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前回の続きです^^ もうイースター島からは遠ざかり、太平洋の上です。 サンチアゴに近づいてきました。 マップ上には、ブエノスアイレス、リマ、ラパス、ブラジリアがなぜか表示されていました^^; バルパライソが観えました。 バルパライソの隣にあるビーニャ・デル・マルも見えました。ここの考古学博物館前にあったイースター島から持って来られたモアイ君を見てから約一年後、本場のイースター島でたくさんのモアイ君に触れられたのはとても嬉しかったです^^ だんだんサンチアゴ首都圏に近づいてきました。 サンチアゴの高層ビル街も見えてきました。 ついに着陸です。 サンチアゴ国際空港に着陸しました。 現在、地震の影響でファシリティが制限されているようですが、南米屈指のとても近代的な空港です。 22時過ぎにホテルに到着しました。 お決まりのイタリアンに行きました^^ 左側はアンティパストで、皿に好きなだけ盛れました(マナーを知らないブリザードーー;) 右側はお決まりのボロネーズです(笑)一体どうしたらこんなに美味しい味が出せるのでしょうか! 部屋から撮ったサンチアゴの夜景です。 うん、大都会^^ というわけで、7回にもわたったイースター旅行記完結です^^ありがとうございました^^ イースター島は、ペルーのマチュピチュと並んで小学生から行きたかったところなので、行くことができて本当に嬉しかったです。 <完> もし次旅行に行けるなら、やはりパタゴニア(アルゼンチン・チリ両国にまたがる南米大陸最南端)に行きたいです。(以下、写真データはすべてウィキからの抜粋です)
パタゴニアといえば、なんと言って氷河! アルゼンチン側に位置するこのぺリト・モレノ氷河は、南極、グリーンランド(どっちも行きたい)に次ぐ世界第三位の氷河郡を誇ります。
チリ側に位置しますが、とても綺麗な風景ですね^^
アルゼンチン領で首都ブエノスアイレスから3,250kmの一方、南極までは1,000km足らずに位置する世界最南端・世界の果て。ここから南極ツアーも出ています^^ 他にも調べれば調べるほどパタゴニアの魅力は尽きないですが、おそらくアルゼンチンの首都ブエノスアイレス発着で8日くらい必要です^^;
パタゴニアにブエノスアイレス経由で行くなら、ついでに行きたいのが、ブラジル・アルゼンチンの国境にまたがるかの有名な世界三大瀑布の一つ「イグアスの滝」。 ブエノスアイレス発着で2〜3日といったところでしょうか。 ボリビアからパタゴニアとイグアスの滝に行こうとすると、おそらく14日(ボリビアからアルゼンチンまでの移動がポイント!)くらいは必要ですね。きついですね。。 しかし、もし機会があれば是非行きたいと思います^^ |
チリ
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3日目の続きです^^ ここのモアイ君達も物の見事に倒されたままですーー; 右の頭だけ出したモアイ君、謎ですね(笑) そして、アフ・ビナプを有名にしているものが、↑のアフ(裏側)です。 このアフの石組は、インカ帝国の首都であったペルーのクスコで見られる石組の壁に似ており、そのため、ポリネシア人は南米から来た(インカ帝国と交流があった)という説が出たほどでした。 ちなみに、クスコの石組はこちら。 Blizzardが初めて行った外国はペルーなのですが、その時滞在していたのが(といっても3週間くらいですが^^;)このクスコだったので、初めて海外生活を営んだ場所ということで、とても懐かしくなりました^^またいつか行きたいなあ^^ クスコ、インカ帝国と言えば、しばらく閉鎖になっていたマチュピチュ、29日から再開するようですね。ペルーのドル箱ですから、政府は再開にかなり尽力したでしょうね。 イースター島に10体も存在しないという女性のモアイ像です。 モアイになるくらいですから、相当お偉い女性だったのでしょうね。 ちなみに、この赤い石は、プカオ同様、プナ・パウのものになります。 海が綺麗ですね^^ 島の港であるピコ港を背にしたモアイ君です。 ラパヌイ語で、「アナ」は「洞窟」、「カイ」は「食べる」、「タンガタ」は「人間」を意味することから、「食人洞窟」と呼ばれるところです。 