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吉田の火祭りです・・・

山梨の神社

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諏訪大社を忠実に再現した上今諏訪神社に初詣



皆様こんばんは
元旦の写真が何とか終わり、今度は2日目の朝になりました。

普段訪れる神社・仏閣は静かですが、お正月は少し活気がありますね
今年お参りした最後の初詣は上今諏訪神社です

平成28年に諏訪大社で行われた御柱祭に行ってから、林檎やお蕎麦のイメージ
だった長野県に新たにこの御柱祭があると強く印象付けられています。

ただ記事がその1で途切れているのが、心残りでいますが、この御柱祭
写真も多く、ちょっと躊躇しています(笑)

ブログ山梨2にアップしてますが、今のブログより訪問者さんが毎日ある
のはどうして(笑)でしょうか・・・


関連記事



晴れ渡った青空で気持ちの良い朝でした
9時過ぎですがお正月という事で静かです
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綺麗に正月飾りをした境内に一礼して参拝します
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除夜祭も行われた様です
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立派な本殿です
氏子の皆さんがいつも守っている神社だと思います
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お札もご自由にとあるので頂きました
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からから〜んとb鳴らしてみました
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夜中にもご苦労されたと思います
投光機や熱風を出す機械が置かれていました
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鶴と亀がデザインされた初詣の赤い幟です
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北側にこんな(ほこら)がありました
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原山祠とあります
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夫婦石というのもあります
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道祖神として祭られていたものかも知れません
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なかなか読み込めませんが、なにか文字らしきものは刻まれてありました
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という事で上今諏訪神社に初詣した時の写真はここまでです

よく神社境内にはがあり、説明文をよく読んでも分からない事が多く
ありますが、信仰している地域の皆さんがいるという事は分ります。

は忘れ去られた感もして、写しながら寂しい気持ちもしますが、個人的
には何かしら新しい発見もあったりしてなかなか面白いです。



上今諏訪 諏訪神社 山梨県南アルプス市白根町 21.3.28
■ タイトルに「諏訪」が続いていますが、上今諏訪にある諏訪神社ということで、誤記ではありません。

  郷土誌『オール諏訪』に載っていた『甲斐国「御射山」勧請伝承考』に、目が釘付けになりました。寄稿した原直正さんとは縁あって二度お会いしていますが、彼の底知れぬ知識に脱帽しました。
 その文中に、「山梨県南アルプス市白根町上今諏訪の諏訪神社は、他所には見られないような摩訶不思議な空間を形作っている」とあります。
 空間、すなわち「諏訪神社(諏訪大社)の社殿構成を忠実に再現した上今諏訪神社」に強く惹かれ、私も自分の目で「山梨の諏訪神社」を参拝することにしました。
 この『GoogleMap』は、上今諏訪諏訪神社の“摩訶不思議な空間(摂末社の鎮座場所)”を表示させたものです。
上今諏訪 諏訪神社
上今諏訪諏訪神社 下手な説明より、と境内にある「由緒書」をそのまま載せました。この神社の特殊性が書かれているので、マーキングした箇所だけでも頭に叩き込んでください。

