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「終戦」か「敗戦」か・・・そのことばを考えました。



1945年8月15日
 
神である天皇が発した玉音放送の一節にはこんなことばがあります。

要約すると
私は、時の運にも導かれ、耐えられないことにも耐え、我慢できないことにも我慢し、今後の未来のために平和への道を開いていきたい。」だそうです。

全文現代語訳は↓
私は、「共同宣言を受け入れる旨をアメリカ、イギリス、中国、ソビエトの4カ国に伝えよ」と政府に指示した。
日本臣民が平穏無事に暮らし、全世界が栄え、その喜びを共有することは歴代天皇が遺した教えで、私も常に心に持ち続けてきた。アメリカとイギリスに宣戦布告した理由も、日本の自立と東アジアの安定を願うからであり、他国の主権や領土を侵すようなことは、もともと私の思うところではない。
だが戦争は4年も続き、陸海将兵の勇敢な戦いぶりも、多くの官僚の努力も、一億臣民の奉公も、それぞれが最善を尽くしたが戦況はよくならず、世界情勢もまた日本に有利ではない。その上、敵は新たに、残虐な爆弾を使用して多くの罪のない人を殺し、被害の及ぶ範囲を測ることもできない。このまま戦争を続ければ、日本民族の滅亡を招くだけでなく、人類の文明も破壊してしまうだろう。
そんなことになってしまえば、どうやって私は多くの臣民を守り、歴代天皇の霊に謝罪すればよいのか。これが、私が政府に共同宣言に応じるように命じた理由だ。
私は、東アジアの解放のために日本に協力した友好国に対して、遺憾の意を表せざるを得ない。戦地で命を失った者、職場で命を失った者、思いがけず命を落とした者、またその遺族のことを考えると、身も心も引き裂かれる思いだ。戦争で傷を負い、被害にあって家や仕事を失った者の生活についても、とても心配だ。
これから日本はとてつもない苦難を受けるだろう。臣民のみんなが思うところも私はよくわかっている。けれども私は、時の運にも導かれ、耐えられないことにも耐え、我慢できないことにも我慢し、今後の未来のために平和への道を開いていきたい。
私はここに国体を守ることができ、忠実な臣民の真心を信じ、常に臣民とともにある。感情の赴くままに問題を起こしたり、仲間同士で排斥したり、時局を混乱させたりして、道を外し、世界からの信用を失うことは、私が最も戒めたいことだ。
国がひとつとなって家族のように団結し、日本の不滅を信じ、責任は重く、道は遠いことを心に留め、総力を将来の建設のために傾け、道義を大切にし、固くその考えを守り、国体の本質を奮い立たせ、世界の流れから遅れないようにしなさい。
あなた方臣民は、これらが私の意志だと思い、実現してほしい。

そして、この日を境に、軍国主義を貫いてきた人々(大人たち)は、ま逆の言動をするようになったのです。

三浦綾子さんは、
戦前、 軍国主義的な思想の下に生徒達を天皇陛下のために死ねる人間として育てる愛国的教師で した。しかし、敗戦という出来事を通して、彼女は信じ切っていたものが全く信じるに値するもの ではないことを悟りました・・・。

『橋の無い川』著者、住井すゑさん
「わだつみのこえ」のインタビューに、8・15の放送を「一億心を一にして頑張れという天皇の励ましと
思っていたと」農民活動家にしてである。(コモンズ №74 尾形憲氏文引用)

 
戦地で捕虜になった経済同友会修身幹事の品川正治さん
「『終戦派・敗戦派』で抑留地で意見が分かれた。終戦派は、闘いが終わって良かった。敗戦派は、一回負けただけ、再起して戦う」と話しています。
また私は敢えて『終戦』で結構だと言いたい。この戦争が終わったという意味で『終戦』というのではない、日本は二度と戦争はしない、未来永劫、戦争はしない、二度と他国に兵は出さない、という決意の表明として『終戦』と呼ぼう」(品川正治『前後歴程』岩波書店)

