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私が住んでいる地区の自治会から、敬老会の招待状が届いた。。
おっ?!
敬老会??!
まだ、そんな年じゃ無い、と思って確認すると、
『来賓』の案内だった。。
そうそう、この年で、来賓の身。
PTAで役員をやっていたのであった。。(>_<)
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こんにちは、ゲストさん
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私が住んでいる地区の自治会から、敬老会の招待状が届いた。。
おっ?!
敬老会??!
まだ、そんな年じゃ無い、と思って確認すると、
『来賓』の案内だった。。
そうそう、この年で、来賓の身。
PTAで役員をやっていたのであった。。(>_<)
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長女、私服で出発。
毎年、ニュースで見る、雪の様子もなく、いたって快晴。
長女は、既に進路は決まっている。
昨年の夏、「どうしてもその道に進みたい、早く社会に出たい。」
学校と相談したけど、進学クラスでほぼ唯一の専門学校志望。
担任の先生は明るく応援してくれたけど、学年主任が。。
「期待していたんですよね。。ただし、センター試験のスコアだけは出していただきます」
平たく言えば、浮ついた気持ちで残りの半年を過ごしてほしくない、とのことみたい。
わたしも、賛成しました。
将来、大学行かなかったことに対して後悔しないように。
そのためにも、センター試験に対して一生懸命に当たって欲しい。
本人も、納得していたようでした。
れいのごとく、私が最近調子よかった消しゴムを貸してあげると素直に持って行った。
「これ、最近の資格試験に持って行ったヤツだから。縁起良いぞ。」
「うん」
明日の第二日目を終えれば、受験生としての重荷を下ろしてあげたい。
バイトしても良いぞ。。
春から、君も東京人。
学費と寮費は何とかするから、お小遣いくらいは自分で稼ぐようにしろよ。(^_^)v
さて、長男君。
東日本大震災の前々日に中学校を卒業し、その翌日、公立高校に合格した。
入学試験ではとても成績が良かったらしく、先輩たちとの対面式で代表挨拶をした長男。
夏休み明けに行方不明になり学校から電話。。
「ご長男、まだ学校に来てません」
「へっ?!」
私とママで思い当たるところを探したけど見当たらず、携帯も持って行っていない。
途方に暮れていたお昼前、真っ黒な顔して帰ってきた。
朝から、ずっと自転車をこいでいたらしい。。もちろん、学校に行きはぐれた。
担任の先生から呼び出され。。
「成績も下がって、目標もないみたいなんです。どうでしょう、私に預けてみません?」
と、言うことで、高校受験で燃え尽きて、半年近くくすぶっていた長男は、
担任の先生に誘われて、ちょっとマイナーな種目だけど部活に入りました。
入って2ヶ月も経たない11月、いきなり、関東選抜大会に出場。
今年はインターハイを狙っているそうです。
私の職場に一番近い公立高校にあるその体育部は、茨城県でもその高校にしかない部活で。。
関東大会を勝てればインターハイに出場できるんです。
今まで、茨城県大会が最高だった長男。
朝練は中学以来の長男。
遠征は県外が多く、往復5時間なんてのもざらなのに。。
春から東京人になる長女と、インターハイを目指している長男。。
おっと、末娘もこの春から中学入学だった。。(^^ゞ
まだまだ、がんばりどころが多い我が家の近況でした。(^_^)/
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内閣官房参与を辞任したことの意味。。 |
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私はうさぎ年である。 この歳で、家を二軒、建てた。ちょっと自慢したい。 ただ、支払いはともかく、名義はほんの少しだけ、私にしてある。(笑!) 最初に建てた家は、キッチンの水道の蛇口、下に倒せば水が出る。 次に建てた家のキッチンは、上に上げないと水が出ない蛇口になっている。 違いは何か。 そう、阪神淡路島の震災を境にして、レバー式の蛇口の仕様が変更されたことだ。 地震で上から物が落ちたとき、レバーを倒して水が出っぱなしになることがないよう、 あの震災から仕様が『蛇口のレバーを上げたときに水が出る』よう、変更されたようだ。 