 勧請年月は不詳である。『甲斐国志』によると、「諏訪明神(上今諏方村)御朱印社領二石一斗余、社地方一町余、此祠及下今諏方祠ハ本州に諏方明神ヲ勧請ノ権輿ナリ故ニ村名トスト云」とあり、末社には春宮・秋宮・御柱社・十三所(蔵)社・中島社があり、その構成は信州諏訪大社と同一であり、他の諏訪神社には例がなく、旧白根町唯一の旧郷社である。
 例祭日には末社春宮・十三所社・秋宮・中島社・御柱社と神輿渡御があり、釜無川にも御幸して防水祈祷を行う。前夜祭には十三所社中に七重の注連を張りこれを切り払って祭礼の始めとしている。
 平成十五年例祭日より御神輿渡御は交通事情により中断しているが当日末社の祭礼は行う。
 諏訪大社上社の現行の御射山祭では、神輿が御射山社へ渡御し、祭事が終わると、神戸八幡神社で休憩してから戻ります。また、明治維新までは、「八乙女」という巫女職がありました。これらを頭に入れて下記の上今諏訪諏訪神社「御射山祭」を読むと、さらに興味が湧きます。
 往古は毎年七月初一日に十三所社中に今と同じく七重の注連を張る。是を祭礼始めとし、十八日に萱を刈って御柱社中に仮殿を造り、これを「刈萱の神事」及び「穂屋祭」と称し、廿一日には十三所社中に神幸、剣を抜いて七重の注連を切り払って神輿を渡し、それより御柱社中の仮殿に御幸する。
 これを「御射山祭」といって、近隣の村々の者はみな来拝したもので、またその当日は、東八代の白井河原の八乙女宮まで神輿が渡御し、途中の成島の八幡神社の境内に休憩する場所が決まっていたと云い、翌日廿二日には十三所社・春宮・秋宮・中島社まで神幸が行われたが、その時の神輿の通路は「諏方ノ原」と呼ばれ、神輿が還幸すると相撲場で盛大の奉納相撲が行われたものでる。
本殿と磐座
上今諏訪諏訪神社本殿 平成3年に建て替えられた拝殿の横を廻ると、本殿は予想外の「春日造」の姿を見せていました。同じ諏訪神社でも山梨県です。「ところ変われば…」と言いますから不思議ではありませんが、それでも「流造」を見慣れている私には、春日造に梶の神紋は奇異に映りました。
上今諏訪神社磐座 原直正さんの記述にあった「磐座」を確認しようと、本殿裏の高みに登ってみました。大小二つの石がありますが、諏訪大社の「硯石」に合わせたかのような「扁平な石」が磐座でしょう。写真でイメージしていた大きさと違い慎ましいものでした。
 古い写真と比較したら、やや右にズレているように見えます。結界がありませんから、子供(大人)がそれと知らずに動かした可能性もあります。
高辻
高辻 高曇りとあってやや色が地味ですが、“これから”という若木がつけた桜花の下に、「高辻」とある土俵がありました。高さは2m以上あるので「高」でいいのですが、交差点である「辻」が結びつきません。

 「高辻」を調べてみましたが、その語源はわからず仕舞いでした。「『辻(十字路)』の中心に土俵を造り、東西・南北と交互に力士が入場して相撲を取った」「『辻』は、突き固めた『築地』の転化」の二つを考えてみましたが、後者の方が“学術的”なので推薦としました。一方の「高」ですが、下からは見にくい形状が説明できません。「奉納相撲」ですから、神様に近い高土俵としたのでしょうか。
 
原山社
原山祠
 この石祠は、もと北原地内の村境近くにあって、古くから住民に親しまれてきた原山さんを昭和五十四年秋、氏子総代一同の奉仕によって此処に遷したものである。
 江戸時代の末期篤信の二人の村人が、青哲村※青木の原山神社から勧請したものとの伝えもあるが年代その他さだかではない。
 嘗(かつ)ては、胃腸の患いに霊験ありと近郷から信仰され昭和の初期頃までは毎月八月二十七日に例祭が行われていた。
 元来、原山というのは諏訪神社の主要祭場の一つであり、今も諏訪大社では上社にあっては八ヶ岳の山裾、下社にあっては霧ヶ峰の山腹にそれぞれ原山様を祀り、八月二十七日の例祭日には幼児の健康祈願のための盛大な祭典が挙行されている。
※韮崎市の旧清哲村の間違い?
原山社 上今諏訪諏訪神社の境内では、入口側にある祠です。背後の案内板には「どちらが」と書いてないので、二棟とも載せました。
 由緒には書いてありませんが、例祭日と内容から、原山社が「御射山社」であることがわかります。これほど忠実に諏訪神社上社(諏訪大社)を再現した諏訪神社は、日本でここだけでしょう。

上今諏訪 諏訪神社《山梨県の諏訪神社》


(ほこら)
(ほこら)とはを祀る小規模な殿舎。語源は神道用語の「ほくら(神庫、宝倉)」の転訛という。小祠(しょうし)、小堂(しょうどう)とも。もともとは古神道に由来する信仰であるが、神仏習合によって道祖神に関連した地蔵菩薩など)も祀るようになった。

概要
神社と異なり鳥居はないか、あっても非常に小規模なものに過ぎない。社殿は木製の他、石造の場合もある(それぞれ木祠(もくし)、石祠(せきし)と呼ぶ場合もある)。多くは切妻屋根を備え、厨子に見られるような観音開きの戸を開けると内部に仏像神像などが収められている場合がある。
祭神は一定しないが、仏像が収められている祠は地蔵菩薩を祀るとされるものが多く、特に京都を中心とする近畿地方では地蔵盆の主体となるなど、地元の集落において素朴な信仰が保たれている。
場所
祠のある場所は集落の入口や道の三叉路などのほか、山の神のように奥深い山奥や海岸の絶壁などに祀られるものには神道的な自然崇拝を偲ばせるものもある。三重県宮川村では、「堂(祠)の前」を土砂災害の起きやすい場所として伝えてきた。2008年に発生した土砂災害では、土石流が祠を飲み込む形で流下し、過去の教訓が生かされる形となった[1]

