今から、13 年位前に入院した病室は、4 人部屋で窓側でした。
「お世話に なります」 と、挨拶したとき、隣のご老人の目の動きに、変化がありました。
入院を知らせない私には面会はない。
隣の老婦人には、時々息子さんが来て、静かに話して帰る。
向かいの2人に、面会は朝から夜まで続いた。
私たちはベッドに掛け、向かい合って話した。
「奥さんは、ここの入院は始めてですか?」
「はい」
?
「失礼になりま したらごめんなさい。初めて耳にした"身性字" (みよじ) ですが ?
お生まれはどこですか?」
静かにゆっくり語り始めました。
… 私共 は “ 落人なの ”
「 ? 」 「 歴史の本にある? …」
「そうなの」
そして今は、どちらにお住まい 
秋保温泉知ってるね? あそこから、もっともっと奥に、ぬる湯温泉があって
そこから歩いて一日掛かる、
A や N と呼ばれている部落だと言う。
「オリ ーブさん知って る ?」
「知っています ( 診療圈内) 」
*いつも来る長男が若い時、部落の数人と〈ルーツ〉の旅に出たと言う。
50年前に。
「オリーブさん

どこだと思います?」 「さぁ〜?

」
諏訪でした。
負け戦で逃れて来たんだね。平さんもいるしね。
北に逃れて、安定した、ここに生活出来たのは:ほんの ひと握り:で、後は野垂れ死んだ。と、
息子達が聞かされて来たとの事。
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私は小学生まで、夏休みの半分を、ぬる湯の湯治生活だった。それほど皮膚が弱かった。
今は観光地になっているが、
*当時60年以上も前は、長屋風の建物に襖で仕切った部屋になっていた。
*祖母と孫
*老婦人の友達
*親子はめずらしい。
*ある年は大学生が2人がいた。長じて気付いたが、卒論ではなかったかな〜。
夜半までの読書と書き物。
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夕方、宿の女中さんが翌日のご飯の米を集めて回る。翌朝お櫃が届けられる。
廊下のしたの庭で七輪で味噌汁、缶詰めや干物など、持参のもので食事する。
*昼間は、かなりひんやりの湯に浸たり、同じ風呂場にある、沸かし湯に入り直して、
上がった。
*単調な日々に、前の川で遊んだり、悲鳴をアゲて吊り橋を渡り、大滝で遊んだりします。
*朝、楽しみが有りました。毎朝かわるがわるのおばさんが野菜を売りに来ました。
* インゲン、サヤエンドウ、かぶ、なす
*ある朝、私のところ が終わになった野菜のおばさんに、母は
「上がって
しておんない」
「はい」 両親を おばさん、おじさん、と呼んでいた。
☆その頃から盆と正月が間近になると両親は忙しくなりました。
母は朝早く、そして夜遅く帰ると、山のものがいっぱいありました。
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「オリーブ
さん
あの頃のおば、さんにそっくりなの」 に、私は驚いた。
つづく
私の一言
『下剋上、群雄割拠、戦乱の世の残りに両親を通じて
関与しているなんて、予想予想だにしていなかった』