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philosのブログ(Blog2735から移行しました)
情報社会、哲学、日々の雑感など。吉田寛Hiroshi Yoshida (静岡大学Shizuoka University)が執筆。

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哲学(第一回) ガイダンス回
 2018年4月10日

本日のテーマ:「哲学は役に立つのか?」

本日:「哲学」とは? ガイダンス、作品から考える
来週:「哲学の有用性」「哲学の使い方」「哲学の意味」について

シラバスについて
公開遅れすみません。1-7回はだいたいの目安。以下を組み合わせて、哲学しましょう。

授業の目標 哲学とは自分の存在の前提となるような、基礎的な概念(ものの見方、捉え方)を再検討する学問です。たとえば、「存在」「現実」「時間」「私」「倫理」「社会」「自然」などについての捉え方は、生きていく上での前提・基盤になるものです。ふだんの生活の中ではこうした哲学的な概念を取り上げてそれについて特別に考えることはあまりないでしょう。哲学はこういった概念について集中的に考える学問です。ときには哲学的に考えることで人生はずっと深く豊かなものになるでしょう。この授業では、手がかりを提供しながら、いくつかの哲学的な概念を検討し、哲学を体験する機会を提供します。

学習内容 いくつかの哲学的な基本概念について、私から哲学的論点を解説します。哲学的論点とは、基礎的な概念、たとえば「現実」や「時間」について、対立する見方、捉え方です。こうした論点について、過去の哲学者たちの考え方を比較検討してみたり、アニメ『蟲師』等の作品を見ながら理解を深めたりします。哲学カフェの方式で、グループでディスカッションをする機会も作りたいと思います。こうして、哲学的な論点を検討することで、自分の存在や社会の常識の前提になっている見方について、意識的に捉え直したいと思います。

講義スタイル
 講義(テーマの解説など)
 文献(適宜紹介→最終レポートでも役に立つ)
 ディスカッション(「哲学カフェ」)
 作品(『蟲師』 解説or検討)で進めてみよう。
 評価:哲学の評価とは?
 Blog2735

講義:哲学とは何か?
 ph.Dとは? 歴史 ギリシャ→自由七科→近代・諸学の母→大学の核
 日本では文学部に 文学に近い? 文献学(『聖書的』)の輸入学問 生き方
 「デカンショ」 教養主義⇒大衆化 フランス(リセ)・アメリカ(実践)での哲学
 「哲学カフェ」 論文、文献だけでない哲学運動 実践からの哲学
 『ソクラテスの弁明』 「対話」「よく生きる」

作品:「花惑い」(『蟲師』)
折しも花の季節。「花惑い」という話に哲学的な論点を探してみましょう。物語が説得的に描かれていることが、思想の可能性を暗示していると考えてみよう。

作品要約
山奥の桜の巨木には泡状の木霊という蟲がついている。近くの庭師の一家は、この桜の精というべき異常なまでに美しい白痴の女性に仕えるため、代々訪ねてくる人を生贄にしていた。気づいたギンコはそれを止め、庭師の家と桜の木は燃えてしまう。男と女は去ったが、燃えた桜は自然の中で蘇り美しい花を咲かせる。

「花惑い」(『蟲師 続章』)からの哲学的論点
論点1:「現実」とは何か
坂口安吾に「桜の森の満開の下」という有名な作品がある。満開の桜はその異常な美しさによって人を夢うつつ・狂気の境地に誘い込む。「花惑い」は桜の美しさを体現する超常の女性に魅入られて、人里離れて、何百年も狂気に魅入られてきた一家は、現実離れした生を送っている。
あるいは、この生き方が、この一家にとっての「現実」だったのか。「人の心をひきつける」ものが「現実」であり、あまりに美しいものは、強く人の心をひきつけ、独自の「現実」を生み出してしまうのかもしれない。燃えた桜が再び花を咲かせるのは、こうした「もう一つの現実」が、どのような平和な日常のなかでも絶えず人を誘っていることを意味していることを示しているのではないか。

論点2:「人間性」とは何か
花の精である異常に美しい女性を人間として見ることができるだろうか。
人間の血によってその超常の美しさを保つ女性は、五感とともに、人間らしい判断力や感情を失っている。このことは、「美しさ」「永遠の命」といったものが「人間性」とは両立できないことを意味しているのかもしれない。だとしたら、それはなぜだろうか?

