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永井龍之介スペシャルアート講座Vol.5 おすそ分け フェルメール編



皆様こんばんは
最近ブログの更新ができていませんが、如何お過ごしでしょうか?

連休になっているので明日もお休みの方が多いと思います
天気も良さそうなので、お出かけには良いかも知れませんね。

僕は相変わらず元気で研修期間ではありますが、あちこち出かけています
今後更新がまた出来る筈なので、少しずつですが更新予定でいます。

今夜はなんでも鑑定団でお馴染みの永井龍之介さんの解説による
フェルメール編を少し取り上げました。

解説を聴くと以前は青いターバンの少女』とか『ターバンを巻いた少女』と
呼んでいた時代もあったそうで、名前の変遷も興味深い話でした。

相変わらず分かりやすい説明でした

永井さんが真珠の耳飾りの少女 (映画) にも触れていたので探して貼り付けました
ご興味のある方は動画をどうぞ・・・



永井龍之介スペシャルアート講座Vol.5 おすそ分け フェルメール編 - YouTube


『真珠の耳飾りの少女』
真珠の耳飾りの少女』(しんじゅのみみかざりのしょうじょ、: Het meisje met de parel, : Girl with a Pearl Earring)は、オランダの画家 ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer)の絵画であり、彼の代表作の一つ。『青いターバンの少女[1]・『ターバンを巻いた少女』とも呼ばれ、オランダのデン・ハーグマウリッツハイス美術館が所蔵する。口元にかすかな笑みを湛えるかのようにも見えるところから「北のモナ・リザ」「オランダのモナ・リザ」とも称される。

由来
制作されたのは、1665年もしくは1666年と推定されている。フェルメールが33歳から34歳の頃で、画家として安定した技量を発揮しつつあった時期であるが、異論がないわけではない。この少女のモデルをフェルメールの娘マーリアであるとして1670年代とする意見もあるが、1670年代の彼の技法はこの絵と明らかに異なっているため、可能性は低い。ただし、本作の構図は極めて単純で、少女の上半身が描かれているだけで他に年代を推定できるような物品や背景が無く、後で述べるように少女の特徴であるターバンも全くの異国の風俗で、オランダ社会のファッションの移ろいとは無縁であるなど、時代から隔絶した趣が強く、1665年又は1666年という数字もあくまで推測の域を出ない。この絵画には「IVMeer」という署名があるが、日付はない。注文を受けて描かれたのか、そうであれば誰から注文を受けたのか、という事も不明である。その後、フェルメールは1675年に43歳で破産同然で死去したので、残された作品も競売にかけられるなどして散逸した。『真珠の耳飾りの少女』も、他の絵とともに1696年に競売された目録が残っている。
その後、1881年まで所有者は転々としたが、フェルメールの希少な作品が海外に流れるのを防ごうとしてきたヴィクトール・ド・ステュエール(Victor de Stuers)の説得に応じたデ・トンブ(A.A. des Tombe)は、1881年にハーグのオークションにてわずか2ギルダー30セント(およそ1万円)でこの絵を購入した。当時この絵は極めて汚れており、そうした低評価もやむを得なかった。デ・トンブには相続人がいなかったため、この絵を他の絵画と一緒にマウリッツハイス美術館に寄贈し、以後ここに所蔵されている。1882年には補修が行なわれ、1960年、1994年から96年にも補修されたが、1994年から2年間の修復は入念かつ徹底的に実施され[2]、その結果、絵はフェルメールによって描かれた当時の状況に非常に近いものとなっている。現在取引きされるなら、その価格は100億円とも150億円とも言われる。
ここに描かれている少女が誰かは興味深い問題で、様々な説がある。フェルメールの娘マーリアとする意見もある他、彼の妻、恋人、あるいは作者の全くの創作などとも言われるが、フェルメールの家族や知人の肖像画は無く、伝記の類も残っていないので真相は不明である。

鑑賞
描かれた少女が誰かはわからないが、これは「肖像画」ではなく、「トローニーen:tronie)」という独自の様式に分類される。モデルなしに想像で描いたものか、実際にモデルはいても、肖像画のようにその人物の地位や名声を表面に押し出す必要がない、そのため画家が自由に描く事ができるものである。

下唇を明るく光らせ上唇の輪郭をぼかす事で若々しく瑞々しい質感が出されている。1994年からの補修によって、少女の唇の左端(画面で見ると右端)に白のハイライトがある事、また唇の中央部にも小さな白いハイライトがあるのも明らかになった。これらは、唇の濡れた感じを示す効果がある。口元は少し開き加減で、鑑賞者には何かを言いたそうに見え、また微笑しているようにも感じられる。いずれも強い印象を与え、想像力を刺激される。『モナ・リザ』にたとえられる所以である。

真珠の耳飾り
現在ではイヤリングといわれる装身具。輪郭線は用いず、光の反射だけで直径2㎝はありそうな大粒の真珠を写実的に描いている。反射は斜め上から差し込む光による明瞭なものと、少女の服の白い襟に反射した光によるものぼんやりしたものがあり、立体感を生み出している。1994年の補修の結果、それまであったもう一つの小さな反射と見えたものは、以前の補修に際してはがれた絵の具が裏返しになって画面に付いてしまったものだと判明した。

ターバン
フェルメールの作品の多くに言える事であるが、この作品の場合は特に色の数が少ない。背景の黒を除けば、黄色と青色が主要部分を占めている。黄と青は補色の関係にあり、その対比は際立って目立つ。従って少女が頭に巻いているターバンの鮮やかな青が強く印象に残る。この青は西アジア原産のラピスラズリという宝石から作った非常に高価な絵の具を用いたものである。もともとこのターバンが人々の目を引き、『青いターバンの少女』・『ターバンを巻いた少女』と呼ばれて来た。
ターバンは、実際には当時のヨーロッパでは一般的なファッションではなく、特異な衣装である。当時はトルコが強大な帝国を築いており、ヨーロッパをしばしば脅かした[3]。しかし一方でヨーロッパ人にとってトルコやアジアの文化は異国情緒をそそる憧れの対象でもあって、家具調度や服装などにトルコなどの物品や風俗が用いられることも多かった。スイスの18世紀の画家ジャン・エティエンヌ・リオタールen:Jean-Étienne Liotard)のパステル画に、イギリスの貴婦人がトルコ風の衣装を着た様子を描いた作品がある(『世界の美術Ⅱ 西洋』 学習研究社 1967年)。本作の場合も、異国趣味を意識したものであろうと考えられる。
一方で、1599年にグイド・レーニによって描かれたと伝えられる『ベアトリーチェ・チェンチの肖像』のオマージュである可能性も指摘されている。[要出典]ベアトリーチェ・チェンチ(Beatrice Cenci)はイタリアの名門貴族の娘であったが、悪逆非道の父を殺害したため斬首刑となった。レーニの絵は彼女の処刑前夜を描いたと言われる。肩越しに振り向いた様子、ターバンを巻いている姿など共通点が多い。

