中国人観光客が日本を称賛!「中国では2日に1回なのに、日本では1カ月に1回だなんて」―中国ネットRecord China 3月25日(火)7時10分配信
2014年3月24日、河北省出身の若い男性が、ツアー旅行で日本を訪れた際に感じた環境の良さについて、自身のブログにつづっている。以下はその概要。 【その他の写真】 今回の日本旅行は、私にとって生まれて初めての海外旅行だ。ワクワクしながら北京首都交際空港から飛び立った。このとき、北京は晴れていたが、空気はとてつもなく悪かった。 飛行機が日本の上空に差し掛かったときに窓の外を見た。日本の空は濃い青色をしているのが印象的だった。空港を出て感じたのは、何と言っても空気の良さだ。とても爽快で気持ちが良く、肺に空気を入れることが楽しみでさえあった。私は5年以上アレルギー性の鼻炎を患っており、空気にはとても敏感なのだ。 また、道路が清潔なことも印象深かった。空港の窓から見えた高速道路は“異常”なほどきれいだった。京都の街では野生の鳥が飛び交い、流れる小川は澄み、川底が見えるほどだ。子どものころ、田舎にあった小川はまだ水遊びができたが、現在は汚染物質の流れ道だ。わざと比べようとしたわけではなく、この景色に懐かしいような錯覚を覚えたのだ。工業、経済が高度に発達した日本でも、まだこのような美しい川が流れているとは、称賛せずにはいられない。 日本に来て数日、目に入る自動車はどれも新品のようにきれいで、ボディーは鏡のように輝き、空を漂う雲を映し出していた。空気には塵が混じっていないため、車が汚れることもない。ガイドによると、日本では洗車は月に1度くらいだという。私は中国で2日間洗車しなかった車が、黄色い砂で覆い尽くされている様子を思い出し、悲しくなった。 帰国し、北京の空港に降り立つと、そこは太陽を遮断するスモッグに飲み込まれていた。空気中を舞う塵にむせかえったとき、私は「帰ってきた」と実感した。それと同時に、6日間もろ過機能を停止していた自分の肺が、フルパワーで動き出すのを感じた。日本、それは夢のなかの世界だった。(翻訳・編集/北田) 最終更新:3月25日(火)7時10分
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東南・中央アジア
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2012年3月2日のsaraブログ記事に追記、再掲載 (※追記文は紫)
2012年1月末に訪ねた場所、西大門刑務所
1919年3月1日は日本が植民地にした韓国で最大の独立運動が起こった日です。
祖国を日本に奪われ国を取り戻そうと一般市民たちが「独立万歳」と叫びながら行進をした日で
韓国では「3.1節」と呼ばれています。
この行動がこれだけで終わるはずがないと想像できますよね。
日本軍は制圧に乗り出します。神の国日本に盾衝くなど許さん!といったところでしょうか。
次々と参加した者たちを捕まえて日本帝国主義者らしくお決まりの想像を絶する拷問が始まります。
捕らわれた人たちが収容されたのが地下鉄3号線独立門駅にある西大門刑務所。
日本人でここを訪れた人が何人ほどいるのでしょうか。
私が訪れた日は一人もいませんでした。
でも、繁華街は日本人客で大賑わいだったと思います。
日本の侵略に反対する者を捕らえ
拷問するために1908年10月に
日本政府によって造られた。
この日は前日から降り続いた雪が積もり
マイナス5度くらいのとても寒い日でした。
この写真を、この澄み切った空の写真を今、また目にすると悲しみが深くなる思いです。
2年前は「当時ここに閉じ込められ、拷問を受けた人たちもこんなに綺麗な空を見ていたのだろうか」
「どんな気持ちでこの空を見上げていたのだろうか」と考えたりしました。
今は当時よりも、より深刻な悲しみに加え、虚無感さえ感じます。
下2枚の写真はパンフレットから
実際の建物内
トイレは無く部屋から外に穴を開け、
そこから外へ出すようになっている。
なので冬は常に冷たい風が入り込み
凍えて亡くなる方もいたでしょう。
この場に立つと不当で理不尽な裁きを
受けた人たちの悲しみの声が聴こえてくるようでした。
死刑場 屍躯門
死刑を執行した建物の原形。ここで数多くの 日本軍が独立運動家を死刑にした後、外部に