この下に洞窟があります。 とても見ずらいですが、洞窟の天井には渡り鳥の絵が描かれています。 渡り鳥が描かれたのは、後ほど登場する「鳥人伝説」に関係があるという説もありますが、定かではありません。 1,000年頃に描かれたと言われており、年々天井の岩が剥がれ落ちており、保存がとても難しい状態になっています。 洞窟から海を眺めた風景です。 なかなかお気に入りでした。 この洞窟は、その名の通り、戦って敗れた人間を食した場所とか(しぇ〜@@)、舟を造る場所だったなど、はっきりとしたことはわかっていません。 洞窟から上がったところでは、果てしなく続く海が見えます! とても素晴らしい風景で、歌を歌いたくなります。 イースター島最後の夜はディナーショーに行きました。 なんか色々と食べ物が出てきました^^; ダンスはこんな感じでした。 見ての通り、イースター島はチリ領と言えども、その文化はラテンではなくポリネシアであることがここからもよくわかりますね。 帰り道はとても暗く、かるく肝試し状態でした^^; こうして、イースター3日目が終わり、残り4日目のみとなったのでした。 <続く> チリ大地震という災難に見舞われたチリにて、3月11日、セバスティアン・ピ二ェラ大統領が就任しました。 この人。 実は、イースター滞在中の1月17日が大統領選だったのですが、1994年〜2000年まで大統領であったアドゥアルド・フレイ氏に僅差で勝利しました。話がそれますが、1月17日が大統領選ということで、イースター島観光に影響がないか心配で事前に確認したのですが、アルコール禁止のみで大丈夫とのことでした。ボリビアだと、認可車両以外は通行不可、国内移動禁止など、選挙の際にはかなり行動規制がかかるので、チリも同じかと思い心配した次第でした^^;(というか、いくら隣国といってもボリビアとチリを一緒にしたらダメですね^^;) ちなみに、チリ大地震が発生当時は、まだミチェレ・バチェレ大統領(2006年3月11日〜2010年3月11日)でした。 アルゼンチンのキルチネル大統領とともに、南米諸国の女性大統領の一人でありました。 なんだか、「お母さん」みたいな優しい雰囲気がとても好きでした^^ 彼女の父は、1973年9月11日(ラテンアメリカの9.11です)サルバドール・アジェンデ社会主義政権をアメリカの支援のもとクーデタで倒したアウグスト・ピノチェト元大統領(1973年9月11日〜1990年3月11日)によって、軍人であるにも関わらずアジェンデ政権を支持していたという理由で、拷門死しました。 ピノチェト政権の人権侵害については世界でもかなり問題になりましたが、ミチェレ・バチェレ氏と彼女の母親もピノチェト軍事政権時に拷門を受けたこともありました。 そのような中、チリ史上初の女性大統領になって、チリという南米の大国の大統領として4年間任期をまっとうしたこと、本当に尊敬します。
そして、新たに就任したセバスティアン・ピ二ェラ大統領、チリ大地震復興という重要な責務を抱えて政権がスタートしましたが、一日も早い復興に向けて頑張っていただきたいです^^ |
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イースター島三日目。 この日はまだ外は真っ暗な朝6時過ぎに「アフ・トンガリキ」に向かいました。
イースター島のモアイで、朝日を浴びて、立っているのは「アフ・トンガリキ」のみのため、ここはサンライズスポットとなっています。 村の中心から車で40分弱のところですが、途中で雨が降るなど幸先の悪いスタート^^; 「ホトゥ・イティ」君再びです。 7時前ですが、まだ真っ暗です。 夜明け前の「アフ・トンガリキ」の15体のモアイ君です。 かなり雲が多く、朝日の光が当たることはかなり苦しい状態でしたが、大人しく待っていました。 しかし・・・