姿勢
描かれた少女は、体は横を向きながら、肩越しに顔をこちらに向けようとしている。これも見る者を引き付け、様々な想像力をかき立てるため、本作の強い魅力となっている。これも上記の肖像画と似通っている。

贋作(偽物)
1937年、収集家アンドリュー・ウィリアム・メロンは、この絵と非常によく似ており、フェルメールの作品と思われたものをワシントンD.C.ナショナル・ギャラリーに寄贈した。その絵は現在では贋作と考えられている。フェルメール研究の専門家アーサー・ウィーロックArthur Wheelock)は、1995年の論文でテオ・ファン・ヴェインガールデンen:Theo van Wijngaarden)の手によるものと主張している。ヴェインガールデンは20世紀の画家で悪名高い贋作家であり、さらに悪名高いハン・ファン・メーヘレンの友人であった[4]。ハン・ファン・メーヘレンはオランダの画家で、フェルメールの絵画をいくつも偽造した事で有名。第2次世界大戦中にドイツの首脳ゲーリング(ヒトラーの後継者とされていた大物軍人・政治家)に贋作を売った事から戦後に犯行が発覚、逮捕されたが、ナチの大物をだましたというので刑は軽かった。

小説
小説『真珠の耳飾りの少女Girl with a Pearl Earring は、アメリカの作家トレイシー・シュヴァリエがこの絵から着想を得て書き上げたもの。この絵のモデルとなった少女とフェルメールの関係を描く。少女はフェルメール家の小間使いという設定になっている。フィクションであるが、まるで実話のように書かれている。

映画
映画『真珠の耳飾りの少女』は、上記の小説を2003年に映画化したもの。アメリカ・イギリス・ルクセンブルクの合作。小説版とは結末が少し異なっている。監督はピーター・ウェーバーen:Peter Webber)。フェルメール役はコリン・ファース、少女役はスカーレット・ヨハンソンが演じている。もともとフェルメールの絵は『青いターバンの少女』・『ターバンを巻いた少女』などと呼ばれて来たが、この映画のヒットにより『真珠の耳飾りの少女』の名が一般化した(『フェルメール』 美術手帖2012年6月号増刊)。




Девушка с жемчужной серёжкой - Girl with a Pearl Earring
 (2003, Питер Веббер)

A trip through japan with the ywca ca 1919


皆様こんばんは
今週も宜しくお願い致します

このブログでは食べ物系の在庫写真を中心に記事を構成してますが、個人的
にyou tube等で親しんだ映像も大室のお勧め動画としてご紹介しています。

皆さんの中には歴史好きな方が大勢いるかも知れませんが、昔の写真や
映像は今ある日本の礎になっているとも思え、大変興味深く思ってます。

そういう意味では歴史に関係する動画、映像、番組、映画、等々多くの
作品がネット上に溢れていてエンドレスで(爆)見入って仕舞います。

なかなか時間の制約、都合もあるので観ている動画を全てご紹介する訳
にはいきませんが、アイヌの皆さんの動画があったので取り上げました。

アイヌイオマンテというお祭りも初めて見ました
歴史に興味がある方のみ、ご覧頂ければと思います



A trip through japan with the ywca ca 1919


Film Notes
A Trip through Japan with the YWCA (ca. 1919)
Production Company: The Benjamin Brodsky Moving Picture Co. Producer: Benjamin Brodsky. Sponsor: Young Women’s Christian Association (YWCA). Transfer Note: Digital file made from a 35mm negative. Running Time: 10 minutes (silent, no music).
This fragment comes from a documentary sponsored by the YWCA to celebrate its 15th anniversary of service to Japan. The film’s maker, the peripatetic Benjamin Brodsky, a Russian-born entrepreneur had traveled the world and claimed to speak 11 languages and several Asian dialects. When the 1906 Earthquake destroyed his business, he moved from San Francisco to China and set up shop as a film exhibitor. Soon, as the American representative of Variety Film Exchange, he had a hand in distribution and by 1909 branched into film production in Shanghai and Hong Kong. While juggling business interests, he filmed his travels. By 1915, he was back in the United States promoting his 10-reel epic travelogue A Trip through China, a chronicle of his decade in the country. The film opened in New York City the following May, accompanied by lecturer Harry Dean.
Ever restless, the entrepreneur moved to Japan by 1917, where he again appears to have had some behind-the-scenes role in early film circles. There he produced, under the sponsorship of the Imperial Japanese Railroad, a second travel feature, Beautiful Japan (1918). Like A Trip through China, the two-hour film was usually shown in the United States with a lecturer, often Brodsky himself, who enlivened screenings with tales from his adventures.
A Trip through Japan with the YWCA is a documentary introducing outsiders to the scenic wonders and peoples of the far-off country. But the film also had a charitable purpose. Although reusing footage from Beautiful Japan—most noticeably the scenes with the Ainu of Hokkaido—it also interjects new material more central to the sponsor, about the role of women in Japan and their special needs. Included are shots of women in traditional occupations as well as fleeting images of workers outside a textile factory. “The death toll of tuberculosis in Japanese factories,” reads one intertitle, “claims 70,000 girls yearly. More attention is now being given to sanitation.” The fragment ends abruptly with a shot of a Buddhist prayer wheel in Nikko. It is unclear how much of the film is missing.
The remainder of Brodsky’s life is clouded in mystery. There is some evidence he returned to California, where he fought to return water to Lake Elsinore (Southern California’s largest natural freshwater lake) and lived into his eighties.
About the Preservation
These sections of A Trip through Japan with the YWCA survive at the National Film and Sound Archive of Australia, which generously lent the nitrate source material to make the preservation copies. George Eastman House added a concluding title card to mark the end. The new prints are available at George Eastman House and the NFSA.
More Information
Law Kar and Frank Bren’s “The Enigma of Benjamin Brodsky,” in the Hong Kong Film Archive Newsletter, no. 14 (Nov. 2000), summarizes much of what is known about Brodsky. The two authors, and collaborator Sam Ho, give a fuller account in Hong Kong Cinema: A Cross-Cultural View (Scarecrow Press, 2004).
Beautiful Japan has been preserved in a 16mm print at the Smithsonian’s National Museum of Natural History. Excerpts are included in the NFPF’s DVD anthology, Treasures from American Film Archives: Encore Edition (2005).
Although the YWCA established a local office in Tokyo as early as 1880, the national organization traces its roots to 1903 when the National Council of YMCAs of Japan formed through the merger of city and student chapters. More about the YWCA’s work can be found on the Web site of World Alliance of YWCAs.


