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チケットモモの電話対応が半端じゃなく悪くて、ビックりしました。

会津、桐屋・権現亭

 
 
                     飯豊権現蕎麦
 
                                                                       桐屋・権現亭
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会津の観光案内等には必ず載っているお店なので行ってみました。
店の駐車場には県外ナンバーが数台とまっており全国的評判の店であることを証明しています。
 
 
 
 
 
 
 
                                                                                                                 
                                   飯豊権現そば
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飯豊権現そば1,500円を注文してみました。
 
桐屋名物の一番粉でつくられている白い透き通るような色の蕎麦で、歯ごたえがかなりありました。
 
  
 
 
 
 
 
 
 
所在地・ 福島県会津若松市上町2-34  地図

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宿場町、大内宿

福島県南会津郡下郷町にある山間にひっそりたたずむ村会津西街道、大内宿にいってきました。
 
 
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 江戸時代の宿場を今に残す、全国でも数少ない集落らしいです。この村を通る街道は、会津西街道または南山通りあるいは下野街道と呼ばれ、城下町会津若松と栃木県今市を結ぶ重要な街道だったようです。数万俵の廻米や生活物資、参勤交代の大名行列や旅人もこの街道を通り、この宿場で疲れを癒やしたようです。 
 
 
 
 
 
 
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明治17年、現在の国道121号線が開通すると大内宿はその道すじから遠く離れ、人影も跡絶え、衰退していきます。この事は大内宿の町並みが残される大きな要因となったようです。
昭和に入っても旧街道の両側には茅葺屋根の建物が軒を連ねていたようです。大内宿を含む前後10キロには旧会津西街道の石畳や、三郡境の塚、茶屋跡、一里塚、馬頭観世音碑などの遺構が見られることから国指定史跡に指定されています。
 
  
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民宿や土産物屋、蕎麦屋などが多数立ち並らんでいましたが、到着した時間が遅かったのでお店は閉まってしまっていました。
 
特に蕎麦やが多く高遠そばの名で知られているようで、箸の代わりにネギを用いて蕎麦を食べる風習があるようです。。
 
 
 
 
 
 
 

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大内宿

 
 
                      大内宿本陣
 
大内宿本陣は、福島県南会津郡下郷町にある宿場町、大内宿にあります。大内宿本陣跡には大内宿町並み展示館がある。大内宿は日光今市から会津若松に通じる旧会津西街道、別名下野街道、南山通りに沿った山間の平地にあり全長約450mの往還に沿って、道の両側に妻を向けた寄棟造、茅葺の民家群がほぼ等間隔に建ち並んでおり、伝統的建造物群及びその周囲の環境が地域的特色を顕著に示しているものとして、重要伝統的建造物群保存地区に選定された。1981年(昭和56年)4月18日に選定されたもので、宿場町としては長野県の妻籠宿、奈良井宿に次いで、全国で3番目である。
 
                                                                                     大内宿本陣跡
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江戸時代に入り街道が整備されると会津西街道は会津藩や新発田藩、村上藩、米沢藩の参勤交代に使用され、経済的にも廻米道として利用されるなど重要視されました。又、大内宿は回りが高い山々に囲まれている為、独立した宿場町として発展し、本陣をはじめ旅籠や問屋などが設けられ賑わいをみせていましたとされる。
 
 
 
 
 
                                               大内宿
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白虎隊で有名な会津戦争(戊辰戦争慶応4年)で戦場となり、新政府の誕生とともにその役割を終えることになります。
 
本陣跡は図面などの史料がなかったそうで、復元に当たっては会津西街道の川島本陣、糸沢本陣を参考にして計画されています。
 
 
 
 
 
 
 
別名           
城郭構造   
天守構造      
築城者        
主城主        
改修者    
築城年     
廃城年         
遺構           
再建造物     本陣址  
所在地  ・福島県南会津郡下郷町
アクセス 
 

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若松城

 
         若松城
 
若松城(わかまつじょう)は、福島県会津若松市追手町1にあった城です。現在は観光名所として天守が復元されており、城跡は都市公園鶴ヶ城公園となっている。城跡のほとんどが国の史跡に指定されており、若松城跡の名称で指定されている。
若松城は旧市街地の南端に位置し、郭内(武家屋敷)と町屋敷が外濠で隔てられ、さらに郭内の内側に内濠を有する梯郭式の平山城である。
内郭の中央に本丸があり、その北及び西側を取り囲むように帯郭がある。内濠を隔てて東側に二ノ丸、三ノ丸があり、北側に北出丸、西側に西出丸がある。三ノ丸以外の各門は枡形石垣門になっていた。
 