日本では多くの人が8月15日を「終戦記念日」と呼びますが、

   「終戦」という言葉は「僕が考えた言葉だ」

こういったのは、外務省政務局長の安東義良氏で、かれは終戦という名称の造語についてこう話しました。
「・・・・・言葉の遊戯ではあるけれど、降伏という代わりに終戦という字を使ってね。あれは僕が考えた。終戦終戦で押通した。降伏といえば軍部をえらく刺激するし、日本国民でも相当反響があるから、事実ごまかそうと思ったんだもん。ごまかすというと語弊があるけど、言葉の伝える印象をね。和らげようというところからね。まあそういうふうに考えた」

 このことについて、識字教育の専門家である田島伸二さんはいいます。
「こうして国民は終戦という言葉に騙されることになった。日本は降伏し、惨めな敗戦を契したにもかかわらず、屈辱的なことを全く感じさせないように、いつの間にか自動的に「戦争が終わった」とでもいうような感覚で「終戦」という言葉を濫用して現在に至るのである。(政府の)言葉は国民を助けるための言葉では断じてない。国民を絶えず無知にして、国民を死の断崖に追いやっていく非情な造語だ。」



     戦後の戦争責任について、「ひろゆきの社会化日記」から以下抜粋

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「戦後69年間の間で、日本人自らが、戦争責任について総括をし、戦争犯罪人を裁いていません。
高級官僚・高級軍人も特高警察をも日本人が自らの手で裁く事はありませんでした。
 
この結果が、侵略の事実がないとか従軍慰安婦の存在は認められないとか歴史を捏造する事が当然のように語られます。
A級戦犯が釈放され、総理大臣になり、日米安保の基礎を築いた人物とか新聞社の社主とし国会議員になり、原発を推進した人物とか特高警察官僚が、最高裁判事になり高級軍人が自衛隊の幹部となり戦争を推進した2世3世が政界に多数存在する事実。

安倍総理は
戦争も侵略も反省出来ず、紙の上だけの「ひどかったですね」という他人事のスピーチすら使い回しと言う最低の行為を行、非難されましたが彼には中国侵略を語ることができません。なぜなら、その主たる任務を担っていたのがA級戦犯で安倍と縁戚の岸だからです。


この事は沖縄にも当てはまります。
沖縄日本返還させたとしてノーベル平和賞を受賞した佐藤は沖縄返還に国民を欺き米軍基地温存、核兵器温存をし裏金まで出していた事実を今なお隠ぺいしているこれも安倍の縁戚です。

戦争・紛争で一番先に苦しむのは何の罪もない普通の市民です

沖縄の辺野古基地新建設で、海の埋め立てで市民の反対行動の矢面に立っているのは、公務員です。それを実行させているのが政治家であり高級官僚です。


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戦争責任に向き合うドイツと目をそむける日本 
 〜被害国に受け入れられたドイツの戦後補償の歩み〜 永井 潤子

講演内容を一部抜粋させていただきました。詳しくは↑

西ドイツでも敗戦直後は、やはり「自分たちには責任がない」「自分たちは知らなかった」「ナチがやったことだ」という態度が社会に蔓延していましたが、そういう態度をとったのはせいぜい戦後20年くらいです。
その後は社会の動きが変わりましたが、それは一度に変わったわけではありません。政府とか政治指導者の側と、市民の側の両方から変わっていったわけです。

 
 

今、統一ドイツの首都に返り咲いたベルリンには、いたるところに戦争責任、あるいは戦争の反省が見られます

 
 

記念碑は加害の国と犠牲になった国の人たちが、被害者の情報について協力するというシンボルの場所でもあるんです。こういうことになったのは、ドイツ政府と、ドイツ国民が、やっぱり自分たちの過去を誠実に考えて、そこから教訓を汲み取って未来につなげようという姿勢をずっととってきたということの表れだと思います。

 
 