イオマンテ
イオマンテ (iomante) とはアイヌの儀礼のひとつで、ヒグマなどの動物を殺してその魂であるカムイを神々の世界 (kamuy mosir) に送り帰す祭りのことである。[1]
言葉としてはi「それを」+oman「行く」+te「何々させる(使役動詞語尾)」という意味。「それ」とは恐れ多いカムイの名を直接呼ぶ事を避けた婉曲表現であり、従ってイオマンテとは「カムイを行かせる」儀式の意である。また、語頭のiとoの間に渡り音のyが挿入されてiyomante=イヨマンテという発音になることも多い。
単にイオマンテという場合、ヒグマのイオマンテを指すことが多い。本来はカムイであればどんなカムイでも構わず、一部の地域ではシマフクロウのイオマンテを重視する。またシャチを対象とするイオマンテもある。
飼育したヒグマを対象とする儀式はイオマンテ、狩猟によって捕殺した野生のヒグマを対象とする儀式はカムイ・ホプニレ (kamuy hopunire) と呼んで区別することがある。「ホプニレ」とはho「尻」+puni「何々を持ち上げる」+re「使役動詞語尾」で「(カムイを)発たせる」の意味。狩猟で殺した直後の獣のカムイは、魂 (ramat) の形で両耳の間に留まっているという。そこでカムイ・ホプニレの儀式では祭壇を設えてヒグマの頭部を祀り、酒食やイナウを捧げてそのカムイに神々の世界にお帰り頂くのである。

概要
冬の終わりに、まだ穴で冬眠しているヒグマを狩る猟を行う。冬ごもりの間に生まれた小熊がいた場合、母熊は殺すが(その際前述のカムイ・ホプニレを行う)、小熊は集落に連れ帰って育てる。最初は、人間の子供と同じように家の中で育て、赤ん坊と同様に母乳をやることもあったという。大きくなってくると屋外の丸太で組んだ檻に移すが、やはり上等の食事を与える。1年か2年ほど育てた後に[注釈 1]、集落をあげての盛大な送り儀礼を行い、丸太の間で首を挟んでヒグマを屠殺し、解体してその肉を人々にふるまう。
宗教的には、ヒグマの姿を借りて人間の世界にやってきたカムイを一定期間(1〜3年程度)大切にもてなした後、見送りの宴を行って神々の世界にお帰り頂くものと解釈している[3]。ヒグマを屠殺して得られた肉や毛皮は、もてなしの礼としてカムイが置いて行った置き土産であり、皆でありがたく頂くというわけである。地上で大切にされた熊のカムイは、天界に帰った後も再度肉と毛皮を土産に携え、人間界を訪れる。さらに人間界の素晴らしさを伝え聞いたほかの神々も、肉や毛皮とともに人間界を訪れる。こうして村は豊猟に恵まれるのである。熊の再訪を願うために、人間からの土産としてイナウトノト(濁酒)、シト(団子)を大量に捧げる。イオマンテの宴で語るユーカラは、佳境に入ったところでわざと中断する。神が続きを聞きたがり、再訪することを狙うのである。
類似の熊送り儀礼は、樺太周辺のニヴフなど、ユーラシアタイガの北極圏に近い内陸狩猟民族に広く存在している。イオマンテもその一種である。
北海道におけるイオマンテの儀式は1955年に北海道知事名による通達によって「野蛮な儀式」として事実上禁止となった。2007年4月、通達を撤回している[4]

儀式の進行

イオマンテの起源

アイヌ文化期に先行する擦文文化期の遺構からは熊に関連する祭祀の痕跡が見当たらないことから、イオマンテはオホーツク文化(担い手はニヴフといわれる)からトビニタイ文化を経由してアイヌ文化が取り込んだとの見方がある。詳細はトビニタイ文化を参照のこと。

「山の神・年神・屋敷神・田の神・稲の神・祖霊神」概念との類似
日本神道における、「山の神年神屋敷神田の神稲の神祖霊神」などの概念とイオマンテの概念との間には、類似性がみられる。
これらの概念を説明すると、
「山の神・年神・田の神・屋敷神・稲の神・祖霊神」は同一の存在の「豊穣神」であり、季節ごとにその名と姿と居場所を変える。まず、山の神が、冬の新年になると、年神となって、山から麓の村(=地上=人界)に降りて来て(年神を屋敷に迎え入れる行事が「正月」=冬祭り)、屋敷神となって屋敷と一族を守り、春になると、田に出て、田の神となり、田植え(=予祝祭や水口祭や田植祭などの春祭り)が行われ、夏の間、田の神=稲の神は、稲を見守り育て(お盆=夏祭り)、秋になると、田の神=稲の神は豊かな実りを齎し、神霊(稲霊)の宿る稲が収穫され、収穫祭(=秋祭り)が行われ、人は田の神=稲の神に収穫物を捧げて、神とともに収穫を祝い、田の神を屋敷に迎え入れて、風呂やご馳走でもてなして労をねぎらい、神を山(=辺境+高い場所=異界=神の国=死者の国)に送り出し、神は山に帰っていき、山の神となる。
以後も、この1年の循環(サイクル)を、毎年繰り返す。
また一族の者が亡くなると、その者の霊は、祖霊となり、村を見守る近くの山に行って、山の神となり、村と一族の守護神となり、上記の循環(サイクル)を経て、村や屋敷に帰ってくる。」
祭祀の対象が、植物である「稲」=「(上記)〜の神」か、動物である「熊」=「熊のカムイ(神)」か、の違い(これは農耕民と狩猟採集民の生活基盤の違いともいえる)はあるが、どちらも豊穣儀礼であり、「神(カムイ)の霊(体ごと)を迎え、神(カムイ)の霊の宿った稲(体)が育ち、神(カムイ)の稲(体)を収穫(屠殺)し、再来を期待して、神(カムイ)の霊を、祭りを行った(もてなした)後、山(神々の世界)に送り出す」というサイクルなど、同じ構造を有している。