論点3:「倫理」とは何か
庭師の一族は、代々桜の精に魅入られて、人を殺め続けてきた。これは、殺人であり、生贄にされる人から見ればたまらないことで、倫理的に許されないことである。しかし、物語において、庭師一族が極悪人であるというようには感じられない。なぜだろうか。
異常性、もしくは美が倫理をキャンセルするのだろうか。あるいは、それぞれに別の倫理がある、と考えることができるというのだろうか。

論点4:「幸福」とは
庭師一族は、幸福だろうか? 彼らは、「美」に魅入られ、お金、名声、社交などの世間的な幸せには目も向けない。そして、世間的には「異常」「狂気」「犯罪」と呼ばれる生き方を選び続けてきた。彼らは満足しているとしたら、「幸福」と言っていいだろうか? また、彼らから見たら、世間の人々は幸福と言えるだろうか?

論点5:「美」とはなにか
桜のもつ異常なまでの「美」が今回の物語展開の原動力である。なぜ桜は「美しい」のだろうか。本当に桜自体が、美しいのだろうか。それとも、単なる自然現象に人が美しさを見出すのだろうか。美しいさを見出す度合いや対象が人によって異なるのはなぜだろうか。「美しい」というのはどういうことだろうか。進化や文化はどうかかわるのだろうか?

課題
学務情報システムに、本日の授業、作品等について、自分の関心(とのつながり)、感想、質問、要望等、ひとことでまとめてください。100字程度。来週月曜まで。

参考文献

『哲学する子どもたち』(中島さおり、河出書房) フランスのリセでの哲学教育など
『ビッグクエスチョンズ 哲学』(S.ブラックバーン、ディスカバー) 哲学を「問い」から見る
『ウィトゲンシュタインの「はしご」』(吉田寛、ナカニシヤ書店)  私の自己紹介代わりに
『蟲師』(漆原友紀、講談社) 哲学的なテーマを読み取ることができるアニメ・まんが作品

『講談社まんが学術文庫』(講談社、2018年〜) シリーズ。哲学への導入に(レポートには使わない)。https://man-gaku.com/

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    論点1:「現実」とは何か

    ノートPCを閉じたあとで視界に入るものだと思います。


    「もう一つの現実」がネットの世界であると定義すれば、上記の命題は
    先生がこの記事で仰る“「人の心をひきつける」ものが「現実」であり、あまりに美しいものは、強く人の心をひきつけ、独自の「現実」を生み出してしまうのかもしれない。(中略)こうした「もう一つの現実」が、どのような平和な日常のなかでも絶えず人を誘っていることを意味していることを示しているのではないか。”

    というご指摘にそのまま当てはまります。
    そして、“あまりに美しいもの”の部分はその人にとって“安心できるもの(これを持つことが自分にとって自信になるもの)”という、昨日私が述べたことを代入することで説明がつきます。


    ・・もしかして、先生がネット依存を哲学的に解釈されたのが上記の引用文なのではないでしょうか?
    “サクラ”つながりってことで。

    なのに、気付くのに半年もかかって“秋桜”の季節になっちゃいました。私ってば鈍いわぁ・・(汗)

    [ 小春日和 ]

    2018/9/18(火) 午後 4:13

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    “うつくしきもの”・・枕草子でもお馴染みですが
    かわいらしいものを古語では「うつくし」と表現しましたよね。


    庭に植えたチューリップの芽、子供が持ち帰った生き物たち(金魚、メダカ、友達にもらったカブトムシの幼虫、拾った貝殻に偶然入っていたヤドカリ等)、
    そして子供。

    小さくて、はかなくて、放っておいたらあっけなく死んでしまうもの。

    もともと好きだったわけではないのに自分のところに偶然やってきて目の前にある小さい命を前に、
    この未知の生物は何を食べるんだろう、どうすれば快適に生きられるんだろう、死なせちゃいけない・・なんていつもオロオロしながら試行錯誤で面倒をみてきました。