関連項目
道祖神 屋敷神 厨子 仏龕 神社 神道 信仰 お社(小社)


諏訪大社

諏訪大社(すわたいしゃ)は、長野県諏訪湖周辺4か所にある神社式内社名神大社)、信濃国一宮旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社神紋は「梶の葉」。
全国に約25,000社ある諏訪神社の総本社である。旧称は諏訪神社。通称として「お諏訪さま」「諏訪大明神」等とも呼ばれる。


概要
長野県中央の諏訪湖を挟んで、以下の二社四宮の境内が鎮座する。
上社は諏訪湖南岸、下社は北岸に位置し遠く離れているため、実質的には別の神社となっている。なお「上社・下社」とあるが社格に序列はない。
創建の年代は不明だが、日本最古の神社の1つといわれるほど古くから存在する。『梁塵秘抄』に「より東の軍神鹿島香取、諏訪の宮」と謡われているように軍神として崇敬された。また中世に狩猟神事を執り行っていたことから、狩猟漁業の守護祈願でも知られる[1]
社殿の四隅に御柱(おんばしら)と呼ぶ木柱が立っているほか、社殿の配置にも独特の形を備えている。社殿は多数が重要文化財に指定されているほか、6年に一度(7年目に一度)催される御柱祭で知られる。

祭神
当社全体で祀る主祭神は以下の2柱(各宮の祭神については各項参照)。両神とも上社・下社で祀られている。
上社本宮祭神。『古事記』の葦原中国平定(国譲り)の段において、大国主命の御子神として登場する。母は沼河比売(奴奈川姫)とされる。
『先代旧事本紀』には建御名方神が信濃国諏方郡の諏方神社に鎮座すると明示されている[2]
上社前宮・下社主祭神。建御名方神の妃。
なお、本来の祭神は出雲系の建御名方ではなくミシャグチ神、神ソソウ神、狩猟の神チカト神、石木の神モレヤ神などの諏訪地方の土着の神々であるという説もある[要出典]。現在は神性が習合・混同されているため全てミシャグチか建御名方として扱われることが多く、区別されることは非常に稀である[要出典]。神事や祭祀は今なおそのほとんどが土着信仰に関わるものであるとされる[要出典]
八幡神住吉三神など他の信仰にも見られるように個々の祭神が意識される事は少なく、まとめて「諏訪大明神」・「諏訪神」として扱われる事が多い。

特徴
御柱
当社の社殿の周囲四隅には、御柱(おんばしら)と呼ぶ以下4本のモミの柱が建てられている。 御柱は一から四の順に短く細くなり、上空から見た場合に時計回りに配置される。
  • 一之御柱 - 社殿右手前
  • 二之御柱 - 左手前
  • 三之御柱 - 左奥
  • 四之御柱 - 右奥
下社秋宮・春宮では御柱先端の御幣が正面(裏面は曳行により削れている)を向いているが、上社本宮・前宮では諏訪大社奥宮のある八ヶ岳の方向を向いている。諏訪地方では、大きい神社から小さい祠に至るまで、当社にならってこの御柱を設ける社が多い。御柱の由来は明らかでなく古来より説があるが、今日では神霊降臨の依り代説、聖地標示説、社殿建て替え代用説が検討の余地を残している[3]
諏訪大社の御柱はの年に建て替えられ(御柱祭)、全国の諏訪神社や関連社でも同様の祭(小宮祭)が行われる。『諏方大明神画詞』には平安時代初期の桓武天皇年間(781年-806年)に御柱祭実施の記載があり[4]、その頃にはすでに御柱が設けられていたとされる。

神体・宝殿
当社には本殿が設けられていない。本宮は拝殿後背の守屋山、秋宮はイチイの木、春宮はスギの木を神体とし、拝殿からそれらを拝する[5]。なお、前宮は古くは上社摂社であった関係で本殿を有している。
本宮・秋宮・春宮には、本殿がない代わりに2つの宝殿がある。宝殿の一方には神輿が納められ、の年の御柱祭で御柱建て替えと同時にもう一方へ遷座し、古い宝殿は建て替えられる。すなわち1つの宝殿は12年ごとに建て替えられ、神明造に似た古い様式を現在に伝えている。寅年から申年の間、神輿は向かって右の宝殿に納められる(申年から翌寅年は逆)。神輿の納められる宝殿は「神殿」と呼ばれて祭祀が行われ、もう一方は「権殿」と呼ばれる[6]。このように宝殿は一般の本殿にあたると解され、神社に本殿が設けられる過渡期の状態と考えられている。
そのほか、宝殿を含め当社の社殿は華美な装飾・塗装はなされず、全て素木造である。


