ここから本文です

書庫全体表示

記事検索
検索

全246ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

人の意見というのは千差万別、色々な意見があるかと思います、時には自分の意図しない意見を返される場合もあるかと思います。

そんな時、自分の意見と異なるからと反対意見を封殺してしまうのか、反対意見を貴重な意見として受け入れるのかで、その人の度量がわかるような気がします。

度量に小さい人は、多少の反論でも咄嗟に反応してしまう。
逆に、度量の大きい人は、一度はそれを受入れ、それに対して自分有の意見を添えて返してくれたりします。

でも、残念ながら自分の意見と違うとたちまち脊髄反射的に反論をする人が居たり、そのまま投稿自体を削除してしまったりする人もいますが、凄く残念に思えます。

100人おれば100人全員が賛成なんてことはあり得ません。
むしろ、そうした環境に慣れてしまうと、異論を受入れられなくなるんでしょうね。

結局、いわゆる「裸の王様」になってしまう。

私自身が、若い頃に有頂天になりすぎて失敗した経験があるからこそ、他人の意見を受入れられないようなというか、反論を受入れない人を見るとついつい老婆心ではないですが、口を挟んでしまうんです。

まぁ、言われたほうにしてみれば耳が痛い話ですから、正直避けたいとは思います。
私自身が昔はそうでしたから、でも色々な経験していく中で、最近は思うんですね。
そうした批判であったり忠告をしてくれる人というのは、実は自分の見えていない部分を照らして教えていただけるわけですから本当にありがたい訳です。

だから、これを「有難い」と思わず、「鬱陶しい」と思われる方は今後は一切そうした言葉は送らない様にしようと思ってしまうんですね。

逆に、自分自身常にやはりそうした点は反省すると言いますか、いただける意見に対しては「有難い」という感謝の気持ちを持ち続けたいと思います。
イメージ 1

この記事に

おはようございます、今日は少し早く起きたのですが意外と作業がはかどりました。
ここ数日起きるのが遅かったので、また早起きをしないといけないなぁと改めて思ったりしています。

まぁ、その為には早めに年あくてはいけませんね。

さて、今日は自分を信じることということを考えてみたいと思います。

私たちは時に、疑心暗鬼になってしまって、自分の存在そのものを見失ってしまうことがあります。

疑心暗鬼とは、辞書によりますと。

 疑いの心があると、なんでもないことでも怖いと思ったり、疑わしく感じることのたとえ。疑いの深さからあらぬ妄想にとらわれるたとえ。

だそうです。

自分のことを一番よく知っているのは自分自身なんですね。
その自分自身を信じてあげないと誰が信じてくれるのでしょうか。

と偉そうに書いていますけど、以前は私も自分自身が信じられないというか、自分で自分に雁字搦めに自分を縛っていたような気がします。

自分は、学歴もないとか、大層な仕事もしてないとか・・・。
自分で自分を貶めるための言葉を自分で探していました。

特に郵便局を辞めて、その後更に失敗に失敗が続いたときに、親兄弟からも見放されてどうしようもない状況に置かれたとき・・・今から10年程前の自分の写真を見ると本当に自身が無さそうな顔しているんですね。
郵政で郵便配達していた頃15年ほど前の自分の写真と比べても酷いものです。

少なくとも今の方が若く見える。笑

この差は何かなと考えたとき気付いたのは、いかに自分に自信があるか否かだと思うんですね。
深層自己説得、ナポレオン・ヒルの「思考は現実化する」で出てくる言葉ですが、最初この本を読んだときはこんなことで本当に成功できるのだろうかと考えたものです。
でも、何度も挫折を繰り返したりしていく中で感じたんですね。

それは間違いないって。

自分を深く信じないと誰も、他人はあなたを信じてくれないんですよ。
あなた自身が、自信がないと周りは不安になってしまうんです。

私自身も5年程前まではまだまだ自分を信じていなかったところが有りました、でも今は違いますよ。
自分を信じているし、一番自分が好き、そう自分に自信を持てるようになったんです。

そうなると、本当に人生変わりますね。
まぁ、無茶苦茶金儲け出来たとかと言う俗世間的な話ではないんですけど、少なくとも精神的に安定が得られました。

そして、自信が付いてくると行動にも余裕が出てきたりします。

今一つ自分に自信が持てないなぁと言うあなた、是非、騙されたと思って、自分を一番愛してみてください。
今日明日ですぐには変わりませんけどね、最低でも1ヶ月続けて、振り返ってみて下さい。
きっと、変わっている自分がありますから。

