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今日は、太平洋戦争、開戦70周年記念日
孫や、子に伝える、その日の思い出
 
(琵琶の自叙伝1)
 
 これは2年前の2009年12月8日に投稿した記事の再掲です。

1941(昭和16)年、12月8日、朝、起きると、父親が、神だなの隣においてあるラジオから流れてくる声に耳を傾けていました。

 「臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部128日午前6時発表、帝国陸海軍は、今8日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」と。

 当時、小学校6年生であった私は、何度も繰り返されるこの言葉が、耳に残っていることと、父や母が、なんとなく興奮していたこと以外に記憶にありません。

 ただ、当時17歳だったという野依一郎氏(84歳)は、「聞いていた父が『えらいことになった!』と暗い顔でつぶやきました」と伝えています。(2008年128日しんぶん赤旗12面「読者の声」欄)

 1929(昭和4)年の米国発金融恐慌から始まった世界恐慌、1931(昭和6)年918日の柳条湖事件から始まったいわゆる満州事変、さらに1937(昭和12)年77日に起きた盧溝橋(ろこうきょう)事件に続く、中国全土への侵入と、戦争に次ぐ、戦争の時代のただ中にいた日本の国民にとっても、それは、「えらいことになった」と言うのが実感でしたが、それを口に出して言える時代ではありませんでした。

 口にだせば、憲兵・警察に捕まる時代でしたから・・・。

 朝食を済ませた私は、いつものように、集落の出口のところに集まり、最上級生の高等科2年生(現在の中学2年生にあたる)の指導のもとに、隊列をくんで、徒歩で約30分かかる学校にむけて出発しました。
 学校までの途中、また、学校についてからの記憶もそれほどありませんが、「鬼畜(きちく)米英をやっつけろ」と口ぐちに叫んでいたのが、記憶に残っています。

 そうです、アメリカ人や、イギリス人は、鬼、畜生で、人間ではないと教えられていたのです。
 私たち、子供の頭のなかには、アメリカ人、イギリス人は、鬼が島の鬼退治の絵本にでてくる青鬼、赤鬼が、イメージとしてしっかり植えつけられていたのです。

 野球も、これはアメリカから渡ってきたスポーツだからと、すでに、アメリカとの戦争の始まる2年前の、小学校4年生から、全面禁止になりました。
 野球は、私たち当時の子供の中でも、大変人気のあるスポーツでしたが、担任の先生が、今日が、野球のできる最後の日だからとやらせてくれた時、運動神経の発達した方ではなかった私が、珍しく1塁ベースを踏んだ日のことを、今も覚えています。

 翌年の3月の旧制中学の入学試験は、机の上に大きな太平洋の地図があり、ハワイはじめあちらこちらに日の丸の旗が書き込まれています。
 それは、日本軍が、開戦当初、戦果をあげた所の地図で、それぞれのところで、アメリカの軍艦を何隻沈めたかなど答える問題でした。
 当時、軍国少年だった私は、得々とそれに答え合格しました。

 しかし、合格したあと、まともに勉強したのは、1年生の間だけ。2年生からは、すでに農家への、勤労動員が始まり、3年生からは、琵琶湖周辺の沼地を干し上げて水田にする、いわゆる琵琶湖干拓作業にかりだされ、連日、山を削り、沼地に腰までつかる重労働で、学校に登校したのは、大雨か、大雪の日だけで、1年に20日もあったでしょうか。

 それが、敗戦の前日、中学4年生(当時の旧制中学は5年生までありました)の814日まで続いたのです。

 この続きは、また、後日。時折、触れて行きたいと思います。
 中学生、高校生のブロガーの皆さん。皆さんのおじいちゃん、おばあちゃんは、こんな苦労をしてきたのだと、読み取ってください。

 学生や、青年、お父さん、お母さん、壮年の皆さんは、あの一連の戦争は、正しかったのだ、いや間違いだったのだと、様々な議論がなされていますが、当時を生き抜いてきた人間の生きざまから、真実を受け止めてください。

 私と、ほぼ同年配か、数年、年下の皆さん、どうか、私とともに、当時の記憶を呼び起こし、後世に伝えるべきは伝えましょう。

 1929年に匹敵する、もしくは、それを上回る金融恐慌の波が、世界を駆け巡っています。
 このあと、本格的な、世界大恐慌に発展するのか、暗い谷間の時代が再現するのか・・・。

 そうさせないための努力を、我々の残存能力で可能な限りつづけましょう!

 子や、孫や、ひ孫のために、人類の進歩のために!!!