今では、新しい家での生活が長くなるにつれ、実家の水道が使いづらくなってきた。 あの震災から、16年。 当時、私が仕事で手紙のやりとりをしていた大阪大学の先生があの震災で亡くなった。 Eメールなど完備されていなかった当時、仕事のやりとりは電話か郵便が常だった。 私は先生とのやりとりを任され、何度かその名前を封筒に記入した。 先生が亡くなったのが確認されたのが震災から3日後のことだった。 亡くなった話を初めて聞かされたとき、急に震災の被害を身近に感じた。 私は1985年、地元茨城の科学博覧会(筑波万博)でアルバイトをしていた。 アルバイトをしていたお店は、結果的に利益率で博覧会場第二位のお土産屋さん。 名前は「玉手箱」という、ある旧財閥系グループ会社が主催したお店だった。 私はそこで商品管理を任され、当時としては破格のお給料をいただいていた。 事実、その後私が就職して、その給料に追いつくまで3年が必要だったのだ。 そのお土産屋さんで一緒に働いていた方々が、まさしく『関西系』の方々で。。 まず、商品管理を含め、店舗プロデュースを任されていたのが大阪電通。私はそこに所属していた。 主催者である旧財閥系グループ会社の本社はもちろん大阪。 一番仲良くしてくれた年上の女性の実家が東灘区。(コレには後日談も。。笑!) 震災のあと、皆のその後の消息が気になって仕方がなかった。 被災者リストも何度か見てみた。知っている名前は見つからなかった。 でも、それまで連絡が取れていた人たちと、急に連絡が取れなくなった状況がしばらく続いた。 筑波での約7ヶ月、一緒に働いていた男の子がいて、彼とは一歳違いで、感性は全く違っていたが、 結構気が合い、一緒に遊びに行っては門限破りも常習で、一緒に怒られていたことも今では懐かしい。 彼はちょっと変わった名前と、絵が上手、というのが印象的だった。 バイトも終わりの時期、彼は日本映画に興味があったこともあり、 当時ではちょっと微妙な「8mm撮影機」を入手していた。 一度だけ、私の街にも遊びに来てくれた。 一度だけ、絵はがきをくれた。今ではその絵も、ある意味、『お宝』なのかもしれない。(^^ゞ 彼を含め、当時親しかった方々の名前をインターネットで検索し、思い当たるそばからメールを送っていた。 旧財閥系グループ会社の当時次長だった方が取締役になっていたことが判り、 メールを送って返事もいただいた。 ただ、その『絵が上手な彼』の消息を訪ねたあと、返事が来なくなってしまった。 私は。。 「彼も、あの震災で、亡くなったのでは。。」 と、勘ぐっていた。それから、4年。 時代は、インターネットやEメールだけでなく、いろいろなコミュニケーションツールを生み出した。 私は、興味本位で始めたTwitterで、絵が上手な彼の名前を検索してみた。 すると、見事、その姓名まで入力した検索ワードにヒットしたのである! その彼に。。 『私が知っている『あなた』は1985年、茨城にいました。たぶん同姓同名の別の方だと思いますが、とても懐かしく思いフォローさせて頂きました。25年も前のことですが、消息が途絶えており今頃どうしているのか、とても気になっております。っが、独り言なのでスルーOKです。(^^ゞ』 と、ダイレクトメッセージを送った。すると。。 『はい。その通り。つくば博の時、一緒に仕事させてもらった『わたし』です。お元気そうでなによりです。 あれから25年。いまや45歳ですw。いやあ、お懐かしい。』 と、帰ってきたじゃないですか。。彼は生きていたんです! 彼は、あるメジャーなゲームソフト会社に在籍し、映像関係の仕事をしていたんです。 ちょっとのやり取り後、昨年暮れに発売されたあるゲームソフトのイベント映像に大きく関わっていたことが判り。。 ゲーム好きの私も、ちょっと気になったのでそのソフトを購入し、今、少し遊んでおります。(^_^)v オープニングムービーにはしっかり彼の名前がクレジットされており、25年前のあのときでも 何かしらやらかすのではと半分期待していた彼が、元気でがんばっていたことが確認できたのです。 私はここ数年で、大事な友人知人を数人失ってきましたが、 再会を含めて、新しい出会いもあったんだな、と改めて実感しております。 16年前の大きな震災があったこの日に、その思いを綴っておこうと思います。
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結婚20周年を迎える今年。。 |
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