    で、与えた食べ物を美味しそうに食べるところを見て安心し、その仕草や楽しそうな様子を見て
    「可愛い〜〜〜〜!!」スイッチが入ったわけです。

    私は「美しい」を主に古語ベースで理解しているのかもしれません。
    ともあれ人は、美しいものを見ているだけで何とも幸せな気持ちになるものです。

    [ 巻貝が生き甲斐 ]

    2018/9/20(木) 午後 4:40

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    芸術作品における“美しさ”とは、それを表現しようとする人の“命”のエネルギー(一生懸命さ)を作品から感じるのではないでしょうか。
    舞台芸術しかり、フィギュアスケートしかり、スポーツの感動も“全力プレー”だからこそ心を揺さぶられるのだと思います。

    そんな訳で、私はAIがコンピュータで描く“レンブラントもどき”にはまったく美しさを感じません。

    好きな人には悪いけど、昔流行ったOッセンもただキラキラさせただけの安っぽい“子供騙し”に見えます。

    もしも一流のオーケストラが自動演奏で再現できるとしても、それがわかった上でお金を払って聴きたいとは思わないです。



    ・・ここまで語ってだんだん、見えてきました。
    私は、“命”にこだわっているのだということが。
    利己的で適当に嘘ついて誤魔化すことが上手い不誠実な奴を生理的に嫌悪するということが。

    同時に、幸福に生きよとはどういうことかが個人レベルで見えた気がします。

    [ ルー先生とマルクス兄さんはBDが同じ ]

    2018/9/20(木) 午後 5:56

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    「“ペンは剣よりも強し”だと?何を言う、戦車のほうが強いに決まってるじゃないか」

    こういう論調の人が現代の勝ち組なのかもしれませんが

    彼らは戦車の狭いコクピットに高価な美術品を置いたら快適なのでしょうか。


    これが、“勝つことがすべて”だと思っている人たちへの疑問です。

    [ ジャンケンは常にパー ]

    2018/9/22(土) 午後 0:28

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    “中秋の名月”は明晩とのことですが・・

    乱視ゆえに眼鏡なしで見るお月様は何枚も重なって
    まるでダリヤか蓮の花のように見えるので
    今宵も明日もその美しさはたいして変わりません(笑)

    ついでに言うと火星は線香花火のようです。



    だから敢えて眼鏡を掛けずにぼんやりと夜空を見上げます。

    今はこのままでいいかな、と。

    [ 黒猫の瞳も黄色で真ん丸 ]

    2018/9/24(月) 午前 0:58

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    論考4・111 哲学は、自然科学の一つではない。
    〔「哲学」という語は、自然科学以上の、あるいは以下の、しかしながらそれと並列はしない何ものかを意味しなくてはいけない。〕


    これを読んで思ったのは、
    哲学はPCにとってのOSみたいなものではないかという事です。
    そして自然科学がアプリケーションソフトに該当するのかな、というイメージが浮かびました。
    現実世界で起こるすべての事象がデータとなります。


    この仮定が正しければ、“論理哲学論考”によって混沌としていた哲学の意義を明確に著したウイトゲンシュタインの功績は、Windows95を開発したビルゲイツと同等になるのではないでしょうか。
    なぜ彼らが天才と呼ばれるのかがわかった気がします。

    [ キャラメルリボン ]

    2018/9/27(木) 午後 3:27

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    >花の精である異常に美しい女性を人間として見ることができるだろうか。
    人間の血によってその超常の美しさを保つ女性は、五感とともに、人間らしい判断力や感情を失っている。このことは、「美しさ」「永遠の命」といったものが「人間性」とは両立できないことを意味しているのかもしれない。だとしたら、それはなぜだろうか?



