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唐沢山城
唐沢山城は、現在の栃木県佐野市富士町、栃本町にあった城です。
現在は栃木県立自然公園の一部となっており、本丸に築城主と伝えられる藤原秀郷を祀る唐沢山神社が鎮座し、遺構として石垣、大手枡形、土塁、堀切、井戸などが残っている。また、関東七名城の一つにあげられる。
唐沢山(247メートル)山頂を本丸として一帯に曲輪が配された連郭式山城で、周囲を急崖にかこまれ眺望は関東平野を一望にできる。関東地方の古城には珍しく高い石垣が築かれているのが特徴である。
四つ目堀切
築城は平安時代の延長5年(927年)に、藤原秀郷が従五位下・下野国押領使を叙任、関東に下向し唐沢山に城を築いたのが始まりとされる。 天慶3年(940年)平将門による天慶の乱が起こったが、秀郷らの活躍で乱を鎮圧した。この功績により秀郷は従四位、武蔵・下野両国鎮守府将軍を拝領した。
また、一説にはこの乱を鎮圧した天慶3年から築城が開始され天慶5年(942年)に完成したと伝えられる。その後、5代にわたりここに居城した後、6代成行は足利荘に移り一時廃城となった。
三の丸址
平安時代末期の治承4年(1180年)9代俊綱の弟成俊は再びここに城を再興し、佐野氏を名乗った。鎌倉時代に入った建保元年(1213年)成俊は30余年の歳月をかけて城を完成させた。
以上のような伝承がある一方で、最近の研究では唐沢山城の起源は15世紀後半までしか遡らないことが明らかにされている。秀郷築城が伝承された背景には、唐沢山城主の佐野氏の先祖が藤原秀郷であるからであるといわれる。
二の丸址
室町時代中期の延徳3年(1491年)には佐野盛綱が城の修築を行った。
戦国時代の佐野氏は相模の北条氏、越後の上杉氏の二大勢力に挟まれどちらに付くか苦悩した。当初、越後の上杉謙信と結んだ佐野昌綱は、永禄2年(1559年)北条氏政に3万5千の大軍をもって城を包囲された。謙信は即座に援軍を差し向け北条軍を撤退させた。
本丸跡へむかう虎口 昌綱の子・宗綱は弟で上杉氏の養子に入った虎松丸と不和になり、一族間で「唐沢山天正の乱」と呼ばれる争いが起こった。これにより佐野氏は上杉氏と決別するに至った。天4年(1576年)虎松丸に加勢した上杉謙信は1万5千の兵をもってこの城を攻めたが、一族の結城氏・小山氏・皆川氏などの加勢により上杉軍を撤退させた。その後も9度にわたり上杉軍の攻城を受けたがことごとく退けている。この堅固さは評判となり関東一の山城と賞賛された。
本丸址の石垣
上杉氏と決別し孤立化した佐野氏は、天正15年(1587年)に北条氏康の五男・氏忠を養子に迎え北条氏と和議を結んだ。
天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原の役では、当主の佐野房綱は豊臣方に付き城内の北条勢を一掃した。文禄2年(1593年)豊臣氏家臣富田一白の二男・信種を養子に迎え、秀吉の偏諱を賜り佐野信吉と名乗った。 枡形虎口
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは信吉は徳川家康方に付き3万5千石の旧領を安堵され佐野藩が成立した。慶長7年(1602年)麓に佐野城が築かれ平安時代より続いた唐沢山城はその歴史に幕を閉じた。廃城に至った説として、江戸に火災があったとき、山上にある唐沢山城よりこれを発見し早馬で江戸に駆け参じたが、江戸を見下ろせる所に城を構えるは何たることかと家康の不興を買ったと言う話がある。また、江戸から20里(80キロメートル)以内の山城は禁令されていたとの説もある。
見晴らし台、『天狗岩』
天狗岩からの眺め
大炊井
案内図
別名 栃本城、根古屋城、牛ヶ城、橡木城
城郭構造 平城
天守構造 なし
築城者 藤原秀郷?
