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★地元の斎藤道俊弁護士よりお誘いを受け、6月19日(火)に釧路地裁で行われた安保法制違憲訴訟の原告として、意見陳述を行う機会をあたえられました。 以下、その陳述書原文をお届けします。 意見陳述書 1 私は1929(昭和4)年8月5日、滋賀県彦根市琵琶湖畔の零細在村地主の3男として生まれました。同年10月24日には、後にBlack Thursday(暗黒の木曜日)と呼ばれるようになった株価暴落が起り、満2歳の時には柳条湖事件と呼ばれる中国東北部への侵略、小学校2年生の時には、盧溝橋事件に始まる中国への全面侵略、小学校6年生の時には、世界を相手にした太平洋戦争が始まりました。 その翌年、旧制彦根中学に入学しましたが、体育の時間は殆ど軍事教練に当てられ、銃を抱えての匍匐前進、城壁のぼり、人体を模した藁人形への刺突訓練等に明け暮れました。 3年生になると、彦根城の地先にある松原内湖を水田にする琵琶湖干拓作業に狩り出され、連日目もくらむ空腹を抱えながら、ある時は首まで泥水につかり、ある時は鶴嘴で山肌にいどみました。となりの作業現場には、アメリカやオーストラリアの捕虜も働かされていました。学校に登校したのは、大雨か大雪の日だけで年間20日足らずだったように思います。 4年生になり、沖縄戦の終結した5月以降には連日B29が飛来し、琵琶湖上空で向きを変え、大阪、金沢等に向かい、間もなく地響きが届き、夜,大阪方面は空まで真っ赤に燃えていました。 7月以降になると、グラマン、ロッキードなどの艦載機が地上すれすれに現れ、私がただ一人琵琶湖岸の道路を帰宅中,機銃掃射を浴び、危うく九死に一生を得たこともあります。 2 昭和20年の6月、母ひとり子ひとりのため、それまで免除されていた予科練への志願を免除されていた親友が、特攻隊要員が不足し遂に志願する事が強制されました。体格に不足のある我々がささやかな壮行会を開いた時、「後2年すれば、必ず死ぬことが決まっている人間の気持ちが分かるか」と暴れ出した恐怖にゆがんだ顔が今も忘れられません。残された我々も、死ぬ場所が、陸か、海か、空か、国内か、外地かしか選択の余地はなく、20数歳以上生き延びることは想像できませんでした。 それでも私たちは負けるとは思わず、夏休みもなく作業に励んでいましたが、8月14日夕、作業終了後山陰に全校生徒が集められ学校長より訓示がありました。「連日敵の空襲を受けているが案ずることはない。我が方は肉を切らして骨を切る作戦であり必ず勝つ。いざとなれば神風が吹く。明日より4日間のお盆休暇を与える。安心してお墓詣りをしてくるように」と。 その翌日の8月15日、終戦が告げられます。 3 マッカッサーの来日の前日、学校は再開されますが、教師たちの豹変ぶりを始め、価値観の転換に戸惑い、9月半ばより登校拒否に陥り、ひたすら16歳の頭で、日本はなぜ戦争に突入したのか考え続けました。得られた結論は二つです。一つは、農村の貧困を救うためと称して、他国への侵略をはじめたこと。今一つは天皇に名を借りた独裁体制であったことです。 1年落第して4月に復学し、その年の11月3日、新憲法が公布されます。 第1条の「主権は国民に存する」及び第9条の「戦争放棄」の規定は特に衝撃をうけ、貪るように憲法学習に取り組みました。 それは痛苦の体験を経た日本国民すべての願いであるのみならず、二つの世界大戦を経て生み出された人類の叡智の結晶であり、人類の永遠平和と繁栄につながる道筋を示したものと受け止めました。 しかし僅か施行後3年にして、東西冷戦を背景として朝鮮戦争が勃発し、警察予備隊が発足するに及んでこの理想は破壊されます。 その後は解釈改憲を繰り返しますが、辛うじて専守防衛については少なくとも言葉の上では確認されてきたのが、3年前の9月30日の安保法制成立による集団的自衛権の容認によって、最後の一線も破られました。いかなる理由があれ、他国のへの武装勢力派遣は「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」と明示した憲法9条違反であると言うのは生き残った我々日本国民の偽りのない実感です。 戦力不保持による財政負担の軽減は福祉や医療に振り向けられると信じ、バラ色の老後を夢に見て、今日よりは明日はよくなると信じて励んできましたが、特に安保法制成立前後からの軍事費の増大は大きく上昇し、一方福祉費は減少の一途であり、その経済的損失も又多額です。 4 私たちは31年前、憲法をよく理解しようと「5月3日に皆で日本国憲法を読む会」を始めましたが、今年は「憲法を暮らしの中に活かす」を掲げ取組み昨年の3倍強を集め大成功したのは、国民の危機感の現れと受け止めました。 最後に改めてお願いがあります。 国民の選んだ立法府が、憲法に違反する法を公布し、行政府がそれを施行するとき、司法府が、憲法を厳密に適用し歯止めを掛けるいわゆる三権分立の仕組みも又、人類の長年にわたる経験を経てようやく到達した叡智です。 憲法第76条第3項は、「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」と規定しています。 本裁判は、長年にわたる人類の叡智に良心をかけて従うか、それに背き、歴史を逆行させるかの裁判です。 二つの世界大戦で殺傷された夥しい人々の無念の思いや、人類のバラ色の未来を夢見て戦後を生きてきた我々の精神的苦痛、経済的損失に思いをいたし、良心に背かない判決を切にお願いして、私の陳述を終わります。 2018(平成30)年5月25日 帯広市南の森西2丁目1番12号 山 田 克 二 印 釧路地方裁判所民事部合議係 御中 |
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2018年06月22日
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