平成30年記事一覧(9記事目)
2018年の初日の出と富士山      2018年1月2日(火)午前7:00
甲州弁でおもっせの煮物料理     2018年1月2日(火)午後5:00
元旦に作ったお雑煮            2018年1月6日(土)8:00
甲府市内から見た元旦の富士山山頂付近  2018年1月7日(日)7:00
玄関に飾った簡単な松竹梅の正月飾り   2018年1月7日(日)8:00

山梨縣護國神社に初詣とかがみもちさんの和芸


皆様こんばんは
いつもご訪問ありがとう御座います

今回も正月元旦の初詣の写真をアップします
武田神社に参拝した後。今度は近くの山梨縣護國神社にも初詣致しました

毎年ですが、先の大戦で犠牲になられた戦没者が眠る山梨縣護國神社にも
今年1年健康で平和な日本であって欲しいとお参りしています。



この一帯は山梨歴史文化公園となっています
甲府駅北側が北山街道という地域です
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4つの色分けされた地域に夫々のお寺や神社が点在しています
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志麻の里地域です
湯村温泉卿北側一帯ですね
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小松の里一帯です
この辺は武田神社周辺です
この山梨縣護國神社はこの位置です
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板垣の里表門の里一帯です
ここは甲斐善光寺の周辺ですね
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護国神社の鳥居は真っ白です
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阿吽
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神社を参拝する時は必ず狛犬をみています
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この階段を登ると本殿がみえてきます
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いつも感じますが、ここに登ってくると今ある日本はここで眠る
戦没者の犠牲の上に成り立っている、と強く感じます
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色々なお守りが売られています
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武田神社とは違い、参拝者はご高齢な方もお見受けします
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参拝した後いつも此方で甘酒が振舞われているので、僅かですが
お気持ちを添え、甘酒を受け取ります
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日が出ているので多少暖かく感じますが、武田神社で疲れていたので癒されます
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神楽殿で舞が披露されるとアナウンスがあり、一度戻ってから拝見する事にします
山梨在住のかがみもちさんご夫婦の演舞が始りました
笛と太鼓の演奏で獅子舞見学です
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ポーズも決まってます
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傘の曲芸を披露して頂きました
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端っこを転がしています
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これも難しいと思います
傘が波打ってました
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お茶碗も転がせるんですね
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最後は自然に立ててました
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犬年に因み可愛い柴犬のぬいぐるみです
乗せるだけでも大丈夫かなあ〜と思ってみてました
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今度は難しいそうな桝を転がしています
テレビでも見た事があるなあ〜と思ってみてました
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今度は奥様の芸が始りました
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難しい技を次々と披露してくれました
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ご夫婦の息もピッタリですね
ここでこういった演舞は初めて見ました
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元旦から働いている・・・と思うとご苦労様ですと思い
拍手をしながらこの場を後に致しました

毎年、この山梨縣護國神社に初詣にきますが、元旦早々おめでたい芸を
何の前触れも無く真近で見れたのは幸運でした。

今年最初の幸運だったと思います
一年一年、平和な日本であり続ける事を願いながらの参拝でした。



山梨縣護國神社
山梨縣護國神社(やまなしけんごこくじんじゃ)は、山梨県甲府市にある神社護国神社)である。
西南戦争以来の山梨県関係の戦没軍人・軍属の戦死者25039柱を祀る。
明治12年(1879年)、招魂社として市内太田町に建立されたのに始まる。昭和17年(1942年)に現在地に遷座し、昭和19年(1944年)、山梨縣護國神社に改称した。戦後の一時期、山梨宮に改称していた。現在「山梨宮」は、山梨県出身の殉職自衛官などを祀る摂社の名前になっている。
現鎮座地である岩窪は甲府藩柳沢氏菩提寺である黄檗宗寺院永慶寺の所在地で、永慶寺は享保9年の甲斐国一円が幕府直轄領化された際に大和郡山に移転された。また、山梨県内有数の桜の名所としても知られている。

