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                                 清水ひで子
 
1951年 山梨県に生まれる。都留高校、都留文科大学卒業
1974-86年 八王子市立由木中央小学校、柏木小学校教員
1987-93年 八王子市議会議員
1997年より 東京都議会議員。都市・環境委員(前副委員長)
                   経済・港湾委員

その他、現在
 新都市建設公社評議員
 八王子保健所運営協議会委員
 男女共同参画推進議員連盟副委員長
 いちょうまつり顧問
 中小企業対策審議会委員

家族
 夫と二男。
生まれる〜大学卒業(1951-74)
 小中学校は山梨県上野原町町立小学校、中学校ですごしました。かけっこ大好き、音楽大好き少女でした。小学校 6 年生では、当時女子ではめずらしく生徒会長となり、女性参加の窓口を開いたと自負しています。中学校では、3 年間、音楽クラブ、バレーボールクラブ、学級委員として青春を謳歌していました。

 山梨県立都留高校での生活、先輩、友人からの影響は政治への関心を持つきっかけとなりました。コンクールで入賞を目指す吹奏楽クラブでフルートに熱中しながらも、テレビや新聞で報道されるベトナム戦争や沖縄問題などはどうしても目をそらすことができず、「どうして? 何が問題? どうしたらいいの?」とすでに行動に加わっていました。

 大学は自治会、クラス活動が活発な大学で、そのいきいきした雰囲気のもと、すぐにそうした活動に参加し、そのなかで多くの友人、仲間に出会い、政治や社会の問題にもさらに深く加わるようになりました。教員になろうという学生がほとんどでしたので、教育、こどものこと、など夜遅くなるまで激論をかわしたことがありました。
小学校教員のころ(1974-86)
 大学を卒業し、東京の教員をめざしました。私は八王子市の由木中央小に決定し、同じ新任 3 人の女性教員と希望に胸をふくらませて子どもの前に立ちました。22 歳の先生と 11 歳の生徒。思い出すとヒヤッとすることもありますが、熱血、無我夢中、こどもたちと過ごせることが本当に楽しい、そんな新任教員でした。もう一校の柏木小学校に 2 年間とあわせて 12 年間、妊娠、出産、2 人の子どもを育てながらの仕事でしたが、子どもの病気のときもクラスの親御さんにも助けられてがんばることができました。その当時の親御さんに会うと、今でも、あの時の○○君はいくつになった、と、なつかしく思い出してくれます。

 自らの子育てを通しての保育行政の不十分さ、教え子たちの学童保育行政の不十分さなど、自らの体験を通して市政への関心をつよめざるをえませんでした。そして、一生の仕事と、こどもの頃から決めていた教員生活にピリオドをうち、市議会議員選挙に立候補する決心をしたのです。候補者として 1 年間、地盤の地域を回り続けましたが、初めのころは学校の校庭から流れてくる音楽やこどもたちの歓声に涙することもありました。政治活動のほうが長くなった今は、やっとそんなこともなくなりましたが。
八王子市議会議員時代(1987-93)
 文教経済委員会、厚生水道委員会副委員長、国民健康保険運営委員などをつとめてきました。

 印象に残った問題としては、北野駅のエレベーター設置、ペデストリアンデッキ設置の問題です。当時はまだバリアフリーという問題がはじまったばかりでした。エスカレーターは設置できるということで、よしとしていたのですが、近くに住む重度障害者の方が私の家を訪れ、「エレベーターでなければ車椅子は利用できない」「ペデストリアンデッキにもエレベーターがなければ道路を渡れない」と、繰り返し訴えてきたのです。

 私は本会議で、そして予算委員会で、その障害者が託してくれた手紙、手が使えないので口に棒をくわえてワープロで打ったその手紙を紹介しました。議場の議員の皆さんはとても静かに聞いてくれました。当時の市長はその手紙に対し、暖かい答弁をし、その結果北野駅の障害者設備が進んでいったのです。打越中学校の校長先生がかつて出した学校だよりで、「北野駅は市内で一番障害者整備がされている駅です」と書かれたことがあります。こどもたちに「障害者を大切に」ということを教えようとした言葉だったのですが、こどもが持って帰ってきたこの学校だよりを見て、市議会でがんばって本当によかった、と思えた一事でした。
都議会へ(1993-2001)
 6 年間の市議会議員を経て、都議会議員選挙に立候補することになりました。初めの選挙では 4 人区でしたが当選に至りませんでした。力不足でした。引き続き都議会議員の候補者となることを決意し、次の日から候補者活動をはじめました。4 年間都議会の本会議代表質問のほとんどを傍聴しました。市内で起こった問題が都政とどのように関わりがあるのか調べ、交渉を繰り返しました。ついに議席を得て、それまでに出されていた要望を解決しようと全力で取り組んだ 4 年間でした。

