22日の午後、ある市役所から1本の電話が我が家に架かって来ました。
女性の名前を告げ、「○○さんと言う方をご存知ですか?」
我が家の電話番号がその人の連絡先になっていると言います。
しかしその市には親戚はおらず、その人の名前も記憶にありません。
我が家の電話番号がもう十数年前から連絡先になっていたそうです。
そこではたと気が付きました。
十数年前は私達家族は実家の両親と同居していて、同じ電話番号でした。
その電話番号は我が家が引き継いで、引越しをしました。
もしかしたら実家の両親が知っているかもしれないので
そちらで聞いて欲しいと実家の電話番号を伝えました。
その女性は母の妹でした。
そして亡くなった事を知らせる電話だったのです。
私は子供の頃に会ったきりでその後、叔母には色々と複雑な事情があり
再婚をして苗字が変わり、私はその名前を聞いても分らなかった訳です。
叔母は再婚相手と死別し、子供も無かったので老人ホームに入所していました。
母は叔母の事を色んな事情で嫌っていて、いつしか疎遠になっていましたが
連絡先だけはずっと母になっていた様でした。
今日、母に付き添って私達夫婦は告別式に参列して来ました。
参列は私達3人だけで寂しい告別式になるだろうと思っていましたが・・・
ホームで一緒に暮らしておられたお仲間が数人、参列されていました。
最期のお別れに好物を入れたり、頬をそっと撫でて下さる方もおられて、
叔母はこの方達と仲良く暮らしておられたんだな〜と熱いものが込み上げました。
お棺に納められた叔母は自分で編んだ手編みの帽子を被り、
お揃いのひざ掛けで覆われていました。
それを見て私は遠い記憶が蘇りました。
私はこの叔母に編み物を初めて教わったのでした。
小学生低学年だった私に棒針でガータ編みを根気良く教えて下さり、
私が編み物が大好きになった原点は叔母だったのです。
叔母は母より3歳年下ですが、母よりずっとずっと老けて見えました。
今までの苦労が顔に出ているようでした。
しかし、とても安らかなお顔をして眠っていました。
色んな事情はあっても最期は母がお骨を引き取り、
実家の菩提寺に納めて来ました。
約半世紀ぶりの叔母との再会は・・・哀しいお別れとなってしまいました・・。
合掌