交通
  • JR甲府駅北口2番のりばより山梨交通バス「武田神社」行きまたは「積翠寺」行きに乗車し、「護国神社入口」バス停下車、徒歩約10分。
外部リンク

護国神社
護国神社護國神社、ごこくじんじゃ)は、国家のために殉難した人の英霊)を祀るための神社1939年招魂社から改称[1]。戦前は内務省によって管轄されていたが、戦後は独立の宗教法人となる[1]指定護国神社東京都神奈川県を除く道府県に建立され、その道府県出身ないし縁故の戦死者自衛官警察官消防士等の公務殉職者主祭神とする。

概説
護国神社は、明治時代に日本各地に設立された招魂社が、1939年(昭和14年)3月15日公布、同4月1日施行された「招魂社ヲ護國神社ト改称スルノ件」(昭和14年内務省令第12號)によって一斉に改称して成立した神社である。「招魂社」の名称は、「招魂」が臨時・一時的な祭祀を指し、「社」が恒久施設を指すため、名称に矛盾があるとして護国神社に改称された[2]。「護国」の名称は、1872年12月28日(明治5年11月28日)の徴兵令詔書の一節「國家保護ノ基ヲ立ント欲ス」、1882年(明治15年)1月4日の『軍人勅諭』の一節「國家の保護に尽さば」など、祭神の勲功を称えるに最も相応しく、既に護国の英霊等の用語が用いられて親しみも深い、との理由で採用された[3]。護国神社の総数は、1939年(昭和14年)4月時点で131社とされている[3]社格は持たないが、内務大臣が指定した府県社に相当する指定護国神社と、村社に相当する指定外護国神社に分けられる。1945年(昭和20年)8月のポツダム宣言受諾により、日本がGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領統治下に置かれると、護国神社は軍国主義施設とみなされ、存続を図るために名称から「護国」の文字を外すなど改称を余儀なくされた[注 1]。改称した神社は、1952年(昭和27年)にサンフランシスコ講和条約が発効して日本が主権を回復すると、大多数は旧社名に戻している。第二次世界大戦後、いくつかの指定護国神社は神社本庁別表神社となっている。
各護国神社の祭神は靖国神社[注 2]の祭神と一部重なるものの、靖国神社から分祀された霊ではなく、独自で招魂し祭祀を執り行っている[注 3]。そのため、公式には護国神社は「靖国神社とは本社分社の関係にはない」とされている。しかし、共に英霊を祀る靖国神社と護国神社とは深い関わりがあり、各種の交流もある。主要な護国神社52社で組織する全國護國神社會(旧・浦安会)は靖国神社と連携し、英霊顕彰のための様々な活動を行っている。なお、沖縄県護国神社では沖縄戦で犠牲になった一般住民、遭難学童及び文官関係戦歿者も祭神として祀られている[4][5]。また、広島護国神社では原子爆弾の犠牲になった勤労奉仕中の動員学徒女子挺身隊員も祭神として祀られている[6][7]
神道指令発令後、国家が神社に指揮監督する権限が無くなり、護国神社の祭神を靖国神社の祭神と定めた法令は失効した。
法令の失効や、岸本東大助教授の示唆もあってか、一部の護国神社でその護国神社國神社に祀られるべ靖国神社以外の御祭神を奉祀する例が出始めた。郷土の偉人や殉職自衛官を祀る護國神社は全部で札幌、秋田、新潟、福島、栃木、山梨、長野、富山、石川、福井、松江、愛媛、香川、徳島、高知、山口、佐賀、大分、長崎、熊本、宮崎、鹿児島、沖縄の計23社に及ぶ>[8]
1960年(昭和35年)に全国の護国神社52社に対して昭和天皇香淳皇后より幣帛が賜与されて以降、1945年(昭和20年)から数えて10年ごとに幣帛の賜与が続けられている。
護国神社は、建立以来、主として戦没者の遺族会戦友会が運営的・財政的に支えてきた。しかし、戦没者を直接知る遺族や戦友たちの高齢化とともに、その数は減りつつあり、財政的危機に見舞われる護国神社が増えると見られている。そのため、旧指定護国神社を中心に崇敬会・崇敬奉賛会を設立している。なお、東京都目黒区五本木に存在した目黒護国神社は、1959年(昭和34年)10月に目黒護国神社崇敬会を設立して管理していたが、役員が亡くなって引き継ぐ管理者もなかったため、目黒区の外部監査で指摘を受け、2008年平成20年)5月に取り壊されている[9][10]