    時間の流れを止めることができないからだと思います。


    前に述べたことと重複しますが時間は個々の命の誕生に始まり成熟、衰退を経て死を迎えることにより終わりますから、生きている以上は必ず新陳代謝(の過程で起こる劣化)を避けることができません。

    人間性という言葉に「自らが生物であるという認識」という意味も包含するならばおのずと劣化も受け入れることになるでしょう。

    つまり「永続する(=エラーのない新陳代謝による)美しさ」や「永遠の命」を求めることは即ち時間の流れを否定することになるのです。

    [ 雑草魂 ]

    2018/10/7(日) 午後 3:03

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    日光浴をすれば紫外線と活性酸素は不可避ですが、いずれ死ぬなら生きてる間に少しでもお日様を愛でたいと私は思います。

    金足農の校歌にも「日輪の たぐいなき愛 おおげにや たぐいなき愛 いざやいざ 共に承けて」 なんてありますが
    私はあの歌詞に全力で首肯しましたよ(笑)

    [ ライト菊池君 ]

    2018/10/7(日) 午後 3:03

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    美術品のオークションで、ある絵画が落札直後にシュレッダーにかけられたとのことですが

    画家自身が「この絵をシュレッダーにかけよう」と判断するということは、それが切り刻まれるに相応しい作品であったということなのだと思います。
    (その程度のエネルギーしか表現に費やしていない)

    その絵の対価として104万2000ポンド(≒1億5千万円)?
    にわかに信じられず、混乱しています。

    いつか社会科の資料集で見た、札束の山で遊ぶドイツ人の子供の写真を思い出してぞっとしました。
    まさか、英ポンドってハイパーインフレ起こしてるんですか?



    30年くらい前に、開館後間もない名古屋市美術館の“エルミタージュ美術館”に行きましたが
    平日で空いていたので、トロワイヨンの“赤いスカートの農婦”(だったかな?)の前に数十分立ち尽くして光の表現の美しさにじっくりと見入ったことがありました。

    ネット検索では出てこなかったけど、いいです。
    あの美しさはモニタじゃ再現できませんからね(笑)

    [ 黒猫は幸運の象徴 ]

    2018/10/8(月) 午後 3:00

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    p.s. すいません、エルミタージュ美術館“展”です。

    [ 黒猫捨てるなんてクレイジー ]

    2018/10/8(月) 午後 3:05

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    トロワイヨンの絵の画像を検索していて感じたのは、
    デジタルではコントラストが強すぎて光が“真っ白”に表現されるために浮く、と言うかわざとらしくキツく見えてしまうということです。

    油絵の具のきれいなグラデーション(混じり具合)はアナログならではの良さであって、デジタルが苦手とするところなのではないでしょうか。

    だから本物をこの眼で見たいのです。

    [ 実は高校で油絵描いてた ]

    2018/10/8(月) 午後 3:37

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    新生活をはじめてちょうど1年が経過しました。
    その頃に新調したメガネはいつしかケースに収まったままになりましたが
    たいして不便を感じないので視力が向上したのかもしれません。

    1年前、10年前、何を見てどう感じていたか

    表面的には同一人物であっても内面はまったく別のものに変化しているのを実感しています。
    これは向上と呼ぶべきものでしょうか。

    [ 機動戦士ランダム ]

    2019/3/25(月) 午後 7:43

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    昨日はドビュッシーの命日とのことで、サックスの人たちが
    “ベルガマスク組曲より 第1楽章 前奏曲”のアンサンブル演奏を upしていました。
    粋な若者たち、素敵です。


    陰鬱としたネットの仮想空間では悪意ある言葉があふれて「これが普通」になってしまっており、感覚が麻痺して絶望感しかない残念なひとたちがクスリを売買しているようですが
    恐ろしいことに中学生さえもその沼にはまってしまっているようですが


    五線の川のオタマジャクシを追いかける遊びに興じる元気な若者たちにはそんな心配は無用だと思います。

    [ かえるのうた ]

    2019/3/26(火) 午後 3:44

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    p.s. 打楽器パートの追いコン、OB含めて8人だったそうですが“最後の一本締め”が「見事に揃ってめっちゃ気持ちよかった」とのことでした。
    さすが打楽器。

    [ かえるのうた ]

