経済の時代から心の時代を開く

経済の時代(お金第一主義の時代)は行き詰りかけている。次の時代は?

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精神、我、心、魂 4

 
目次  http://blogs.yahoo.co.jp/blackholen2007/39023973.html
 

                       「魂 精神、我、心、魂」


                        − その4 愛−1 −


 愛について少し考えて見ます。正しくはできないと思いますが。

 自己愛、近親者に対する愛、異性に対する愛、親友に対する愛、神への愛、知に対する愛。

 私は若い頃親友に対する愛が相当深かった。いろいろの経緯の結果、残念ながらはっきり言って今はあまり深くない。結婚し子どもができ、子どもに子どもができた。多くの愛するものができてきた。それと同時に親友にも同じ出来事が当然あったのであろう。徐々に親友に対する愛は減少してきた。親友に対する愛が最も早くなくなるものか。仕方がないと言う感想だ。

 私は異性に対する愛は今でもまだある。わたしはそれに関わることを極力避けている。いい子だなと思うことも働きかけられることもある。しかし、全てを避けている。この愛についてはよく分からないということが本音なのかもしれない。しかし、私は妻を今も愛している。と言うより愛されてもいると言うべきか。

 近親者に対する愛。これと言って特別なことはないが近親者に対する愛があるのは間違いない。私は意外と深いのではとか私は意外と薄いのではとかの程度しかよく分からない。子どもがいるのに離婚をする人もいる。私はそんな移り気でないのかよく理解できない。娘が結婚し子どもが生まれ、また新しい近親者に対する愛が増えたのではないか。良かったと思う。息子も結婚し子どもができると同じだろう。仮に息子が同居してもらえるとなると一層だろう。と思いながら期待しているが、どうなるのやら。これってそんな平凡なことではないだろう。人生いろんなことが起こりかつ今の状態を維持、発展できると言うことはそんな平凡なことではないであろう。

 親に対する恩。私は語る値打ちがない。極最近(60才を超えて)やっと分かったが、私は親に対する恩を感じていない。大きくしてもらった恩と言われても感じない。言ってみれば不具者だ。昔上司にお前は子供の頃余りかわいがられていないのではないか、だから精神的に不安定なのだと言われた。そんなことはない普通だったように思うと答えた。これこそ普通ではないのだ。親とはそういうものなのだ。普通ではない愛を与えるものなのだ。それに(余りかわいがられていなかったことに)気付いたとたん、怖かった不安定さに陥ることが減ったように思う。まだまだ時間がたたないと本当はどうか分からないが。(そういう人は往々にしていることかもしれないが。)また私は子どもに充分な愛を与えられていないのではないかという悲惨な疑問も現れた。ただ、私は長い間(一週間も)人を嫌いになれない。すぐそうでない気持ちが湧き上がる楽天家だ。なんとか良い方向でうまく行くだろう。
と言っても親に対する恩を感じるようにはならないだろうけれど。

 つづく


追記
 私は原子力発電に反対します。ウランの採掘から発電時の制御、廃棄物の処理や廃棄物の管理、廃炉の処理まで人体に大きな影響を与える可能性は否めません。特に地震の多い我が国ではさらに危険です。もっと安全な手法でエネルギーを得るべきだと思います。CO2を発生しない地熱発電またはエネルギー効率のよい燃料電池などの普及に力を入れるべきだと思います。

 原子力発電の問題点についてのご質問はkyomutekisonzairon(http://blogs.yahoo.co.jp/kyomutekisonzairon)さんにお聞きください。適切な回答が得られると思います。


                                        2010/7/23
                                        ブラックホール
 
 

精神、我、心、魂 3

 
目次  http://blogs.yahoo.co.jp/blackholen2007/39023973.html
 

                       「魂 精神、我、心、魂」


                       − その3 私の成長 −


 私の成長とは何か、私は心と魂の成長だと思う。魂について、心について定義が必要だと言われたこともある。しかし、この範囲では普通の定義で充分であろうと思う? 魂の定義については少しだけ違うかもしれないが。

 生まれたときから魂を持っている。自我が生まれる前に魂を持っている。三つ子の魂百までと言うより、赤子の魂死んでからもと私は思う。

 生まれたときから魂を持っている。そうでなければ親はどのようにして自分の子だと認めるのか。

 「血は水よりも濃し」と言う。本当にそうだと思う。子どもや孫は有無を言わさずかわいい。また、他人とは違った親しみを感じる。

 「身体は親から心は神から」とも聞いたことがある、これもそうだと思う。私は自分の親と比較して親のない点も多く持っている。また、自分ではよく分からないが親とそっくりだと言われることもよくある。それは容姿のみを言っているのではないと思う。