平成30年記事一覧(6記事目)
2018年の初日の出と富士山      2018年1月2日(火)午前7:00
甲州弁でおもっせの煮物料理     2018年1月2日(火)午後5:00
元旦に作ったお雑煮            2018年1月6日(土)8:00

平成30年元旦武田神社に初詣(富士桜豚まん)


皆様おはよう御座います
平成三十年も宜しくお願い致します

もう5日なので、官公庁も企業も学校も普段と変わらない日常がやってきました
ブログでお付き合いの皆様にも、普段の生活がまた始まっていると思います

さて2日程サボってましたが、せめてお正月の写真だけは早めに更新しようと
思い武田神社に初詣に行った写真をアップ致します

山梨に観光に来られた方であれば、この武田神社に参拝された方は多いと思い
ますが、普段静かな境内もこの時は様子が一変します。



武田神社前の道路は警察官が誘導していて、参拝の列が蛇行しています
最後尾の看板を見つけ並び始めてから10分位して撮りました
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やっと正面にきました
並び始めて30分位経過しています
鳥居前、橋の向こう、僕のいる位置と30人ずつ位で小分けにされて並びます
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武田信玄居城跡なので、観光客の皆さんも多く風林火山の旗が出迎えてくれます
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参道になるとまた動かなくなりました・・・
1時間以上経過しています
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何しろ一人なので暇です
また写しました(爆)
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神楽殿の近くに鏡餅の由来がありました
並んだ時間もあったので、ゆっくり読みました
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飾られた鏡餅はなかなか立派です
この前で記念写真を撮る方が多かったです
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武田神社から望む富士山です
武田信玄公も毎日ここから眺めたのでしょうか?
歴史ロマンを感じます
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赤い帽子が可愛らしいお地蔵様です
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いつもいる白鳥さん
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餌を捜しているのでしょうか?
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神社前の通りには露店が立ち並んでいます
から揚げ、たこ焼き、焼きそば・・・
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いつもは甘酒ですが、このあと飲む予定なので富士桜豚まんにします
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ふわふわしてます
寒い体にはいいですね〜

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肉の塊がごろっとして美味しい肉まんです
自分でも作ってみたいなあ〜
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という事で今年1年の無事・健康をお祈りしてきました。
既に出遅れた感じもしますが、お正月に関する写真は近い内にアップ予定です


平成30年記事一覧(4記事目)
2018年の初日の出と富士山      2018年1月2日(火)午前7:00
甲州弁でおもっせの煮物料理     2018年1月2日(火)午後5:00

明暦時代の鳥居がある甲府市千塚八幡神社


皆様おはよう御座います
今週も宜しくお願い致します

今月は今日と明日を残すのみ、となり本当に2月は早いものだと実感
致します。

新しいブログになってからは食べ物の話や食べ歩きの話題が多かった
と思いますがこういった神社を尋ねることも好きです。

あまり詳しい解説は出来ませんが、ここでも割りと多くの写真を撮った
ので、簡単にご紹介致します。

今回新たに山梨の神社書庫を作りました
このブログの中でも個人的は重要な書庫の1つだと思っています


先ずここから神社に向いました
社号標というそうです
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庚申塔もありました
先日行った山梨県立博物館には学生さんの研究発表がパネル展示してあって
その中に庚申塔を研究されたパネルもありました
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この参道を進みます
左右に狛犬が見えてきました
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ちょっと変わった狛犬でかなり造り込まれた感じがしました
他の方の記述では太田町の稲積神社の狛犬と酷似しているとあり
ナルホド、そういわれてみれば確かにと、思いました


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阿吽とも子取りで阿の子は牡丹を、吽の子は玉を持っている、と読みました
確かに毬のようなものが見て取れます

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こういった石の鳥居は古そうですね
台輪鳥居というそうです
注連縄も張られてありました
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石版で出来た八幡宮の文字です
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とても古さを感じたので裏側に回って文字を確認しました
右という文字の他に人の名前らしき文字が彫られています
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明暦という年号を発見しました
江戸時代前半です
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明暦の下が読めないので拡大をしてみました
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よく分らないので少し離れてもう1枚写しました
こういった古い年号を見ると興奮します(爆)
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明暦という年号は生まれて初めて見ました
360年以上も前のかなり古い鳥居ですね

