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結婚20周年を迎える今年。。
プロポーズしたのはママの誕生日。だったと思う。
ちょっとだけ背伸びしたレストランで会食した後、思い出のレストランが将来つぶれてしまっては後で寂しい、などと自分の中でへりくつを付けながらそのタイミングを今か今かとじらしてしまい、結局選んだ場所は、たぶん将来でも無くならないだろうと判断したJR駅近くの駐車場、わたしは「いつまでも一緒にいたい」とプロポーズした。
その後、彼女のお父さんに挨拶しなければならないだろうと思い、今まで溜め込んだ雑学の中から、父親を説得するには言ってはいけないことと、この言葉に対してはたぶん返事をしなければならないだろうという言葉を見つけた。その言葉の前者が「お嬢さんを下さい。」であり、たぶん私が言われても第一声は「嫌だ」と意地悪を言ってみたくなる言葉であった。逆に後者は「お嬢さんと結婚したいんです。」であり、そう言われれば、「好きにして下さい」などと、私自身も半ば突き放したように回答してしまいそうな言葉でもあった。
もちろんわたしは、後者を選び、そそくさと彼女の家に訪問することとなった。
一度目は行くことを予告していたので、見事逃げられてしまった。
二度目は不意打ちを食わした形だったので、見事、彼女の父親を庭で見つけた。
「つきあいも長いので、そろそろ結婚したいと考えてます」
ちょっと、にやけながら、将来どれだけ生活を安定させられるか分からない30歳ちょっと前の青年が言うものだから、父親としても半ば不安だったろうに、それでもその不安を表情にも出さず、「そうなんだ」と、ビミョーな回答を投げつけてくれた。
その後、ママは、何度か結婚式の日程について義父に相談したが、
「もう、結婚は許可したのだから、あとは勝手に決めて良い」
と言うばかり。
ママにしてみれば、祝福してもらった上で話を進めたかったのだろう。
話が進まずに埒があかない状況の中、私は父に相談し、父は友人でもある『ある方』に相談した。
その結果、実は父の友人である『ある方』と、義父とは幼なじみだったことが偶然発覚した。
そうなると話は早いもので、嫁取りの交渉を父の友人である『ある方』にお願いし、早速義父に交渉に行ってもらうこととなった。
ママはその場に同席したが、義父が言うには
「結婚は許可したのだから、あとは当人同士で好きなように決めて良い」
の一点張りだったそうで、あとはそれが「突き放した一言」から「娘の結婚を認めてやれた一言」に転嫁させられれば良かった。『ある方』はその点を十分理解されており、話しをうまくまとめてくれ、何とか日取りの設定までたどり着けた。
ところが、ものの半年もしない間に、彼女のおばあさん(義父の実母。しかも同居の。)が具合悪くなり、その年の暮れに亡くなってしまった。
結婚式を1ヶ月後に控え、最悪、入籍のみ、と言うことも考えていたが、義父の一言で、予定通り結婚式を挙行することとなった。
『二人で決めた日が一番良い日。だから、結婚式は予定通り行う』
彼女の親戚の中には納得できない方もいたが、こういうときの義父は強かった。
義父の後添えもあり、新婚旅行の後、親戚巡りをする中、ばあちゃんの一周忌を待たずに結婚式を行ったこと、なんとか皆に理解してもらえた。
結婚してから数年、初めての子どもが誕生し、長女の名前が決まって、その報告に行ったとき、なかなか納得してくれず、ホワイトボードに画数や名前の謂われなど、喧々諤々と説明し、結局は「どう呼んでやれば良いんだ?」と、案外単純な部分で納得してくれたことがとても懐かしい。
義弟(ママの実弟)の長女の初節句、酒好きの私と義兄(ママの姉の旦那)が、ひょんなことから口論となり、お祝いの席であるにもかかわらず、ケンカとなってしまい、義父から大説教を喰らい、以降、ママの実家では飲酒厳禁となってしまったことがあった。コレについては私も不覚な部分もあり、翌日には義兄に詫びを入れていたが、実家での飲酒についてはその日から今に至るまで厳禁と言うことに変わりはない。
ただ、結婚式直前に亡くなったおばあさんの十七回忌法要の際、忌払いを実家ではなく近くの料理屋で行ったが、親戚の席次関係なしに、私の席と義兄の席をわざわざ近くにセッティングし「今日は飲めるのは二人だけだから、存分にやってくれ」と粋な計らいをしてくれた。
その義父が、今朝、亡くなった。
昨年秋から、入院退院を繰り返し、昨年の暮れから「もう、覚悟しておいてね」とママから言われていた。
『人の生き死には潮の満ち引きに寄る。
満月の夜のお産は軽いし、新月に亡くなると安らかに逝ける。』
たしか、義父に、そのようなことを聞いたことがあったっけ。
「今日の午前中、あぶない」と聞いてから、月齢や潮の干満が気になって、調べようかと思った矢先にママから電話。
「9:05だって。。」
ママの姉は現役看護師。ママも専門知識は持っており、バイタルサインを観て、実感してきたのであろう。酸素量が減っているのに、いつまでも力強く鼓動する心臓。専門家でも意外だったようである。
最後に入院した昨年暮れより、この一週間、毎日のように「今日明日、じゃないと思うけど。。」と聞かされてきた。
わたしは準備をするのが嫌だったので、毎晩、通常通り、晩酌をしてきた。
昨年から何度かお見舞いに行っていたので、私を含め家族皆が覚悟を決めていたのかと思っていた。
義父の死を末娘に伝えたとき、それは間違っていたことが判明した。
身近な人の死を初めて実感した末娘は、いきなり泣き出した。わたしもこのときばかりは涙を押さえられなかった。
と、同時に「あれから20年経ったのだな」と思ってしまった。
平均寿命よりちょっとだけ短かったけど、たぶん、平均寿命を生きた人たちより、充実した人生を送ったのだろと思っている。
今のところ、まっとうな子ども達と、その配偶者、それに、9人の孫達が自分の足で歩き始めたことは見届けたはずである。
安らかに眠って欲しい。そして、見守っていて欲しい。
結婚20周年を前にして義父の死に面し、懐かしい出来事とともに、義父の思い出を記しておこう。
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