主城主 佐野氏
改修者 佐野氏
築城年 延長五(927)年
廃城年 慶長7年(1602年)
遺構 曲輪、石垣、虎口、土塁、堀切
再建造物 なし
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栃木県の城
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佐野城
佐野城は現在の栃木県佐野市若松町にあった城で、現在、主郭部は「城山公園」として整備されています。
内掘から外掘の範囲は完全に埋め立てられ、市街地化して住宅等が建ち並んでいますが、往時の外掘は、東西300m・南北600m四方の城郭を取り囲み、幅も広いところでは数十mに達していたとされる。また、佐野城城門は惣宗寺に移築されている。
城は、比高15mほどの独立丘陵を利用した連郭式の平山城で、南から三の丸・二の丸・本丸・北出丸と直線的に続く曲輪で繋がっており、縄張りの主郭部は、東西110m・南北390mの規模で、それぞれの曲輪の間は空堀で区切れ、四周を巡る内掘へと続いていた。
石碑
佐野城は、慶長7年に佐野信吉によって築かれたとされる。
佐野房綱が豊臣秀吉方として、小田原征伐に参加し、佐野領を安堵された房綱は、養子の信吉に家督を譲る。
信吉は慶長五年(1600)の関ヶ原合戦では東軍に与して参戦した。
本丸と二の丸間の大堀切
しかし慶長七年(1602年)、信吉のもとへ突如山城である唐沢山城を廃して平地へと移転する様命が下される。その命に従った信吉は春日岡を城地と定め、当時この地にあった惣宗寺(現在の佐野厄除け大師)を移転させ同年中に新城造営に着手、その後未完成のまま佐野城へと居城を移した。この理由に諸説があるが、慶長4年に徳川家康が発令した『江戸20里四方の山城法度による禁令』により、佐野氏累代の居城唐沢山城を廃城することになったと思われる。
本丸と北出丸間の堀切
佐野城へと居城を移した信吉は、未完成である城、城下の整備を進めていった。しかし慶長十九年(1614)、信吉の実家である富田氏が大久保長安事件に連座して改易となると、信吉自身もそれに連座したとされ信濃国松本城主小笠原氏のもとへ預けられ、所領は没収された。
これに伴い佐野城は築城開始から僅か12年で廃城となり、以後再興されることは無かった。その後、佐野氏は3代将軍家光の代になって漸く赦され、以後旗本として明治維新まで存続したという。 北出丸跡
別名 春日城、春日岡城、姥ヶ城
城郭構造 平城
天守構造 なし
築城者 佐野信吉
主城主 佐野信吉
改修者 なし
築城年 慶長7年(1602年)
廃城年 慶長十九年(1614年)
遺構 曲輪、堀切、堀、土塁、門(移築)
再建造物 なし
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小野寺城
小野寺城は現在の栃木県下都賀郡岩舟町大字小野寺にあった城で、現在、城址地には東北自動車道が、通っており遺構は高速道路西側に僅かに堀跡が残っているのみで、殆んど残されていない。
城は唐沢山城の南側の三方山に囲まれた平地にあったとされ東西410m、南北270mの輪郭式の平城であったととされる。
城跡石碑
小野寺城は保元元年(1156年)小野寺義寛によって築かれたとされる。
小野寺氏は下野国都賀郡小野寺発祥で藤原秀郷の末裔で首藤氏を名乗っていたが、源義為に従って戦功を挙げ、小野寺一帯に所領を得て小野寺氏を名乗ったことに始まる。義寛の子通綱も源頼朝に属して奥州遠征などに参陣したが、承久の乱で宇治川の合戦において討死した。
その後に廃城になったとされる。
別名 なし
城郭構造 平城
天守構造 なし
築城者 小野寺義寛
主城主 小野寺氏
改修者 不明
築城年 保元元年(1156年)
廃城年 不明
遺構 堀
再建造物 なし
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清水城
清水城は栃木県佐野市吉水町にあった城です。現在の興聖寺境内地が本丸跡になり、土塁、堀が残存している。城は周囲に北二の丸、南二の丸、三の丸などが配され、各郭は水堀によって画されていたとされるが、現在は失われている。
興聖寺前の標柱
清水城は安貞2年(1228年)、佐野国綱が一族の岩崎義基のために築いたと伝承される。
岩崎義基とは木曾義仲の子清水冠者義高の仮名であり、故にこの城は清水城と称されたという。
以後岩崎氏代々の居城となったが、永正年間(1504-21年)岩崎左馬助重長が岩崎城へと移住、大永元年(1521年)より佐野秀綱が居城とした。 しかし秀綱が在城することは少なかった様で、家臣である田沼、中江川、天沼、清水、今宮諸氏が交代で守備し、その後山田若狭守が長く城代を務めたという。
戦国時代を通じて唐沢山城の支城として存続したものとみられるが、慶長19年(1614年)佐野氏が改易となると、同時に廃城になったものと考えられている。 別名 吉水城・興聖寺城
城郭構造 平城
天守構造 なし
築城者 佐野太郎国綱
主城主 岩崎氏、佐野氏、田沼氏、中江川氏、天沼氏、清水氏、山田氏
改修者 不明
築城年 安貞2年(1228年)
廃城年 慶長19年(1614年) 遺構 土塁、空堀
再建造物 なし
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赤見城
赤見城は栃木県佐野市赤見町にあった城です。現在は、城跡は赤見幼稚園が建っていて、 幼稚園の建設で南東部は消滅しているが、その他の場所の遺構は良く残っている。また、幼稚園の正門脇に石碑と標柱がある。
城は方形の本丸とを中心とした平城だった。 土塁
赤見城は安元元年(1175年)足利城から佐野能忍寺郷に移った藤原姓足利俊綱が築城を開始し、治承2年(1178年)に居城したとされる。
治承5年(1181年)、志田義広の乱に際して、俊綱も呼応したが敗れて殺害された。
その後、建久元年(1190年)、戸賀崎義宗が城主として入ってきた。
戸賀崎氏は戦国期には赤見氏を名乗るようになり、赤見城はこの赤見氏の居城として改修されたようである。永禄2年(1559年)、赤見氏は佐野氏と戦って破れ、佐竹氏を頼って常陸に逃亡した。その後、赤見城は、佐野氏の支城として維持され、佐野城が廃城となると、同時に廃された。 別名 なし
城郭構造 平城
天守構造 なし
築城者 足利俊綱
主城主 足利俊綱、戸賀崎義宗、赤見氏、佐野氏
改修者 赤見氏
築城年 安元元年(1175年)
廃城年 不明 遺構 土塁、水堀
再建造物 なし
アクセス ・東武鉄道佐野線佐野駅〜徒歩約60分 |