明暦(めいれき)は、日本元号の一つ。承応の後、万治の前。1655年から1657年までの期間を指す。この時代の天皇後西天皇
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朱色に塗られたこの建物は随神門というそうです
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中にはこの様な木像が安置されてました
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全体的に色が褪せてしまったのでしょうか?
青い部分があるので、本体は綺麗に彩色が施されていたのかも知れません
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この様な小さい社もありました
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これも詳しい事は分りませんが、整然と神棚の様なものが納められてます
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奉祝皇紀二千六百年記念と彫られて石碑もあります
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これも何かの記念碑ですね
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この境内には色んな石で出来た祠がありました
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こんな石碑もありました
どの様な神様かは不明です
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大きな絵馬が奉納されてあります
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祭神は 帯中日子尊、誉田別尊、息長帯姫大神との記述がありました
立派な拝殿でお参りさせて頂きました
注連縄を立派です
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拝殿の後ろ側です
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本殿にあたる部分でしょうか?
真横カラみています
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参道に整然と並んだ石灯篭です
十二支の干支が彫られた12基の石燈篭とありました
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詳しいことは分りませんが、慰霊碑でしょうか?
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由緒がかかれてありました
奈良時代からの神社で武田家の代々の祈願所にもなっていたそうです
相の間と本殿
摂社


という事で月曜の朝からちょっと込み入った記事にお付き合い頂き
ありがとう御座いました

偶々立ち寄った神社でしたが、石の鳥居に明暦と彫られてあったので
急にテンションが上がって仕舞いました。

明暦という年号は生まれて初めて見ましたが、明暦の大火という大災害
で微かな記憶のあるだけの年号でした

また神社に立ち寄った時は何か自分なりの発見を期待したいと思います
皆さんは神社にはいかれるでしょうか?


千塚八幡神社
甲府市千塚3(平成17年6月5日)
この神社は千塚3丁目、北バイパス・山手通り沿いに鎮座し、その北には加牟那塚古墳が有ります。由緒によると古くは帯那村八王子山に鎮座していましたが、奈良時代、769(神護景雲3)年に当地に遷座したと伝えられ、母子信仰の神として崇敬されていました。11世紀には甲斐守源頼信によって社殿が修理されて以来、武田家の代々の祈願所となったといいます。御祭神は誉田別尊、帯中彦尊、息長帯姫尊の三柱です。記録が焼失していたため明治期には村社としてしか認められなかったようですが、その枠を越えた氏子さん達の熱意が感じられる神社でした。又此処には江戸時代の石橋、鳥居、庚申塔、十二支の干支が彫られた12基の石燈篭など石造物も多くあり、狛犬は左右とも大きな子を抱え込んだ独特の形で、太田町の稲積神社の狛犬と酷似、兄弟なのではないかと推測しています。
(本村石工・辻 弁助刻  昭和7年2月吉日建立)
注連柱、社号標と神社入り口
参道途中の台輪鳥居
全体に細かい細工が施されている、異様な形ではあるけれど美形で彫りのいい狛犬。
 阿吽とも子取りで阿の子は牡丹を、吽の子は玉を持っている。
随神門
十二支の干支が彫られた石燈篭と拝殿
相の間と本殿
摂社
立派な造りの境内社


甲府市千塚八幡神社
この神社に棲息する狛犬は1対。
左右とも大きな子を抱え込むため独特の形態をしている。
右は牡丹を口に咥えている。全体に細かい細工が施されている。

建立年月:1932(昭和7年)2月吉日
石工名:甲府 青木清一
右側:阿形。足元に毬。
左側:吽形。足元に子が1匹。


千塚八幡神社 御由緒
八幡神社(旧村社)
鎮 座 地  甲府市千塚3ー5ー1
祭   神  帯中日子尊、誉田別尊、息長帯姫大神
例 祭 日  8月1日・10月17日
宮 司 名  根津泰昇
境 内 地  1228坪
氏 子 戸 数  278戸
由 緒 沿 革    神護景雲三年始めてこの地に勧請し、長元年中源頼信の寄進による社殿の造営あり。以来、武田家代々の氏神として崇拝せられ、とくに信隆、晴信の時は最も壮麗を極めたが年と共に荒廃し、正徳三年新たに再建した。境内社に諭加社、神明社、道祖神を祀り、明治六年五月村社に列せられ現在に至る。

明暦(めいれき)
明暦(めいれき)は、日本元号の一つ。
承応の後、万治の前。1655年から1657年までの期間を指す。
この時代の天皇後西天皇江戸幕府将軍は徳川家綱

承応4年4月3日グレゴリオ暦1655年5月18日) 後西天皇即位のため改元
(ただし、承応2年の内裏火災による改元予定が後光明天皇崩御によって延期
されたとの説もある)