ドイツは自分たちの反省と犯罪を追及することを続け首相あるいはその当時政治的な指導者だった人たちは、やはり最初から自分たちの過去を反省しなくてはいけない。そしてそれは自分たち、ドイツ人の名誉に関わる問題だと考えていた

 

一般の人たちが自分たちの責任について考えるようになったのは、そのアウシュヴィッツ裁判がきっかけになったと見られています。

 
 

1968年 ドイツの若者たちは自分の父親、母親、あるいは祖父母たちが、ナチ時代、どう行動をとってきたのか追及しはじめたんですね。

高校生たちが自分の街にかつて住んでいたユダヤ人の運命をたどったり、それから当時のナチの有力者の過去を問い直すような動きが生まれた。

 

戦争責任についてもナチや政治家とかそういう人たちの責任ではなくて、それを支持した自分たちの、市民一人ひとりの責任を問うような傾向が生まれた。

 
  

「過去を心に刻む」

今生きているドイツ人たちにはナチの直接的な責任はないけれども、そのドイツ人の名において行なわれた犯罪の過去を、一人ひとりのドイツ人が心に刻んで、それを思い起こし、それから教訓を汲み取って未来につなげる

 
  

60周年が経って、ドイツはかつてのものすごい被害を与えた国々から仲間として認められていて、友好国として認められている。それに反して日本は中国や韓国の人たちから責任をとっていないと見られている。

 
 マスコミは、

NHKと同じようなドイツの公共テレビ、アー・エル・デーとかツェット・デー・エフが、強制労働者の名前を毎日のように、テレビに映し出して、この人たちはもう高齢だから、早くまとめないと手遅れになると毎日のようにキャンぺーンを続けました。

以上転載


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 私は、子どもの頃は「終戦」といい、戦争のことを学習してからはずっと「敗戦」という言葉を使ってきました。
たかが言葉というかもしれませんが、言葉ほど慎重に使わなくてはいけないと考えさせられました。
 品川正治さんのいう「終戦」も考え方の一つだと思います。そうかなるほど・・・と考えますが、安易にそうして使ってしまうと、国の思う壺(安東義良氏の思い通り)になり、騙され続け、反省する機会を失ってしまうのかもしれません。
いや、失ってしまったのかもしれませんね。

特に国が使う言葉には裏がある・・・ということも考えなくては国民はただただ騙されてしまうのですね。福島の原発事故の「収束宣言」も、しかり・・・。




 今再び戦争への道を歩き始めた日本は、こうした言葉のマジックに騙されたまま、国民一人ひとりが何の反省もなく今日まで来てしまった結果でしょうか。
今からでも遅くありません。
しっかりと過去の戦争を反省することから始めたいと思います。

 本来、学校教育の中で正しい平和教育と戦後の反省がなされるべきところですが、日本は、先生方が子どもたちへ平和教育を行うことを妨害しています。
そんなことでは、ドイツのように若者が愛国心を持って過去を反省する機会は生涯訪れることはないでしょう。

 わが子や孫が、世界に認められる日本人になるためには、人として恥ずかしくない道を歩くためには、国の学校教育への干渉はただちにやめていただきたい。
そして、
 私たち有権者は、過去にきちんと向き合う人に一票入れる覚悟を持ちたいものです。


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追記
8月15日はもっと正確にいうならば、大日本帝国の責任者天皇がポツダム宣言受託を宣言した日』となるのでしょうか。

 この記事を書くきっかけを下さった多分同世代のalf​'s ​mom​」さんに感謝します。














転載元転載元: 小樽・子どもの環境を考える親の会

今まで何度か「日本会議」とか「親学」という言葉をこのブログでつこてきたんですけど

やっぱり一回、きちんと整理しといたほうがええと思うので、書いてみます…


日本会議」というのは、

(事実上、戦前の国教であり、戦争遂行を宗教面から後押しした)国家神道を中心に、

「宗教的右翼」が組織した「日本を守る会」と

過去の戦争を反省しない態度を示す元軍人など、

これまた日本の右翼人脈が組織した「日本を守る国民会議」が合体してできた組織でして    ※1

この組織が、海外からどのように評価されてるのか…と言うたら

「ナショナリスト(国家主義者)組織」(アメリカのニューヨーク・タイムズ)

