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小学二年生で、独りぼっちになった尊子(たかこ)さん。(その2)
「連動記事・・・広島原爆」―当時小学校2年生だった、後神尊子さん、中学2年生だった中村悦雄さんのお話を、6日〜8日の3回にわけてお届けします。【書庫―核兵器廃絶】
★今日は、後神尊子(ごかんたこ)さんの家族の消息と、尊子(たかこ)さんの、その後の運命です。
お父さんは、広島の軍隊司令部に務めていました。
普段は、司令部に寝泊まりしているのですが、前日の5日には、久しぶりに家に帰ってきました。
それまで、日本中の主な都市が爆撃で廃墟に化している中で、比較的無傷になっていた広島も、まもなく、大規模な爆撃を受けるだろうから、尊子(たかこ)さんだけでも、田舎に疎開させようとの相談のためです。
★お母さんは、『いやじゃ、どうせ死ぬのなら一緒じゃ』とぐっと強く抱きしめてくれたのが、お母さんに抱かれた最後の記憶になってしまいました。
お父さんは、司令部にある中心部に戻り、お母さんも、当日市内中心部の建物疎開に駆り出され、そこで亡くなったのです。
何の遺物も残っていません。
中学2年生だった、たった一人のお兄ちゃんも、当日、建物疎開に駆り出されていました。
生徒全員が、集まっているところを、爆風と、閃光がおそったのです。
一旦、空に巻き上げられ、どさっと、地上に折り重なって落ちてきた生徒の殆ど死に絶えました。
奇跡的に助かった友人と二人で、家にむかいました。しかし、お兄さんは、途中で力つき、座り込んでしまい、止むなく辛うじて帰ってきた友人の報告で、その状況が分かったのです。
★一瞬にして、ひとりぼっちになった尊子(たかこ)さんは、それでも比較的怪我が軽かったせいで、約1か月たったころ、遠い田舎の親戚をた頼って、一人でトボトボ歩いてゆきました。
小さな風呂敷包を持ち、下は川の、鉄橋を渡った時の、寂しさは云い知れないおのがあったと言っていました。
しかし、やっとたどって行った親戚も安住の地ではありんせんでした。
邪魔者扱いにされ、土地等の財産は、その親戚にだまし取られました。
★一年ほど経って、帯広に住んでいた、お父さんの一番上の伯父さんが、迎えに来てれて、その伯父さんに子どもがいなかったため、我が子同様に育てられ、結婚もして、二人の娘も産まれましたが、原爆の後遺症のこともあり、離婚に追い込まれます。
その後は、女手一つで、『広島屋』と云う名の手造りのコロッケ屋を作り、二人の娘を育て上げましたが、その後の話は、明日述べる予定の、中村悦雄さんの、原水爆禁止運動と、併せてお知らせいたします。
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核兵器廃絶
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「連動記事・・・広島原爆」―当時小学校2年生だった、後神尊子さん、中学2年生だった中村悦雄さんのお話を、6日〜8日の3回にわけてお届けします。【書庫―核兵器廃絶】
この記事は、下記に紹介する人たちと連動で記事を書いています。
タイトルは、同じですが、内容は、それぞれ個々で違います。
出来ましたら、下記に紹介した人のブログにも見にって頂き、気に入ったものがあれば、
ご自分のブログに転載していただければ幸いです。
又、9日の長崎原爆投下の日、15日の終戦記念の日に、引き続いて連動記事が提案されていますので、それぞれにまつわるお話や、感想、意見をお寄せいただければ、望外の幸せです。、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・本文・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日は、広島に、原爆が投下されてより、65回目の記念日です。
私のお付き合いしている、二人の広島の被爆者のことをお知らせしましょう。
●当時小学校2年生だった、後神尊子(ごかんたかこ)さんの場合。(上)
後神さんの家は、原爆投下地点より約2キロのところにありました。
学校の校門のすぐ近くに家があり、当日も、朝早くから学校に行って、友達と遊んでいました。
当時は夏休みはなく、8月でも学校に登校していたのです。
校庭にある、普段は校長先生などが生徒にお話しをされる朝礼台の上で、お手玉をして遊んでいました。
お手玉の中には,いざという時のために、お母さんが、米粒をいれておいてくれました。
運命の8時過ぎ、ぶ〜んという、聞きなれたアメリカの飛行機、B29の爆音が聞こえてきました。
空襲警報も出ていないのに変だなと思って、朝礼台をおり、空を見上げていたら、突然ピカと閃光が走りました。
そのまま気を失い、しばらくして気がついた時、辺りは真っ暗で、地面から徐々に明るさを取り戻して行きました。
吹き飛ばされていたのは、朝礼台から数十メートル離れた、壊れた校舎の影でした。
間もなく先生が現れ、おぶって、十数キロも離れた救護所に運んでくれました。
先生は、幸い登校途中で、学校の塀の影にいたので、閃光を浴びていなかったのです。
でも、その後、現在にいたるまで、先生ともお友達とも誰ひとり会っていません。みんな、死に絶えたとしか思えません。
救護所に当てられていたお寺の本堂では、真っ赤に焼けただれた顔や、腕にも、ただ、油か何かを塗ってくれるだけで、何の処置もしてもらえません。
隣に寝ていた男の子は、「痛いよう、水が飲みたいよう」と、細々と、訴えていましたが、やがてその声も聞こえなくなり、死んでしまいました。
その夜、校庭で死んだ人を焼く煙の立ち昇るのが見え、今度は私のばんかな〜と思って、寝たきりの身体で眺めていました。
数日たって、たまたま、神戸から、広島に来ていた伯母さんが、探しに来てくれました。
しかし、焼けただれた顔を見分ける事が出来ず、行き過ぎようとします。
「伯母さん,“たかこ”だよう」と声を出そうと思っても、声がでません!
