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目次 http://blogs.yahoo.co.jp/blackholen2007/39023973.html
「魂 精神、我、心、魂」
− その1 −
私のブログはいつも1ヶ月以上前に原稿ができていて定期的に投稿していました。今回はできたての原案を元に書きます。途中で行き先がぶれるかもしれません。
「私」とはどういうものか。冷静に考える、静かに自分を見ることでなんとか知ることができる。私は今どういうことをしようとしているか。私は今どういう状態か。私はどんな問題と直面しているか。なんとか「私」を落ち着けて静かに見つめようとする。しかし、僅かななんらかの乱れが起こればもう「私」を冷静に見ることはできない。何かに捉われればすでにもう本来の「私」ではなくなる。「私」を静かに見つめることは非常に難しい。
私がいてあなたがいる、このただ二つを取ってみても、私はあなたの本来を理解することはできない。本当のあなたを知ることはできない。それがために悪くいけば詐欺や騙しが起こってしまう。あなたの言ったこと、あなたの顔つき、あなたの落ち着き具合であなたを受け付けるか、受け入れないか決まる。例え親子でもときに新しい考えを聞かされる。受け入れようとしてもあなたの本来を「私」と同じように直接見ることはできない。詐欺や騙しに陥らない範囲であなたを受け入れることが必要なのだろう。それをしなければ「私」はますます偏狭に陥ってしまう。
「私」は世界の全てであるということもできる。というより世界は広いが、残念ながら「私」以外を知ることはできない。木を見る。幹の導管はどうか。小中学校で習った。木にも心があるのだよと言われても誰もそんなことはない、そうだとも答えられない。
同じくあなたにも心があるのだよと言われても直接はわからない。せいぜい乱れた心を持っている、落ち着いた心を持っていると感じられる程度である。きっと人間なので「私」と同じなので恐らく心はあるだろうと推測できる。また、あなたと接すると、話を聞くと、同感でき同調でき、時には心が一致したように感じられる。そうだあなたには心があるのだと思える。しかしあなたの本来はどういう方向を向いているのか、どう生きようとしているのかは想像できるが想像までだ。
となると私たちは他のものをまず受け入れるべきである。どう考えているか理解できない以上まず受け入れるべきなのだろう。
私は感じる。現在や過去の偉人の考えを書物によりまた直接会うことにより知ることができる。私は現在の偉人を知らない残念だ。
「私」は偏狭な存在である。しかし、その偏狭な「私」を一生かかって広げることもできる。それを行うには宗教や哲学や過去や現在の偉人の言葉がある。
追記
私は原子力発電に反対します。ウランの採掘から発電時の制御、廃棄物の処理や廃棄物の管理、廃炉の処理まで人体に大きな影響を与える可能性は否めません。特に地震の多い我が国ではさらに危険です。もっと安全な手法でエネルギーを得るべきだと思います。CO2を発生しない地熱発電またはエネルギー効率のよい燃料電池などの普及に力を入れるべきだと思います。
原子力発電の問題点についてのご質問はkyomutekisonzairon(http://blogs.yahoo.co.jp/kyomutekisonzairon)さんにお聞きください。適切な回答が得られると思います。
2010/6/23
ブラックホール
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