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皆さまこんばんは、本日は勤労感謝の日戦前であれば新嘗祭ですね。

日本の伝統行事を大事にされる方でしたら、勤労感謝の日ではなく「新嘗祭」と言うべきだと言う方もおられるかと思いますが、その辺はここの思いの中でもたれれば良いと思っています。

ただ、勤労感謝の日と言いつつも実際には、祝祭日関係なしに働いている人も数多くいることも事実です。
運転関係然り、電気・ガス・水道、郵便、そして電気通信関係等。

その反面、ノマドワーカーとか言っていかにも自由に働いているよと書いている人を見ると個人的には違和感を持ってしまうのですね。

ノマドワーカーという働き方を否定はしないですが、そうした働き方が出来る背景にはそれをさせている人がいることを忘れるなよと言いたくなるのですよね。
ノマドワーカー、彼らはPC1台で世界中どこでも仕事ができるとかアピールしていますが、仮にネットワークが止まったら?

もちろん、ネットワークが停止するなんてことになったらノマドワーカー以上に金融機関などは大混乱するのは目に見えていますから、通信事業者というのはネットワークを止めないことを使命とするわけです。
それこそ、24時間交代で守っている訳ですよ。
故障したら深夜であろうと出かけて行って、人知れず直しに行く訳です。
繋がっていることが当たりまえ、平和であることが当たり前・・・そう思っているけど、そうではなくて、そうならない様に守っている人がいるからなのです。

119番もそうですよね、110番も・・・・今日から110番3連休ですなんてなったらどうでしょう?
困りませんか?

119番は、正月は休みますって言われたら・・・。
もちろん、転売ヤーとかYou tuberとか・・・それで稼げるのであれば否定はしませんけど、止まらない工夫を支える人たちもいることを知って欲しいなぁということを勤労感謝の日に際して書かせていただきました。
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おはようございます、今日も少し思ったことを書き綴ってみるシリーズ始めてみたいと思います。
ここ最近のトレンドとして、電気自動車が話題になっています。
ガソリン車が淘汰されて電気自動車になるのではという意見もあるのですが、実際にそれほどうまく行くのでしょうか?
電気自動車の動力源は、電気ですが。
電気はどこで充電するのでしょうか。
家庭で充電できると言う方もいるかもしれませんが、家庭で深夜電力を使うと言っても家庭で充電する家庭が増えれば電力会社も当然のことながら夜間は余剰気味だったから深夜電力ということで割り引いていたのが、深夜も昼間と変わらない程度の電力が必要となれば電気料金を上げざるを得なくなるのではないでしょうか。

また、電気の充電ステーションをガススタンドとは別に設ける必要も出てきます。
少なくともガススタンドでのガスの使用は減ったとしても電力を火力並びに、推力、それ以外に太陽光に頼るのはあまりにもお粗末ではないだろうか。
実際に、メガソーラで火力発電所1基分程度の電力を出せると言っても今後電気自動車や更なる情報化によりサーバーなどの電力需要が増大しないと言えないだろうか。

少なくとも、今後さらに通信技術が発達し、ビッグデータの活用といわれるような情報処理がさらに進むとき、今の1/10程度の消費電力で稼働するコンピュータが開発されない限りエネルギーを電気だけに頼ると言うのは逆に不安が大きいと思う。

まさか、原子炉を積んだ自動車なんてものが作れるわけがないのですから、日本の車業界は電気自動車も視野に入れつつも日本はむしろ燃料電池に注力するほうがベターなような気がしますね。
エネルギーが足りない‥‥と世界が気付いたときに。
必ず、エネルギー争奪戦による戦いが起こったりするわけですから。

何でもかんでも、世間の流れが右だからと言って、右に流されるのも良くないし、左だからと言って左に流されてもいけない。
大きな波が来て流されそうになると、私はいつも少しだけ高い所に立って、俯瞰するようにしている。
本当に電気自動車が世界で注目されているからといって、電気自動車に一緒に競争の渦に入って良いのかなって。
その際の電気の供給はどうするのだろうって・・・。
過剰な太陽光発電も然り、結果的に更なる大きな環境破壊(自然サイクルの破壊を自ら行って野生動物との棲み分けなどをできなくしている)に繋がって、いずれ大きな付けを払わされることが来るような気がします。

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おはようございます、今日も少しだけお話をさせていただこうと思います。

先日は信用を積み上げようと言うお話をさせていただきました。
そして、それは私自身にも常に言い聞かせていると言いますか、意識していることではありますが。

もう一つ大事なことは、信じることではないでしょうか。

「自分は運が良い」とか、「自分は運を引き寄せる」と思うこと。
そうしたことを書くと、叱られそうなんですけど、先ず信じないと始まらないと思うんです。
宗教を布教するとき最初に何をするか・・・。
先ず信じさせることから始まりますよね。

昔の諺で、「鰯の頭も信心から」を聞かれたことがあると思います。

語源由来辞典によりますと

イワシの頭のようなつまらないものでも、信仰すれば非常に尊いものに見えることから、信仰心の不思議さをたとえたことわざ。

とありますが、例えば怪しげなビジネスに洗脳されるのは良くないかもしれませんが、自分自身を上手く洗脳することはありだと思っています。
「自分は運が良い」とか、「自分は運を引き寄せる」
と言う言葉で否定的な自分を上書きすることは悪い事でしょうか?