「ナショナリスト・シンクタンク」(イギリスのエコノミスト)

…というふうに、「右翼」の特徴である「国家主義」者のあつまり…ということで

「右翼団体」ということになってるわけです

(言うときますけど、英語で「ナショナリスト」という言葉は、「保守」の範疇にはおさまらない評価ですよ)


このように、「日本会議」という組織は右翼団体なので、

・天皇制の強化(→要するに、「日本人なら天皇を敬う」という価値観の押しつけ)

・改憲(→その中身は、「人権よりも国益重視」という戦前回帰の復古憲法の制定)

・歴史の書き換え(→特に教科書の書き換え)

・教育内容への国家介入強化(→公共心の重視・強制や、「親学」に基づく教育観の押しつけ)

・靖国神社参拝の推進(→これも、「歴史の書き換え」の一種)

・男女平等への抵抗(→旧価値観である「男尊女卑(≒男女の枠割り分担)の温存」を目指してる)

・差別解消への抵抗(→人権理念を否定し、差別禁止に向けた施策にことごとく反対)

…などの、右翼の「お約束事」の活動をしてまして、日本会議はまさしく正真正銘の右翼なわけです


そんでも、「歴史の書き換え」や「差別主義」というのは、「右翼」を超えた「極右」の主張なので

この日本会議という組織は「極右」と言うても差し支えないと、ぼくは思てるんです


で、問題はここから…でして、こういう時代錯誤も甚だしい主義主張に基づく活動をしてる組織に

なんと国会議員までもが賛同してまして、「日本会議国会議員懇談会」なるもんをつくってるんです

(→その数、なんと289人!)

それだけでもビックリする話であるのに、なんと安倍内閣では、

19人中15人がこの(右翼)懇談会のメンバーで、それもそのはず、

首相である安倍自身がこの懇談会のメンバーで、副会長やってるやん!

…という、誠に怖い話になってるんです



では次に、日本会議の活動内容にも出てきましたけど、「親学」というもんについて書いてみます

「親学」というのは、

子どもに何か問題が生じるのは「親が未熟なせいや」、そやから「親を教育せなあかん」…

とする考えで、ここまでの説明では、まぁ、なんかわかったようなわからんような話なんですけど、

なぜかそこから、

「子どもの発達障害は『伝統的子育て』で防止できる」

(→逆に言うと、子どもが発達障害になるのは、『伝統的子育て』をしてないからや)

…というトンデモ主張を展開してる、訳のわからん「カルト」なんです

(このトンデモ主張をそのまま採用した「家庭教育支援条例案」(=大阪維新の会提案)が
 各方面からの非難を浴びて大阪市議会で撤回されたのは、記憶に新しいところです)


そもそも、親学が推奨する『伝統的子育て』が意味するのは、

男女の役割分担が社会的制度的に押しつけられていた「戦前の子育てスタイル」を指してるのでありまして

それは簡単に言うと、「女は結婚したら家庭に入り子育てに専念すべきである」…とする、

性的役割分担の固定化の主張に繋がる話で、それはこの親学の提唱者である高橋史朗

男児平等の考え方を「GHQによる日本人の精神的武装解除」と表現して、

敵視してることからもミエミエの話です

そして、この男は、戦後の教育に関してもイチャモンをつけてまして

要するに、「昔(=戦前)はよかった」…という、戦前ノスタルジーに浸ってるだけの典型的オッサンなんです

(…というても、このオッサンは「戦後生まれ」で、戦前を経験したことないんですけどね…)

さらにこのオッサンは、「新しい歴史教科書をつくる会」の役員を務めていた…ということで

端的に、「歴史の書き換え人」の一人…でありまして、やっぱり(極)右翼のお仲間やったんですわ  ※2

(そやから、おなじ仲間の「日本会議」が「親学」を推進しようとしてるわけですね)