映像作品
  • 1977年に、平取町二風谷において萱野茂の指導のもとに行った祭りの映像が、映像民俗学者の姫田忠義により「イヨマンテ 熊おくり」として記録している。
  • 1985年1月、川上地方で28年ぶりにイオマンテを実施し、「世界民族音楽大系1 北・東アジア篇」、LD 日本ビクター発行に収めている。
影響
昭和24年(1949年)、古関裕而作曲菊田一夫作詞による『イヨマンテの夜』がヒットし、広く知られるようになった。「イヨマンテの夜」の歌の内容は、かがり火をたいて祭りを行うものになっていた。送り儀礼は日中行う部分が多く、夜間にもかがり火は焚かない。アフリカの楽器であるタムタムのような擬音が登場するなど、実際のイオマンテとはかけ離れている。メロディはアイヌの伝統音楽と関係のない歌謡曲調のものである。
また、毎年10月中旬から11月末にかけ、「イオマンテの火まつり」という行事を阿寒湖温泉にて開催しているが、内容はアイヌ音楽や舞踊を中心にした演出であり、本来のイオマンテとは別物である。
漫画「がきデカ」でも、主人公のこまわり君がギャグとして披露するシーンがある。

関連項目
参考文献
  • アイヌの熊祭り,煎本 孝, 雄山閣, 2010, ISBN 4639021313
  • アイヌのクマ送りの世界 ものが語る歴史13 ,木村 英明 , 本田 優子, 同成社 , 2007 ,ISBN 4886213901
注釈
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  1. ^ 満岡伸一『アイヌの足跡』では、1か年の後、つまり捕獲した翌年の2月に行う、とある[2]  
外部リンク



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A trip through japan with the ywca ca 1919   8月20日(月)21:00

「東京ディスコ伝説~since1968」


皆様こんばんは
毎週末は好きな音楽ジャンルを気ままにご紹介しています。

が毎回思い出す曲は似通ったものばかりです。
さてさて。

何か懐かしい曲はないかとあれこれ探していたら「東京ディスコ伝説~since1968」
という番組がありました

以前も観ていた動画ですが、青春の1ページどころか数ページを彩っている(笑)
世界なので再度視聴致しました。

時代は1960年代後半から始まり、日本にdiscoブームが登場するあたりを
当時時代の最先端を駆け抜けた皆さんが多く登場しています

僕は当時ただの一般人だったので、discoの歴史や経営、裏事情は全く
知りえませんでしたが、通ったお店に関しては沢山思い出があります

懐かしい六本木スクエアビルの話も出てきます。
東京の夜の世界を当時ご存知の方も大勢いると思います。

ベストヒットUSA』で司会を務めた僕が好きな小林 克也さんも登場します
あまり洋楽情報が無い時代だったので、食い入る様に見てました(笑)

なんて発音と声のいい人だろう・・・と、です。

昔は花金と呼び、その幻影を未だに追いかけている節があるので(爆)
今夜この「東京ディスコ伝説~since1968」を取り上げてみました。

気になる方、また洋楽好きな皆さんはどうぞ。



「東京ディスコ伝説~since1968」 - YouTube
YouTubeサイトでどうぞ。
2016/01/12 に公開
「東京ディスコ伝説 -since1968-」

2008年3月23日(日)に放送された特番です。ナビゲーター:小林克也。1968年新宿「The Other」、赤坂「Mugen」から2008年銀座「Club Romantico」に至るまで、40年間に渡り東京の夜を彩ってきた「ディスコ」の歴史を当時の貴重な映像や音楽、人々の証言によって盛り沢山で特集されています。

『東京の夜を彩った「ディスコ」と「人々」の伝説・・、貴重な映像や証言集で綴る東京ディスコ40年史』

History of DISCO
日本における
ディスコの歴史年表
*日本で最初にできたディスコと年表記載の対象について
日本で最初にできたディスコについては、諸説があります。
 通説では「ムゲン」、ソウル・フリークの間では「渋谷クレイジースポット」「新宿ジ・アザー」などといわれています。
また「ディスコティック」と銘打って営業したのは「ビブロス」が最初で、生バンドを一切使わずレコードのみで営業したのは「メビウス」が最初といわれています。
しかしながら、答えを出すのは困難だと思っています。
「ディスコティック(ディスコ)」の定義(構成要因)は曖昧で、流行によって変化していくものだからです。
(「クラブ」という言葉が全盛の昨今、「ディスコ」という名称も変化してきた感があります) ですから私は名称に拘らず「ゴーゴークラブ ≒ ディスコ ≒ クラブ」という図式でとらえています。
 ちなみに「DISCOTHEQUE」はフランス語で、'67年頃にできたというのが定説です。語源は「DISC」=レコード、「THEQUE」=人の集まる場所、に拠ります。

•年表記載の対象
 この年表では前述の考えにより、独自の判断で「音楽やダンスのジャンルに拘らない」「軽いダンスと飲食が楽しめる」という観点から纏めてみました。
  よって(風俗営業法4号営業に該当し、社交ダンスなどを楽しむ)「ダンスホール」や「ダンススクール」「ライブハウス」等は除外しています。厳密にいえば「踊る」という行動のルーツは同じなんでしょう。
 
●ディスコ業界の出来事
▼ノヴァ21グループの主な出来事
◎ノヴァ21グループ最優秀店舗賞
 
◆内外の情勢、景気動向
▲流行、風俗
●マンボの大流行('55年)
●ツイストの大流行('62年)
 
昭和40年以前
〜1965
●モンキーダンスの大流行
●銀座モンキー・ア・ゴーゴー開店、そして閉鎖
●テレビ番組でもモンキーダンス・コンテスト
●ダンパの開催(ワンナイト的な踊り場)
 