こうした行為をして誰が困るのか?少なくとも、古い自分以外は誰も困りませんよね。
古い自分は、自分が出来ない人であることを望んでいるとすれの話ですが・・・。

だから、自分は運が良いと言い続けるんです。
どんな、些細なことでも幸運だと思う、別に何でもかんでも無理やりにと言うことではないですよ。

私の場合は、探している本を売っていた・・・ラッキーとか。
電車に乗ろうとしたら、待たずに自分が乗りたい電車にすぐ乗れた・・・ラッキーとか。

そうした本当にささやかなことで良いんです。
一日一つラッキーを探す、幸せ探しゲームをしながら、自分の古い習慣を上書きしていきませんか?

きっと、3ヶ月もすれば現在の自分とは違う新しい自分を見つけられるのではないでしょうか?
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皆さまこんばんは、毎日書きますと言いながら毎日書けませんでした。<(_ _)>
何でもそうですが、約束を守ると言うことは大事なことですね。

さて、今日もふらりと本屋さんに出かけて本などを見ていますと、お金持ちの人はお金を支払うときにも「ありがとう」というと言ったことが書かれていました。

皆さんはどう思われますか?

そんなことないよという方も多いかもしれませんよね。
実際私も実経済的に考えれば、現物としてのお金は持っていないです。
むしろ、年齢から考えれば貧しい方でしょう。間違いなく。

でもね、決して貧しいなんて思っていないのです。
本当に困ったときには不思議なことに誰かが助けてくれる、仕事を回してくれたりするんです、本当に誰かが助けてくれるのです。

そして、その頻度が最近は大きくなってきたのです。

だから、今手元にお金が無いから、お金を払うときにまで「ありがとう」というのはとても理にかなったお話だと思っているし、それは本当だと思うのです。
お金持ちという定義を、資産が幾らあるとか、手取り収入が幾らあるとか、という尺度だけではないと思うのです。

だから、今手元に現金が入っていない人は、こう考えて欲しいのですね。
僕の仮想通貨の口座には、十分なキャッシュが用意されているって。

手元に現物のお金はないけれど、仮想通貨として預けているのだと。

仮想通貨の基本的な考えは信用創造ですよね、貨幣の価値というのも結果的には信用創造であり、仮想通貨自体がまだまだ本当の貨幣に代わりうる価値があるか否かは未知数であり、個人的には仮想通貨はバブルだと認識しています。
でも、考えて欲しいのは、貨幣が価値を持つのは、信用であり。
あなた自身に信用が増えれば、きっとあなたに仕事を任せたいとか、あなたと一緒に仕事をしたいと言う人はきっと出てくると思うのですね。

神様という存在を西洋のキリストのような絶対神的に見るのか八百万の神様という日本的に見るかは個々人の考え方ですが、私は、お金を支払うときにも笑顔で「ありがとう」、施しを受けたら笑顔で「ありがとう」、そういう人には間違いなく神様は見ていて、仮想通貨に積み上がっていくと信じています。

そう、仮想通貨に積み上がるのは「あなたへの信用」という通貨・・・そんな気がします。
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今日は雑談です。

ここ最近、オークションで古い鉄道ジャーナルやピクトリアルを買い漁っています。
最近のジャーナルやピクトリアルは興味が無くて、国鉄時代とその後国鉄時代が色濃く残る1992年位までを中心に買っております。
一時期は殆どで回っていなかったのですが、最近はよく見かけるようになったのは一種の断捨離効果でしょうか。
先輩ファンの方が手放しているのかもしれませんが、自称「日本国有鉄道研究家」?の私としてはありがたいことです。
一時期、家族に「ごみ」として捨てられて一時期諦めていたジャーナルやピクトリアルががだいぶ手元に帰ってきました。

特に鉄道関係のblogを書くときに、記憶だけで書くと言うのは不安ですし、最近は特に折角書く限りは、しっかりと調べてから書くべきだろという思いも強いので、出来るだけ当時の資料等を参照するようにしています。
もちろん誤記や誤植もありますので、間違っている場合もありますが、最近の新しい本を参考にするよりも信ぴょう性は高かろうと言うことでまず参照しています。
直接国鉄の担当者が書いてくれていたりする記事であれば猶更ですしね。

それと、ネット時代を反映して、ある程度簡単に法令などは参照できますから、そうした一次資料というのかな、必要な内容はきちんと参照しています。
ただし、法令の条文などは、一度読んだだけでは理解できない様にわざと難解に書いてある文章もありますので、悪戦苦闘しながら読んでいます。笑
それ故に、blogを量産するよりも、出来るだけ資料を集めてそこから自分で精査して書くように意識しています。
その分、投稿数は減っているんですけどね。
だから、時間はかかるようになりましたけど、より深く興味のアンテナもあげられようになりました。

ただ、自分の悪い癖で・・・興味のアンテナが上がりすぎると逆にそこに傾注しすぎて、他のことが疎かになってしまいます。
それ故に、その辺のバランスを含めて考慮していかなくてはいけないなぁと思っています。

あと、意識するのは、フェィクニュースと言うのでしょうか、アフリエイト広告などでの収益を狙って十分な裏を取らないままどころか、適当なうわさ話を繋ぎ合わせただけでアクセスを集めて収益を上げると言った風潮もあるようです。
こうしたことは私はダメですね。

私自身は、自称、日本国有鉄道研究家ですが、少なくともフェィクニュース的なお話ではなく、史実に基づいた記事をblog等にしていきたいし。
また現在の地方交通線などの問題も真摯に取り組んでいきたいと思っています。
出来そうもない提案をしたり顔でするのではなく、本当に自分有に現状を精査して提案して、交通並びに地方行政などに関しての一定の評価を得られるようにしたいなぁと思うこの頃です。

ということで、軽く書くつもりがまたなんか方グルしくなってしまいましたね。
申し訳ないです。
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