このように、「日本会議」とか「親学」と言えば、それは戦前回帰の右翼思想…

という理解で間違いはありませんので、以降はそのように受け取ってもらえれば幸いです



※1
最高裁判所(事務総局)という組織が、保守の権化(…というか、右翼の巣窟)になってるのは

もう有名な話ですが、それは、初代「日本を守る国民会議」の会長に、

この事務総局の前身の事務局の長を務めて、後に最高裁長官になった石田和外が就いていること…や

現在の日本会議の会長が、これまた元最高裁長官を務めた三好達であることを見てもらえると

よくわかると思います

つまり、三権の一つで、少数者の人権を守ってくれるはずの最高裁判所が、

「伝統的に」右翼人脈に支配されて、人権軽視の姿勢を持ってしまう…という恐るべき話でありまして、

こういうところに、いまだ戦後が訪れないこの国の(司法の)姿がはっきり見えてきます


※2
親学の提唱者で「歴史書き換え人」の高橋は、

埼玉県知事上田清司から県の教育委員に任命されたことがあるんですが、

こんな人間を教育委員に任命した上田清司かて、間違いなくトンデモ団の一味ですわ

さらに、「男女の性的役割の固定化を主張し、男女平等に抵抗する」この男を、なんと安倍首相が

内閣府男女共同参画会議委員に任命する…という離れ業をかましてまして、

こういうトンデモない所業を見るだけで、安倍の唱える「ウィメノミクス(女性の社会進出推進)」が

たんなるジェスチャーにすぎないということが、はっきりくっきりわかると思います

転載元転載元: 大阪弁で世情を語る

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 ☆10/9早朝の福島稲荷神社
 
さて、いよいよ選挙戦がスタートしました。
昨日の朝は、5時から稲刈りの準備をして、7時開始の必勝祈願祭へ。
10月9日は、福島稲荷神社の例祭日でもあります。
特別な日の、清々しい境内・・・。
宮司さんの祝詞の後、神の御前に榊を捧げ、中央の鏡に向かって二礼二拍一礼。
鏡が、昨夜の月(満月)のように輝いていました。
 
告示日に合わせて、熊坂義裕さんのホームページがリニューアルされましたのでご覧ください!
 
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  ☆1000年前に、安倍晴明が創建しました!

祈願祭の後は、田んぼに直行・・・・・稲刈りという「神事」です!
身も心も黄金色に染まり幸せな一日。
これだから、お米のしごとは止められません(笑)
 
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  台風で倒れた稲は手刈りしました☆
 
田んぼの近くの選挙ボードには、早速、熊坂義裕さんと井戸川さんのポスターが貼られていました。
夕方になっても、内堀さんら他の候補者のポスターはありませんでした。
 
井戸川さんの選挙事務所は、福島駅前のビルの7階だそうです。
その「7階」というのが、福島の私たちにとっては、美味しんぼの井戸川発言同様、微妙な違和感を象徴する「高さ」という感じもしますね。
私たちと井戸川さんの「心の距離」そのもの・・・と言う人もいます。
都会では「ヒーロー」の井戸川さんですが、福島県での人気はイマイチです。
 
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熊坂義裕さんが、今年5月24日付の中國新聞に「『美味しんぼ』が示す現実」という文章を寄稿していますので、その一部をご紹介したいと思います。
 
 今回の漫画『美味しんぼ』騒ぎでまず感じたのは、『悲しかった』ということだ。
 私は、福島で生まれ育った。
 幼い頃は、唱歌『ふるさと』の歌詞のように、野山を駆け巡り小川で魚とりばかりしていた。
 家の周りは、梨の木が多く、2人の娘の名前に「梨」を付けたほど『くだもの王国福島』に誇りがある。