昭和40年1965
 ◆米のベトナム北爆開始
◆名神高速道路開通
▲原宿族の出現
▲アイビーの流行
●新宿ジ・アザー開店
●渋谷クレイジースポット開店

昭和41年1966
 ◆相次ぐ航空機事故
◆いざなぎ景気始まる
▲ビートルズ来日、グループサウンズの流行
▲モッズの流行
●ゴーゴー喫茶が大流行

昭和42年1967
 ◆第三次中東戦争勃発
◆ヨーロッパ共同体(EC)発足
▲ミニスカート大流行
●リズム&ブルース・ブーム
●赤坂ムゲン開店 >>> MUGEN伝説
●ディスコティック・ビートポップス放映
●ゴーゴーダンスの流行
▼日本アミューズメント㈱設立
▼日本レヂャー開発㈱設立

昭和43年1968
 ◆日本初の高層ビル霞ヶ関ビル完成
◆東大紛争、ベトナム反戦運動が激化
◆三億円事件
●多分この頃フィリピン・バンドの全盛?

昭和44年1969
 ◆東名高速全線開通
◆アポロ1号が人類初の月面着陸

昭和45年1970
 ◆大阪万博が開幕
◆よど号ハイジャック事件
●赤坂ビブロス開店
●▼六本木メビウス開店、以後生バンドを置かずレコード中心 >>> Mobius People

昭和46年1971
 ◆ドルショック
▲アンノン族登場
●ディスコという名称が一般に広まる
昭和47年1972
 ◆浅間山荘事件
◆沖縄が本土復帰
◆日中国交正常化
▲パンダブーム 
●ジェームス・ブラウン初来日
●新宿・六本木カンタベリーハウス開店
 
昭和48年1973
 ◆オイルショック
 ●六本木ソウルイン・アフロレイキ開店
●バンプの流行
●ソウルミュージック・ブーム
●ソウルトレイン放映(TV)
●ソウルフリーク放送(AM)
●スクエアビル完成
●キャステル開店

昭和49年1974
 ◆オイルショック、消費者物価急上昇
◆電力不足でネオンが消える

昭和50年1975
 ◆サイゴン陥落、ベトナム戦争終わる
▲神戸発のニュートラ、湘南発のサーファー・ファッションの流行
●国際ディスコ会議、ニューヨークで開催

昭和51年1976
 ◆ロッキード事件、田中前首相を逮捕
▲ポパイ創刊

昭和52年1977
 ▲カラオケが登場
▲キャンディーズ引退
●映画サタデーナイト・フィーバーが大ヒット、世界的なディスコブーム
●六本木にサンバクラブ、ネペンタ開店

昭和53年1978
 ◆成田空港開空
▲インベーダーゲームの流行  
●西城秀樹のヤングマンが大ヒット
●六本木キサナドゥ開店
●サーファーディスコ・ブーム
●原宿歩行者天国に竹の子族出現
▼大阪レジャー開発叶ン立、大阪進出

昭和54年1979
 ◆東京サミット
▲3年B組金八先生放映
▲ハマトラの流行
●六本木ギゼ開店

昭和55年1980
 ◆イラン・イラク戦争勃発
◆校内暴力が社会問題に
◆ジョン・レノン、凶弾に散る  
●カラス族、ニューウェイヴの出現
▼大阪ジジック開店

昭和56年1981
 ◆神戸ポートピア博開催
▲なめ猫ブーム
●原宿ピテカントロプス開店
●▼大阪マハラジャ開店
◎大阪ジジック
歌舞伎町ディスコ女子中学生殺人事件

昭和57年1982
 ◆日航機羽田沖墜落
◆ホテルニュージャパン火災
▲女子大生ブーム
▲ミニスカート復活
●カフェバー・ブーム、ディスコ冬の時代
▼京都マハラジャ開店
▼社員旅行がハワイとなる(前年迄フィリピン)
◎大阪マハラジャ

昭和58年1983
 ◆東京ディズニーランド開園
▲ワンレン・ブーム
●男性の化粧の流行
▼札幌マハラジャ開店
▼店舗数50店を越える
●▼東京マハラジャ開店
◎大阪マハラジャ

昭和59年1984
 ▲安全地帯のワインレッドの心がヒット
◆グリコ・森永事件
◆新札の流通
▲テクノカットの流行
▲○金、○ビ ブーム
●新風営法が施行され0時以降の営業を禁止
●ハイエナジー(ユーロビート)ブーム
●エリア、シパンゴ開店
◎東京マハラジャ

昭和60年1985
 ◆つくば科学万博開催
◆電電と専売民営化   
●日比谷ラジオシティ開店
▼マハラジャ出店ラッシュ
▼マハラジャ祇園開店
▼武道館、大阪城ホールでイベント開催
▼青山キング&クイーン開店
◎札幌マハラジャ

昭和61年1986
 ◆円高不況
◆岡田有希子自殺
◆たけし、フライデーに殴り込み
▲ボディコンの流行
●ムゲン、ビブロス閉店
●六本木トゥーリア開店
●エムザ有明開店
▼名古屋キング&クイーン開店
▼新高輪、京都プリンスホテルにてイベント
▼デッド・オア・アライブのジャパン・ツアー開催
◎東京2001年

昭和62年1987
 ◆東京地価高騰
◆国鉄分割民営化、JRに
▲ビリヤード大ブーム
●トゥーリア照明落下事故
▼第二次マハラジャ出店ラッシュ
▼武道館でイベント開催
▼マハラジャ、ルピーのデザインを一新
◎青山キング&クイーン

昭和63年1988
 ◆ソウルオリンピック
◆内需景気
●ランバダが一瞬、流行る
●芝浦ゴールド、六本木サーカス開店
▼マハラジャ・ハワイ開店
▼店舗数100店を越える
◎京都マハラジャ(四條)、神戸2001年

平成元年1989
 ◆天皇崩御
◆新税法開始
◆ベルリンの壁崩壊
▲おやじギャルが流行語
◆東証、最高値で大納会
▼キング&クイーン出店ラッシュ
◎京都トッツィー、神戸2001年