民自公 派遣法改定案骨抜き修正
「審議1日で採決」決める
 
高橋(共産党)議員反対
 
 衆院厚生労働委員会は6日の理事懇談会で、労働者派遣法改定案を骨抜きにする修正を行い、7日にわずか3時間の審議を行っただけで、採決することを民主、自民、公明の賛成で決めました。
 
2年余前の政権交代選挙の前を思い出してください。
国会は、連日”消えた年金“問題を報じ
街頭の非正規労働者の実態を報道し続けていました。
派遣労働者の正規化は、国民的要求になっていました。
 それらをマニフエストに掲げた民主党は大躍進をしました。
 野田内閣は、その時得た”絶対多数“を背景に、”自公政権時を超えた大改悪“を行おうとしているのです。
 
日本共産党の高橋ちづ子議員は
 
「会期末が迫るなか、3党だけで修正を決めて押し付けることは問題だ。
 
 参考人質疑もせず、わずか1日で採決するなど絶対に許されない」と反対。
 
 みんな、社民の各党も反対を表明しましたが、
 
 民主、自民、公明の3党は「今国会で結論を出すべきだ」と押し切りました。
 
 民主などは、翌8日に衆院本会議でも可決し、参院でも9日までに可決・成立させることを狙っています。
 
 民主など3党による修正は、「大穴」が開いていると指摘される政府案から、
 
 さらに製造業・登録型派遣の「原則禁止」を削除する内容です

 
全労連など座り込み
派遣法の抜本改正・賃下げ法案廃案に 国会前
 
(写真)労働者派遣法の抜本改正、賃下げ法案の廃案を求めて座り込む労働者ら=6日、衆院第2議員会館前
イメージ 1
 民主、自民、公明の3党の合意で骨抜きにされた労働者派遣法改定案の強行成立と、国家公務員賃金を平均7・8%引き下げる特例法案(賃下げ法案)に反対して、全労連、全労連公務部会、労働法制中央連絡会は6日、衆院第2議員会館前で座り込みを実施。210人の参加者が、派遣法の抜本改正、賃下げ法案の廃案を求めて、唱和しました。
 
昼の行動で公務部会の北村佳久代表委員(全教委員長)があいさつし、
 
 賃下げ法案は二重の憲法違反だと批判
賃下げ法案、派遣法改定案の骨抜きを許さない大きな運動を呼びかけました。
 
神奈川労連の水谷正人議長は決意表明で、
 
 派遣法改定案の骨抜きは「派遣切り」をなくすたたかいの逆流になると批判し、
 
 派遣を含むすべての労働者の処遇改善が必要だと訴えました。
 
 日本共産党の塩川鉄也衆院議員田村智子参院議員があいさつしました。
 
【リンク先記事】
 
檜原(ヘナチョコ革命)さん、
派遣法骨抜き修正 これでは労働者は救われない
 
はまちゃん(浜田よしゆきのRock on Web)さんー(同じハンドル名を使ったなりすましがいますので、ご注意を)
宣伝や対話を通じて、臨時国会での労働者派遣法の改正、後期高齢者医療制度の廃止法案の可決・成立の必要性を痛感。: http://blogs.yahoo.co.jp/hamachan_6/44963032.html
 
 
 
被災地にカジノやめよ
大門(共産党)議員批判
 
“窮状につけ込む行為”
粘る、古川国家戦略担当相!
 
参院予算委
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-12-07/2011120701_02_1.html2011127()付しんぶん赤旗より
 
(写真)質問する大門実紀史議員=6日、参院予算委員会
 
イメージ 1
 
 
驚きました。古川国家戦略担当相は、他の議員がアドバイザーをやめたのに、未練たらしく、この1日まで、粘っていました。
 
 要するに野田内閣の”国家戦略としての復興計画”は、カジノ導入だったというわけです。
 
 何々!一番最後まで辞めなかったのは、パチンコ業界からの献金が目当てだ!
 
 多分、これが本音。以下国会でのやりとりをどうぞ!
 
日本共産党の大門実紀史(だいもんみきし)議員は
 
6日の参院予算委員会で、民主、自民、公明などの議員が参加する「カジノ議員連盟」(会長=古賀一成衆院議員)が、パチンコ業界のために“震災復興”などと称して被災地にカジノを建設しようとしていることを取り上げました。「犯罪行為である賭博場をつくるのは被災者を愚ろうするもの」と批判し、カジノ解禁など認められないと追及。
 
野田佳彦首相は、
解禁は「政府として検討していない」と答弁しました。
 
大門氏は、
 
 宮城県名取市の仙台空港周辺でカジノ誘致計画が持ち上がり、
 市民から「被災地の窮状につけ込んだ卑劣なやり方」
 「被災地を食い物にするな」との反対世論が沸き起こっていることを紹介。
 
 「政治がなすべきことは、賭博場をつくることでなく、
被災者の仕事と暮らしの再建をまっすぐに支援することではないか」とただしました。
 
野田首相は、
 
「政府がやるのは被災者の再建に全力をあげること」と答えました。
 
大門氏は、
 
 カジノ解禁の背後には、もうけをねらうパチンコ業界があり、
 
その政治アドバイザーに、
 
山岡賢次消費者担当相、
前田武志国交相ら
現職大臣5人が名を連ねていたことを指摘。
大門氏の11月の国会質問を受けて4人の大臣はアドバイザーを辞めましたが、
古川元久国家戦略担当相だけが残っており、
「まだ辞めていないのか」と迫りました。
 