 東日本大震災では、開業している岩手県宮古市で被災した。
 福島を故郷に持ち、岩手に住む者として、一編の漫画から、日本社会が被災地を忘れている現実を突き付けられたことが『悲しかった』のだ。
 まず、医師として、作者に疑義を呈したい。
 低線量被曝の健康への影響については、知見が定まっておらず、断定することができない。
 その事実を、作者は知っていたはずではないか、と思うのだ。
 にもかかわらず人気漫画で描写された『証言』はたやすく『事実』として人々に届いてしまう。
 批判を受けた後の『福島の真実』編の最終回では、『福島の人たちに、危ないところから逃げる勇気を持ってほしいと言いたいのだ』と登場人物に語らせている。
 これも、作者はなぜ『広汎な健康調査を継続的に実施し、因果関係を早期に突き止めるべきだ』と言わせなかったのだろうか。

 私が心配するのは決して風評被害ではない。
 むしろ危惧するのは、福島に住む人々、あるいは福島を離れた人々が、(「美味しんぼ」なりの)「福島の真実」という「やいば」を、自分自身に向けてしまわないかということだ。
 
 大震災の年から、私が代表理事を務める法人が『よりそいホットライン』という無料電話相談を始めた。
 日々多数の原発事故に由来する相談が寄せられている。

 母と子どもだけが県外に避難した離ればなれの生活に耐えられない。
 自主避難先で『放射能がうつる』『福島に帰れ』といじめに遭った。
 子どもに半袖の服を着せられない。
 自主避難したことで、親族に責められる、など深刻な話ばかりだ。

 うつ状態になっている相談者も多く、被災地の自殺念慮の電話件数は、全国平均の3倍近くにもなっている。
 1600人を超えた福島の震災関連死も、避難を余儀なくされた人が大半だ。
 だからこそ、曖昧な根拠で、被災した人々の生きる力を奪うようなことがあってはならない。・・・
 
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今年の3月、朝日新聞「声」の欄に、福島の女子高生が「子孫のこしてもいいのだろか?」と投稿しました。
今、私たちが「なかなか言葉にできずに苦悩している」のは、「鼻血が出ている」ことではなくて、もっと本質的な心の問題なのです。

考えたくない・・・と、思考停止状態の人も多いかもしれませんね。
 
どちらかというと「美味しんぼ」賛美のマスコミや脱原発知識人、県外支援者らの「被害を隠すな」的論調にずっと違和感を感じていました。
福島出身であることを隠さなければ、生きていけない人もいる現実を知らないのか?知ろうとしないのか?・・・・・。
「美味しんぼ」の表現は、「セカンドレイプ」のようだと言った友人もいました。
 
熊坂義裕さんが、生まれ故郷・福島の痛みに寄り添い、人々の心に与えるダメージについて言及しているこの文章を、県外の方々にも読んで頂きたいと思います。

転載元転載元: 福島・未来塾すばる

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五月の田園風景
 
 きょうは爽やかな日になっています。日差しは強く感じますが、風が冷
 たくて気持ちいいです。田んぼは田植えが進んでいます。麦畑は麦秋を
 迎え小麦色に輝いています。きょうは、久々にキジの牡を見かけました。
 用心深いキジですが見つけるのは意外と簡単です。それは牡は「ケ〜ン」
 と響くような声で鳴くからです。道端の野草も沢山咲いていました。
 
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 大飯原発3、4号機運転差止請求事件判決要旨です。興味のある人は一度読んで
 見てください。下記をクリックお願いします。
 
