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南スーダン 陸自部隊日報あった PKO撤退の可能性指摘 政府が否定の「戦闘」表記 2017年2月8日(水)しんぶん赤旗 宿営地近くで、戦車や、 迫撃砲を使った激しい戦闘
★南スーダン派遣施設隊日々報告 第1639号 別掲
防衛省は7日、廃棄したとして情報開示請求に対し不開示決定した南スーダンPKOの陸上自衛隊派遣部隊の日報について、一転して統合幕僚監部が保管していたと明らかにしました。文書では、首都ジュバの自衛隊宿営地周辺での戦闘の発生などが記され、情勢の悪化によっては国連の活動停止によるPKO撤退の可能性なども指摘されていました。「戦闘」の表記も複数あり、これまで政府が否定してきた「戦闘行為」が起きていたことを裏づける内容です。 「廃棄」から一転 明らかになった文書は、昨年7月11、12日の南スーダン派遣施設隊の「日々報告」第1639、1640両号と、報告などに基づいて上級部隊の中央即応集団司令部がまとめた「モーニングレポート」同7月12、13日付の4文書です。11日の日々報告は、ジュバ市内で政府側と前副大統領派の戦闘が発生したことを受け、自衛隊の宿営地内での流れ弾による巻き込まれや、市内での突発的な戦闘への巻き込まれの注意を喚起。宿営地周辺で射撃音が確認されたこと、国連南スーダン派遣団司令部のあるUN(国連)ハウス周辺でも射撃事例があったと報告しています。 モーニングレポートの12日付は、政府側と前副大統領派の戦闘がジュバ市内全域に拡大し、10、11両日も戦車や迫撃砲を使用した激しい戦闘がUNハウスや宿営地周辺で確認され、UNハウスでは中国兵2人が死亡するなど国連部隊の兵士が巻き込まれる事案が発生していることを明らかにしています。また、日々報告には政府側と前副大統領派の関係が悪化した場合の予想シナリオとして、ジュバでの衝突激化に伴う国連の活動停止など、PKO活動が継続不能になる可能性も指摘しています。
保管が明らかになったのは、ジャーナリストで「平和新聞」編集長の布施祐仁さんが情報公開請求していた、首都ジュバで政府軍と前副大統領派の武力衝突があった昨年7月7〜12日の同時期の派遣部隊の活動日報です。防衛省は、請求に対し昨年12月、「既に廃棄しており、保有していなかった」と不開示としていました。 【つぶやき】 一旦廃棄したと発表していた文書が、一転見つかったと発表した背景には、赤旗などにスクープされたら、打撃は一層激しくなるとの判断が働いたのではないでしょうか。
★乙部 宗徳さんFBより 東京新聞1面は、廃棄したと言っていたPKO部隊日報が、防衛省に保管されていたと報じ、「存在せず」の横行を許すなと書く。
★2つの海外派遣後56人が自殺の真相〜その多くが戦死だった可能性!?
実弾の飛び交う戦場に数千名が派兵されて、 もし海外派兵で戦死者が出たなら政権が責任を問われるが、 |
平和
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「強制収容に抵抗・・・逮捕そして戦後名誉回復」 岡本 和枝さんFBより 第二次大戦中アメリカの強制収容所に入れられていた日系人の方が「反トランプのシンボル」に 差別と隔離との闘いとして再び注目される。 東京新聞から。(再掲します) 先ほどニュースで、現在アリゾナでキャンプ中の日本ハムの栗山監督が、休日、アリゾナにあル太平洋戦争中の日系人強制収容所の跡地を訪れ、同地にのこされている、野球の記念碑に手を合わせていました。
厳しい、収容所生活の中で、野球が唯一の娯楽だったとのことで、日本ハムも、人々に楽しんでもらうことを中心に考えたいとの栗山監督の思いは、スポーッも、国威宣揚の手段としか考えていないような、安倍総理とは対極にあるようです。
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野党連合政権つくろう
民青全国大会閉会 青年運動の発展誓う
2016年11月28日(月)しんぶん赤旗
(写真)民主青年同盟第40回大会で決意を新たにする代議員ら=27日、静岡県内
静岡県で開かれていた日本民主青年同盟(民青)第40回全国大会は27日、安倍政権を打倒して野党連合政権をつくり、新たに1500人の仲間を迎えるなどとした決議を採択し、閉会しました。
結語にたった小山農(みのる)委員長は、討論で青年の切実な願いを掲げた運動が政治を変える共同を広げ、野党連合政権を実現する力になることが見えてきたと指摘。「国民の力で政治を変える新しい時代がやってきました。民青の役割を大いに発揮し、野党連合政権を『自らの政府』として何としても実現しよう」と呼びかけました。
