|
目次 http://blogs.yahoo.co.jp/blackholen2007/39023973.html
「魂 なぜ精神は肉体に属さないか」
精神は脳の機能の一部である。そう考えている人もたくさん居られる。私はそうは思わない。ではなぜ精神は体に属さないの。
私たちは生まれて何年かして自我に目覚めるという。それならば自我に目覚める前は個性はないの。生まれてまもなくの子でも個性があることは間違いない。それぞれ赤ん坊は違う。小さな子でも体の違いがあるが他にも違いがあるであろう。よく泣く子もいれば、余り泣かない子もいる。泣かないが起きている子も、よく眠る子もいる。その他いろいろ。決してあの子とこの子は同じだとは思わない。何による違いか。年を取れば顔に責任を持てという。赤ん坊の顔の違いも何かを現わしているのではないか。もちろん親に似ているであろうがそういう点ばかりではなく。この段階ではまだ脳は発達していないのではないか。
脳を丁寧に、できる限り調査しても精神には行き着けないであろう。だから精神と脳は別物だというのではない。
もし脳が精神であるならば人はもっとフラフラふらついたものだろう。それとも私が迷いが多いのか、いろいろふわついたことを考える。だからといってそれを行動には移さない。考えたことを行動に移していれば非常に困ったことになるであろう。例えば通り魔事件の犯人のように。若い頃、夜寝ているとき集中して考えることが時々あった。明日はこうしようと。しかし、朝起きてみるととんでもないそんなことはできないと思うことがしばしばあった。これと同じようなものだろう。
普通は考えたことと自分本来のあり方に照らし納得したうえで実行に移す。自分本来のあり方と脳とは別のもの、自分本来のあり方とは精神や魂のあり方ではないか。本来の自分のあり方はそう簡単に変わるものではない。長い間の考えや経験から生まれた非常にしっかりしたものである。一時の考えのみに従っていれば、不意に誰かを殺したいという妄想に駆られるかもしれない。私はそういうことはなかったが、極端に言えばそうではないか。
この落ち着いた自分が脳の中にあるとは思えない。脳がぐしゃぐしゃになっても本来の自分は落ち着いている。それが本来の人間だろう。脳のぐしゃぐしゃにいちいち人間の本来のものが支配されているとめちゃくちゃな世界になるであろう。
脳はただ精神を解析しているだけではないか。解析能力が低い人もいるであろう。譬え解析能力が低くてもたいていの人は突拍子もないことを実行に移すことはない。脳よりしっかりした自分、私、精神や魂を持っているからであろう。
精神病というのは精神の病気ではなく、脳の病気だろう。幻覚や幻聴や強迫観念で脳が責められ変な行動をしてしまうのではないか。精神がふにゃふにゃに曲がったり、意志薄弱になってしまっているのではないと思う。脳が精神に与える影響というのはせいぜいその程度ではないかと思う。もちろん脳で考えられたことは積み重ねられ精神に影響を与えると思うが、脳が精神を支配しているわけではない。逆に精神が脳に影響を与えるほうが多いのではないか。
精神は脳には属さない。それが私の結論だ。
精神は肉体に属さない。少なくとも脳には属さない。60兆の細胞に属するという見方もあるようだ。それについて否定することはできないが、手の細胞や足の細胞が精神の一部だとはとても思えない。
精神は肉体に属さないと完全に証明されたわけではないが、仮にそうだとすると体が死んでも精神や魂は死なないかもしれない。私は精神(魂)は死なないと思う。
この点を議論するのは仏教のタブーかもしれないが、それを無視して今後ももう少し考えたいと思います。精神を体の見方から考えることも必要ではないかと思います。
追記
私は原子力発電に反対します。ウランの採掘から発電時の制御、廃棄物の処理や廃棄物の管理、廃炉の処理まで人体に大きな影響を与える可能性は否めません。特に地震の多い我が国ではさらに危険です。もっと安全な手法でエネルギーを得るべきだと思います。CO2を発生しない地熱発電またはエネルギー効率のよい燃料電池などの普及に力を入れるべきだと思います。
原子力発電の問題点についてのご質問はkyomutekisonzairon(http://blogs.yahoo.co.jp/kyomutekisonzairon)さんにお聞きください。適切な回答が得られると思います。
2010/5/25
ブラックホール
|