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今日は雑談です。

ここ最近、オークションで古い鉄道ジャーナルやピクトリアルを買い漁っています。
最近のジャーナルやピクトリアルは興味が無くて、国鉄時代とその後国鉄時代が色濃く残る1992年位までを中心に買っております。
一時期は殆どで回っていなかったのですが、最近はよく見かけるようになったのは一種の断捨離効果でしょうか。
先輩ファンの方が手放しているのかもしれませんが、自称「日本国有鉄道研究家」?の私としてはありがたいことです。
一時期、家族に「ごみ」として捨てられて一時期諦めていたジャーナルやピクトリアルががだいぶ手元に帰ってきました。

特に鉄道関係のblogを書くときに、記憶だけで書くと言うのは不安ですし、最近は特に折角書く限りは、しっかりと調べてから書くべきだろという思いも強いので、出来るだけ当時の資料等を参照するようにしています。
もちろん誤記や誤植もありますので、間違っている場合もありますが、最近の新しい本を参考にするよりも信ぴょう性は高かろうと言うことでまず参照しています。
直接国鉄の担当者が書いてくれていたりする記事であれば猶更ですしね。

それと、ネット時代を反映して、ある程度簡単に法令などは参照できますから、そうした一次資料というのかな、必要な内容はきちんと参照しています。
ただし、法令の条文などは、一度読んだだけでは理解できない様にわざと難解に書いてある文章もありますので、悪戦苦闘しながら読んでいます。笑
それ故に、blogを量産するよりも、出来るだけ資料を集めてそこから自分で精査して書くように意識しています。
その分、投稿数は減っているんですけどね。
だから、時間はかかるようになりましたけど、より深く興味のアンテナもあげられようになりました。

ただ、自分の悪い癖で・・・興味のアンテナが上がりすぎると逆にそこに傾注しすぎて、他のことが疎かになってしまいます。
それ故に、その辺のバランスを含めて考慮していかなくてはいけないなぁと思っています。

あと、意識するのは、フェィクニュースと言うのでしょうか、アフリエイト広告などでの収益を狙って十分な裏を取らないままどころか、適当なうわさ話を繋ぎ合わせただけでアクセスを集めて収益を上げると言った風潮もあるようです。
こうしたことは私はダメですね。

私自身は、自称、日本国有鉄道研究家ですが、少なくともフェィクニュース的なお話ではなく、史実に基づいた記事をblog等にしていきたいし。
また現在の地方交通線などの問題も真摯に取り組んでいきたいと思っています。
出来そうもない提案をしたり顔でするのではなく、本当に自分有に現状を精査して提案して、交通並びに地方行政などに関しての一定の評価を得られるようにしたいなぁと思うこの頃です。

ということで、軽く書くつもりがまたなんか方グルしくなってしまいましたね。
申し訳ないです。
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この記事に

叱られることの有難さ

本日は、「叱られることの有難さ」させていただきます。

最近は、叱られることを知らないまま大人になる子供がいるようで、社会人になってから人間関係に悩むとか、逆に開き直ってなんてこともあるようですが。
感情論的に怒ってはいけないですが、叱ることは重要だと思うんですね。

小学生の頃かな、「叱る」と「怒る」という言葉を教えていただきました。
怒るのは、自身の感情で発動するものであり、仮に注意してもそれは相手には伝わりません。
怒られた→あの人は苦手・・・そういう循環に陥るだけだと思います。

逆に、叱ると言うのは、「相手に注意を促し気付かせることが目的ですから。その時きつい言葉で言われても、有難いんです。」
それは、自分自身を伸ばそうとして言ってくれている訳ですから。

以前にも書いた郵政局時代の管理課長も然りでした、顔はそれこそ鬼瓦といって陰で言っていましたが、それは嫌って言っている訳ではなく、慈愛を込めてでした。
少なくとも、課長にはかわいがってもらったと思います。
持ち回りしても、豪快に悪いところは悪いと指摘したうえで、決裁してくれたりして。
本当にありがたい存在です。
実は昨日も、そうした叱っていただけることがありました。

