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福島県南会津郡下郷町にある山間にひっそりたたずむ村会津西街道、大内宿にいってきました。
江戸時代の宿場を今に残す、全国でも数少ない集落らしいです。この村を通る街道は、会津西街道または南山通りあるいは下野街道と呼ばれ、城下町会津若松と栃木県今市を結ぶ重要な街道だったようです。数万俵の廻米や生活物資、参勤交代の大名行列や旅人もこの街道を通り、この宿場で疲れを癒やしたようです。
明治17年、現在の国道121号線が開通すると大内宿はその道すじから遠く離れ、人影も跡絶え、衰退していきます。この事は大内宿の町並みが残される大きな要因となったようです。
昭和に入っても旧街道の両側には茅葺屋根の建物が軒を連ねていたようです。大内宿を含む前後10キロには旧会津西街道の石畳や、三郡境の塚、茶屋跡、一里塚、馬頭観世音碑などの遺構が見られることから国指定史跡に指定されています。 民宿や土産物屋、蕎麦屋などが多数立ち並らんでいましたが、到着した時間が遅かったのでお店は閉まってしまっていました。
特に蕎麦やが多く高遠そばの名で知られているようで、箸の代わりにネギを用いて蕎麦を食べる風習があるようです。。 |
史跡・街・城めぐり
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(1)の続き
小幡は古くから城下町(陣屋町)として発達し、廃藩置県後も小幡県が成立するなど政治の中心地だったみたいです。
陣屋見取図
甘楽町小幡は、織田氏ゆかりの町で、1615年(元和元年)、天下を統一した徳川家康は、甘楽町を中心とした小幡2万石の藩主に、織田信長の次男・信雄を任命しました。
以後、小幡藩は、8代152年間にわたり江戸幕府の特別な家格として処遇された織田氏の統治が続きました。
織田信長の次男信雄がここに城下町を築く際に造られた庭園です。 7年と数万両を投じて造られたという池泉回遊式の庭園は、当時の格調の高さが忍ばれます。
楽山園御殿屋敷跡
復元中の御殿を囲む堀と土塁
中小路 武家屋敷 高橋家長屋門
勘定奉行の役宅址で、小幡の武家屋敷で、最も、昔の面影を残しているのが高橋家の屋敷と庭園みたいです。
喰い違い郭
旧陣屋の中小路に面して造られた「喰い違い郭」。戦の時の防衛上のために造られたとか。また、下級武士が上級武士に出会うのを避けるため隠れたともいわれています。
中は立ち入り禁止です。
大手門礎石
レンガ造りの甘楽町歴史民族資料館のある辺りが大手門の位置で、それより南側が武家屋敷、北の雄川堰沿いが町
人町で レンガ造りの資料館と向かい側の無料休憩所辺りが大手門だったみたいです。
町人町 古い街並み
古い街並みが続きます。
街並みに沿って桜並木になっています。
雄川堰
甘楽町を南北に流れる雄川堰は、古くから住民の生活・農業用水、精米などの多目的に利用されてきた用水路で、日本名水100選にも選ばれています。
洗い場
各住宅の前には水路に洗い場が設けられています。
とりあえず、下りて水を触ってみました。
井戸址
織田家がこの地に来た頃は、皆水利に
苦労していたため、城内に二つ、城外に三つの 井戸を作った。これがその一つです。 とても全員で使うには足りず、2〜3㎞先の雄川 から30年かけて水を引いた。 吹上の石樋