 と言うことは親によく似たものもそうでないものも持っているということになる。

 似ている点を取り上げれば、精神=DNAという考えを支持しているのかもしれない。逆に似ているという点から精神=DNAと言っているのかもしれない。精神=DNAが間違っているとすると精神は成長する、しかし、DNAは成長しないということが最も大きな違いであろう。

 人工頭脳を造ることはできるかもしれない。しかし、人工頭脳は信頼できる成長ができるか。まず不可能だろうと言う事と似たものである。

 となると信頼できる成長と言うものは非常に大事である。ここに神の原点があるのではないか。これは受け入れざるを得ないのではないか。
とすると、神は存在する。となると神は信頼できる成長のみを司るのか。もっと大きな範囲を司っているのではないか。当然の疑問である。

 どこから神は出現するのか。私は成長と愛であると思う。


追記
 私は原子力発電に反対します。ウランの採掘から発電時の制御、廃棄物の処理や廃棄物の管理、廃炉の処理まで人体に大きな影響を与える可能性は否めません。特に地震の多い我が国ではさらに危険です。もっと安全な手法でエネルギーを得るべきだと思います。CO2を発生しない地熱発電またはエネルギー効率のよい燃料電池などの普及に力を入れるべきだと思います。

 原子力発電の問題点についてのご質問はkyomutekisonzairon(http://blogs.yahoo.co.jp/kyomutekisonzairon)さんにお聞きください。適切な回答が得られると思います。


                                        2010/7/12
                                        ブラックホール
 
 

精神、我、心、魂 2

 
目次  http://blogs.yahoo.co.jp/blackholen2007/39023973.html
 

                       「魂 精神、我、心、魂」


                        − その2 私と魂 −


 私は偏狭だ。しかし、徐々にではあるが成長している。その元は何か。何が成長したのか。「私」とは脳に存在するのか。

 何人かの人で飲みに行く。それぞれ異なった人だ。しかし、その人個々に合わせることができる。ある人があることを言う。その人の考えが理解できる。別のときに他の人が同じような状況で同じ言葉を発する。しかし、その内容を同じように解釈するか。この人が言ったこととあの人が言ったことを言葉は同じでも同じように解釈はしない。

 なぜそういうことになるか。脳が「私」の起源であるとその違いをその微妙で包括的な状況を一瞬の間に判断できないのではないか。私の孫は今2歳半だ。子どもの言っていることを面と向かえばほとんどすべて理解できる。しかし、電話に出て話をするとほとんど理解できない。身振りや手振りや表情が判りやすくしているという人もいる。私はそうは思わない。それ以外に直接的に伝わって判りやすくしているものがあるのではないかと思う。それはきっと脳で解釈しているものではないであろう。もっと直接的なものも一緒に感じているのだろうと私は思う。

 脳で判断しているとなると、言葉を理論的に判断し、解析していると私は感じる。脳は直感できるか。きっとそれは無理だろうと思う。直感は脳以外の別のところにある。直感的にピンと来たというようなことを言っているわけではない。そんな初歩的な直観のことを言っていない。もっと原初的ないっしょに居るとくつろげる、いっしょに居ると安心できると言うような直感について私は言っている。それぞれの人は直感的個性と感性を持っているのだと思う。気が合うとはまさしくそれだと思う。

 そういう意味で、脳とは別のところに原初的直感の元の感性を宿した精神性が存在すると思う。私はそれは心と魂だと思う。「私」とは心と魂だと思う。


追記
 私は原子力発電に反対します。ウランの採掘から発電時の制御、廃棄物の処理や廃棄物の管理、廃炉の処理まで人体に大きな影響を与える可能性は否めません。特に地震の多い我が国ではさらに危険です。もっと安全な手法でエネルギーを得るべきだと思います。CO2を発生しない地熱発電またはエネルギー効率のよい燃料電池などの普及に力を入れるべきだと思います。

 原子力発電の問題点についてのご質問はkyomutekisonzairon(http://blogs.yahoo.co.jp/kyomutekisonzairon)さんにお聞きください。適切な回答が得られると思います。


                                        2010/7/3
                                        ブラックホール
 
 

精神、我、心、魂

 
目次  http://blogs.yahoo.co.jp/blackholen2007/39023973.html
 

                        「魂 精神、我、心、魂」


                           − その1 −


 私のブログはいつも1ヶ月以上前に原稿ができていて定期的に投稿していました。今回はできたての原案を元に書きます。途中で行き先がぶれるかもしれません。

 「私」とはどういうものか。冷静に考える、静かに自分を見ることでなんとか知ることができる。私は今どういうことをしようとしているか。私は今どういう状態か。私はどんな問題と直面しているか。なんとか「私」を落ち着けて静かに見つめようとする。しかし、僅かななんらかの乱れが起こればもう「私」を冷静に見ることはできない。何かに捉われればすでにもう本来の「私」ではなくなる。「私」を静かに見つめることは非常に難しい。