だって、自分自身の経験で書かせてもらっているお話ですから。笑
イメージ 1

この記事に

これはあくまで個人的な意見であることを最初にお断りするとして、他人の意見を聞けない人というのはどうなのかと思ってしまうんですね。

10人居れば10人違った意見を持っているわけです、当然のことながら主義主張は異なるわけです。
よく飲み会の席などで、宗教と政治の話をするなと言われたりします。
これは、先ほど申し上げたように各人の思想信条が異なるわけですから当然なのですが、最近は、SNSの普及で自分に添った意見というか自分にとって耳障りのいい意見だけを受入れて、それ以外の意見は無視するならまだしも、ブロックしてしまう人が多いように思います。

自分の意見と違うやつはさっさとブロックして投稿を削除・・・まぁ、それも考え方でしょうけれど。
それでは、自分自身の成長も止めてしまう気がするんですね。

学生の頃は、数学の計算式は間違っても消さずに残しておけとよく言われたものですが、これは消しゴムの消費を減らせと言うことではなく考え方のプロセスを残すためであることはご存じのとおりです。
仮に、完全に消してしまって無かったことにしてしまうと、間違ったこと自体に気付かないことになってしまいます。

だから、やはり批判というのは受け入れれば良いと思うんですね。
ただし、誹謗中傷だと結構傷つきますけどね。苦笑
さすがに、精神太いつもりでも堪える時がありますから。

何の根拠もないままの誹謗は辛いものありますけどね。
自身を育てる、簡単そうですが中々難しいものです。

と言いながら、さらに自分を磨いていきたいと思うこの頃です。
イメージ 1

この記事に

ふらり散歩 明石

昨日は、仕事あけから思うところが有って神戸に。
カメラの持参を忘れたので、あまり色々と撮影できなかったのですが、神戸市営地下鉄山手線に乗ってみました。

三宮駅と県庁前駅って2層構造だったんですね、全く知りませんでした。
というか、そんなこと意識していないと気付きませんよね。
普通に、地下鉄は2本の線路は並行して走っていると思っていましたから。笑

そんなことを発見したりして、新長田まで乗っていました。
新長田も7月に歩き回ったなぁと思いつつ、そのまま新長田をしばし散策、22年前の震災から永田は本当に復興したと言えるのだろうか・・・今一つ元気のない長田の町を後にそのまま、山陽の西代駅まで歩くことに

長田から西代、さほど距離は離れていないでしょうけれど携帯のナビに頼らず歩くと距離が倍に感じる。
ナビゲートされないと人は不安になるんでしょうね。余計に遠く感じます。

その上、山陽電車の駅と勘違いして地下道を入ってしまって・・・・やけに狭い通路、頭が閊えそう、普通ならこれは山陽電車の乗り口でないとすぐに気づくのでしょうけれど夜勤明けのぼけた頭はこれはサンデンの乗り場と勝手に思い込んでいて・・・出口がないなぁと歩き続けたら反対側の道路に・・・・何のことはない、道路の地下道を通過しただけと・・・。
まぁ、人間思い込むとこんなもんですわ、と勝手に弁解しておきます。苦笑

さらに、ちょっとだけ不安を感じながら歩くこと1分。今度は大きく山陽電車「西代」と書いた看板が書かれた入り口を見つけてちょっと安堵

西代の駅、ここから山陽電車は路面を走り、国鉄兵庫駅(JR兵庫)駅まで路線は伸びていたそうです。
神戸高速鉄道の開通により、西代〜兵庫間の併用軌道は廃止になりましたが。
昔は近鉄も、奈良市内で一部区間は路面を走っていましたね。

おっと、話が横にそれてしまいましたが。

その後は、山陽電車で明石まで移動
西代の駅が各駅停車と直通特急黄色しか停車しないのでそのまま各駅停車で明石までしばしの睡眠タイム
山陽電車のシートは柔らかくて疲れた体には最適、最新の6000系が来ましたのでそのまま車上の人に・・・・いやぁ、ぐっすり寝てしまいました。苦笑
明石までほとんど記憶が無かったです。

さて、こちらも7月以来の明石に、郵政局で始めて明石に出張した時、各所にある「たまごやき」の看板、何で「たまごやき」が名物なんだと?思っていたものでした。
今でこそ。「明石焼き」と言って有名になりましたが、当時はネットもない時代ですからね、「何じゃそりゃ?」と思ったものです。