慶応元年(1665年)7ヶ月と250人の手間を費やして造られた吹上の石樋。 雄川から引き入れた水は、長さ6mの巨大1枚岩を組み合わせたここを通り、雄川堰へと流れてゆきます。
案内板
この他にも見所はまだあるようですが、お腹がすいたので、
ご飯を食べれるところを探したんですが、
10キロ先には蕎麦の里しかわからず、ここを離れました。
所在地 群馬県甘楽郡甘楽町大字小幡
アクセス 群馬県の西南部に位置し、上信越自動車道富岡インターより約4km
高崎駅より上信電鉄で30分上州福島駅下車2km |
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城下町甘楽町小幡に行ってきました。
東京外環自動車道 草加IC
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関越自動車道 大泉JCT
↓
関越自動車道 本庄児玉ICで下りて 草加ICからここまでで約1時間
↓
国道245号を甘楽方面へ進んで30〜40分行くと吉井町付近に牛伏城の看板があったので甘楽町小幡に行く前に寄り道しました。
245号を左に曲がり山道をバイクで上がって行きました。
牛伏城があるのは牛伏山(標高491メートル)の山頂付近で、牛伏山一帯は、自然公園となっていました。
山頂付近まで車道があるのでバイクで行けましたが、道が狭く、急な坂道なので、対向車が来たときは、ドキドキでした。
牛伏山展望台
本来この山にあった城は牛伏城ではなく一郷山城という城だったみたいです。
無料駐車場があり、展望台に入るのも無料でした。
中はちょっとした資料館になっています。
晴れていれば最高っぽいんですが、せっかくの展望台からの眺めが曇り空で良く見えません・・・・
この先に進むと
道幅は上りより狭いんですが下山専用なので対向車の心配がなくスイスイ行けました。
また254号に戻り少し走っていたら、庭谷城の看板があったので今度は、254号を右折し『上信鉄道』上州庭谷駅横の踏切を渡り細い道を、道なりに約1㌔進むと、また看板があるんで進んで行くと庭谷城址がありました。
庭谷城址
址地は神社になっていて、チェーンが掛けられていますが、右手に回ると敷地に入れます。
土塁?が遺構として残っていました。
見つけずらい場所に城跡があるのも確かなんですが、案内の看板が解りずらく、もう少し解りやすいようにして欲しいです。
ここから甘楽町小幡にむかいました (2)へ続く
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千葉県の大多喜町周辺へ
【午前9時、自宅を出発】
↓
【埼玉県から八潮南IC】
↓ 千葉外房有料道路
【首都高・葛西JCT[】
↓
【東関東自動車道・宮野木JCT】
↓
【京葉道路・千葉東JCT】
↓
【千葉東金道路・大宮】で降りて
↓
【千葉外房有料道路・終点】まで行って
↓
27号を南下しました。
千葉は都心に近い側はいつも渋滞がひどいですが、千葉市を過ぎれば、下道でも渋滞が滅多にないので、
田舎道をのんびりと走りました。
アップダウンやカーブが結構あるんで、スピードは控え目に・・・・・・
いすみ鉄道、大多喜駅
途中、道を間違えたんですが、2時間位で、
【いすみ鉄道】大多喜駅に到着しました。
駅の周りには乗り待ちの人達が結構いて、
何故かムーミンがプリントされたTシャツを着ている人が結構いました?。
ムーミン列車
駅近くの線路に停まっていました。
列車にムーミンの絵が描いてあります?