やっと、着ていた、着物の生地で気づいてくれましたが、それ以上、何もできません。
さて、その後、尊子さんは、どうなったか、家族はどうしたかのお話は、明日7日に、
又、中学2年生の時、広島で、被爆した、中村悦雄さんのお話は8日に致しましょう!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・本文終了・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<ここに、今回の参加者のブログを紹介をする。>
短足オジサン 短足オジサンの支離滅裂日記 http://blogs.yahoo.co.jp/honjyofag
ハルジオンさん ひとりしずかに http://blogs.yahoo.co.jp/haruzion_blog
tor**iho*n1meza** 知って目覚める釧路の社民党日記 http://blogs.yahoo.co.jp/toranihonn1mezasu
ロマンチッカーnao 民衆革命 革命の十字架を背負う者たちへ http://blogs.yahoo.co.jp/romanticnao
春風さん 春風の読書感想文 http://blogs.yahoo.co.jp/harukazeburogu
琵琶さん 軍事費削って!5秒に一人命を落とす子ら http://blogs.yahoo.co.jp/biwalakesix
チャオさん 森田君とチャオたちの日々 http://blogs.yahoo.co.jp/chao_sizuku
藤岡市の政治さん 藤岡市の政治を語ろう http://blogs.yahoo.co.jp/fuziokasiseizi/32857518.html
馬太郎さん 杉山茂丸三昧 http://blogs.yahoo.co.jp/djkxq447
以上の方が今回、連動で記事を書いてくださいました。
ありがとうございます。
この記事をご覧下さった人は、どうか、紹介のブログに見に行ってださい。
そして、その中で気にいったものあれば、一声お掛け頂き、転載で記事をご自身のブログに公開してください。
ロマンチッカーさんの連動記事提案の全文です。【連絡内容全文】↓
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9日―長崎原爆記念日
15日―敗戦記念日にもやるそうです。
ぜひ、貴方もご参加を!
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【地図】世界の非核・平和地帯
★連動記事★平和への道筋―核兵器廃絶への道筋
ロマンチッカーnapさんの呼びかけで始まった、連動記事!
皆さんの素晴らしい投稿記事を見ていたら、私も投稿したくなりました。
あまり、時間がとれませんので、コピー&ペーストの借り物ですが・・・。
1945年8月6日午前8時15分、広島に、8月9日11時2分長崎に、原爆が投下されました。
当時は私は、旧制中学4年生、今の高校1年生でした。
私たちは、かすかに、「特殊爆弾が落とされた」という噂を聞いただけでした。
それから、65年、昨年4月5日の、オバマのプラハ演説で、ようやく、核兵器のない世界の展望が見えてきました。
今年、ニューヨ−クで開かれた、NPT会議で、更に具体化が討議されました。
非核平和地帯は、192カ国中、116カ国に達しました。
しかし、運動は、これからが本番です。
皆さんの知恵と力を集めましょう。
なお、8月6日と、9日にも、連動記事の呼び掛けがあれば、被爆者の話を、お伝えいたしましょう
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【写真上】帰国した日本共産党米国訪問団。左から井上、緒方、志位、笠井の各氏=9日午後、成田空港 |
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(写真1)会談し握手するカバクチュラン・NPT再検討会議議長(右)と志位和夫委員長=2日、ニューヨーク(林行博撮影) |