    2019/3/26(火) 午後 5:26

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    桜の季節に思うことですが


    花見客は美しくないですね。

    [ ある意味サクラだけど ]

    2019/3/28(木) 午後 4:30

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    この春に知り合いのお嬢さんが小学校を卒業されたので、お祝いに角川文庫の“枕草子”を差し上げたのですが
    久しぶりに自分でも読みたくなって同じものを買い求めました。

    かつて中学の古典の授業で可愛らしいもの=うつくし、と習いましたが、ここに列挙されたものについて共通するのは何だろうかと


    改めてその意味を深く問い直して感じたのは、清少納言は「これから大きく育とうとするものが内包する生命のエネルギー」を美しいと称えていたのではないかということです。
    完成されていないからこそ弱く儚い、やわらかい、汚れていない、そうしたものを「美しい」と表現したのではないでしょうか。

    だからこそ、美しいものを守りたいと思うのはごく自然な感情だと思います。

    そして美しいものを壊そうとする者に対してそれは無粋であるという嫌悪感が生まれるのだと思います。

    [ かなし ]

    2019/4/6(土) 午後 6:17

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    p.s. ウイトゲンシュタインの述べた「倫理と美学はひとつのものである」も同義ではないでしょうか。

    [ 顔なの「かなしい」顔 ]

    2019/4/6(土) 午後 6:33

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    古い歌に、♪咲き誇る花は 散るからこそに美しい 散った花びらは あとは土へと還るだけ ・・というのがありましたが確かにその通りで

    いくら美しく再現する技術があったとしても造花の桜が年中部屋にあったら興醒めも甚だしいでしょう



    自然の美しさは生命が持つ、変化しようとするエネルギーがその源泉となっているように思います。
    だからそれを妨げよう、壊そうとする人間の“意志”に対し別の人間が「それは“醜い行為”である」と評するのも人間が生き物=自然の一部であるが所以です。

    壊そうとする人間にもまた「壊しても作り直せる(あるいは死なない、自己再生するであろう)」という傲りや相手への甘え・勝手な期待があるからこそ壊すことができるのでしょうが

    自分にできないことを相手に求めるのは醜いエゴです。

    [ L EGO  ]

    2019/4/8(月) 午後 1:08

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    田舎には“花奪い(はなばい)”なる悪習が存在しますが

    開店直後のパチンコ屋の花輪に群がって挿された花を強奪し、“戦利品”であるその花を持ち帰って嬉しそうに部屋に飾るという行為は全く以て醜いとしか言いようがありません。


    そして都会で華やかに暮らす人たちであっても他人の情報を奪い取って儲けたり文章を書く連中は
    内面的にこれと同様だと思います。


    盗む、奪う、それ自体が汚く醜いことですからこれを前提に手に入れたもの、と言いますか手に入れた“人”がそれによって醜くなってしまうのです。


    かつてコピペ論文で博士号を取り捏造データを発表して有名になった色白の“リケジョ”がいい例ですが
    いまだに彼女を美しいなどと思う人がいるのでしょうか?

    もはや多くの人は嫌悪感をもって彼女を見ることでしょうが


    似たような事をしている連中には恐らく自分自身の姿が見えていないのではないかと思われます。

    [ コバンザメのIQ ]

    2019/4/13(土) 午後 4:08

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    コメントありがとうございます。
    すっかりお返しできていなくて失礼いたしました。

    昨年度、卒業論文でアウグスチヌス、アーレント、レヴィナスを扱った学生と共に、「他者」や「愛」といった概念について考えました。

    「他者」「愛」は、「美」や「人間性」などと共に、ウィトゲンシュタインなら「語りえぬもの」としたことでしょう。

    こういった次元のことは、社会的には何も影響しないのではないかとも考えたことがありましたが、最近は、友人や家族、結婚、仕事、介護などのあり方、さらには教育や福祉、政治や経済、技術などにも響くことなのだと感じています。

    この「感じ」に適切な言葉を探すことは、私自身のテーマです。
    よろしくお願いします。

    [ philos ]

    2019/4/23(火) 午前 10:48

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