 このあと、4 年間の都議活動は、「
実績」のページで。
 
八王子市議団
 
山口和男(市議) アオヤギ有希子(市議)
 
市議団ニュース
 
 
清水ひで子のホームページ
 

転載元転載元: 世界と日本の政治

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                                                                  河野ゆりえ
 

葛西みなみ診療所前

2013 年 4 月 12 日
http://yurie-kouno.com/blog/wp-content/uploads/2013/04/e8919be8a5bfe381bfe381aae381bf-150x150.jpg
診療所前の歩道の植え込みに、見事な十二単(じゅうにひとえ)が咲いています。先週の日曜日は強風で、お花見会場が戸外から葛西みなみ診療所のホールに変わりました。私は、東京都の医療に関連してお話しました。…「都立墨東病院は都直営で」と要求した皆さんの運動で、東京都は地方独立行政法人化を強行できず、2017年度まで直営を継続する計画を出しました。みんなの運動が医療を守ります。これからも頑張りましょう…と呼び掛けたら、大きな拍手がおきました。公的な医療の充実を誰もが願っています。
 
江戸川区議団
 
小俣のり子(区議) セバタ 勇(区議) 間宮由美(区議)
 
区議団ニュース
 
 
河野ゆりえのホームページ
 
 
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                                 和泉なおみ
 

胸を張って、顔をあげて

 土曜・日曜と各地でお花見の予定が入っていましたが、
春台風のために軒並み中止の連絡。
 
土曜日は、家族に夕飯を作りました。
いつもは、二男が大奮闘で食事の支度をしてくれています。
 
「おれだって週末くらい食事の支度から解放されたい」と、
ぼやいているので(笑)、ちょっと手間をかけて4品。
 
日曜日は、葛飾さくらまつりの会場を回り、
青戸平和公園で行われた地域後援会のお花見に参加(今年はここだけ)し、
午後は金町・柴又地域で行動
 
金町では、大好きだった、今は亡き大先輩のお宅に伺いました。
革新区政をつくるみんなの会の代表をつとめ、4年前の区長選挙の目前で
突然逝ってしまった、Sさん。
訃報が入ったとき、「えっ、2日前にあったばかりなのに。うそだ。」と思わず叫んでしまい、
涙が止まらなくなって
声をあげておんおん泣きました。
 
ずっとずっとお世話になりっぱなしでした。
脳梗塞を起こした後も、少ししびれの残る手でマイクを握り、
区長選挙の宣伝カーから応援演説を続けていました。
温かくて、80歳とは思えないほど情熱とパワーに満ちていて、人間くさくて
茶目っ気があって、ほんとにほんとに素敵な人でした。
 
おそらく親が死んでもこんなに泣かない、というくらい泣いた後で、
「次の都議選で必ず勝って、報告に行く。それまでは行かない。」
と、心に決めました。
 
お宅に伺った時も奥様に「必ず勝って報告に来ます。」と伝えようと思いましたが、
言葉にならなくなってしまいました。
そんな私に奥様は「がんばりましょうね」とやさしく声をかけてくださいました。
 
誰もが人として尊ばれ、慈しまれて生きる社会を信じて、
そのために力の限り頑張って、志半ばで旅立っていった
多くの先輩たちの歩んだ道のりを、私たちが引き継いで歩いている。
 
しんどいことがあっても、胸を張ろう、顔を上げよう。
今も私の心に生き続けているSさんに恥じないように。
 
 
葛飾区議団
 
中江秀夫(区議) 中村しんご(区議) 三小田准一(区議)
渡辺キヨ子(区議)  おりかさ明実(区議)
 
区議団ニュース
 
 
和泉なおみのブログ
 
 
 

転載元転載元: 世界と日本の政治

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