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久し振りに高校生の吹奏楽コンクールを聴きに行った。改装された大津市民会館には、家族を含め沢山の方が応援を兼ねて聴きに来ていた。
会館は琵琶湖ホテルのすぐ南側に在り、琵琶湖畔のなぎさ公園に近く、公園で釣りをする人、コンクール前に写真を撮るグループ等が目に入った。
高校生の吹奏楽は年々レベルが上がり、テレビ番組でも取り上げられていて、聴くのが楽しい。会館内にはそうした期待と雰囲気が高まっていた。
過去に大阪でも毎年のことのように経験したことでは有るが、ここでも朝日新聞社が、社旗を掲げていた。文化の種も花も朝日新聞社と言うためか。
こうした文化的な分野に新聞社が支援することを否定したくないが、最近とみに朝日新聞を勧誘に来ることが多く、対応に苦慮することが多くなった。
我々の若い頃は貧しくて、ピアノを見るのは学校に限られていた。吹奏楽は楽器が揃っていなかったが、今ではピカピカの楽器が揃っている。
指導者にも楽器にも練習場所にも恵まれた学生は、昔の苦しかった時代のこと等は一切関係なく、今の環境にどっぷり漬かって練習をしている。
我が国の全てのことが、そうだったように思う。世の中の全てが旨く行っていたのだ。ところが3月11日以降はどうなのだ。全てを否定するのだ。
現在は、過去から未来に移行する一瞬の間にしか過ぎない。永遠の未来を前にして、想像力も知識も生物的な適応性も、全く無くなったようだ。
可笑しなことが続けている。悲観的予測を鵜呑みに、元気に働いている原電を止めてエネルギー不足を作り、現実的な危機を作る愚かな人が居る。
将来の危険を予測しながら旧式原電の廃炉計画を立て、新エネルギーの目途がつくまで原電の安全性を一気に高め、目前の危機を避けるのだ。 県内の学校が編成した、高校生の見事なブラスバンドの演奏を聴いたのだが、個人、チーム・ワーク、指導者の力量の問われる大会だった。
そして彼らの将来のため、国の力を殺いではならないと思った。彼らが社会を担うまでの間、少なくてもあらゆる選択肢を残してあげたいと思った。
なぎさ公園に近く、琵琶湖ホールの手前には、役割を終えた古い琵琶湖文化館が姿を止めていた。こうして時代は移り変わるが、理由があるのだ。
海江田大臣が経産省の高級幹部3人の更迭を示唆した。ここにも可笑しな現象が有る。政治主導で進めた政策の失敗は政治家が負うべきだ。
即ち、空き缶最小で有り、海へた泣き無視である。失敗の責任を取らず、問題を先送りし、責任を官僚や地方に肩代わりさせる積りなのだろうか。
ガラス張りで、省エネや他からの攻撃に弱い、滋賀県警察本部を、琵琶湖の湖畔の一等地に作った理由は何であろうか。嘉田さんは知らないのか。
民社党の躍進に乗って勿体ないの呪文を唱え、今はまた、脱原電を決まり文句にする嘉田知事は、総合的な判断力を保持している様子は無い。 |
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