 私がいてあなたがいる、このただ二つを取ってみても、私はあなたの本来を理解することはできない。本当のあなたを知ることはできない。それがために悪くいけば詐欺や騙しが起こってしまう。あなたの言ったこと、あなたの顔つき、あなたの落ち着き具合であなたを受け付けるか、受け入れないか決まる。例え親子でもときに新しい考えを聞かされる。受け入れようとしてもあなたの本来を「私」と同じように直接見ることはできない。詐欺や騙しに陥らない範囲であなたを受け入れることが必要なのだろう。それをしなければ「私」はますます偏狭に陥ってしまう。

 「私」は世界の全てであるということもできる。というより世界は広いが、残念ながら「私」以外を知ることはできない。木を見る。幹の導管はどうか。小中学校で習った。木にも心があるのだよと言われても誰もそんなことはない、そうだとも答えられない。

 同じくあなたにも心があるのだよと言われても直接はわからない。せいぜい乱れた心を持っている、落ち着いた心を持っていると感じられる程度である。きっと人間なので「私」と同じなので恐らく心はあるだろうと推測できる。また、あなたと接すると、話を聞くと、同感でき同調でき、時には心が一致したように感じられる。そうだあなたには心があるのだと思える。しかしあなたの本来はどういう方向を向いているのか、どう生きようとしているのかは想像できるが想像までだ。

 となると私たちは他のものをまず受け入れるべきである。どう考えているか理解できない以上まず受け入れるべきなのだろう。

 私は感じる。現在や過去の偉人の考えを書物によりまた直接会うことにより知ることができる。私は現在の偉人を知らない残念だ。
「私」は偏狭な存在である。しかし、その偏狭な「私」を一生かかって広げることもできる。それを行うには宗教や哲学や過去や現在の偉人の言葉がある。


追記
 私は原子力発電に反対します。ウランの採掘から発電時の制御、廃棄物の処理や廃棄物の管理、廃炉の処理まで人体に大きな影響を与える可能性は否めません。特に地震の多い我が国ではさらに危険です。もっと安全な手法でエネルギーを得るべきだと思います。CO2を発生しない地熱発電またはエネルギー効率のよい燃料電池などの普及に力を入れるべきだと思います。

 原子力発電の問題点についてのご質問はkyomutekisonzairon(http://blogs.yahoo.co.jp/kyomutekisonzairon)さんにお聞きください。適切な回答が得られると思います。


                                        2010/6/23
                                        ブラックホール
 
 

記憶と精神

 
目次  http://blogs.yahoo.co.jp/blackholen2007/39023973.html
 

                        「人 記憶と精神」


 考えたり感じた結果が記憶である。私は暗記するより自分で考えた結果が強く記憶に残るのではないかと思う。私は本を読んだり歴史を学んでもほとんど記憶に残っていない。本を読んだとき考えられる範囲で考えたことが強く記憶に残っている。また強く感じたことが記憶に残っている。

 勤めているとき公立大学の助教授が転職してきた。その人など公式はなにも覚えていない。電気系だったがオームの法則しか知らない。公式は全てオームの法則から自分で微分、積分をして導き出す。そうしないと判らないそうだ。これが本来の記憶の姿ではないかと思う。公式など覚えているようでは本当の深みがわからない。私はそう思う。よくパターン認識とかいわれていた時代であったがその人は全く違った。

 精神的な面においても同じではないか。重要な一事項から考えを進めていく。これが本来のあり方ではないか。それがその人の特質ではないかと思う。覚えていることの多い人はそういう特質を持っておられるのであろうが、記憶が多すぎると新しいところへ行くのが果たして容易なことか疑問に思う。

 基本的な覚えていることから間違わずある思考に至る。精神的な面においてもこれが基本ではないか。精神面を鍛えるとはそういうことではないかと私は思う。自分に都合の良い見方かもしれないが。


追記
 私は原子力発電に反対します。ウランの採掘から発電時の制御、廃棄物の処理や廃棄物の管理、廃炉の処理まで人体に大きな影響を与える可能性は否めません。特に地震の多い我が国ではさらに危険です。もっと安全な手法でエネルギーを得るべきだと思います。CO2を発生しない地熱発電またはエネルギー効率のよい燃料電池などの普及に力を入れるべきだと思います。

 原子力発電の問題点についてのご質問はkyomutekisonzairon(http://blogs.yahoo.co.jp/kyomutekisonzairon)さんにお聞きください。適切な回答が得られると思います。


                                        2010/6/14
                                        ブラックホール
 
 


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