駅員さんに聞いたら、昨年10月からムーミンのキャラクターを車体に描いた『ムーミン列車』を運行していて。のどかな風景の沿線をムーミン谷に見立てているとの事でした。ムーミングッツも販売中だとか…
ムーミンTシャツの人達は筋金入りのいすみ鉄道のファンなんですね。
ちなみに上下線、大体、1時間に一本です。
駅から直ぐの山を登った所に城があるので電車に乗らず先に行ってみました。
大多喜城
徳川家康配下の徳川四天王の1人本多忠勝が城主だった城です。
資料館内
内部は、千葉県立中央博物館大多喜城分館になっています。
大多喜駅へ戻って【いすみ鉄道】下り線に乗って終点の上総中野まで行きました。
【午後1時31分 太田駅発】
料金は大人390円でした。上総中野まで、20〜25分位で着きました。
一日フリーパスもあり1000円で乗りたい放題になっていました。
のどかな風景のなかを電車はゆっくりとした速度で、進んでいきます。
何回か鉄橋を渡ります。
ちょっと写真が撮れなかったんですが、鉄橋の近くで電車の速度が更に遅くなり・・・・・何だろう?と思っていたら、鉄橋に座った大き目のムーミンの人形が釣り糸を川に垂らしていました。
写真が撮れずに残念です。
小湊鉄道
上総中野に着きました。
小湊鉄道の車両が来ていたので撮りました。
上総中野は小湊鉄道の終点でもあり、この先の養老渓谷駅に行くには【いすみ鉄道】から【小湊鉄道】に乗換ます。
何処に行きたかったわけでもなく、乗ってみたかっただけなんで、乗ってきた車両で、また、大多喜駅に戻りました。
大喜多から養老渓谷方面に向かい、栗又の滝によってみました
【午後2時30頃 大多喜 出発】
↓
【午後3時頃 栗又の滝 到着】
滝の横でバーベキュウをしている人達や、川遊びをしている人たちで賑わっていました。
滝をボディーボードに乗って滑り下りている人もいました。
いい時間になってきたんで、今度は栗又の滝から久留里にむかいました。
【午後4時頃 栗又の滝 出発】
↓
【午後4時30頃 久留里城 到着】
駅前の商店街は酒屋多く、蔵など、建造物も多くありました。
商店街から脇にそれて細い坂道を登り久留里城に
着きました。
この城は、戦国時代に、この地を支配していた里見氏の城です。
駐車場から約500m距離に城があるんですが、坂がキツイので疲れました。
途中、資料館がありますが時間が過ぎていて閉館してしまっていました。
山の上にあるの見晴らしはかなり良かったです。
見終わり
【午後5時30分頃、久留里城 出発】
↓
【久留里街道】
↓
【舘山自動車道・姉ケ崎袖ヶ浦IC】
で帰宅しました。
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埼玉県草加から栃木県足利まで、下道で、行ってきました。 県道49号(旧日光街道)古河ま、で行き国道354号で三国橋 を渡り県道9号を北上し県道67号で足利に行きました。2時間位で、到着しました
県道9号です。
渡良瀬川や谷中湖を右手に見ながら土手を走り、信号が少なく交通量もそれ程なかったので、バイクでとても走りやすかったです。
展望台
県道9号沿いの『道の駅きたかわべ』です。「スポーツ遊学館」があり、無料展望台から、360度が見渡せ、各、山々が見えます。
スポーツ遊学館では 渡良瀬遊水地でウォータースポーツや散策を楽しむ事が出来ます。
所在地・ 埼玉県北埼玉郡北川辺町小野袋1737
TEL 0280-61-2299
ちょうど、スペーシアが、走ってきました。
ここから、佐野市を抜けて足利氏にむかいました。
途中、車が混む場所が数か所ありましたが、、すり抜けで、グイグイ進み
足利市に 到着してガイドマップの写真を撮りました。
とりあえず、最初に鑁阿時(足利氏館)に行ってみました。
源姓足利氏2代目義兼が建久7年(1196)、邸内に持仏堂を建て、守り本尊として大日如来を祭ったのが始まりで、3代目義氏が堂塔伽藍を建立し足利一門の氏寺としました。
周囲に土塁と堀をめぐらした寺域はほぼ正方形で、約40,000平方メートルあり、鎌倉時代の武家屋敷の面影を今に伝えており、大正11年、国の史跡に指定されました。 春は桜、秋はいちょうの黄葉が素晴らしく、市民には『大日様』と呼ばれ親しまれています。 また、足利氏館として2006年(平成18年)に、日本100名城に選定されています。
