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甲府城
甲府城は山梨県甲府市丸の内(旧甲斐国山梨郡)にあった城です。現在は、舞鶴城公園となっており、本丸・天守曲輪及び天守台・稲荷曲輪・鍛冶曲輪の石垣、堀の一部が残り、武田氏居館とともに甲府駅周辺の観光地となっいる日本100名城(25番)の1つです。
甲府城は、現在の甲府市中心街の一条小山に築城された中世から近世にかけての平山城である。
稲荷櫓(復元)
甲府城が築城された一条小山は甲斐国山梨郡板垣郷に属し、元々は甲斐武田氏の一族である甲斐一条氏が領し、一条忠頼の居館があった。
忠頼の死後、館は尼寺となり、鎌倉時代には時宗道場の一蓮寺となる。
その後、戦国時代には武田信虎期に甲府が新たに府中として定められて城下町が整備される、武田城下町において一条小山は武田城下町の南端に位置している。
武田氏は晴信期に領国拡大を行い信玄晩年に至るまで甲府は拡大領国の中心地であり続けた。
武田勝頼期には盆地西部に新たに新府城が築城されて府中の移転が試みられたが、織田・徳川連合軍の侵攻による武田氏の滅亡で途上に終わった。 舞鶴城公園案内図
武田氏滅亡により一時、織田氏の所領となり織田家臣・河尻秀隆が城主となるが、1582年(天正10年)織田信長が本能寺の変で没すると、甲斐国は徳川家康の所領となる。家康は引き続き甲府を甲斐の政治的中心地と定め、1583年(天正11年)に家臣の平岩親吉に命じて一蓮寺を移転させて築城を開始したという。
しかし、完成前に家康は関東に転封され甲斐は豊臣秀勝の有する所となり、さらに加藤光泰、浅野長政・幸長父子ら豊臣系大名の領主が代わり、浅野氏時代に完成したとされている。
山手渡櫓門(復元)
その後、甲府は徳川家直轄領、親藩(徳川義直・徳川忠長・綱重・綱豊)の居城となった。
宝永2年(1705年)、柳沢吉保が武蔵川越より15万石を領して入封する。 吉保によって、宝暦3年に城の修改築と城下町の整備がなされた。 享保9年(1724年)、柳沢吉里が大和郡山へ移封され、以後甲府には大名が置かれることなく、幕府直轄支配となり明治に至った。 別名 舞鶴城・府中城・一条小山城
城郭構造 梯郭式平山城
天守構造 不明
築城者 徳川家康
主な城主 浅野氏、徳川氏、柳沢氏
主な改修者 徳川氏、浅野氏
築城年 1583年(天正11年)
廃城年 1873年(明治6年)
遺構 石垣、堀
再建造物 櫓、門
所在地 ・山梨県甲府市丸の内1-5-4
アクセス ・JR中央線「甲府」駅南口から徒歩約5分
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山梨県の城
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