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【写真上】横審総見で、稽古を終え、横審席の内館牧子委員の肩を抱く朝青龍=29日、両国国技館(今井正人撮影)(写真:産経新聞) |
スポーツ
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「これからは二度と日の丸の下では走らない」 (1936年ベルリン大会マラソンで優勝した「日本」の朝鮮人選手/孫基禎) IOC(国際オリンピック委員会)の評価委員とやらが東京を訪れ、4月19日まで4日間アレコレ視察していったようだ。さぞかしモノスゴイ接待を受けたことだろう。接待とお土産!の効果で開催が決まっても、2016年のオリンピックだから、いくらなんでもこの時まで石原都知事ということは有りえないはずだ。しかしねえ昭和39年(1964年)の東京オリンピックは、去年の北京オリンピック同様、国の発展を世界中にアピール(つまり国威発揚)するという目的があったが…なにせ戦争で、原爆と空襲により日本中の市や町が焼け野原となってから、約20年後のオリンピックだった。 それにひきかえ、わざわざ東京でまたオリンピックを開く意味というか目的というか、何かあるのかな? 「経済効果」という人もいるようだけど…儲かるのはアディダスやナイキやミズノといったスポーツ屋さん、お祭り騒ぎ大好きなマスコミ(テレビ屋さんと電通のような広告屋)、あとはホテル業界と土建屋さんか。公園や街から野宿者が追い出され、道路は工事で引っくり返され、貧乏人には騒音と公害と、「ニッポン、チャチャチャ」と増税か。 「オリンピック オリンピック!」と皆さんがハシャイでくれれば、政府(お国)の支配者たちには願ったり叶ったりだ。経済ジャーナリストの荻原博子が言う通り「オリンピックには、格差、社会保障切捨て、年金問題、消費税増税といった、政府にとって“不都合な真実”を大衆から覆い隠す目隠し効果があることは、歴史が証明している」からだ。 もちろん賛成の人も半分ほどはいる。タレントのなぎら健壱は「1964年のオリンピックの時だって、川の上に高速をつくり日本橋を台無しにしちまったりして、まるで人災だったけど、それでもやって良かった。戦後あんなに日本人が一丸となって日本を応援したことはない。戦争に負けてからというもの、日本人は力道山のプロレス以外は、アメリカ人を応援しなきゃいけなかったんですから。東京五輪で本当に戦争は終わったんです。でも都民としてン十万円を寄付してくれ、なんて言われたら反対するよ、ハハハ」。 う〜ん、なぎら健壱には気の毒だが(いや、私だって後になって知ったのだが)、日本人がアメリカ人をやっつける胸のすくようなプロレス、と信じていた力道山対シャープ兄弟は、実は北朝鮮(人)対カナダ(人)だったのだ。民族だの愛国心だのとワーワー騒いだところで、「真実」はこんなもの。国民的行事と言われて久しい大晦日のNHK「紅白歌合戦」だが、これに出場する(した)歌手たちの大半が在日二世・三世と言われている。 ナショナリズムなど所詮そんなものだ。国家や民族に自分の存在の「証(あかし)」を求めるのは、安易でしかも危険だ。どこの国の大衆も「おらが国が一番」と、自慢したくてたまらないようだが、その素朴すぎる「愛国心」が、いつも偽政者(権力者)に利用されてきた。ナチのヒトラーによるベルリン五輪はその典型だが、パレスチナ・ゲリラに襲われたミュンヘン大会(72年)、ボイコット合戦となったモスクワ大会(80年)やロスアンゼルス大会(84年)…オリンピックはいつも政争の具に使われてきた。そしてロス大会以降は金儲けのお祭りとなった。 「自分の国を応援するのはフツーのことだろう。何が悪い!」と目を剥く人間が圧倒的に多いから、世界はこのザマだ。オリンピックが真に「平和の祭典」であり「友情の祭典」であるならば、国旗も国家も必要ないはずだ。「国別運動会ではない」とオリンピック憲章にも明白に記してあるのだが。先の東京オリンピックで記憶に残っているのは、マラソンのアベベ・ビキラと女子体操のチャフラフスカ、柔道のヘーシンクだが、彼らの国籍(エチオピア・チェコ・オランダ)など私にはさして意味がない。アスリートとしての彼らの強さと美しさが、しっかり焼きついているだけだ。 オリンピックに対する様々な意見を聞いてみよう。 ●開催場所は、アウシュビッツ、ダンケルク、ボルゴグラード、ハワイ、沖縄、広島、長崎といった戦争の記憶を濃厚に残す所で。 (原武史) ●国別対抗をやめて生まれ月対抗で。 ( 有栖川有栖) ●国家のための五輪ではなく、個人の五輪を。国旗は揚げない。 (竹川大介) ●球技などはEU対アジアなどがあってもいい。 (山田昌弘) ●世界の30人に一人は移民である今日、国を枠組みにした競技自体が時代遅れ。 (陳天璽) ●競泳は全裸で、まずそこらへんから考え直そう。 (北村想) ●巨額な放料権料と広告料を途上国のインフラにまわせ。 (オノデラユキ) ●一都市集中ではなく水泳はシカゴ、陸上はマドリッド、体操はリオデジャネイロというように、分散して行なう。(柏木博) ●記録や勝敗にこだわるのは「世界選手権」にまかせ、貧困・環境・災害などテーマを決めてチャリティー大会とする。 (黒岩比佐子) ●金持ち国の大都市でしか開けない今のオリンピックは腐りきっている。未開催国でやるべきだ。(黒沢清) ●(国への)帰属意識を刺激するスポーツは大嫌いである。自分がやるわけでもないのに、選手と同一の帰属意識をもって、一喜一憂する人の気持ちがまったくわからない。やりたきゃ勝手にやれ、である。 (呉智英) ●国家と国家がまるで戦争の代替のようにメダル争いをするのは、スポーツの自由さと伸びやかさを失わせている。はたして、オリンピックに国旗や国歌が必要なのか? (船曳建夫) ー 了 − 追記:16日、評価調査後の記者会見で、イギリスのマレイ記者が「韓国で行なった残虐行為を、日本が否定しているため、東京は開催都市には選ばれないだろうと、韓国のマスコミが報じているが」と質問した。石原知事は「西欧諸国の植民地支配より、日本の方が優しくて公平だったと、朴大統領から聞いた」と、いつものように他人の言葉として、史実を矮小正当化した。
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【写真】雪の中でグループ体験学習に取り組む彦根東の選手たち |
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●やけどで不自由な右手 練習を人の3倍4倍と・・・ |
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さて、私がここで少しお話しようと思うのは、オリンピックと平和についてです。もちろん私の一意見にすぎませんが、少しお付き合いください(意見があったらぜひ掲示板にどうぞ!) |




