|
目次 http://blogs.yahoo.co.jp/blackholen2007/39019598.html
「宗教 どうすれば人はよくなるか4」
− 感受性 −
物事を見てどう感じるか。非常に重要なことである。人は感じたことで行動することが多い。というよりそれが普通である。どう感じるか、どう捕らえるかは、前の直感とも関係するであろうが、感受性によって左右されることが多い。
正しい判断をする上で、正しい感受性は必要不可欠である。当然ながら間違って感じていれば間違って判断をしてしまう。普通の話をしているのに被害妄想にもなってしまうこともある。また、増長してしまうこともある。
感じたことは直接心に通じる。仲のよい人と話をしていると、感受性は好転し心地よい。警戒感を強め話をしていると、普通の話をしているのに自分にとって不利な話をしていると思ってしまうこともある。それにより正しくない心の状況を生むこともある。良くない感受性は心にも悪い影響を及ぼす。
正しい感受性を持つにはどうすればよいか。感受性を包み込む雲を取り払うことだ。欲を減らすことだ。欲により感受性は曲がる。
感受性を正しくするには、感受性の感度を上げ、欲を減らして欲しいものだ。
2008/11/7
ブラックホール
|
「どう感じるか」は、「感受性によって左右されることが多い」ので、「感受性を正しくする」必要がある、と受け止めてもよろしいでしょうか。
2008/11/9(日) 午後 0:44
mineさん。そうだと思いますが、「感受性を正しく」と言われてもどうしたらよいか判らないと思います。欲を少なくすること、精神をある程度の緊張状態に置くこと、とらわれないことなどの状態に置くことですかね。自然体といわれてもなかなかそうは行きませんし。感受性の能力が自然に育つことを期待することも必要だと思います。
2008/11/9(日) 午後 1:44 [ 白鳥座X−1 ]
おはようです。
耳が痛いのですがぁ^^。
欲をへらす事が大事ですよね・・・と言いながら執着がある。
色んなバイクのコレクションや車など。
手放せないのは・・・なぜでしょうか・・・?
2008/11/10(月) 午前 9:39 [ 大吉(だいきち) ]
大吉さん。私も指が痛いです。
昔、オーディオに懲りまして、それも音楽ではなく、音に懲りました。会社の調達にいろんな部品を購入してもらい音質改善の部品を作っていました。しまいに調達を個人的に使用するのは止めろと言われてそれでその趣味も終わってしまいました。行き着くところまで行かないと気がすまないのが私の良くない癖です。
バイクほどお金はかかりませんでしたが相当費用が要りました。
今は焼酎に凝っています。
これくらいは生きているのだから仕方ないでしょう。
2008/11/10(月) 午後 4:52 [ 白鳥座X−1 ]
我情我欲を捨てて、不純物を掃除して、無色透明な心になると人は生まれたての赤ん坊の世になります。
パソコンの初期化も理屈は同じ、物事の理屈が分かり道理を極めれば人はよくなると思います。難しい話では無いですね。
無我の境地になるかならないかは自分で決める事であり、決断次第でなれる境地、その境地になれば人間では無くて人がよくなると思います。
2008/11/12(水) 午後 8:39 [ - ]
ノロカメ二世さん。それって全て難しいことだと思います。ノロカメ二世さんの言われる宗教の実践なくして実現できないでしょう。
2008/11/13(木) 午後 3:28 [ 白鳥座X−1 ]
ちょっと変則的な捉え方になりますが、偉い人になろうとしても難しいですが、無我の境地は全部捨て去る事ですから考えようでは人間にとっては一番やさしい方法だと言えます。
ただそれは自分とは何であるかが分からないと、どのような方法でも人間にとっては難しいのかも知れません。
2008/11/14(金) 午後 9:25 [ - ]
ノロカメ二世さん。全てを捨て去ることはやはり難しいことだと思います。なにせ生きているのですから、今日の御飯がなければ明日生きられません。そのために労働をしなければなりません。人々の中で労働し明日の糧を手に入れようとすると必ず競争と邪念が生まれます。それから切れること、無我になることは容易ではないでしょう。
2008/11/15(土) 午前 9:17 [ 白鳥座X−1 ]
全てを捨てるとは、意識改革の事です。
意識を改革して心を入れ替える。
リニューアル、新装開店オープン、初期化、理屈としてはそう言う事です。日常の生活を捨てる訳ではありません。
私は思うのですが、神は人間に難しい事を強いるだろうかってね。
自然体で生きれば自然体に勝るものは無い事が分かります。
自然な自分でいられるのが無我の境地です。
2008/11/17(月) 午後 8:22 [ - ]
ノロカメ二世さん。意識改革、とらわれない、自然な自分でいる。これらすべて難しいことです。
意識改革は一度できれば少しは身に付きますが、恒に意識改革できたときのような気持ちでいることは難しい。
生きていて感覚がありすべてに対して何かを感じる。物事になんらかの想念も出てくる。何が正しいか考えてしまう。それでもとらわれないでいる。それでも自然な自分でいる。
こんなことできればすでに悟りの境地だと思います。
2008/11/18(火) 午前 9:19 [ 白鳥座X−1 ]
ですから自分が何であるかが分からないから全てが難しくなるのでは無いでしょうか。
物が無いと生きられない自分を知り、心も大切ですが物や金のありがたみが分かるようになると物事の理屈が分かるようになります。
理屈が分からなければ自己も確立される事は無いと思います。
私は自分の事は思うだけの事であって現実の世には自分と言う存在物は無いと知り、無である、ゼロであると自意識を消す決断をしたのです。自分とは生き物を生かす命そのものなんだと知る。
だからどんな生き物もみんな自分と言うものがある。
生まれる事も存在する事も死んでしまう事もみんな理屈は同じなんだと分かれば、今まで知らずに生きて来た意識が改革されて自然的な意識が自然的に生まれてくると言う事になります。意識が自然の一体感をもたらします。そして自然的に無になれます。
肉体は何一つ改革されるものはありません。ですから生活様式もそのままです。
2008/11/18(火) 午後 10:30 [ - ]
ノロカメ二世さん。物やお金がないと生きられないということは何も理屈ではなく生きていると実感できます。そこの理屈というのがあまりはっきりしません。生まれること死ぬことに対する理屈というのも判りません。自然に受け止めています。
幸か不幸か、誰しも程度の差はあれ考えてしまいます。何かを見れば、何かを経験すれば考えてしまいます。その結果あることが起きようとすればどうなるか、どうしようか考えます。
このように考え始めると、果たして今したこと、これからしようとしていることは正しいのか考えます。それが進み、果たして人はどう生きるべきかと考えます。それが哲学であり、宗教であると思います。
2008/11/19(水) 午前 10:10 [ 白鳥座X−1 ]
何故人間は年取るとボケてしまうのでしょうね。
若い時から自己が確立していれば、多分ボケる事は無いと思いますが。私も確立するのが遅かったので無駄な人生を過ごして来たと思います。そしてボケない保証も有りませんが、せめて残された人生、自らの人生哲学を発信して行こうと思っています。
理屈して確立されなけばあれこれと思いは定まらない。
運転手が降りた車体は意志が働かない限り動き出す事は無い。つまり形あるものは家も車も定まり続けます。肉体も物として観れば生き方を定めると心も迷いが無くなるのではないだろうか。
2008/11/19(水) 午後 10:23 [ - ]