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守谷城
守谷城は現在の茨城県守谷市本町にあった城です。址地は現在、守谷城址公園として整備されています。また守谷小学校付近も城址であるが、こちらは宅地化され土塁の一部を除き、面影は無くなっている。初期の守谷城は平台山と呼ばれる沼沢地に突きだした半島状の台地を利用して連郭式に数郭に区画して築かれ中小規模な砦であった。のちに城域は拡大され、台地全体に広がる大規模なものになった。往時は小貝川の支流が堀に流れ込み、船着場も備えられていた要害だったとされる。
小学校前の近世守谷城の土塁
守谷城は平将門が築いたものであるという伝承がある。しかし、将門が築いたものは「城」というほどのものではなかったであろうと考えられる。
その後、鎌倉時代に地方の領主であった相馬氏の城となったとされる。相馬氏は桓武平氏良文流、または良将流といわれ、平将門の後裔を称し、千葉常胤の次男、師常が養子入りしたとされ、将門直系子孫を称しているが定かではない。 案内板
戦国時代に入ると古城の西へと城域が拡大され、古城部分は出城として機能した。永禄9年(1566年)には、相馬治胤が守谷城を関東の拠点とすべく、古河公方に提供しようとしたとされるが、やがて守谷城も後北条氏の勢力下に置かれ、天正18年(1590)の後北条氏滅亡を経て、相馬氏は没落した。
その後、土岐(菅沼)山城守定政が1万石で移封されてきた。その後には一時天領となったこともあるが、寛永5年(1642)、1万石で堀田正俊が、寛文元年(1668)、2万石で酒井忠孝が城主となった。しかし延宝4年(1676)、に酒井氏が転封されると城は廃城となった。
別名 なし
城郭構造 平山城
天守構造 なし
築城者 相馬師常
主城主 相馬氏、土岐氏、堀田氏、酒井氏
改修者 相馬氏
築城年 鎌倉時代
廃城年 不明
遺構 土塁、空堀、郭
再建造物 なし
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