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私のセルフルール

今日も少しだけ思うことを書いて見ようと思います。
最近毎日更新できないのですが、実はこのblog以外にも複数のblogを運用しており、そちらに時間をとられすぎているのが原因かもしれません。
一応鉄道関係の専門家?ということで、知名度を上げるべく頑張っております。
鉄道をメインの仕事にして食べていけるかというと正直、難しいかもしれませんが、少なくとも国鉄解体前後からずっと、資料を集めたりして、自称日本国有鉄道研究家【どこに需要があるのかという話はおいておくとして・・・。】ですので、日本国有鉄道に関する資料を発掘して自分なりの解釈なりを加えていこうということで毎日少しずつblog等も更新しています。
さらに、それと関連するblogということで、別のblog書いたりしていますと、すごく時間がかかるのです。
そして、書きながら改めて自分の無能さを思うのです、自称日本国有鉄道研究家とか言いながら知らないことばかり、よくそれで専門家気取りができますねって。

だからこそ、謙虚でいられるのでしょうね。
知らないことばかり、誰かに教えてもらいます。
誰かの力を借りないと何も出来ないわけですから。

若い頃は、何でも自分で出来ると思い込んでいた時期がありました。
僕が全部自分でするのだ・・・みたいな。
いわゆる天狗状態だったんです。

結局そうしたことって、後で気づくのですよね。
勘違いだったと。
だからこそ、今は自分で天狗になりかけているなぁと思ったらふっと振り返るのです。

自分に思い上がっているところはないでしょうかって。
そして、思い上がっているなぁと思ったら、ブレーキかけるようにしています。
ただ、自分が転義になっているか否かというのは自分で判断するのは難しい訳です。
ただ、意識的になり、無意識的になり人を批判していたりしたら警戒信号だなと意識するようにしています。
特に妬む感情などが大きくなっているときは警戒レベルですね。苦笑

まぁ、そうして、自分で自分にブレーキをかけるようにしています。
ただ、あまりブレーキをかけすぎて、何も出来なくなってしまいますので、そのあたりは俗に言うバランスをとるようにしています。
しかし、改めて思うことはそうしたバランスを取ることって難しいなぁと思ってしまいます。

今日は私の独り言にお付き合いいただきありがとうございました。

イメージ 1

この記事に

 こんばんは、最近更新が飛び飛びになっています。
今日 こんばんは、最近更新が飛び飛びになっています。
今日も少しだけ思うところを書かせていただこうと思います。

今日も少しだけ写真のお話をしてみようと思います。
最近はデジタルカメラですので、撮影枚数を気にすることなく撮影でき、またSDカードも安くなりましたので、撮影枚数などもあまり気にしなくなったのですが、今日もふらりと撮影に出かけて気がつけば40枚近く撮影していました。

むかしでしたら、36枚撮りフィルムで何枚撮影しましょうか・・・と言う意識があって常にフォルムカウンターとのにらめっこしていました。
さらに現像費も嵩みますから、トータル予算との絡みで自ずと撮影枚数が制限されるなんてことがありました。

そんな訳で、今でも連写するのはすごく抵抗もあるわけです。

それに、プロの写真家の方には叱られますが、私はデジタルカメラでもRAW現像をしない派です。
プロの方の多くは、RAWで撮影して、現像行為をする方が多いかと思うのですが、私の場合は最終的な簡単な修正は加えたりしますが。【多少の傾き補正とか】それ以外は基本的にはカメラ任せ・・・。

カメラ任せというと語弊がありますが、シャッターを押すときに決めたフレーミングと撮影前に決めた露出イメージのみで撮影します。
言い換えれば、カメラのシャッターを押す前にイメージされるできあがり通りに撮影できるか否か、撮影できた場合は心でガッツポーズを取っていますし、失敗した場合はその反対
さらに、自宅に帰ってからPCに取り込んでみますと、意外とイメージ通りに仕上がらなくてがっかりしたり、その反面失敗作だと思っても、多少トリミングしたらそれなりの仕上がりになる場合もあったりします。


