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当ブログでは、東日本大震災で被災された方や復興を支援する方からのブログ投稿をご紹介しています。
今回は2012年3月19日にピックアップした投稿をご紹介します。 津波と瓦礫のなかで この目で実際の被災地を見ておく事が大切なことかと思い、
石巻・南三陸町・気仙沼そして陸前高田市と見てきました。
桐生から往復で998.4kmを、24時間の大切なそして悲しい旅でした。
>>続きを読む 陸前高田市〜街はどこへいった もう 集めるだけ 集め尽くしたようで
重機も止まったまま
これらを 受け入れてくれる場所がなくて 途方に暮れているんですよね
人の気配も 音もないと 時間が止まっているように感じます
>>続きを読む 2012、3、11。陸前高田市〜1。 町全体を見たって、瓦礫置き場に瓦礫が集められているだけで、それ以外は何にも変わっていないと思います。
1年前もそうでしたが、どの人が地元の人かわからないのに、歩いていて何気なく目が合っても怖くて目をそらしてしまって目すら合わせられなかったです。
>>続きを読む 被災者の「心のケア」拠点開設〜ようやく、被災地沿岸に4市に専門スタッフが常駐。 今回被災地沿岸に4市に専門スタッフが常駐して、できるだけ、積極的に「仮設住宅を直接訪問して被災者の心のケア」にあたってほしいものです。 >>続きを読む 復興に向けてガンバの巻 半年振りにこの地に訪問しましたが確実に復興に向けて動いています 行政に頼るのではなく住民の方が自ら考え行動する 姿には考え深いものがありました
そして 皆さん表情が明るく前向きです
「がんばれ」とエールをおくり
この地を後にしました
>>続きを読む 被災された地域からの投稿をご紹介する「被災地からの声」ですが、定期更新は今回で終了させていただきます。 「被災地からの声」は定期的な更新は今回で終了いたしますが、Yahoo! JAPANではボランティア活動情報などの震災復興や今後の防災にとって、記録的価値の高いブログ記事や動画を投稿、紹介できる 「東日本大震災 写真保存プロジェクト」 を立ち上げています。こちらもぜひご利用ください。 東日本大震災に関するブログの記事を紹介できる「東日本大震災 写真保存プロジェクト」のご紹介インターネット上には、東日本大震災に関する数多くの記録が、ブログ記事・写真・動画など、さまざまな形式でちらばっています。これらを時系列に、地域ごとに検索できたなら、故郷の思い出や、その日その場所での特定の記録を探している人たちのお役に立てるのではないか?との考えから「東日本大震災 写真保存プロジェクト」が生まれました。
被災された方や地域の復興に関係される方のために、また後世にむけた防災研究に役立てられるよう、Yahoo! JAPANでは今後もインターネットだからできることを続けてまいります。 引き続き皆様のご協力をどうぞよろしくお願いいたします。 |
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今回は2012年3月19日にピックアップした投稿をご紹介します。
先週の 3月11日 で、東日本大震災から一年 という区切りに 先週の特集等々を見ていると 復興しています♪ 前に前進しています♪ というのばかりが目立ち、殆ど真実が伝えられていない事に愕然としました。 一日も早い復興を...とよく耳にしますが... この町をどうしようとしてるのか...考えさせられます。 福島は地震や津波のほかに原発の問題を抱えてます。 復旧まではこれたのかもしれませんが、復興にはまだ時間がかかりそうです。 ここ七ヶ浜は今でも他府県からのボランティアの方々のお陰で すっかり片付いてます。0になったという感じです。。 1年以上経った今でもボランティアの方々が来てくださり どこの町も片付きつつあります。 でも、あのガレキはいったいどう処理すのでしょう? 公立志津川病院
あの惨劇が蘇る 屋上に避難し助けを求める姿が眼に浮かぶ 当時入院患者107名 自力歩行困難な寝たきり高齢者ばかり この病院も津波を警戒し高さ6m以上にある3階4階が入院病棟になっていた
水門・堤防の海側には片付けられた瓦礫が積まれており一部が再仕分けをされていた. その近くの環境評価と書かれた新しいプレハブ小屋があり,おじさんが居られたので1時間余り話を聞く. ○大槌町では町長や職員が数十人流されて亡くなってしまい,その後選挙で新しい町長が選ばれたが復興計画が三陸では最も遅れているとのこと. |
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今回は2012年3月12日にピックアップした投稿をご紹介します。