私が投稿した写真、それに対して付けたタイトルが大阪駅、もちろん、大阪駅にある構造物なんですけど、ストーリーが見えてこないと叱られたんです。、もう一歩踏み込んで写真を撮りなさいと。
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子の写真なんですけどね、有難かったですね、写真の先生に叱っていただける。
改めて思ったんです、今一度本当に自分の写真にはストーリーがあるのか・・・そこまで自分を追い詰めていないなと改めて思ったのです。
そうした気持ちがあって、初めて創造ができるし、更にスキルアップを狙えると思うんですね。
ただ、「いいね」だけを貰うために、またはインスタ映えするための写真ではなくて、そこにストーリーがある写真を撮らないといけないし、少し慢心していたなぁと改めて気付かせて貰った次第。

だから、敢えてここで書いておきたいんです。
ありがとうって
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この記事に

ここ最近自分で感じたことを少しだけ言葉に代えてお送りしたいと思います。

それは、「ありがとう」という言葉が私に「良き縁を運んできてくれる」と実感するようになったと言うことです。

決してだからどうしましょうとか言ってるわけではないんですよ。あくまでも信じるも信じないもあなた次第ですから。

少なくとも、私は自分を信じて、この言葉を常に意識して使ってきたことで、それこそ加速度的に自分の周囲の環境が変わっていったと感じているからです。
私自身は、4年ほど前からこのblogを書いていますが、一番最初に書いたのは、「ありがとうから始めよう」と言った内容であったかと思います。
取りあえず、まずどんなささやかな現象にも感謝しようということで、綴ったと思います。
そして、書いたら書きっぱなしと言うことではなく、自身でも実践することにしました。
最初の頃は、正直何も変わらないわけですよ。
でも、自分で言ったことだから自分で自分を信じて実践していったんですね。

そうすると、まず、自分の中で意識が上書きされていくんですね。
「ありがとう」
どんな場面でも、誰にでも「ありがとう」恥ずかしがらずに言えるようになってくるんですね。
そうなってくると、意識が少しづつ動き出すわけです。
本当に意識が変わっていくんですね。

そうした意識が変わってくると今度は行動も変わってくる、考動が変わると考え方も変わる。
どんどんポジティブシンキングと言うのかな。
今まで以上に良いように、良いように考える癖がつくわけです。

そうなってくると本当にお付き合いする人も変わってきたりしましてね。
どんどん自分の理想に近づいていく。それを実感しています。

昨日も書かせていただきましたが、どんどん自分が良い方向に変わって言っていることを実感しています。

だから、もう一度皆さんにお伝えしたいんです。

「ありがとう」この言葉を信じて。皆さんも良い方向に自信をチェンジしませんか?

誰にでも、どんな些細なことにでも、「ありがとう」そう呟く。
これでキット人生好転すると。個人的には信じています。

もちろん、そうでないと言う意見も大歓迎です。
あくまでも、個人的な感想なので。

ただ一つ言えるのは、「信じる者は救われる」でしょうか。
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この記事に

久々に投稿させていただきます。
7月に最初のお話を頂いたお仕事、昨日やっと終わりました。
お仕事を頂いた会社様には心より感謝です。

正直、最初お話しいただいたときには、不安で、「やっぱり無理です・・・」と言いかけました。
郵政局時代にも講師として業務関係の話を何度もしたこともありますので、人前で緊張して話せなくなると言うことはないと思っていたのですが、いかんせん勝手が違うわけですね。
駅の歴史・・・と言われてもどうした切り口からお話して良いのか見当がつかないわけです。
まして、鉄道ファンの前で話をするのであれば、二条駅の車両留置の話とか、高架線の話とか、それこそ鉄道ファンが喜ぶお話をと思ったのですが、鉄道にはほとんど興味が無い一般の方に少しでも興味を持っていただけるお話となると、もっと視野を広げないといけないわけですから、かなり難しく感じてしまったのです。
仮に、既に公開されているような資料だけでお話をすれば、それこそ10分程しか、間が持たないだろうし、そうかといって余り駅から離れた話をするのも憚られますので、最初の2ヶ月ほどは、資料集めと構想を練ることに時間をかけました。
ネットで二条駅を検索して、昔の写真なども出てくるわけですが、いかんせん連絡方法が無い。
勝手に、使う訳にも行きませんからますます行き詰まってしまいました。