太鼓橋と仁王門
仁王門は1196年(建久7)
足利義兼による創建された。 1564年(永禄7)、兵火により、13代将軍
足利義輝により再建される。
太鼓橋は、江戸時代安政年間の再修です。 土塁は、東辺146・西辺177・南辺189・北辺198mで、
幅は基底部8〜9m・上部約2m、高さ2.5〜3m。
水堀は4m前後の幅があるそうです。
一切経堂
開基足利義兼が鎌倉時代に建立、足利満兼(関東菅領)
により江戸期応永十四年(1407)再建。 国指定重要文化財
多宝塔
開基足利義兼の創建、江戸期寛永六年(1629)再建。元
禄五年(1692)徳川五代徳川綱吉(犬公方)の 実母、桂昌院お玉の方の改修。
北門
北門は足利義氏の創建といわれており、現在のものは弘化2年(1845年)に再建されたものである。
大銀杏
樹齢約550年の木で、江戸時代には、
既に、大木になっていたらしい、
目通りの周囲、9m
高さ約30mです。
その他にも、御霊屋、蛭子堂、鐘楼、西門、東門等がありました。 残念な事にメインの大御堂は改修中で写真が撮れませんでした。・・・
参拝は出来るみたいです。
鑁阿字を出て、石畳の散歩道に行きました。
石畳散歩道 大門通り
キレイな石畳の道で、雰囲気が良い感じの道でした。
足利尊氏像
【征夷大将軍】足利尊氏の像がありました。
足利尊氏は鎌倉時代後期から南北朝時代の武将で北条氏を滅ぼし京都に室町幕府を開いたの室町幕府の
初代征夷大将軍ですね。
太鼓橋から石畳の道を歩いて行くと、
直ぐ左にあります。
松村記念館
国登録有形文化財に指定されている昔の大地主の屋敷みたいです。
茂右衛門蔵
昔の蔵で、今は、町おこし市民ギャラリーになっています。
相田みつを等の作品を展示しているみたいです。
なんでも相田みつをは、足利市の出身らしいです。
足利学校入徳門
足利学校は平安時代に創建されたと伝えられる日本最古の総合大学で儒教や医学、易学等を教え天文年間(1532〜1554)には全国から学徒3千人が集まったとされ、
F・ザビエルが、国内に11ある大学及び中で、最大のものが、足利学校アカデミーで,
坂東で最も有名な大学と本国に伝えたらしい。
茅葺き屋根の寄棟造りの方丈
江戸時代に落雷で消失してしまったものを復元して、
当時の学徒がどのような所で勉強していたのかを、見学できるように一般開放していました。 お腹がすいたので、相田みつをのゆかりの足利の手打ち蕎麦のお店に入りました。
【めん割烹 なか川】
相田みつをゆかりの店らしく、お店の看板を始め、
店内には相田みつをの作品が数多く展示されていました。
おしながきもそうだったのでビックリです。
4代目店主いわく、ここは、元々は旅館で、四代目の祖母が、若き日の相田みつをの作品を初めて買った人らしいです。
ドラマの話とは実際は違うんですよ!!って言っていましたが、ドラマみてないんで、わかりませんでした。
○○御膳
ちょっと御膳の名前忘れちゃったんですが・・・・テレビにも紹介されたらしいです。
足利名物そばを温かいかき揚げの入った付け汁につけて、つけ麺風で食べます。鰊の甘露煮と小さいお椀に、かやくご飯が入っていて、そば団子も付いていました。
金額は2千円です。
かなり満腹になり満足でした。
あと足利は最中が名物らしいですが、ここの店主が、どこの最中が一番うまいか、丁寧に、教えてくれます。
店の名前が似ているから、皆さん、知らないで間違えて買っちゃうんだけど・・・・・
『ほんとのほんと』はこのお店と教えてくれます。
ちょうど、横の席の人達が、最中を買って持っていたんですが・・・・そこは間違えで、本当は、ここで買った方がって説明してました。
足利で最中を買いに行く時はその前にこのお店の店主に聞いた方が良いかも・・・・・・・
ちなみに、僕は時間切れで、買えませんでした。
この日はちょうど、足利花火大会の日で帰りが大渋滞になってしまいました。
ちなみに足利花火大会の花火は2万発らしいです。
足利は史跡などの見るものが、近い距離にあるので、とても廻りやすく、大満足な足利でした。
足利市は足利学校や足利氏の遺産等の世界遺産登録を目指しているらしいです。 自治体ホームページhttp://www.ashikaga-kankou.jp/
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