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キジ
久々のキジが見られました。これから子連れのキジの家族が見られるでしょう。
 イメージ 3  イメージ 4
 アカバナユウゲショウ
 漢字は「赤花夕化粧」と書きます。和名の由来は夕方から咲くことによるが、
 現在では昼間から咲いている。北アメリカ原産、明治時代にアメリカから持ち
 込まれた。この時期咲く野草は外来種が多いですね。
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ヒルガオ
昼に咲く朝顔と言うことで昼顔だそうです。
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       ホトケノザ             アメリカフウロ
アメリカフウロはアメリカ生まれの「風露」と言うことです。
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      キュウリグサ            コメツブツメクサ
 キュウリグサは葉を揉むとキュウリの匂いがします。コメツブツメクサの花は
 花径3〜4ミリの黄色い蝶形です。
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キツネアザミ
キツネアザミはアザミでなく、キツネアザミ属の一属一種の花だそうです。
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キツネアザミのガク片
綿毛が風で飛ばされた後のガクです。銀色に輝くガクはすごく綺麗でした。
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カタバミ
馴染みの道端の野草でも沢山咲くと綺麗ですね。

転載元転載元: 見ちゃった!聞いちゃった!


<この国はどこへ行こうとしているのか>
 ◇今が「引き返せぬ地点」
 <歴史には、あとは一瀉千里(いっしゃせんり)に突き進むよりほかはない時点があるのかもしれない。いわゆるノー・リターン・ポイント(引き返せぬ地点)である>
 作家、半藤一利さん(83)の「日露戦争史」、冒頭の一文に背筋がひんやりとした。戦争突入へ、引き返せなくなる地点。聞きたくなった。今を生きる私たちの「ノー・リターン・ポイント」とは。


 「歴史に戦前の日本の転機を見いだすことはできても、その時代に生きた国民がそれを実感していたかは別なんです」。行きつけの喫茶店で、半藤さんは語り始めた。
 自称、歴史探偵。日本が戦争にかじを切ったいくつものターニングポイント(転機)を繰り返しつづってきた。太平洋戦争であれば1931年の満州事変がその一つ。「しかし事変直後、国民がいきなり好戦的になったわけではない。その6年後、永井荷風の『ボク東綺譚(ぼくとうきだん)』や堀辰雄の『風立ちぬ』など昭和文学の名作が次々発表されました。世の中にも人の心にもまだ余裕があり、時の権力者が中国を植民地化する野望を抱いていたことなど気づいてもいなかったのでしょう。今の日本も同じ。昭和の国民が気づいていなかったのと同じように、私たちも気づいていないだけではないでしょうか」

 小さな手書きのメモには、38年の国家総動員法第4条の条文が。<勅令ノ定ムル所ニ依リ帝国臣民ヲ徴用シテ総動員業務ニ従事セシムルコトヲ得……>
 「運用次第で何でもできる条文です。1万人を徴用することも、24時間徹夜で働かせることも。この法を境に日本は『戦時国家』となり、国民生活が大きく変わった。法を盾に右翼が非好戦的な人を『非国民』となじり始めた」
 40年、米やみそなどの購入が切符制に。41年には生活必需物資統制令公布。同年末にはもう真珠湾攻撃だ。国家総動員法こそが、昭和の国民にとって戦争への「ノー・リターン・ポイント」だった。

 「いつか今を振り返った時、特定秘密保護法も転機と語られるのかもしれない。まして今回の解釈改憲は、運用次第でどうにでもできる新法を作るのと同じ。時の政府に何だって許してしまう。70年間、戦争で人を殺しも殺されもしなかったこの国の国際的信頼という国益を手放し、国のかたちを変えてしまう」
 つまり解釈改憲こそが私たちの「ノー・リターン・ポイント」だと?
 静かにうなずいた。
 「絶対」という言葉は生涯使わない−−45年3月10日の東京大空襲の焼け跡で14歳の時、そう誓った。「絶対に日本の国は正しいとか、絶対に神風は吹くだとか、絶対に俺は人を殺さないとか。すべてうそだと思った」と振り返る。炎に追われ、中川に飛び込んだ。自分にすがろうと伸びてきた手を振りほどいた。「何度空襲の夢を見たことか。夢の中で誰かを助けよう、助けようとしているんだ。助けられるわけないのに」