独立運動家たちが刑場の露となり消えました。 その事実を知られぬように死体を外に密かに搬
出するための秘密通路。40mもあります。
上記2枚の写真と下記の地下監獄の写真はどうしても自分の手で写真を撮ることができませんでした。胸を締め付けられ、喉に痛みが走り、レンズが曇り、指の震えを止められなかったからです。
処刑された人々の泣き叫ぶ声が聴こえてくるような気がして長くいることすらできなかったのです。
本当に恐ろしかった。本当に恐ろしかったんです。
女性独立運動家を収監するために建てられた
女性獄舎。地下に独房があり韓国のジャンヌ
ダルクと呼ばれる柳寛順さんがむごい拷問で
亡くなった現場です。17歳でした。
独房は天井がとても低く部屋はとても
狭いため常に腰を曲げた状態で
いなければなりませんでした。
女性は拷問によって子どもが産めない体に
されたそうです。
15帖くらいあったでしょうか、一つのその部屋の壁や天井に古い写真が
びっしりと貼られていました。
写真の彼らの顔には苦しみと悲しみの表情が見てとれます。
ひどく殴られ腫れた顔の人もいます・・・。
彼らは私達の国を私達に返してと言っただけです。
これは韓国の歴史でしょうか。
これは日本の歴史でもあるんです。
この当時日本は日本国民は勿論、侵略した国にも日の丸掲揚、君が代斉唱を
強制しました。抵抗すれば殺されました。
「侵略の定義は定まっていない」という安倍をこの場に立たせ「美しい国、日本」の
「良いこともした」という内容を一からじっくりと聞いてみたい。
朝鮮と朝鮮人のためにやったという「良いこと」を一からじっくり。
現在の日本はどうでしょうか。大丈夫でしょうか。
大丈夫ではないですよね。教師への拷問がすでに始まってるんですから。
心から反省していれば日の丸、君が代の強制にはならないでしょう。
でも、残念ながらいつか来た道をまた歩いています。
橋下の吹く笛の音に足並みを揃え、リズムをとり行進しようとしています。
(2年前は橋下がブイブイ言ってたんですね。失笑)
いまでは(滅多に見ない)TVをつけると日本の幼稚な「嫌韓」は韓国の「反日」のせいとか
自分たちの醜い言動を正当化するコメンテーターがうようよ。
有田とかいう反レイシスト運動をしている民主党議員だって同じことを言っている。失笑
(ここでは有田議員には突っ込まないでおこう)
じゃあなぜ「反日」になったのか、
「反日」は誰のせいで始まり、誰のせいで終わらないのか。
そんな疑問は当然出てくるはずだよね。
でもこの国じゃあ 誰もそこまで踏み込まない。踏み込めない。
そりゃあそうだ。踏み込めるはずがない。踏み込めば「反日」のせいにはできないからね。
そんな卑怯者がうようよいるんですよ。
アンネの日記の本が破られている事件だって「日本人の感覚では考えられない、
日本人ではないような気がする」なんて言っちゃって 失笑
そんなこと言ってることじたい、本を破く素質というか土壌がしっかり形成されてるやないの。
そんなことすら気がつかない馬鹿がうようよいるんですよ。
日本人は良いことしかしない優秀な民族なんて言ってる時点で違うよねっていう、ね。
ま、でも時代錯誤的な悪あがきと往生際の悪い無知で阿呆な言い逃れと子供じみた非常識な屁理屈を安倍首相には中途半端に放棄するのはやめてほしいね。
最後まで一国の首相として立派に時代錯誤的な悪あがきと往生際の悪い無知で阿呆な言い逃れと子供じみた非常識な屁理屈を貫いてくださいね。マジで。
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アジア化を拒否する日本の末路
「脱亜入欧」と言う言葉が有る。
アジアを未だに「見下す」姿勢がアリアリ
欧米の「傀儡国家」に成り下がった日本
アジア化を拒否する日本の末路
《実に、的確に、問題点の所在を指摘している。
石原某、河村某などの時代錯誤発言の一方
興石訪中団と、鳩山訪中団が、相次いで、習氏とのツーショット撮影のおねだり!
情けないったら、ありゃしない!》ー琵琶(2012ー3−27日朝)
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【日本共産党応援ネット勝手連ニュースー2010−3−31】 |
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