|
地域の子供たちは、保育所もある上、私立と公立の幼稚園を選択できるから幸せだと言えるだろう。大津市志賀南幼稚園の七夕祭りに参加した。
園児は約140人、年長組が2クラス、年少組は1クラスと小ぶりである。志賀町時代は3年保育だったから、施設には余裕が感じられ、立派だった。
今回の七夕祭は、園児と祖父母との交流を中心に行われ、朝から来園し
た祖父母たちは孫と一緒になって七夕祭りの飾り物を作ったのだ。
その後園児たちは、講堂で職員の演じる天野川伝説寸劇を楽しみ、祖父母と童謡を合唱して楽しく七夕祭りを過ごし、前半の行事は終わった。
この後、園長先生から依頼を受けていた中高年の唄うグループ16人が参加して、祖父母たちの中に入って懐かしい抒情歌を唄う2部に移行した。
故郷、夏の思い出、浜千鳥等を斉唱した。この園には幼児の人権への関心を高めるための働きかけをして来たが、その縁が実を結んだのだ。
園児たちが手を洗っていた。おじいちゃん、おばあちゃんたちと楽しい七夕祭りを楽しみ、先生たちの寸劇を見たり、童謡を唄って楽しそうだった。
この子どもたちに幸せが来ることを願っているが。少子・高齢化の進行が速すぎる。高齢者が今の日本を作ってきたが、難しい時代になって行く。
|
住民自治は大丈夫か?。
[ リスト | 詳細 ]
先ず自己、家族、近隣、地域、企業、社会、国、国際社会へと広げよう。
|
<100年の風月に耐えて来た余部鉄橋も既に架け替えられた。> 泥鰌と自称するから本人は自分を泥鰌だと思っているのか?。そんな訳ないよ!。自分は嘘言付きと言われてでも総理大臣の椅子が良い野田。
カエルの面にしょ○べんと言われるほどの分厚い顔の皮を唯一の売りにしている野田総理大臣。総理大臣になったからには辞めたくない野田。
<京都駅からすぐ南にある東本願寺門前も整えられた>
口の上手さだけは自慢できるのか、中身が本当にお粗末でありながら慇懃無礼な国会答弁が多かった。こんな総理大臣を誰が予想しただろう。
鳩山、菅、そして野田と続いたが、若しかしたら小沢の名前があったかも知れなかった野田。世界の政治家を見渡して、恥かしいさには劣らない。
<滋賀県立びわ湖ホールはオペラ・ハウスが本業と聞いている>
消費税率を上げる話だが、それをやれば財政規律が放漫(豊満ではない)になることは目に見えている。あらゆる無駄を無くす努力に水を差す野田。
国家や地方の行政改革、そして国会改革の足取りは遅すぎ、サボタージュしている野田。国会議員の定数削減は断じて第三者がすべきだ。
|
|
<東芝製ダイナ・ブックとeo光ブロード・バンドの世界に迷い込んだ>
何処かが違ったのか?。まあいいか。民主党の混乱が日本の将来にどんなに大きな損失を与えたかを考えて見たら、どうでも良いことと分かった。
アンチ・ウイルスのアンインストールをした積もりだった。新しいソフトを入れた辺りから、パソコンの動きがが可笑しいことに気が付いていた。
今まで人生を自己流で過ごして来た。多少の失敗は有っても誤差の範囲であると忍耐したこともある。だが、ネットは妥協を許しては呉れない。
<誰もしないなら自分がやれば良いと思って駅前清掃を始めた>
ここで立ち止まっては行けない。目的を定め、やるべき事柄の重点を絞り、そして少しでも実践・実行することが大事だと言って来た。
その自負心は今もある。しかし、パソコンを信じ、運も良い筈だと信じ込んで来たことに少しの疑念を抱くようになった。華麗なる加齢の思い違い!。
|
|
<昔の琵琶湖の花形観光船だった玻璃丸の模型です。>
茶番劇を絵に描いたような展開に呆れるばかり。国民を馬鹿にするにも程が有る筈。その程が無いから政治は混沌とするばかり。日本沈没が心配。
結局、解散をちらつかせた(?)のが効いたのか、小沢チルドレンは選挙が怖かったのだろう。その中には谷亮子と言う格闘女もいただろう。
沖縄戦での苛烈な戦闘の後、白旗を担いで先頭を歩む少女がいた。米軍の兵士が撮影したこの一枚の写真には畏敬の念さえこもっている。
日本人よ、とりわけ民主党の議員達よ、この少女の心を思え、そしてわが心に照らして見よ。政治家になった動機に不純は無かったかどうか?。
政治家が、寝るを忘れ国民のために、国家のために粉骨砕身働いていれば、国民はその政治家を信じ、働く場と時間を与える積もりでいるのだ。
<これは大津絵である。柊を咥えた鼠が鬼を追い詰めている>
鼠が鬼の嫌いな柊を咥えて鬼を追い詰めている。選挙の嫌いな議員達もこの鬼と同じだ。自分たちの役目を放棄して、嫌なことからは逃げる。
小沢が奥さんに三下り半を突き付けられたそうだが、国民は日本に三下り半を突き付けることは無い。無様な民主党政権へのレッドカードだけだ。
|
|
<東名道路日本平SAを覗く黒い山影の富士山である>
言葉は本当に大切です。意味を確定し、事柄を伝え、感情を表し、感動を表現し、歴史を刻み、現代を語り、未来を洞察する大事なツールである。
もう10日も前のことだが、大手の新聞Y紙を友人宅で読む機会があった。コラム欄で、川のある場所を記憶するため船べりに傷を付けた話だ。
暫くして船べりの下を探してみたが、船は川の流れで移動しており、傷痕は記憶すべき場所から離れていた。当たり前の話であるが何か変だった。
<これは江の島です。展望台が特徴である>
Y紙のコラムは、ある政党のマニフェストが船べりの傷跡とし、何時までも同じ場所にはいないから、船の傷跡を大事にしても仕方が無いと言った。
マニフェストでは、増税のことより無駄削減で財政を立て直すと言ったことが船べりに傷として残っているが、記憶すべき場所は変わったと言う。
事情が変わったのだから、船べりに刻まれたマニフェストは無効であり、変わった場所に合わせたマニフェストの、新しい傷跡を刻むと言う。
<少し場所を変えてみたらこんな風に富士山が見えた>
船べりではなく、岸辺に杭でも打って記憶すべき場所の確定を図ることは当然であるが、船べりに傷を付けて記憶を辿ろうのは愚かだ。
民主党がご自慢だった筈のマニフェストを、実現させようとする意志も根性も放棄したなれの果ては、れっきとした詐欺であり、許されない。
<鎌倉の大仏様は何もかもご存じだと思う>
短歌は31文字を駆使して描き出す、短くて奥行きの深い文学であると言われて来た。31文字に無駄を省いて描き出す世界を見て欲しい。
「背の高い外人だったよ讃美歌を目と目を合わせ唄った戦後」について、外人と言う言葉は正しくないそうである、。外国人と言うのだそうだ。
<新宿バス停付近でバス放火事件があったが、誰も知らぬ顔だ>
また、差別用語に「外人」があった。正しくは外国人と言わなければならないそうだ。外人と言う言葉は使ってはならぬそうだと最近知った。
男女差別は無くすことが出来るのか?。男女、男と言う文字が先に書かれているから男優先ではないのかと言う議論がやがて起こるだfろう。
<新宿の空に黄昏の雰囲気が漂ってきた。素晴らしい>
男女を女男と言い換える必要が無いのかどうか検討しているだろう。今のところ男の文字が優先されていることが多い。それが駄目なのか!。
|