そのうえで、「青年との共同」「草の根の行動力」「社会を変革する学び」という民青の役割を、一つひとつの班で発揮されていることが重要だと強調し、日本共産党との「共同の事業」として「大きな青年の運動と民青同盟をつくろう」と語りました。
小山氏は「今大会では、本気で政治を変えたい、民青を大きくしたいという発言が印象的で、共感しました」とのべ、「歴史の本流と逆流がぶつかり合う時代です。大会決議を力に、野党連合政権の実現、1500人の同盟員と『民青新聞』読者を増やしましょう」と呼びかけました。
選出された役員は、次の通り。(敬称略)
▽委員長=小山農(再)▽副委員長=小林聡(再)、宅田葉月(新)▽常任委員=佐久間藍(再)、中川亜美(再)、中山歩美(再)、目黒健太(再)、望月聡彦(再)
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2016 とくほう・特報
イラク戦死米兵 父の伝言
息子は国守るため死んだのではない…心の中 今も涙
両国民の人生こわした戦争 平和は非暴力・協力でこそ
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-08-13/2016081303_01_0.html 2016年8月13日(土)しんぶん赤旗
(写真)米カリフォルニア州エスコンディードの自宅でヘススさんの肖像画を見つめるフェルナンドさん(洞口昇幸撮影)
濃い緑色の制帽と制服を身につけた米海兵隊の下士官3人が、米西部カリフォルニア州エスコンディードのフェルナンド・スアレスさんの自宅を訪れ、息子のヘススさんがイラクで戦死したことを告げたのは、2003年3月28日のことでした。イラク戦争の開始から、約1週間しかたっていませんでした。(ワシントン=洞口昇幸)
享年20歳。すでに結婚し、父親でもあった海兵隊員のヘススさんの悲報に、家に残された家族は泣くことしかできませんでした。1歳4カ月のヘススさんの息子だけが、何が起きたのかわからず、周りを見回していました。
「何かの間違いじゃないのか」―。気が狂いそうな心境のフェルナンドさんに、下士官らは文書を手渡しました。ヘススさんは、前日の交戦中に頭を撃たれて死亡したと明記されていました。
現在60歳のフェルナンドさんは、ヘススさんがいなくなって1年間は毎日泣いていたと振り返ります。「今は涙を流しませんが、心の中で毎日泣いています」
03年2月、イラクの隣国クウェートへの出発を前に空港で、フェルナンドさんは息子と最後となった抱擁を交わしました。
「ヘスス、おまえはスーパーマンじゃない、普通の人間だ。イラクでは自分の身を守ることに専念しなさい」
「父さん、いろいろとありがとう。僕が生きて帰って来なかったら、家族を頼む…」
ヘススさんは、泣くのをこらえていました。ヘススさんの遺体は、戦死から約1カ月後に帰国しました。
息子の戦死から13年、フェルナンドさんは、今でも街中で若い米兵を見かけると、「息子に似ている」と面影を追ってしまいます。
「息子が亡くなったのは、昨日のことのようです。長い月日が癒やしてくれるとよく言いますが、時間がたてばたつほど、心の痛みは大きくなります」
01年9月の米同時多発テロを発端とし、米国はアフガニスタンやイラクで戦争を開始。「対テロ」の名目で仕掛けた両国での戦争で、米兵6800人以上が戦死しています。
一家離散
ヘススさんを失った悲しみは同じだったにもかかわらず、フェルナンドさんの一家は離れ離れになります。フェルナンドさんが、反戦活動で息子の話をしながら政府を批判することに、妻は「息子を侮辱している」と感じていました。
フェルナンドさんは、息子を侮辱しているわけではないと説明しましたが、理解してくれませんでした。米国には従軍兵士や退役軍人、戦死者を「国に奉仕する(した)者として誇り、たたえなければならない」という強い風潮があります。妻が抱いた考えは、不思議ではありませんでした。
2人は離婚。息子の妻、孫にも会わせてもらえなくなりました。離婚した妻の「息子のお墓に来てほしくない」との要望も受け入れ、約10年、墓を訪ねていません。イラクから持ち帰った土に植えた木が、墓の代わりです。
「息子が参加した戦争に勝者はいません。戦争はイラクと米国の双方の国民に、完全には癒やされない大きな傷を残しました。どの国や地域でも、非暴力で協力し合うことでしか平和はつくれません」
昨年、匿名で送られてきた息子の肖像画をフェルナンドさんは見つめました。
(写真上)ヘススさんの墓(いずれもフェルナンド・スアレスさん提供)
(写真中)イラクで戦死した息子の米海兵隊員ヘススさん
(写真下)イラクで息子が戦死した地域の土を持ち帰るフェルナンド・スアレスさん=2003年12月(本人提供)
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