くやしかったので(笑)、カメラの設定による「ヤラセ」写真^^; あと、記念撮影も。 イースター島滞在中は、常に天気が悪く、空が雲で覆われていたのが残念でした。 結局「アフ・トンガリキ」の朝日を浴びた15体のモアイ君も見ることができませんでしたが、また機会があればリベンジです^^; 三日目の午前はフリータイムだったので、初日とあわせて、イースター島唯一の村「ハンガ・ロア村」を歩きまわりました。 上段の二枚はメインストリートの風景です。 基本的に何もありません(笑) 右下はイースター島の教会で、毎週日曜日にはミサが行われています。 左はスーパーマーケット(笑)、右はLAN航空のオフィスです。 空港の近くには日本料理屋もありました。一度行って、鉄火丼(←イースター島はマグロなのさ♪)を注文しましたが、とても美味しかったです。オーナーは日本人だったと思います。 右は民芸品市場です。「お土産はここで!」、みたいなことが書いてありますが、後で気づきましたが、メインストリートのお土産店のほうが安かったです(笑) 郵便局です。 パスポートを持っていって、いくらか寄付すると、右のような記念スタンプをパスポートに押してくれます^^ ハンガ・ロア村の中心から徒歩10分ほどにあります。 すぐ後ろは海で、サーフィングをしている人がたくさんいました。 午後、初めに訪れたのは「アフ・アキビ」です。 7体のモアイ君がいます♪ 後ろからも失礼します^^ 「アフ・アキビ」のモアイ君達、他のどのモアイ君とも決定的に違う点があります。 それは・・・
モアイ君達が見ている景色です。 アフに立った他のモアイ君は、すべて海を背に内陸を見渡しています。 それは、モアイ像が部族の権力の象徴であり、守り神であったことに由来しています(常に部族の方向を向いて、見守っていたのですね。決してストーカーではありません。) なぜこの「アフ・アキビ」のモアイ君だけが海の方向を眺めているのかについてははっきりとはわかっていないようです。こういう謎が多くあるのも、いいですね^^ 「ラノ・ララク」がモアイ君の製造所ならば、ここは、モアイ君の頭の上に置く「プカオ」が造られた場所です。 ここで造られたプカオは、そこから12kmほど離れた「アフ・トンガリキ」や「テ・ピト・クラ」まで運ばれたわけですが、一個10トン近くもあるこのプカオを一体どうやって運んだのかについては、謎に包まれたままです。 至る所にプカオが放置されていましたーー; こういう赤い岩山から切り出されました。 ハンガロア村も見渡すことができました。 と、ここまでで画像が容量的にきつくなってきたので、3日目の残りはまたにします^^; <続く> |
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前回の続きです^^ アフ・トンガリキから車で5分ほどのところに位置する死火山「ラノ・ララク」。 ここはほとんどのモアイが切り出されていた場所です。 至る所に切り出し途中のモアイ君を観ることができます。 ラノ・ララクだけで397体のモアイ君がいますが、いずれのモアイ君もアフの上にのるどころか、未完成のまま放置されたものが多いです。 あるモアイ君は顔だけ出ていたり。 こんな風にひどい状態で横たわっていたり。 ラノ・ララクにあった岩を、玄武石のテホという石斧で彫り出し、黒曜石で細部を仕上げたと言われています。まずは顔、前面、側面が切り出され、最後に岩とつながっている背中部分を切り離しました。 高さ4m、12トンのモアイを造るのに30人で一年半かかったという記録があり、モアイ製造作業がいかに困難なものであったかが想像できます。 本当に様々な状態で途方もない様子のモアイ君達ですーー; といいつつ、よく写真集で目にするこの二体のモアイ君と記念ショット^^ うつぶせモアイ君はあまり観たくないです・・・ 岩から背中が切り出されることはありませんでしたが、島最大級と言われているモアイ君です。 ここからはアフ・トンガリキも一望できます。 名前のついた数少ないモアイ君です。 顎鬚や正座していることがわかり、大きさからも初期に造られたものとされていますが、より詳細な年代等については不明なようです。 引き続き、途方に暮れるモアイ君達ですーー; 湖にはトトラ呼ばれる植物が集合した小さな島が浮いています。 このトトラ、ペルー・ボリビアの国境にあるチチカカ湖 でみかける「トトラの舟」から、ポリネシア人は南米からわたってきたという説も一時浮上したようです(現在はくつがえされた模様) blizzard、嬉しくなってトトラと一緒に泳いでみました。 ・・・嘘です。現地の方がここで泳いでいました^^; ラノ・ララクの次に訪れました。 モアイ倒し戦争で例にもれず倒されましたが、1830年代時点で立っていることが確認されていた最後のモアイ君です。 