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面子と面目
明鏡国語辞典によれば
メンツ(面子)・・・体面、面目
面目・・・世間に対する名誉、体面、世間から受ける評価。
とある。
どちらも同じようなものだが、これはマチガイだそうである。
面子の語源は漢語で、支那人のいう面子は一時的なパフォーマンスで、命に代えてもという根性は無いという。
無理難題を吹っかける支那人も、こちらが強く出れば、すっと引っ込むという話はよく聞く。
日本政府も靖国問題その他、言われっ放しで、いつまでも支那のご機嫌取りばかりしていないで、たまには強く出たらどうか。
WILL 10月号
巻頭言「天地無用」より
大漢和辞典が、面子(メンツ)という言葉を、体面、名誉、面目、と語釈して以来、日本国語大辞典をはじめ我が国の辞書はその通りに悉く機械的に転写しているものの、その解釈は日本人に通有しての用法に限られる。
面子の出典を旧唐書(くとうしょ)に擬する以上は、何を措いても先に漢語としての原義を解明すべきなのに、大漢和を一貫する手抜きが今日まで我が国で根本からの誤解を生んでいる。
早くから法制史家の瀧川政次郎(『法律からみた支那国民性』昭和16年)は、日本人の大多数が面子を面目と同義語と軽信する錯誤に警告を発してきた。
日本人であれば、もし面目が立たねば刀にかけてもと覚悟するのだが、支那人(チャイニーズ)が言うところの面子なるものは、今の当座に表向き顔が立って、さしあたり一時を糊塗する格好さえつけば、それだけでよいというのみの押し出しにすぎず、一身を賭して死守するなどの実質を伴わない。
商談や協定や会議やに臨む際、一応は凄んでみせるが断固として永続する決意とは違う。
日本人ならお家を捨てて刺し違えても相手に実行を迫るけれど、支那人(チャイニーズ)は舞台に突っ立って身振り大きく見栄を切るが、命に変えてもと要求を貫く根性はないのである。
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表向きには完全無欠のチャイナ服、しかし、その凛とした姿の裏で、妖艶なスリットのブラックホールにどれ程の企業戦士の男達が飲み込まれていったのだろうか…
2005/9/18(日) 午前 8:24 [ のの ]
大上段に構えていても、裏から出された握手の手…ヤッちゃまの世界ですね、規模の大小の違いはあっても、世の中は子供が年を取って古びただけの「ガキの喧嘩!!!」ということでしょうか?男社会はお釈迦様の手の平の上の孫悟空で、所詮、女性には勝てずにコロコロ転がされているのでしょうか?ponkoさんも転がしているのかな?ウォッ!!!と目が回ってきたぜ!
2005/9/18(日) 午前 8:49 [ のの ]