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関城
関城は茨城県筑西市関館にあった城です。現在、城跡は一部民家や畑になっている場所もあるが、遺構は点在しており国指定史跡に指定されています。 。
関城は、大宝沼に突出した半島状の約30mの台地に築かれ、東側・西側・南側は、大宝沼の水辺に臨んでいた。 大宝沼の南側には大宝城が存在し、さらに東方に駒城が存在していた。
関城主・関宗祐の墓
関城は、鎌倉時代初頭に結城家2代朝広の4男朝泰が結城家所領の関荘を相続したことに始まり、子孫は代々関氏を称した。
城址碑
関城主・関宗祐は、吉野から海路東国に向かい、常陸国に漂着した北畠親房に協力し、関城に迎え入れる。
案内板
小田城陥落後は、南北朝の争乱において、南朝方の政治上・軍事上の拠点となり、大宝城、駒城などと共に北朝方の高師冬軍と激戦を繰り返したが、関城との連絡路を絶たれた大宝城の下妻政泰が討死し、1343(興国4)年、落城間際に北畠親房は脱出し、同年11月に関宗祐・宗政父子は討死し、関城は落城した。
案内図
別名 なし
城郭構造 平城
天守構造 なし
築城者 関朝泰
主城主 関氏
改修者 なし
築城年 鎌倉時代
廃城年 不明
遺構 土塁、空堀、坑道址
再建造物 なし
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