|
【写真上】山口仙二さん(被爆直後の写真)
【写真下】山口仙人さん(幾度となく、植皮手術を受けた後での写真)
★藤山一郎 長崎の鐘
http://www.youtube.com/watch?v=4woM5BKyDMU&feature=related
長崎で14歳で被爆した山口仙二さん。
被爆者運動の草分け!
ノーベル平和賞受賞候補者。
明日8月9日、11時2分、二発目の原爆が、長崎に投下されました。
広島に投下された原爆が、Little Boy(おちびちゃん)と呼ばれたのにたいして、長崎に投下された原爆は、Fat Man(太っちょ)とよばれました。広島の原爆が、やや細身だったのにたいして、長崎の原爆は、ずんぐり太っていたからです。
広島の原爆が、ウラニュウムを原料にしていたのに対して、長崎の原爆はプルトニュウムを原料にしていた違いでしょうか!
アメリカは、広島、長崎への原爆投下のわずか半月前の7月16日、ニューヨーク州、アラモゴードの砂漠で、最初の投下実験を行ったばかりでした。
なぜ、急いで、実戦に投下したのか?
それは、日本の降伏が、時間の問題であり、急がないと、実際に使用した場合の効果を確かめられる機会いを失ってしまうこと!
そして、戦争終了後、すでに、アメリカとの対立が明確になっていた、ソビエトにその威力を示すことの二点です。
それは、今でも、アメリカで6割の人々が信じている、これ以上の犠牲者を増やすことなく、戦争を早く終わらせるためだったとの理由などではなく、単なる人体実験に過ぎなかったことは明らかです。
その点で、原爆投下当時のトルーマンをはじめ、歴代のアメリカ大統領が原爆投下をやむをえなかったとしてきたのに対して、今度初めて、オバマ大統領が、世界最初に原爆投下を行った国の「道義的責任」を明言したことは、大きな歴史的意味を持ちます。
この問題は、又、後ほどふれることもあろうかと思いますが、
さて、今日は当時14歳で、長崎県立長崎工業学校1年の時に、学徒動員で通っていた三菱長崎兵器製作所大橋工場裏(長崎原爆の爆心地から1.4kmの地点)で、被爆した山口仙二さんのお話です。
非常に有名な方なので、すでに、お話を聞かれた方もあろうかと思います。
山口さんは、当時、工場裏で防空壕を掘っていました。
防空壕というのは、アメリカの爆弾から身を守るために、穴を掘って、上に土をかぶせたものです。
こんなもので、爆弾が防げるはずもなく、反対に防空壕の中にいたために窒息死した人も多かったのですが,当時は、1家に1個は掘ることを強制され、人の集まるところでは、大規模な防空壕が作られていました。
山口さんは、その作業中に被爆し、多くの友達が死亡する中、自分も顔と全身に大火傷を負いました。大村海軍病院に搬送され40日間にわたる高熱等に苦しめられたが、奇跡的に回復して翌1946年3月9日に退院しました[2]。
しかしその後は顔から胸に残ったケロイド跡[3]に悩まされた。1951年に同校機械科を卒業したが、就職時には学徒動員先だった三菱造船[4]をはじめ多くの企業で体格検査に不合格となった。そのため五島の父親のもとで駄菓子屋と農業をして生活した。1953年には土地を売って長崎市に戻り、1957年まで饅頭屋を営んでいました。
『私の顔や手をよく見てください。よく見てください。世界の人々、そしてこれから生まれてくる人々、 子どもたちに、私たちのようにこのような被爆者に、核兵器による死と苦しみをたとえ1人たりとも許してはならないのであります。 核兵器による死と苦しみは私たちを最後にするよう、国連が厳粛に誓約してくださるよう心からお願いをいたします。
私ども被爆者は訴えます。命のある限り私は訴え続けます。ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャ、ありがとうございました。』
これは、1982年にニューヨークで開かれた第2回国際連合軍縮特別総会の全体委員会で、NGOを代表して演説の最後の一節です。幾度となく、ケロイド後の植皮手術を繰り返した顔を指しての必死の訴えです。
1952(昭和27)年、被爆後7年を経て、山口さんたちが、入院先で患者会を結成したのが,その後被爆者団体連合会に発展し、更に、原水爆禁止世界大会に発展して行きました。
山口さんの活動は、国際的にも高く評価され、2005年にはノーベル平和賞候補にも選出されましたが、今はすでに78歳となり、車椅子と、酸素吸入の身体ながら、核兵器廃絶への執念はすさまじく、病躯を押して、取材には応じておられます。
オバマの、核兵器廃絶宣言の裏には、このような被爆者たちの、身を削る運動のあったことを忘れてはなりません。
明日、長崎原爆投下の日は、山口さんとともに、被爆者運動の先頭に立って来られた、谷口すみてるさんのお話です。
詳細は、Wikipedia「山口仙二」さんの項を見てください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E4%BB%99%E4%BA%8C
【他,参考資料】
1 被爆後の写真(No more NAGASAKI's HomePage)
2 被爆から治療までの一連の体験は長崎平和宣言 被爆者の語りや長崎放送 被爆者の証言に詳しい
3.^ 長崎放送のサイトより引用。この演説は中学生の社会科教材にも取り上げられた
4.^ たとえば毎日新聞(2007年11月8日)、全日本民医連(2007年原水爆禁止世界大会報告)
5.^ 長崎新聞(2005年4月13日)
|
琵琶さん。おはようございます。
山口さんは、とても、すばらしい方ですよ。
一緒に平和と核兵器廃絶のためにお祈りしましょうね。
竹文
2009/8/8(土) 午前 9:30
ぜひ。転載させてくださいね。
お願いしますね。
竹文
2009/8/8(土) 午前 9:31
転載させてください・・・
2009/8/8(土) 午後 3:44 [ - ]
確か6日の夜のNHK特集で高校生の取材を受ける山口さんと国連での演説の様子が放映されたのをみました
2009/8/8(土) 午後 6:30
佐藤栄作が、非核3原則とかで、平和賞もらったけど、
山口さんの方がずっと価値があるよね。
その非核3原則も、偽で、ずっと米軍は持ち込んでいたんですよね。
2009/8/8(土) 午後 7:25 [ ポチパパ ]
竹文さん、如月さん、山口さんの、言葉をうけて、今の若い人々にも、目をそむけないで見てもらうために、転載よろしくお願いいたします。
2009/8/8(土) 午後 11:55 [ 琵琶 ]
ITIさん、山口さん達の必死の願いが実る曙光が見えてきました。
是非、長生きして、核兵器のない世の中を見届けていただきたいものですね!
2009/8/8(土) 午後 11:57 [ 琵琶 ]
ポチパパさん、本当に、山口さんこそ、ノーベル平和賞にふさわしい方ですね!みんなで受賞のための運動をおこしたらどうでしょうね!
2009/8/9(日) 午前 0:00 [ 琵琶 ]