反日勢力を斬る

反日を国是とする特定アジア諸国と日本内部に潜む反日勢力を糾弾します。

サワリ魔のこれぞ正論!

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アジアの日の丸観 1


「異見自在 世界は腹黒い」(高山正之 高木書房 2004年11月)から


アジアの「日の丸」観 1997年7月10日

1940年(昭和15年)パリが陥落し、ドイツが肝いりのビシー政権が誕生すると、日本はそのビシー政権に、北部仏印に軍を出したいと通告した。

 日本は当時、重慶の蒋介石にてこずっていた。重慶を落とすにはその糧道、いわゆる援蒋ルートを叩き潰すのが最も効果的で、それにはこの仏印進駐が作戦上どうしても必要だった。幸いというか、その仏印を握るフランス同盟国ドイツの息のかかった政権が出来た。友だちの友だちはみな友だちである。当然、友好的に受け入れてくれるものと考えた。
 
 しかし、当時のビシー政権を含めた欧米はそんな単純な受け止め方はしなかった。日本の仏印進駐は「15世紀、バスコ・ダ・ガマの到来で始まった白人によるアジア支配に初めて亀裂を入れる」(英歴史学者クリストファー・ソーン)大ごとだったのだ。

 ビシー政権は英国に置かれたドゴール仏亡命政権に泣きつき、ドゴールは米国に助けを求めた。米国はフランスに特使を派遣し、相談のうえでドイツを通して日本に再考を促すよう働きかけた。

 アジアの植民地は欧米諸国の大きな財産だ。「だれにも犯させない」という暗黙の了解があって、たとえお互いに戦争をしていてもその点では助け合っていたわけだ。
 
 しかし、日本はそういう思惑にはまったく鈍感で、通告通りさっさと仏印に向かい、ドンダンの国境にある仏軍の要塞から激しい砲火を浴びることになる。

かくて日本軍との間で戦闘が始まる。最初のうちこそ数倍の兵力を持つ仏軍の勢いはよかったが、やがて突撃を繰り返す日本軍の前に戦意を失い、ドンダン要塞は数時間で陥落した。日本側15人、仏側40人が戦死した。
 この攻防を一人のベトナム人が間近で見ていた。道案内をした反仏活動家、陳中立である。

 彼の知る故郷は仏植民地政府の下で百年悲惨のどん底にあった。人々は高額の人頭税に泣き、そのために十歳の子供がホンゲイ炭坑でトロッコを押さねばならなかった。人頭税だけでなく葬式にも結婚式にも課税された。阿片も政府が売りつけ、国中に中毒患者があふれていた。

 「ニョクマムのビン法」というのもあった。ふたのない容器は非衛生的という口実で「仏製のビンを強制的に買わせて」(A・ビリオス著「インドシナSOS」)金を巻き上げていた。人々は当然、反発するが、そうすれば、植民地軍が徹底的に殺しまくり、首謀者はギロチンにかけ、生首を街中にさらした。

 白人にはかなわない、というのが百年の歴史の教訓だった。その白人が今、自分たちと同じ色の肌の日本軍の前に逃げまどい、両手を挙げているのである。
 
 陳はその場で同胞に決起を呼びかけた。あっという間に二千人が集まり、彼らはハノイのフランス人をやっつけに山を下りだした。
(つづく)


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