古川担当相は、
1日付で辞めたことを明らかにしました。
 
大門氏は
 
「おぞましいことに足を突っ込むべきでない」と強調。
「国際観光などといって賭博で外国人などからまきあげようというのはあさましい根性だ。
もっとまっすぐに“観光立国”や日本の経済発展を考えるべきだ」と述べました。
 
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母の介護日誌
《内容》
【介護】「死」を想う母他
【介護】愛とお金
【介護】ぐっと衰弱
【介護】救急車で搬送ー「気持ちよく眠っていたのに」と母
 
元記事 希土暁宣さん(京大学生運動・母の介護日誌他)
*【介護】いろいろ書けない悩み
*【介護】「死」を想う母  
 西田正夫先生

 昨日から、また一段、体力が低下しました。

 夕食も食べず、朝食も三分の一、水分も三分の一程度しか補給できません。

 湯のみも持てず、ストローの吸引もできません。

 「私の貯金はいくらあるの?生活費を引いてくれた?少ないわね」。

 「死んだときの寝巻きはあそこにあるからね」。

 「またお父さんに会うのね。楽しくない人だから離れていよう」など、死のことばかり考えているようです。

 正月は休診で、救急も混むでしょうから、脱水症状が心配です。

 兄は子供のころから、「大きくなったら家を買ってあげるから、お父さんと別れて暮らそう」といっていました。

 私はそれほどの意識はありませんでしたが、母の幸福を願ってきました。やさしく、明るく、強い母です。

 後何ヶ月か、何年か、命の長さがわからぬゆえに、気が重くなります。

 今日は先生にお葉書を書いても気が晴れないようです。                                          
                                 二〇一一年十二月四日
*【介護】愛とお金
 西田正夫先生

  昨日、○○先生に「風邪は治りましたか?」と電話したところ、すでに認知症が完全に復活し、半分は妄想と不安の中に生きておられました。

 この身体が二つあればお力になれるのに、と無念です。

 いくらお金があっても、家族の愛がなければゼロだと学びました。

 しかし、先生と私は気が会うので、もし十歳ぐらいの歳の差だったら恋人になれたかもしれない、とさえ思います。

 愛とお金・・・。

 どちらも不可欠ですが、生活保護の制度がある日本では、愛を選びます。


 母の体調は変わりなく、昨日は水分を十分補給できました。

 今日は母の八十五歳の誕生日です。

 昨日、「誕生日のプレゼントは何がほしい?」と聞いたところ、好物の「稲荷ずしが食べたい」といいました。

 固形食は無理と思いながらも、一応買ってきたら、ヘルパーさんが微塵切りにして、スプーンのお茶と交互に食べさせてくださいました。やはりプロです。

 今日は刺身をすりつぶして食べさせてあげようと思います。

                                   二〇一一年十二月五日
*【介護】ぐっと衰弱
 西田正夫先生

  母は、土曜日以来、ぐっと衰弱し、口数が減り、ろれつが回らなくなってきました。テレビも見なくなり、食事とオムツ交換以外、ずっと眠っています。
 とりあえず、週二回のシャワー浴を一回にし、訪問看護を休止してもらいました。
 心配で、姉が十二月も上京してくれます。ありがたいことです。
 今朝は久しぶりに食欲があり、一安心しました。が、私が二階に来ようとしたら、「どうやって呼べばいいの?」といいます。不安なのでしょう。「見守り携帯」という、ボタン一つ押せば私の携帯を呼べるペンダントを着けさせてあります。これは便利です。
          二〇一一年十二月六日
*【介護】救急車で搬送ー「気持ちよく眠っていたのに」と母
 西田正夫先生

  昨日は昼頃、母が起こしても起きない、起きてもしゃべれないという状態になりました。

 救急車を呼び、病院へ。

 外科医の検査では原因がわからず、内科医が出てきて、「脱水症状です」とのこと。

 あれほど、「水分、水分」と姉が騒いでいた理由がわかりました。

 母は点滴を始めたら、すぐ元気になり、「せっかく気持ちよく眠っていたのに、なんでこんなところに連れて来たの?早く家に帰りたい」とのこと。

 私はほっとして、「気持ちよく眠っていたなら、そのまま死ぬのも幸せか」と不謹慎な苦笑い。

 父は病状が安定していたし、兄は突然死だったので、母の介護のようにハラハラドキドキすることはありませんでした。これから、痰を切るのに苦しみそうです。

 医師が、「これではあなたも共倒れしますから、今後は往診医を派遣します」と手配してくれました。
しかし、骨髄が傷んでいるので、二ヶ月に一回は輸血にストレッチャーの介護タクシーで通院しなければなりません。

 母が痰が切れずに苦しむのを見るのは辛いけど、毎日、少しずつ母に恩返しできているかと思えば、介護は辛くありません。

 何より、ヘルパーさんと姉の励ましがあります。
   二〇一一年十二月七日
 

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