                                        大手門跡枡形
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南朝元中元年、北朝:至徳元年(1384年)、蘆名7代の蘆名直盛が小田垣の館または東黒川館という館を造ったのが若松城のはじまりとされる
 
 
 
 
 
 
 
                                         武者走り
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15世紀半ばまでには黒川城、または小高木城とその城下が成立していたとされる。以後、代々蘆名氏の城であった。
戦国時代中後期には、英傑・蘆名盛氏が出て、黒川城を中心に広大な版図を築き、南奥羽を制する大大名に成長しますが、戦国末期になると佐竹氏から養子を迎えるなど衰退していく。
 
 
 
                                         干飯櫓
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天正17年(1589年)蘆名氏と戦いを繰り返していた伊達政宗は、摺上原合戦で蘆名氏に勝利し黒川城を手にした。これによって蘆名氏は佐竹氏を頼り江戸崎(茨城県・稲敷市)へ落ち延びていきます。
しかし、、政宗は豊臣秀吉によって行われた小田原攻めに遅参したことで奥州仕置きにより居城を岩出山城(宮城県・大崎市)に移された。
 
 
 
                                     茶壺櫓台上から見た廊下橋
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代わって黒川城に入ったのは蒲生氏郷で、文禄元年(1592年) より大大名に相応しい近世城郭に改造し、城下町を整備した。文禄2年(1593年)望楼型7重(5重5階地下2階とも)の天守が竣工し、名は「鶴ヶ城」に改められた。
 
 
 
 
 
 
                                          月見櫓
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慶長3年(1598年) 氏郷の子・秀行は家中騒動のために92万石から18万石に下げられ下野国宇都宮に移封された。越後国春日山より上杉景勝が120万石で入封。慶長5年(1600年徳川家康関ヶ原の戦いで西軍に加担した上杉景勝を30万石に下げ、出羽国米沢に移封した。
 
 
 
 
                                         西出丸址
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慶長6年(1601年)には、蒲生秀行が再入城したが、寛永4年(1627年) 嫡男の忠郷に嗣子がなく没したため、秀行の次男・忠知が後嗣となり伊予国松山に移封された。代わって伊予松山城より加藤嘉明が入封。子の明成は西出丸、北出丸などの造築を行い、慶長16年(1611年)に起きた会津地震により倒壊した天守を今日見られる層塔型天守に組みなおさせている。
 
 
                                       主郭南側の濠
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寛永20年(1643年)加藤明成は改易され、出羽国山形より3代徳川家光の庶弟である保科正之が23万石で入封。以後、明治維新まで会津松平氏(保科氏から改名)の居城となった。
 
 
 
 
 
 
 
 
                                          案内図
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慶応4年(1868年)戊辰戦争の際には会津戦争にて、会津勢の立て篭もる若松城は1か月の間持ちこたえ、板垣退助勢に、薩摩の援軍の助けをかりても遂に城は落ちなかったが、その後開城された。戦後、天守を含む多くの建造物の傷みは激しく、その後も放置されたまま破却を迎えている。
 
 
 
 
 
 
 
別名            鶴ヶ城、会津若松城、黒川城
城郭構造   輪郭式平山城
天守構造   望楼型7重不明(1593年築)層塔型5重5階地下2階(1611年改)
           層塔型5重5階(RC造 1965年再)
築城者         蘆名直盛
主城主         蘆名氏、伊達氏、蒲生氏,、上杉氏、加藤氏、松平氏・保科氏
改修者     蒲生氏郷、加藤明成
築城年      1384年(南朝:元中元年、北朝:至徳元年)
廃城年         1874年(明治7年)
遺構            石垣・土塁・堀
再建造物      天守・門・櫓・長屋
所在地  ・福島県会津若松市追手町1 
アクセス   ・JR会津若松駅より路線バス鶴ヶ城・飯盛山に乗車し「鶴ヶ城北口」下車。
 

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