平成2年1990
 ◆バブル崩壊
◆ドイツ統一
◆日本人初の宇宙飛行に成功 
 ●ジュリアナ東京開店
▼ゴールデン・メンバーシップ開設
◎神戸

2001年 平成3年
1991
 ◆湾岸戦争勃発
◆長崎雲仙普賢岳噴火
●ジュリアナ・ブーム
●神楽坂ツインスター開店

平成4年1992
 ◆東京佐川急便事件
▲もつ鍋ブーム
▲コギャルが流行語  
●全国的ジュリアナ現象
●エイベックス・レイヴ'93開催
◎マハラジャ祇園、名古屋キング&クイーン

平成5年1993
 ◆Jリーグ開幕
◆五十五年体制崩壊
●第二次ユーロビート・ブーム
●エイベックス・レイヴ'94開催
●六本木ヴェルファーレ開店

平成6年1994
 ◆松本サリン事件
◆デジタル携帯電話サービス開始
▲ストリートブランドの流行

●小箱クラブの乱立
▼静岡と神戸に、にんにくや開店

平成7年1995
 ◆阪神淡路大震災
◆地下鉄サリン事件、オウム騒動
▼マハラジャ祇園、改装しCKカフェとなる

平成8年1996
 ◆薬害エイズ・HIV訴訟でミドリ十字が謝罪
▲アムラーの増殖
▲プリクラ、たまごっち大流行
●R&Bブーム
●大阪を中心にヨゴレの流行
▼東京マハラジャ閉店

平成9年1997
 ◆消費税5%に
◆酒鬼薔薇事件
●渋谷でルミカ・ライトの流行

平成10年1998
 ◆長野オリンピック
◆カレー毒物混入事件
▲ガン黒、ヤマンバ・メイクの流行 
●第三次ユーロビートブーム

平成11年1999
 ◆初の「心・肺」脳死移植
◆東海村のJCOで臨界事故
▲ギャルブランドの流行 

▼CKカフェでミーハーナイト開始

平成12年2000
 ◆金大中、金正日両首脳が歴史的会談
◆シドニーオリンピック 
▼CKカフェのホームページ開設
●トランスブーム
▼CKカフェ閉店によりディスコ事業撤退

平成13年2001
 ◆アメリカ同時多発テロ
◆愛子さま生誕
 
▼マハラジャ・ウェブサイト開設
●バリ島のディスコ爆破され200人以上が死亡

平成14年2002
 ◆日韓共催FIFAワールドカップ
◆小泉首相が訪朝、拉致被害者の帰国
  ▼マハラジャ復活プロジェクトの始動
▼六本木にマハラジャ復活
平成15年2003
 ◆イラク戦争
Disco Time machine
  


小林克也 - Wikipedia

こばやし かつや
小林 克也 生年月日 出生地 血液型 ジャンル 活動期間
(1941-03-27) 1941年3月27日(77歳)
日本の旗 日本広島県福山市
A型
ラジオDJナレータータレント俳優
1970年 -
小林 克也(こばやし かつや、1941年3月27日 - )は、日本ラジオDJナレータータレント俳優広島県福山市野上町出身[1][2]広島大学附属福山高等学校卒業、慶應義塾大学経済学部中退。DJ第一人者[3][4][5][6]。自称「ミスター音楽」。愛称はKORBY(コービー)。福山ふるさと大使 第1号[7][2][8][9]

来歴・人物
母親は教師で母子家庭だった[10]。小学校3年生の頃、ラジオで岩国基地からの極東放送(FEN)を聴いたことから英語に興味を持ち始め、小学校6年の終わりごろから親戚の知り合いに英語を習い出し、英語の発音を徹底的に教えられる[10][11][12][13]。中学時代はボイス・オブ・アメリカオーストラリア放送などを短波で熱心に聴取[10]。1955年、ロックンロール元年を告げるビル・ヘイリー・アンド・ヒズ・コメッツロック・アラウンド・ザ・クロック」も短波で聴いた[10]エルヴィス・プレスリーをはじめとするロックに夢中になる[11][13]
広島大学附属福山高等学校にトップ合格した後も英語に熱中し、将来は英語を活かす仕事をすると決めていたため、幾何学など英語以外の科目はどうでもよくなったという[14]。このため、大学受験では東京外国語大学なども受けたが英語以外の成績に問題があったことから合格せず、英語の配点が多い慶應義塾大学経済学部に入学[14]。慶應義塾大学在学中に運輸省の通訳案内業国家試験に合格し外国人相手の観光ガイドのアルバイトを始めるも、こちらに精を出し過ぎ、好きな英語でも経済学の英語原書には全く興味を持てず、大学を中退。外国人相手のナイトクラブなどの司会を本業とした[4][15]。1970年、『バブリング・ポップス』(ラジオ関東 = 現・アール・エフ・ラジオ日本)のDJで電波デビュー[10]。この番組はワーナー・パイオニアの新譜(主に洋楽)を紹介する番組で、その英語力と、素晴らしい声質を活かし、一気にラジオ界の寵児となる[4][16]
1976年から選曲家の桑原茂一とともにラジオ大阪でラジオ番組「スネークマンショー」を開始[17]。「スネークマン」の名は、小林が米国のDJウルフマン・ジャックのパロディとして登場させたキャラクターが由来である(小林が巳年生まれのため)。当初はDJスネークマンによる音楽番組であったが、後にDJのオーディションで知り合った俳優の伊武雅刀を誘って[18]、小林がキャラクター「咲坂守」などで2人の掛け合いによるコントを番組の曲間に挟む形式になった。当時としてはシュールで過激、不謹慎、下ネタを連発するコントがやがて話題を呼び、大阪ローカルから東京に進出しマニア的なブームを起こした。さらにテクノポップバンドYMOが自身のレコード『増殖』に『スネークマンショー』を収録したことにより、音楽業界への知名度を上げたのはもちろん、後のエンターテイメントにまで幅広く影響を与えた[19][20]
1980年代漫才ブームを起こしたことで知られる『THE MANZAI』(フジテレビ、1980年〜1982年)の斬新な演出の一つとしてナレーションにアメリカナイズされた小林が起用された[21]
1981年にスタートしたテレビ朝日深夜番組ベストヒットUSA』では司会(VJ:ヴィジュアルジョッキー)を務め、洋楽ミュージックビデオを紹介[5][22]。数多くの来日アーティストに小林自らインタビューを行うなど、本格的な洋楽番組として名を馳せた。1989年に終了するが、単発特番が組まれた後、2003年からはBS朝日NACK5などで復活。
『ベストヒットUSA』を観た石井聰亙からのオファーを受け、1984年『逆噴射家族』で主演デビュー[10][22][23] 本作での怪演っぷりも評価された。2013年の宮藤官九郎監督作『中学生円山』で、平岡拓真演じる主人公の名前「円山克也」は『逆噴射家族』での小林克也が由来と宮藤は話している[24]。その後も時折、映画、テレビドラマに出演している。
1982年に結成した中年バンド「小林克也 & ザ・ナンバーワン・バンド」でのアバンギャルドな音楽活動でも知られる。ハワイ移民の広島弁をフィーチャーしたデビュー曲「うわさのカム・トゥ・ハワイ」は日本語ラップのはしりとして一部に評価が高い[25][26]桑田佳祐は自身の「ラップの起源は『うわさのカム・トゥ・ハワイ』。あれを克也さんに聴かされて、それにちなんで他のラップのアルバムを1、2枚聴いた」と述べている[27]
現在でもラジオDJとしてレギュラー番組を多数抱え、リスナーに絶大な支持を受けている。日本に長年に渡り洋楽を紹介した功績は限りなく大きい[6][18][19][20][28]小室哲哉は「小林克也さんのあとを継ぎたいとずっと思っている」と話している[29]。そのためか、『小林克也のSUPER DANCE BEATS』など小林の名を冠したCDがいくつか存在する。また、抜群な語学力を活かし、英語関連の著書、教材も多数手掛ける。
名前が同音異字の有名人に、俳優・小林勝也小林且弥英語版)がいる。