ただ、いずれの場合も、写真を撮る場合には、構図や露出を最初にイメージしてから撮影する、最初から大幅なトリミングも、加工もしない、いわば写真のすっぴんを狙っています。
もちろん、連写機能を使って、流し撮りとかも撮り方だと思いますし、それが可能な機材があればそうして新しい表現もありかと思うのです。
しかし、残念ながらそうした機材も何も持たないのであれば、その分はいささか精神論のようですが、自分でそれを補うためのスキルをつけることもありではないでしょうか。
デジタルカメラはすぐに結果が確認できる訳ですし、何回でも撮影にチャレンジできる訳ですし。
いつも、撮影に行くと結構遠くから連写で何枚も連写する人をみるとすごく違和感なのです。
決定的瞬間というのは1枚しかないのであれば在来線の100 km/h程度であれば連写の必要なんて内容に思うのですよね。
まぁ、新幹線のアップの場合はもしかしたら300 km/hを決めるために流し撮りで連写はありかと思いますが・・・。それ以外はあまりにも機能と機材の無駄使いと思ってしまうのは私だけでしょうか。

まぁ、これを貧乏人のひがみとも言いますが。苦笑

も少しだけ思うところを書かせていただこうと思います。

今日も少しだけ写真のお話をしてみようと思います。
最近はデジタルカメラですので、撮影枚数を気にすることなく撮影でき、またSDカードも安くなりましたので、撮影枚数などもあまり気にしなくなったのですが、今日もふらりと撮影に出かけて気がつけば40枚近く撮影していました。

むかしでしたら、36枚撮りフィルムで何枚撮影しましょうか・・・と言う意識があって常にフォルムカウンターとのにらめっこしていました。
さらに現像費も嵩みますから、トータル予算との絡みで自ずと撮影枚数が制限されるなんてことがありました。

そんな訳で、今でも連写するのはすごく抵抗もあるわけです。

それに、プロの写真家の方には叱られますが、私はデジタルカメラでもRAW現像をしない派です。
プロの方の多くは、RAWで撮影して、現像行為をする方が多いかと思うのですが、私の場合は最終的な簡単な修正は加えたりしますが。【多少の傾き補正とか】それ以外は基本的にはカメラ任せ・・・。

カメラ任せというと語弊がありますが、シャッターを押すときに決めたフレーミングと撮影前に決めた露出イメージのみで撮影します。
言い換えれば、カメラのシャッターを押す前にイメージされるできあがり通りに撮影できるか否か、撮影できた場合は心でガッツポーズを取っていますし、失敗した場合はその反対
さらに、自宅に帰ってからPCに取り込んでみますと、意外とイメージ通りに仕上がらなくてがっかりしたり、その反面失敗作だと思っても、多少トリミングしたらそれなりの仕上がりになる場合もあったりします。
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ただ、いずれの場合も、写真を撮る場合には、構図や露出を最初にイメージしてから撮影する、最初から大幅なトリミングも、加工もしない、いわば写真のすっぴんを狙っています。
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もちろん、連写機能を使って、流し撮りとかも撮り方だと思いますし、それが可能な機材があればそうして新しい表現もありかと思うのです。
しかし、残念ながらそうした機材も何も持たないのであれば、その分はいささか精神論のようですが、自分でそれを補うためのスキルをつけることもありではないでしょうか。
デジタルカメラはすぐに結果が確認できる訳ですし、何回でも撮影にチャレンジできる訳ですし。
いつも、撮影に行くと結構遠くから連写で何枚も連写する人をみるとすごく違和感なのです。
決定的瞬間というのは1枚しかないのであれば在来線の100 km/h程度であれば連写の必要なんて内容に思うのですよね。
まぁ、新幹線のアップの場合はもしかしたら300 km/hを決めるために流し撮りで連写はありかと思いますが・・・。それ以外はあまりにも機能と機材の無駄使いと思ってしまうのは私だけでしょうか。

まぁ、これを貧乏人のひがみとも言いますが。苦笑


この記事に

連日堅い話ばかりですので、今日は少しだけ雑談を
以前は、カセットテープに音楽を録音してそれをレコーダーで聞いたり、CDで聞いたり・・・だったのが、今では音楽配信とかYouTubeなどの動画サイトでも懐かしい歌がアップされていています。
今も、昭和50年代のフォークソングを聴きながらこうしてblog等書いています。
いるかの「なごり雪」とか、海援隊の「思えば遠くへ来たもんだ」とか聞いているとほんとうに懐かしいなぁと言うか、中学・高校の頃の思い出とか浮かんでくるのですよね。

時間とともに、辛かったことや悲しかったことも、すべてがきれいな思い出に昇華されているからなのでしょうね。
そして、当時の音楽というのが、そうした思い出をさらにきれいなものにしてくれるのかもしれません。
改めて思うのは、昭和の歌は今の歌よりも、歌詞の一つ一つの言葉がきれいだなぁというか、丁寧に言葉を拾っているような気がするのです。
これは、私の思い違いでしょうか?

