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花なら 天野祐吉氏は ビオラ。
内館牧子氏は マツ葉牡丹
◆天野祐吉氏がお亡りになってから1年になりました。
好きな方でした。以前、日曜日の午後のラジオで
『日曜喫茶店』 *店長は袴田氏 (司会)
*ドイツ文学者(お名前忘れました)
*天野祐吉氏に、各界の有名人を一人招 いて、一つの課題を議論する番組だった。
( 語りは柔らかく 歯に衣着せぬ 3人が好きだった)
殆どは覚えていない。
が
『マヂソン郡の橋』を読み、最後は泣けて泣けて読み進んで
いけなかったと語った。
私はすでに読んでいたのて
【この若さで女性の真髄が解るのか
話は変わります。私は、その後入院する事もなくなり、
天野祐吉氏がラジオ深夜放送で『隠居大学』 を 担当していました。
しかしその時間は不可能でした。
◆天野祐吉氏の訃報に、悲しい思いでいましたが nhkは、
リスナーに答えて再再再放送をしていました。2ケ月位前?の
ある日の早朝 4時 〜 念願の再放送を聞いた。お相手はド金髪の内館牧子氏
( 数学者の藤原正彦氏が、奥様に 「この方が脚本家で相撲の審議委員会の一人よ」
と、聞いて、余りの ド金髪に腰を抜かした笑い話がある )
★アナウンスが 「在りし日の天野祐吉氏を偲んで隠居大学・今夜のお客様は内館牧子さんです」
内館牧子 「先生私ね、小さい時 『いじめられっ子だったの 』
強いもの、格闘技が好きなのです。
「お元気になりましたね」
「はい、ありがとうございます。お陰様で」 … そこから内館牧子氏の話が始まった。
★地方巡業で、会議始まって直ぐ胸が苦しくうずくまりました。委員会の中に、私の向かいの方が心臓外科医で したので、 救急車 → ope → 鼠径部の動脈では、 何か、上の所が
駄目で、 → 開胸しました → 意識が戻るまで ΟΟ日間 → リハビリ → 退院まで 〜 5 ・6 ケ月係りました。
「大変でしたね
☆ 聞いていた私も、
*昏睡から意識の回復
*時間的認識の回復
*全身を回復させていく プロセス を目に浮かべて … 聞いていた。
先生、面会の許可が出たので、纏まってお見舞いがありました。
先生、病室にお入りになって最初の言葉が何だと思います
「さぁ
「痩せて良かったわねー」
「まさか
「ほんとなんです」
★ それ程、女の心の底の底は 『痩せたいの一心なんです』
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『 私の一言 」
「 初めに、闘病生活の労いがあったら、品位を下げなかったのに。
イヤ!普段の付き合いの延長かも知れない」
「親しい仲にも礼儀が必要ですね。男性にも言える 」
オリーブ
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