された1995年と2003年には動きがあるものの、軟禁されるとなくなる。2007年の僧侶達のサフラン革命にもNLDの運動は少なかった。これからのNLDの課題は、スー・チーさんのような指導者を多くつくることだ。党員は皆スー・チーさんのようになり、また幹部を若い世代の人々に担うことが大事だ。幹部達はスー・チーさんがいなくてもスー・チーさんのようにミャンマー全国を回り、国民を引っ張っていくことが大事だ。NLDは国民が動くのを待つのではなく、国民の前に出て、国民を動かすべきだ。確かに今現在のNLDは弱い。しかし、それは軍事政権による弾圧で多くの党員が収容や殺害されたり、海外に亡命しているからである。NLDの誤りの一つは軍事政権が党の解散を命じることを恐れるが為、強く軍事政権に批判しデモなどを行った一部の党員たちを離したことはNLDの幹部達の誤りである。これからNLDは反省をし、強く戦うべきだ。
NLDの大事な課題は、総選挙について何を決めるかである。それはビルマ(ミャンマー)の未来であるだろう。

「政党登録法、ここまでひどいとは」NLD

3月10日毎日新聞
 【バンコク西尾英之】ミャンマー軍事政権が10日公表した政党登録法は、今年予定の総選挙後も軍による支配継続を確実にしたい政権が、その障害となる民主化運動指導者アウンサンスーチーさん(64)の政治活動封じ込めを狙ったものだ。野党「国民民主連盟」(NLD)がスーチーさん抜きで選挙に参加するかが今後の焦点だが、参加した場合も露骨な「スーチーさん外し」を国際社会が受け入れるのは難しく、総選挙後も政権と国際社会の対立が続く恐れがある。

 「(政党法が)ここまでひどいとは思わなかった。我々は受け入れることはできない」。NLDのニャンウィン報道官は10日、AFP通信に語った。

 NLDは「スーチーさんを含む全政治犯の解放」などを選挙への参加条件とする一方、参加しなければ「総選挙後の『民主化プロセス』に乗り遅れる」との危機感もあり、依然、選挙参加の是非を決定していない。

 公表された政党法に従えば、選挙に参加するためには、NLDはミャンマー民主化運動のシンボルであるスーチーさんを党から排除する必要がある。参加は困難になったとみられるが、政治勢力として生き残るため、NLDはスーチーさんを切り捨ててでも選挙に参加せざるを得ないとの見方もある。

 米国など国際社会は、軍事政権が主導する総選挙が「自由、公正に行われた」と判断するには、最低でも前回選挙で圧勝したNLDの参加が必要との立場。NLDの弱みを突いてスーチーさん排除を狙った軍事政権の姿勢に、強く反発するのは必至だ。

 軍事政権内部には、中国への極度の一極依存を緩和するため、米国などとの関係改善が必要との考えもあるとされる。政権にとって同法は、改善の兆しがみえた国際社会との関係を再び悪化させかねない「もろ刃の剣」となる。

ミャンマー軍事政権、選挙関連法を制定と発表

3月8日 読売新聞
 【バンコク=深沢淳一】ミャンマー軍事政権は8日、国営テレビを通じて、年内に行う総選挙の規定などを定めた選挙関連法を制定したと発表した。

 詳細は9日以降、国営新聞などで伝えるとして、現時点では明らかにしていない。

 関連法は、連邦選挙管理法、政党登録法、人民議会(下院)法、民族議会(上院)法、地方選挙法の5種類で、法律名のみ発表された。総選挙は10〜11月に行われると見られており、今後、政党の登録手続きや選挙運動が始まる見通しだ。

 軍政側は、現職閣僚らを中心に軍新党を結成して総選挙に臨み、新議会でも実質的な軍政状態を維持する狙いだ。

 民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさん率いる最大野党の国民民主連盟(NLD)はまだ対応を明確にしておらず、関連法を精査して検討すると見られる。NLDの広報担当者は本紙に対し、「内容が分からず、今は何とも言えない」と語った。

 総選挙は1990年以来、20年ぶり。国際社会の圧力を受け、「民政移管」名目で実施される。前回はNLDが圧勝したが、軍政側が結果を受け入れなかった。

「ぼくは難民です。」講演会レポート    
 (支える会 松崎)

 2009年11月28日と29日にかけて、長崎と諫早でビルマ難民アウン・ミャッ・ウィンさんの講演会が4回開催され、全体では150名ほどの方が参加されました。(27日には長崎大学環境学部講座で学生たちに講演)

 4回のうち、28日夜の岡まさはる記念長崎平和資料館では、約30名が参加。
当日の朝日新聞の記事を見てこられた方も2名あり、関心の高さが感じられました。

 まずは入管がどのようなところか、そして密室で何が行われていたのかを知るためにDVD「壁の涙〜入管で起きたこと。暴行と強制送還〜」が上映され、暴行を受けて、強制送還されたパキスタン人のインタビューを観ました。

 ウィンさんは、ビルマで14歳から民主化の学生運動に参加し、ヤンゴン大学学生の時に退学処分を受け、97年に亡命し、大使館デモで逮捕され、品川留置場そして牛久の東日本入国管理センターでの2年にわたる過酷な生活を強いられました。そこでは刑務所よりもひどい実態があり、特に、医療・衛生面でのお粗末さを指摘され、飲み水ですら錆びで茶色、台湾人の医者でコミュニケーションも十分でなく、また、与えられる薬はほとんどが睡眠薬や精神安定剤等、入居者を「おとなしくさせる」ようなものであったとのこと。

 日本では、こうした「収容所」のことはメディアがとりあげることがなく、また、難民のことも知らない人が多いということを知り、自分(ウィンさん)は、初めは祖国ビルマの民主化のことだけ考えていたが、こうした経験から、世界中の難民のことについて活動しなければと考えるようになったそうです。
そのことを、「牛久大学の難民学部で勉強して、卒業認定(難民認定)され、証書一枚もらっただけ」と、ユーモアを交えて表現していました。
 また、各国を講演旅行した際、日本の空港でだけ必ず足留めされる、その理由は難民パスポートを知らない入国管理官が多いからという、これまた日本のお粗末かつ理不尽な管理体制を指摘していました。

 最後にウィンさんはこれまでの様々な経験を「長い旅」と例え、いつかは終わるが、必ずビルマに帰る。そして、軍事政権に関わった人たちを「赦す」ことで、対立を乗り越えてゆかねばならないといわれました。
 これは、私たち日本の市民運動間においても非常に参考になる考えですが、まずはこの問題を広く知らしめ、日本に住む外国人と共に生きていける社会をつくることが、私たちがウィンさんから課せられた「宿題」ではないでしょうか。

※なお、以下の長崎新聞サイトでも、ウィンさんの講演会の様子が載っています。(28日コミュニティセンター・みずほにて)
 http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji/20091201/08.shtml


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