|
【写真】中河美芳1塁守備のポーズ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%B2%B3%E7%BE%8E%E8%8A%B3
【レリーフ】野球殿堂に飾られた中河美芳
http://www.baseball-museum.or.jp/baseball_hallo/detail/detail_058.html
【動画】中河美芳の美技
http://www.youtube.com/watch?v=C2uVx18P4XM
野球殿堂入り、
名1塁手、中河美芳(なかがわみよし)氏、
フイリピン沖で戦死!
わずかに24歳!
★「タコ足人気」
三塁手や遊撃手がワンバウンドや山なりの悪送球で、観客が思わずため息をついた瞬間、細身の1塁手は、まるで軟体動物のように両足を広げ、フアーストミットを目いっぱい伸ばし、尻を地面にピタリと付けて、ボールをハエ取り紙のようにすくい上げる・・・。
フアンは、その美技を見たさに、他の内野手が、普通の送球をすると、ブーイングがわく!
放送記者は、その名人芸に「タコ足」の異名をたてまつりました。
現鳥取西高(当時の鳥取一中)時代、左腕投手として、二度甲子園に出場した、中河美芳のイーグルス時代の姿です。
★父の死―関西大学中退―イーグルス入団―夜間部再入学
鳥取一中から、関西大学に進学した中河は、父の死に会い、家計を助けるため、37(昭和12)年7月大学を中退して、その年誕生したばかりの新球団イーグルスに入団します。
ちょうどその年の7月7日、盧溝橋(ろこうきょう)事件が起こり、中国との全面戦争に入ってゆく年です。
その後夜間部に再入学して、球団での活躍を両立させますが、次第に疲れがたまり講義も欠席がちになります。
★憲兵隊に付きまとわれ、軍隊に入隊、戦死!
当時、医学部、農学部、工学部、理学部の理科系の学生は、「イノコリ」と称されて、普通20歳になれば軍隊に入らなければならないのが猶予されていました。
ところが、中川は、有名人だったため、憲兵ににらまれ、彼は、兵役猶予のために夜間部に在学しているのだとして、監視や尾行、挙句の果てに下宿に踏み込まれ、書棚をあらいざらい調べられ、再三にわたって憲兵隊の取り調べを受けました。
当時のチーム仲間も「憲兵隊の影におびえていた」と証言しています。
恐怖の日々に耐えられなくなった彼は、自ら志願して兵役につきましたが、入隊後も、「兵役を忌避していた非国民」として、上官による暴力など執拗(しつよう)な迫害を受け続けました。
そして、1944(昭和19)年7月12日、輸送船で、フイリピンに送られる途中、ルソン島沖で米軍の魚雷攻撃で、船と運命をともにしたのです。
★葬儀にも、憲兵が!戦後野球殿堂入り
鳥取で葬儀が行われた時も憲兵隊が現れ、戦没地を祭壇に張り出していたところ、「日本の部隊が今どこにいるか分かる」と破り捨てられました。
「戦場に消えてもなお、憲兵の目に追われた」と後にスポーツ記者はかきました。
プロ野球生活はわずか5年間(6シーズン)。
その天才的な才能をたたえ、1986(昭和61)年、特別表彰枠で、野球殿堂入りをはたしましたが、晴れの表彰式には、彼の姿はありませんでした。
●●●琵琶の独り言
今年も、甲子園では、高校生たちの清々しいプレーが、日本中を沸き立たせています。
8月15日正午、サイレンの音とともに捧げられる黙祷(もくとう)には、その強い野球への思いを持ったまま、戦場で命を落とした多くの選手への思いが込められていることを知ってほしいと思います。
★この記事は、しんぶん赤旗2009年8月7日号11面「ベースボールと戦争」シリーズ記事(執筆―上田龍氏―ライター・野球史研究家)より、琵琶の責任でまとめさせていただきました。
|
野球への強い思いを持ったまま、戦場の露と消えた人たちは百名を超えるととみられています。
野球選手たちが、二度と戦争で命を奪われることのないように願わずにはいられません。
2009/8/13(木) 午前 6:21 [ 琵琶 ]
現役の成績も投手内野手と素晴らし実績のある選手だったんですね?!
そんな素晴らしい選手が戦争に出されるなんて・・・。
最後は非国民扱いとは・・・?♪ポチ.。o○
2009/8/13(木) 午後 1:48 [ hiro_jie_4649 ]
昨日70年ぶりの甲子園出場を果たした関西学院は見事勝利・・・!
70年前の球児が見に来ていました。そして、皆と校歌を歌っていました。。。
平和って素晴らしいですね!
2009/8/13(木) 午後 6:05 [ - ]
関西大学野球部員恐喝事件の方が、悪いことで有名になった。
2009/8/13(木) 午後 6:42 [ かけはし ]
戦争は若い人たちの将来を奪います。絶対にするべきではありません。
2009/8/13(木) 午後 6:52
戦争を知らない私たちですが、その私たちの後輩は終戦日には生真面目に黙祷し、遠い戦死した先輩に一時でも心を馳せるのでしょう。しかし、君が代も国旗にも疑問を持とうとはしません。「歌うも歌わないのも自由だからね」と我が子の意見です。その自由さえ奪われる危険性を見抜く事が出来ません。若人が戦場に狩り出されるシーンは芝居の中のシーンだけで結構です。
2009/8/13(木) 午後 8:06 [ matumoto ]
野球には興味がないので、甲子園がそんな昔からあったなんて知りませんでした。
そしてそこにはそんな悲しい出来事があり、あの黙とうにはそんな意味があったなんて…
当時の軍事国家としては非国民という評価になってしまい、戒め的な要素もあったのでしょうか?!
2009/8/14(金) 午後 9:34
防災士のうさたん、一人でも、二人でも、真実を知る方が増えるのが、戦争を阻止するちからです。
2009/8/14(金) 午後 10:40 [ 琵琶 ]