京都府立京都学・歴彩館という資料館があることを偶然ネットで発見したので、藁をもすがる思いで足を運んだのでした。
ここでそれこそディープランニングよろしく、二条駅及び京都鉄道に関する資料を読み込んで、メモ書きしたものでした。幸い資料の一部は有料でコピーさせていただけるということでコピーさせて貰えたので、帰ってきてから資料を整理するのに大層役立ったものです。
本当に、歴彩館の司書さんにはお世話になりました。
このblogを見ていただいているか否かはわかりませんが。ここで重ねてお礼申し上げます。

少なくとも、ここでの資料を参照し、また司書さんが資料を揃えてくれなければ今回の講演は成功しなかったと言っても過言ではありませんでした。
 結果的に2回ほど足を運んだのですが、本当に勉強になりました。
 人間幾つになっても勉強することが大事なのだなと改めて思いましたし、少しだけですが二条駅と言う一つのキーを元にして京都の近代史にも興味を持つことが出来ました。
自分のライフワークに、労働運動史&京都の交通発達史がライフワークに加わりそうです。笑

最終的にプレゼン資料が完成したのが10月末、結局3か月以上あったのに、最初の2ヶ月は資料集めと実地調査で殆ど終わってしまったのですが、自分としては、プレゼン資料はまだまだ改良すべき場所は多々あるのですが、自分自身、二条駅のことを深く知ることができましたし、新たなジャンルにも挑戦できたことは、私自身の自信につながりました。

今後も、さらに精進を重ねて鉄道のことなら加藤に。そう言っていただけるようさらに精進を進めたいと思っている今日この頃です。
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ご当地ラーメンと言うことで、最近は地名を付けたラーメンがやたら増えたように思います。
昔は、そうしたご当地ラーメンをわざわざ長浜ラーメンとか、喜多方ラーメンなどと呼ばなかったのにいつの間にかそれが一般化したように思うのですが、和歌山ラーメンと言う名前よりも長浜ラーメンとかの方が名前売れたのは先だったと思うのですがどうでしょう?
少なくとも私の若い頃は、和歌山ラーメンなんて言葉自体ありませんでした。

今日、スーパーで、最近は和歌山ラーメンとして販売されているカップ麺を見かけたのですが、何時も和歌山ラーメンと聞くたびに違和感を感じるんですよね。

ラーメンじゃなくて中華そばでいいじゃないって。
地元ではラーメンとも言いませんでしたから。

家族で時々外食するときがありました、美味しい中華そばの店あるから行こうかと言って、美味しいラーメン屋に行こうかとは決して言いませんでした。
父親なんかは、いつも、シナそば食べに行こう出したからね。
シナ=chinaですから。

だから、長浜ラーメンとかは全く別の食べ物だと思っていました。

それがある時テレビで井出商店が一気に有名になった頃からでしょうか、和歌山ラーメンと言う言葉が独り歩きしだしましたからね。
ですから、井出商店のラーメンが和歌山ラーメンと言われたときは正直違和感でした。

だって、今まで自分が食べて来た中華そばは、しょうゆ味のラーメン(俗にいう車庫前系)でしたから、決してこってり系のとんこつ醤油味では無かったので、あれが和歌山ラーメンの代表と言われてしまうと・・・かなり引きました。笑

でも、和歌山ラーメンと言うか、和歌山の中華そばの特徴は、ゆで卵となれずし(早寿司)をセットで食べるのが作法?で、今はどうか知りませんが昔はそのまま、卵の殻を床下に捨てるので、いつも店の中は汚井という印象しかありませんでした。
ラーメンと寿司を食べるのがいつも楽しみだったものです。

まぁ、今でもその伝統は引き継がれているようで、中華そばの店にはバッテラとゆで卵がありホッとします。

ああ、こうして書いているとまた食べたくなってきました。
井出商店系ではない、車庫前系のラーメンを、今月和歌山に帰ったときに食べに行ってみよう。
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