ここまで書いて、ちょうど、チューリップの「心の旅」がYouTubeから流れてきました。
しばし、手を休めて聞いてみたいと思います。

この記事に

こんばんは、今日も少しだけ皆様が元気になっていただけるようなお話をさせていただこうと思うのですが。
なかなか思うように更新できません。苦笑

毎日最低二本はblogを書こうと思うのですが、これがなかなか大変です。
資料を探して、読んで、考えて・・・コネコネ捏ね回して、文章として吐き出す。
簡単そうで、なかなか難しいものです。

毎度毎度、文章を量産される皆さんを尊敬してしまいます。
ただ、一つだけ自信を持って言えるのは、こうしてどんどん資料を読み込んでいくと自分の中で新しい世界観というのでしょうか、今までとは違う視点からものが見えるようになってくると言うか多面的に物事を考えることが出来るようになった気がします。

いつも申し上げることですが、光があれば影がある訳です。
左側から光を当てれば左翼が輝き、右側が陰る、その逆も然り。
考え方もそうなんですよね、左も右も煎じ詰めれば同じ、でもその見方が少し違うだけ。
だから、それを必死になって反発し合っているのって正直滑稽に思うし、そうして対立を煽ることで利益を得ている人ってきっといるんだろうなぁと思うんですよ。

だから、最近は意識して、右でも左でも無く上からでも下からでも無いそんな中心に自分を時々おけるように意識しています。
なかなか上手くいかないんですけどね。苦笑

この思考法が十分使いこなせるようになればもっと自分自身変われるかな・・・なんて思っています。
イメージ 1

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皆様こんばんは,本日も少しだけ皆様にお元気になっていただけるようなお話をさせていただこうと思います。

今日のニュースで、西宮市長が新聞記者に対して暴言を吐いたと言った記事が出ていましたが、改めて「品格」というものを考えさせられました。

https://mainichi.jp/articles/20180106/k00/00m/040/212000c

人の上に立つ人、少なくともリーダーと呼ばれる人は、周りから自然と認められる存在で無いといけないと常々考えています。
俺は社長なんだとか、俺は、トップなんだ・・・と威張っていても、それを心からそう思ってもらえなければ、人は面従複背の態度を取るでしょう。

私自身の経験で恐縮ですが、郵政局にいた頃三二歳で次席訓練があり、いよいよ現場の課長で出るための機会が得られたと思い、自分なりにリーダーとはどうあるべきかを考えたことがありました。
結局は、自分のミスで出世の道を閉ざしてしまうのですが、まずリーダーの理想系を自分なりに描きました。

それが、先程書きましたが、「周りから自然と認められる存在で無いといけない」ということでした。

立ち居振る舞い、言葉遣い、心遣い等が大事なのでは無いかと思っています。
もちろん、そう思って意識して行動していますが。

なかなかそうしたことは自ら意識していないとなかなか出来ないようです。
最近少しだけ、立ち居振る舞いや言葉遣いが良くなったかな?なんて勝手に思っています。
そうじゃないよと感じておられる方もおられるかもしれませんが、今はこれが私の精一杯ですので、どうかご容赦を。

ただ、今回の件ではかなり新聞記事でも書かれていますが、公人としての自覚、リーダーとしての自覚が全く感じられません。

ただ、学歴は私のような高卒の低学歴者から見ると羨ましい程の学歴ですが、人間力といいますか、リーダーとしての素養はどこまでも持ち合わせていなかった・・・そんな気がします。

そう思うと、改めて学歴だけで人を推し量るのは良くないのかなと改めて思うし、自分を肯定するつもりはありませんが、「周りから自然と認められる存在で無いといけない」と言われる人を目指すことは間違っていないのでは無いかなぁと思ってしまいます。

私のこうした考え方は間違っているのでしょうか?
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