逸話
  • サザンオールスターズ桑田佳祐とは、1980年代初頭から長年の交流があり、サザンの楽曲制作に多数協力し、多数のアルバムにSpecial Thanksのかたちでクレジットされている(主に初期作品での英詞の監修)。桑田は小林について「当時から洋楽の知識や新しい情報をたくさんご存知で、僕もいろんな事を克也さんから学びました」と述べている[18][27][30]。ザ・ナンバーワン・バンドのアルバム『もも』(1982年)で楽曲提供・ヴォーカル参加した「六本木のベンちゃん」の歌詞、"ゴトウ花店"、"秀和レジデンス"など、当時小林が会話に使っていた言葉を羅列したものだという[27]。サザン1982年のアルバム『NUDE MAN』の1曲目「DJ・コービーの伝説」は、DJ・小林克也をモデルにした楽曲である[19][20][27]。小林は『KAMAKURA』(1985年)収録の「死体置き場でロマンスを」にもMCとして参加している。また、2004年に発売されたサザンのDVD『ベストヒットUSAS』は全編ベストヒットUSAのパロディであり、小林もサザンのミュージックビデオを紹介するMCとして出演している。2008年の「サザンオールスターズ 『真夏の大感謝祭』 30周年記念LIVE」では、映像で出演し、ライブの開始を告げた。
  • 英語の発音に関しては日本人DJの中でもトップクラスであるが、帰国子女でもなく留学経験もなければ、ハーフでもない純粋な日本人である。FEN聞き取りを通じた習得方法により国外滞在経験を持たないまま高い英語力や発音を身につけた。発音に関しては、口の形、舌の位置、口の周りの筋肉を鍛えることを重視しており、そのノウハウの一部はかつて『百万人の英語』から小林出演のVHSビデオテープとして発売され明かされた。
  • 徳光和夫 とくモリ!歌謡サタデー』(ニッポン放送、2013年8月31日)で語ったところによれば、当時、運輸省の通訳案内業国家試験の倍率は35倍でそれを一発合格したのちに外国人相手の観光ガイドのアルバイトを始めた。しかし、広島から上京して1年半しかたっていなかった小林はきかれても何もわからず、ただひたすら"I don't know.(わからない)"を繰り返し、ついには神社と中華飯店を間違えてしまい、観光客を激怒させてしまった。そのため、クビになりかける。ところがその次にやってきた客に対してはFENを聴き続けた時に得た音楽知識で場の空気を盛り上げ、大いに気に入られたという。ちなみにその客はアメリカのラジオ局の副社長だった。
  • 高校時代、古文をカリキュラムとして学習させられることに関し、「なんでこんなに誰も使わない死んだ言葉を勉強しなきゃならないんだろう?」と疑問に感じたそうである。その影響か、大学受験では入試科目に古典が一切なく、英語の配点が大きかった慶應義塾大学経済学部に入学する。
  • 2014年10月現在、国内外で約2700店舗を展開するユニクロ(UNIQLO)が[31]、1984年6月に広島市中心部に開いた1号店(中区袋町)開店の時、広島ローカルのCMに起用され、のち全国展開が始まってからも、しばらくの間CM等に登場していた[32]。当時の店名は「ユニーク・クロージング・ウエアハウス」(UNIQUE CLOTHING WAREHOUSE)といい、ユニクロなる呼称は当時の店名の略称が元になっている[33]。なお、この1号店は現在はない。また、ユニクロが現在のような有名ショップになった後も、再度CM出演したことがある。
  • テレビ番組『ねるとん紅鯨団』に出演した際に、好きなタイプの女性を訊かれて「ソフィア・ローレン」と答えている。
  • テレビ番組『ザ・ベストヒット'83』ではビートたけしと共演。細川たかしの「矢切の渡し」を英語風に「ヤギリノワタシ!」と紹介した。
  • 広島県出身であるため広島東洋カープのファンであり、自身のラジオ番組でよく話題に挙げる。
ほか多数



今週の記事一覧(10記事目)
大根の葉と鰹節で油炒め            2018年8月6日(月)   5:00
イオンモール甲府昭和店大きいお稲荷さん      2018年8月6日(月) 17:00
すご泡Ⅲメンズナイロンタオル         2018年8月7日(火)   5:00
しゃぶ葉で三元豚バラ食べ放題        2018年8月8日(水)    5:00
石川県産鰤カマを焼きました         2018年8月9日(木)   5:00
源泉掛け流しの湯桜湯            2018年8月9日(木) 17:00
「東京ディスコ伝説~since1968」     2018年8月10日(金)21:00