本当は、魚ノ棚商店街は人で溢れ、各「たまごやき」店は順番待ちの列で溢れて・・・
正直これほど人が集まるものかと思うほどなのですが、かなりの人気、そうして商店街を終点まで歩き、そのまま今度は南へ歩を進めると、港が・・・。

不勉強で申し訳なかったのですがここから淡路島の岩屋まで連絡船(高速船)が走っているんですね。
まぁ、自転車・バイクもこ使うので明石海峡大橋が開通したとはいえ地元の人にしてみれば重要な足であることに変わりはないと言うことで、しばしそこで休憩を兼ねて観察
壁に貼られた神戸新聞の記事を読むと、明石大橋の開通などで利用者は激減したが、岩屋にも観光施設などが出来たこともあり最近では双方で交流する流れも生まれており、特にたこフェリー(明石淡路フェリー)が撤退してからは利用者が増えているたそうです。
高速艇で13分の船旅、今度試してみようと思っています。

さらに驚いたのは、フェリーで到着した人の多くがそのまま魚ノ棚商店街に向けて歩いていくんですね。
これにはちょっと驚きまして、そうした双方で観光の流れを生むWinWinの関係を生み出しているんだなぁと改めて気付いたんですね。

やはり、何でもそうですが机上の空論だけでは物事の本質を見失なうことを改めて思い知らされます。
やっぱり自分の足で歩いて、そこで問題を発見することが大事なんでしょうね。

いい勉強になった一日でした。

この記事に

昔々の物語・・・・。

私が小学校に上がったのが昭和42年4月、和歌山大学附属小学校でした。
地元の小学校に行くのは嫌だと駄々をこねたそうで、選抜試験+抽選を見事に?勝ち抜けて入学したのですが・・・小学校の校舎はお世辞にも綺麗と言える代物ではありませんでした。
1学級40人、で2クラス、更に複式学級(1年生と2年生が同時に学ぶクラス)が10名ほどの90人ほどしかないクラスでした。
翌年から方針が変わって3クラスに、更には試験も廃止されて抽選だけになったそうですが。当時は小学校でお受験がありました。苦笑

さて、そんな喜び勇んで入学した小学校ですが、旧和歌山師範学校の附属小学校と言うことで大学の校舎も殆ど木造の旧校舎、小学校もそれに合わせて?木造校舎でした。笑
特に低学年が(1年から3年)が入っていた校舎は運動場に面した東西に長い校舎で南向きの窓が開いていましたので晴天時は問題ないのですが、雨天時は黒板が見えないと言うことがありました。

実は、当時の低学年の校舎は照明の設備が無かったんです。
一応インターホンは有って職員室との連絡は出来たのですが、教室には黒板を照らす蛍光灯もなく、雨の日は本当に暗かったことを今でも鮮明に覚えています。
更に、机が木の机、いまならむしろ貴重かもしれませんが全て木でくみ上げた椅子と机で、高さを調整できると言った代物ではありませんでした。
大・中・小といった高さの違う椅子とかは用意されていたようですが基本は体を机に合わせるみたいな・・・。

それで、古い机なので所々いたずらで開けた穴が開いているわけです。
もう机の上がクレーター状態
それに、穴ではなくて溝も縦横無尽に走っていて・・・下敷きを使わずにそのまま紙を置いて書いた日には、所々紙は穴は空くわ、勝手に文字が溝に引っ張られたりして・・・大変なことになるので下敷きは必須でした。

当時は文房具も今ほど良いものも無くて、消しゴムも砂消しを少し柔らかくしたような消しゴムで強くこすると紙は破れるし、鉛筆はユニ鉛筆のような高級品は中々折れないのですが、景品で付いてくる安い鉛筆はこれまたよく折れたりしたものです。

そうそう、教室の話に戻しますね。

教室では、出入り口が3か所、主に先生が出入りする黒板側の入り口、後ろの方にも出口が二つ、一つは廊下と繋がっていました。そしてもう一つは運動場側に・・・
イメージ 1

1年生の教室から3年生の教室まで延々と60mから70mほど延々と続く教室の廊下は痩せて凸凹になっていたものです。

そんな思いで深い校舎ですが、今は和歌山県立美術館&博物館になってしまい、その面影すらありません。
イメージ 2

ふっと、懐かしくなって昔の思い出を書いてみました。

この記事に

全246ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事