 文芸春秋に勤務していたころ、戦争や昭和史を調べ始めた。「日本は地政的に“守れない国”なんです。海岸線はアメリカより長く、真ん中に山脈が走るため逃げる場所もない。だからこそ、日本は戦争をしてはいけない」が持論だ。「守れない国は、集団的自衛権なんて他人のケンカを買ってはいけない。海岸線に原発が何十基もあるんです。どうやって守りますか」

 北朝鮮や中国といった外からの脅威を強調し、国内のナショナリズムをあおる風潮を危惧する。「日本は黒船の時代以来、“攘夷(じょうい)”の精神を引きずっている」。だから、解釈改憲のその先に控えるものは「国防軍」と言い切る。「外からの脅威に立ち向かうため、強い軍隊がいた方が安心、などとはこの国に軍隊がないから言える。本来、軍隊ほどおっかないものはないんです。軍隊は通常、刑法や民法など法体系から外れ、国民が監視できない。裁判は軍事裁判に。私たちは軍隊からの身の安全を考えなければいけなくなりますよ。世界のクーデターの首謀者はたいてい軍隊です」

 今の日本は太平洋戦争へと突き進んだ最初の転機である31〜33年の3年間に重なる、と指摘する。情報の国家統制、臣民教育を目指した国定教科書の改訂、5・15事件などのテロ……。「今はまだ幸いなことに新聞各社が自由な論調を維持できているが、間もなくかもしれません。その証拠にNHKはすでに危うい。歴史教科書の問題も、仮想敵国が強調されるのも当時とそっくり。テロはまだのようだが、ヘイトスピーチやネトウヨ現象は気になります」

 確かに言われてみれば、当時と今は似ている。なぜ同じ道をたどってしまうのか。
 「日露戦争は勝ったとはいえ多くの人の命を奪い、国民生活を圧迫した悲惨な戦争でした。『勝った勝った』と美談として語られるようになったのは、終戦直後ではなく、1930年代に入ってからなんです。戦争を体験した世代が生きている限り、時計はそう速く進まない。しかし彼らが死んだ途端、時計は大急ぎで動き出す。今の安倍晋三政権もそう。政治や官僚の中堅に戦争体験者はもういない。いるのは右肩上がりの栄光しか知らない世代です」

 2003年の個人情報保護法成立後、防衛省の戦史研究センターなどで戦犯の裁判記録や軍人の日記を読もうにも、名前や住所が黒く消されるようになった。「若い世代が昭和史や戦史を学ぶのが困難な時代になってしまった。やがて、作られた美談の歴史だけが残っていくのかもしれません」

 長い沈黙。時を刻む時計の音が聞こえた気がした。
 解釈改憲の先の国のかたちを問うと、「私は死んでますから」とけむに巻かれた。それでも「死んだ後のこの国は」としつこく食い下がったら、半藤さんは一瞬、真顔になり、言葉に力を込め、「だからこそ、生きている間はそうさせねえぞ、って」。次の瞬間、笑顔に戻り「でもそれは口に出すことではない。ひそかに思っていればいいことです」と言い添えた。
 一人一人に今できることは何なのか。半藤さんはこちらを見つめ、こう言った。「戦争の芽をつぶしてかかるしかないですね。自分の目で見つめ、戦争の芽だと思うものを見つけたら、一つ一つ」

 しわだらけの細い指が、空をつまむ。「芽」をつぶす仕草をする。何度も何度も。力を込めて。「こんなふうに自分の手でつぶしていくんです。ぷちんぷちんと丹念にね」
 この指の力強さをいつまでも忘れないように、と心に刻んだ。【小国綾子】
    ◇
 集団的自衛権の行使容認に突き進む安倍晋三首相。いよいよ与党協議が始まる。解釈改憲のその先に来るものは何か、4回にわたって考えます。
==============
 ■人物略歴
 ◇はんどう・かずとし
 1930年東京生まれ。東大文学部卒。「文芸春秋」編集長などを経て作家に。「昭和史」で毎日出版文化賞特別賞。近著は「日露戦争史」1〜3巻。

転載元転載元: 北海道は素敵です!!


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