何もかもなくなってしまった街で、ぽつりと佇んでいるものが、いくつかありました。 元々そこにあったのか、それとも誰かが置いたのか。 ここに暮らしていた方々の、心の美しさを見ているような気持ちになったのですが、 暮らしていた家がなくなってしまった場所でも、、神様を祀っていた祠だけは、 ひっそりと立っていたりしました。 東日本大震災に襲われた後の様子を、当時の会話を中心に綴ってみます。 ① 当日の夜、海側から避難してきた人から聞いた話 「 市街地の様子はどうですか?」 「 全滅だ。家が次々と流されて行った。のん兵衛横町もドミノのように並んだまま1回で流された」 揺れが収まり、窓の外を見ると向かい側の建物からは、大勢の人が吐き出されるかのように駆け出てくるのが見え、建物の前の芝生の広場は、すぐに大勢の人で埋まりました。 違う方向を見れば、住宅地から昇る黒煙。火災です。 消防車が目の前を走り去り、鳴り響くサイレンが 今思えば、仕事、生活における厳戒態勢の到来を告げる合図でした。 この忙しい世の中、余裕もなくって支援らしい支援を出来ないから、心の中で被災地のことを想ってますという人も多いでしょう。そんな人でもせめて耳を傾けて現実を見続けてほしい。そして自分なりに学んでほしい。被災した人々が助け合い、どうやって過ごしてきたかを。
津波によって、あらゆるものが奪われて、 いまだ見つからない、大事な探し物をしている 方の映像が放映されていました。それは自分 の娘だと言うことです。 あの日のことは今も鮮明に覚えています。
最初に知ったのは、外出先でのラジオから。 その情報を聞いたとき、「やはり来たか。」と思いました。 しかし、それでも、まだタカをくくっていました。 仕事が終わり、家に帰り、その映像を観たとき、はじめて、事の重大さを思い知ることになります。 |
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今回は2012年3月5日にピックアップした投稿をご紹介します。
被災した南三陸町の商店街が仮設店舗で復活しましたよー。 国道398号沿いの旧合同庁舎の隣の敷地です。 いろんなお店がありますねぇ。 警察の人達も巡回してましたが、兵庫県警のお巡りさんでした。 近くの小さな日和山は、慰霊碑と小中学生によるさくらの木植樹、花束、線香があげられていた まだ、まだ復興は何処に?と、問われる現状 前にあった人家は、どだいのコンクリートのみ。人の気配はまったく感じられない。残った傷ついた標識や半壊の家、家が胸を打つ 近隣の海辺の町村は、瓦礫こそ撤去されていますが、鉄骨が残った建物、基礎をむき出しにした町が広がり、その中に足を踏み入れると、かつて生活していた人々の名残がのこされていて、一瞬で生活の場を失った人たちの悲しみが伝わってきました。
報道では何度も目にしている光景ですが、その中に入って見る風景は、画像としては同じでも、訴えかけてくるものは全く別物でした。 もう、忘れてしまった人たちがいること。
世の中が無関心であること。 無関心でいることが楽なこと。 声をかけてくれる人。 興味をもって振り返ってくれる人。 小銭入れをひっくり返して全部入れてくれる人。 先週も募金してくれた人。 実際の被災者さんが募金してくれたこと。 さて、まもなく震災から一年を迎えるという事で、 結構、大きなレポート的な記事を書いてみようかな?とか思っています。 と言っても、ただ単に被災地の現状を見てこようと考えています。 被災地と言っても、東北ではなくて、千葉の浦安地域や我孫子布佐地区、九十九里沿岸。茨城県太平洋側等 「忘れられた被災地」と呼ばれる地域を見ていけたらと考えています。 アクアマリンふくしま前のアクアマリンパークにて「みなとまち福幸まつり」が開催されました。
ちょっと様子を見てこようと出かけると、案外、人が集まってる。 小名浜美食ホテル前では太鼓の演奏があったり、 バンドの演奏があったりと賑やかです。 |
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今回は2012年2月27日にピックアップした投稿をご紹介します。
間もなく3,11から一年が過ぎようとしていますが痛ましい傷跡は消えるどころかそのままになっています。 忘れたくても忘れられないと口々に語る被災した方々の想いを見てください。 マンション5階まで押し寄せた形跡を確認してください。 岩手沿岸部から石巻にいたるまでの津波の高さです。 沿岸部の津波被害があまりにも、甚大だったため、報道も少なく影に隠れてしまいがちだが、被害は少なくはない。 最大震度7が、栗原市で記録された。(後、仙台市での細部に渡る地域検証で最大震度7があった)2008年の岩手・宮城内陸地震で特に被害が多かった事でも、全国区になってしまった。 水門閉鎖に従事し、犠牲になった消防団員 東日本大震災で消防団活動中に亡くなった団員は8市町村で90人。 陸前高田市が最多の34人で、宮古市が16人、大槌町が14人と続く。 このうち水門操作中、または水門閉鎖後の活動中に犠牲になったとみられる団員は49人に上る。 しかし今まで体験したことのない
ゆっくりとした大きな揺れに、書庫から本や資料が落ち、書類棚も倒れて 書類がその上に散らばる。 私は買ったばかりのPCを押さえて、揺れの収まるのを待つことしかできなかった。 足下の本と書類を押しのけ、事務所の外に出たのが15分ほど経ってからだった。 今回の作業内容は、お初の解体作業津波を被ったお家を改装するので、基礎以外の所を全部取るという作業でした。
簡単に言うと家を骨組みだけにしちゃうので、壁とかすべて壊すのが主な内容です。 「志津川駅」を中心に街があったと思われますが、
この南三陸町志津川地区で唯一あった商店に寄り三陸の名産品などを購入しました。 その商店にいた地元の方と少し話す時間があり 3月11日当日のお話をしてくださいました。 |