畑でよく聞くカッコウの鳴き声


皆様いつもご訪問ありがとう御座います
普段この時期に畑にいると、このカッコウの鳴き声をよく耳にします

皆さんお住まいの地域は如何でしょうか?
朝方、畑にいてもも、自宅周辺でも鳴き続けています

何でも「托卵」という習性があるそうで、違う種類の鳥の巣に卵を産み
育ててもらう・・・とは、なんとも驚きの習性がある鳥です

縄張りを知らしめているのか?よくは分かりませんが本当によく響く声で
カッコウ〜カッコウ〜カッコウ〜カッコウ〜と鳴いてます。


カッコウ 鳴き声 - YouTube



≪カッコウの特性≫
▲カッコウ オスが先に渡来し縄張りを形成する
 写真提供 : (財)日本野鳥の会 岩崎 和男 様
分 類
 カッコウ目カッコウ科
全 長
 35cm程度(ハトより大きい)
特 徴
 ①頭頂部から背面は灰色、胸から
  腹部に横縞がある。
 ②明るい林や草原を好み、見通し
  の良い木や電線などで「カッコー!
  カッコー!」と鳴く。
 ③「托卵」の習性がある。

生息地
 全国の森林や草原、河原など
採 餌
 昆虫類、節足動物等



 「カッコー!カッコー!」の鳴き声とともに、日本は夏を迎えます。「カッコウ」は、ユーラシア大陸やアフリカに生息し、日本には5月頃に夏鳥として飛来します。オスの鳴き声がそのまま名前の由来となっており、メスは「ピッ、ピッ、ピッ」と鳴きます。 
 カッコウは7月末頃までが繁殖期となりますが、自分では子育てをせず、他の鳥の巣に卵を産みつけて育てさせる「托卵」という習性があります。托卵される仮親としては、オオヨシキリ、モズ、オナガ、ホオジロなど、卵の色やヒナの餌がほぼ同じ鳥が選ばれます。また、日本ではカッコウの他にホトトギス、ジュウイチ、ツツドリ托卵を行いますが、全てカッコウ科の鳥です。
 仮親は、カッコウの卵とは気づかず自分の卵といっしょに温め続けますが、カッコウのヒナは短期間で孵化するため他の卵より先に生まれることが多く、生まれたヒナは、他の卵を自分の背中に乗せて全て巣から落としてしまいます。こうして仮親が運んでくるエサを独り占めし、自分だけを育ててもらうのです。カッコウのヒナは成長すると仮親より大きくなりますが、仮親は献身的にエサを与え続けます。
 カッコウがなぜ托卵をするのかはまだはっきりわかっておりませんが、体温を保つ能力が低いことが一つの理由と考えられています。


今週の記事一覧(13記事目)
さくらんぼの収穫作業          20186月11日(月) 5:00
千葉県成田市産の西瓜           20186月11日(月) 17:00
pasco国産小麦のチーススフレ(ゆめちから)20186月12日(火)17:00
pascoのスイートポテトパイ        20186月12日(火)21:00
マルちゃん正麺魚介醤油豚骨つけ麺     20186月13日(水) 5:00
愛知県産のめざしを食べました         20186月13日(水)  17:00
めばち鮪を半額で食べました                      20186月14日(木)17:00
ヤマザキのうぐいすぱん          20186月14日(木) 21:00
ヤマサ鮮度生活で連日のめばちまぐろ   20186月15日(金)  5:00
畑で聞くカッコウの鳴き声        20186月15日(金) 17:00

香港の最新夜景「幻彩詠香江2017」


皆様今晩は
クリスマスまで後2週間になりましたね!

街中もイルミねージョンが飾られ、何もないクリスマスでも
気分は否応無しにジングルベルな感じになります。

話は変わりますが・・・

お隣の経済発展目覚ましい中国、特に香港は夜景も素晴らしいですね
昨日こんなイベントを見つけたので、是非!とこのブログに貼り付けました。

何かと中国経済が話題になりますが、夜景も素晴らしく驚きました。
音楽にあわせてどうぞ。



A Symphony of Lights Admiralty to Central 20171202 V5.0 2017 New Version

幻彩詠香江英语:A Symphony of Lights)是香港的一個結合探射燈激光LED燈等燈光效果的音樂匯演,由維多利亞港兩岸合共47座大廈摩天大樓地標合作舉行,是香港旅遊事務署於2004年1月1日起的一個宣傳香港的旅遊項目,歷來耗資4,400萬港元,吸引了逾400萬名旅客及市民欣賞。2005年11月21日,幻彩詠香江正式獲列入《吉尼斯世界纪录大全》,成為全球最大型燈光音樂匯演[1]
除了因天氣惡劣而需要暫停外,幻彩詠香江活動每日於香港時間晚上8時正舉行,約歷時10分鐘,匯演內容包括音樂、燈光和激光等。星光大道金紫荊廣場都設有揚聲器以播放背景音樂。2017年12月起,不再有介紹各參加匯演建築物名稱的旁述。
市民亦可透過「幻彩詠香江」AndroidiOS流動應用程式收聽匯演的音樂。
最佳觀賞的地點是於九龍尖沙咀九龍公眾碼頭香港星光大道(觀賞香港島部分)、香港島灣仔金紫荊廣場旁的灣仔臨時海濱花園(觀賞九龍部分),或者在天星小輪之上觀賞。
在指定特別日子,例如勞動節香港特區成立紀念日等,幻彩詠香江會特別加插大廈樓頂/海上煙火效果。



今週の記事一覧(16記事目)
さわやの胡麻大福  2017年12月4日(月)午前5:00
期間限定S&B GOLDEN CURRY バリ辛 2017年12月5日(火)午前5:00
モロッコ産蒸し蛸と鯵の刺身で晩御飯 2017年12月5日(火)午後5:00
椎茸たっぷり鶏五目炊き込みご飯 2017年12月6日(水)午前5:00
赤城ミルクレアキリッとレモン  2017年12月6日(水)午後5:00
蕨を頂いた時の写真   2017年12月7日(木)午前5:00
やよい軒で4種のチースハンバーグ定食 2017年12月8日(金)午後5:00
10cc-I'm Not In Love  2017年12月8日(金)午後9:00
箱買いしたおひさまコーン満杯詰 2017年12月9日(土)午前5:00
セブンイレブン「くるみのつぶあんぱん」2017年12月9日(土)午後5:00

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