前に置かれたプカオを含めると高さ12m・重さ90トン以上と、アフに立ったことのあるモアイとしてはイースター島最大の大きさとなります。 ↑のモアイ君から近い海岸線にある「地球のヘソ」という意味の石です。 この石、磁気を帯びていて、実際に近くで触れると磁気を感じることができました。 イースター島で唯一遊泳が許されたビーチです。 海と反対方向を見ると・・・ 砂浜に埋まっていたために、1960年のチリ大地震の被害も免れることができたため、保存状態が非常によいモアイ君達です。 イースター島でプカオを頭に載せたモアイ君は6体ですが、そのうちの4体がこのアフに集中しています。 また、イースター島博物館に収蔵されている現存する唯一の「モアイの目」はこのアフ・ナウ・ナウの発掘中に見つかったもののようです。 アフの裏側の石には、見えにくいですが、トカゲ人間(緑枠)、モアイの顔(赤枠)などの彫刻が見られます。 アフ・ナウ・ナウの右側にあるアフです。 このモアイ君は、モアイ倒し戦争ですべてのモアイが倒された中、1956年に初めて立てられた記念すべきモアイ君のようです^^ こうして、イースター島2日目も数々のモアイ君と出会ったのでした。 <続く> 27日にボリビアの隣国チリにて発生したチリ大地震に関して、心配の書き込みをいただいた皆様、ご心配ありがとうございました。 今週は出張に出ておりまして、さきほど戻り、テレビにてチリ大地震のことを知って大変驚きました。出張中はインターネットが使用できないために返信ができず、タイミングが悪く失礼しました。 地震の影響ではないと思いますが、現在かなりの大雨に見舞われています・・・ アフ・トンガリキ等のイースター島のモアイのほとんどが被害を受けた1960年のチリ大地震(M9.5は記録が残る中で世界最大のようです)発生から50年、今度はM8.8の地震が発生してしまいました。これは20世紀以降世界で観測された地震で5番目の規模のようです。 チリとペルーは南米の太平洋岸に位置する世界有数の地震国ですが、先月12日に発生したハイチ大地震(M7.0)と、ラテンアメリカで続けてこのような大地震が発生してしまいました。 震源地は首都サンチアゴの南西にある都市コンセプシオンの北東15kmで、チリではコンセプシオン(ボリビア・スクレの姉妹都市でもあるとかないとか。。)周辺が一番被害を受けたようですが、サンチアゴも被害を受けるほどのものだったようで(サンチアゴ国際空港は閉鎖されたようです。。)、最近お世話になることが多かった好きな国だけに本当に遺憾に思います。1960年のチリ大地震の例があるだけに、イースター島でも津波被害の恐れがあり、一部避難が始まっているとのことですが、何事も起こらないことをただただ願っています。 日本でも津波の被害も出ているとニュースで読みましたが、大丈夫でしょうか? 現在、CNN(スペイン語)はチリ大地震一色になっており、それによると、ミチェレ・バチェレ現チリ大統領(来月から新大統領に政権を譲ります)は被災地にかけつけ、アメリカ及びEUに加え、早くも隣国であるアルゼンチンとボリビアが支援表明、ペルーのアラン・ガルシア大統領も声明を発表し被災者救済のための飛行機をチリに送るとのことです。 ボリビアは、ペルー・ボリビア連合軍とチリの間で勃発した太平洋戦争で敗北したために、太平洋岸部(アントフォガスタ)をチリに奪われ内陸国となり、その後ボリビアは南米の最貧国、チリは南米で最も豊かな国となりました。 このため、ボリビアのチリに対する感情は特別なものがあり、現在も太平洋岸の返還交渉は両国の重要な外交問題となっています。 しかし、太平洋岸に領土を有するということは、ペルーとチリがこれまでそうであったように、同時に地震とは常に隣り合わせになることを意味するため、海を持つ国と内陸国であることについて、とても考えさせられています。 2007年8月15日にイカ周辺で発生し、少なくとも514人の死者を出したペルー大地震(M8.0)から一年半が経ち、未だに復興活動が続いていると思います。 ハイチ同様、チリでも長期にわたる復興活動がこれから行われると思いますが、被災による混乱から暴動が発生することなく、被災地にて一日も早く平穏な日々が訪れることを願っています。 |