明暦4年7月23日(グレゴリオ暦1658年8月21日) 万治に改元
漢書』律暦志の「大法九章、而五紀明歴法」と『後漢書』の「黄帝造歴
歴与暦同作」から。『中嶋隆「衆道と主君殺しー西鶴武家物と稲葉伊勢守殺
害事件」(『西鶴文学の魅力』所収 勉誠社 平成6年)』

裁断者:小田原藩主稲葉正則  京都市伏見区淀の旧城内稲葉神社蔵の『永代日記』(慶安元年から天和三年までの小田原藩江戸藩での諸事を日記形式で記した日記)に稲葉正則の事件への対応が記されていた。  〈事件概要〉  事件発生当初は自殺と処理された正吉の死だったが、状況証拠から正則は他殺と断定。正吉の家老・安藤甚五左衛門と小姓・松永喜内への尋問、拷問の末に甚五左衛門が白状に及ぶ。 衆道関係にあった甚五左衛門・喜内両名と、両者を仲介した長谷川江斎、またその親類の処罰は、江斎は斬首、甚五左衛門・喜内両名は火刑、甚五左衛門の妻と喜内の母は処刑。多くは、男の親族が死罪、女の親族は助命されている。  ・「稲葉伊勢守殺害事件」について書かれた記事 『厳有院殿御実記』…『徳川実紀』経済雑誌社 一九四〇年初版 『玉滴隠見』   …『玉滴隠見 談海集』三五巻 天正‐延宝八の雑史 『慶寛要録』   …『慶寛要録』四冊 慶安―寛文。【写】岩瀬←西尾市岩瀬文庫

誕生

江戸時代

今年2度目の武田神社参拝と白鳥



皆様、日曜の朝如何お過ごしでしょうか?
今朝は同じ時間に自家製さくらんぼジャムを作りましたというのをアップ致しました

もし良かったらそちらの方もご覧頂ければ、と思います

さて今回はお正月に初詣で訪れた武田神社にまた先月の暮れに参拝した時の写真
をアップ致します。



お正月とは違いまたいつもの静かな武田神社です
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この赤い橋を渡って参拝します
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お堀に鴨や白鳥がいて和ませてくれています
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鴨さんも見慣れていますが、親子連れでしょうか・・・
可愛いので写真を撮る事にしました
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ちょっとアップしました
水かきを回転させています
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白鳥も頭を水面に潜らせています
餌を取っているのでしょうか?
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すいすい泳いでいます
空も飛べるのに水泳も得意だんなて・・・考えると凄い能力です
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何を取っているんでしょうね
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こうして何かを狙っている視線にも感じます
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また一直線に水面に頭を突き刺す様にいれました
意外と長い間、首が上がってきません
結局、何を食べていたのかは分りませんでしたが、10分程ここで癒されました
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武田神社の鳥居に掲げられている武田神社の石版です


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武田神社拝殿

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参拝を済ませてから今度は反対側からです
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レンズがちょっと曇ってますが、本殿です
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国歌に登場するさざれ石です
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苔の蒸すまで〜とついつい口ずさみたくなります・・・
上の方に本当に苔が生えています
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やはり風林火山ですね
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今年は丁酉(ひのと とり)という年だそうです
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武田神社崇敬会入会の御案内という書面がありました
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武田神社宝物殿には風林火山(孫子の旗)を公開しています
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武田神社関係の書籍案内です
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お水取り用ペットボトルは100円です
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入浴剤もありました
信玄公の隠し湯です
山梨にはそういわれている温泉が各地にあります
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という事で今回は最近の写真をアップしてみました

去年の在庫写真もまだまだあるので、在庫を減らしながら最近の写真も
併せてアップしていこうと思っています

今週は新しいブログに移行した分も合わせ合計で14記事アップできました
来週も出来るだけ、記事アップできれば、と思っています



今週の記事一覧(6記事目)
夏野菜の写真がありました  2017/2/6(月)午前5:00
さくらんぼの収穫に使う昇降機と脚立 2017/2/7(火)午前5:00


新規ブログ山梨3の記事一覧(8記事目)
はじめまして!  2017/2/9(木) 午後5:00
ロッテ爽冷凍レモン 2017/2/10(金) 午後5:00
D Train -You're the one for me 1982  2017/2/10(金) 午後9:00
CHELSEA New York のサングラス 2017/2/11(土) 午前5:00
ベビー帆立とみつばの味噌汁 2017/2/11(土) 午後5:00
今年2度目の武田神社参拝と白鳥          2017/2/12(日) 午前5:00 

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