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教育基本法の改正案で自民党が「国を愛する心」と表現したら
公明党が「国を大切にする心」を主張して両論併記になったことは誰でも知っている話。
「愛国心」という言葉に抵抗がある政党と数合わせのために連立して政権を担当している自民党など早く崩壊してしまえ。
創価学会の信者は怒るだろうが、首相の靖国神社参拝を政教分離の憲法の建前から反対するならば、
公明党こそ、どう取り繕おうとも、創価学会の信者の支持を基盤とした政党ではないか。
立派な憲法違反である。
一国も早く自民党と民主党をシャッフルして、戦後民主主義教育の洗脳の後遺症の少ない若手で真の保守党を結成して欲しい。その上で、国会を解散し、憲法、自衛隊、中国問題、 北朝鮮問題、日米安保条約などの論点から政策論を展開して総選挙で国民の信を問うべきだ。
「日本人は戦争ができるか」(松村劭 三笠書房 1999年)より
[愛国心」という言葉は、敗戦直後にマッカーサー占領政策によって禁じられた。のちに社会主義陣営の反戦運動によっても禁句にされた。学校教育おいて愛国心を訴えるような先生がいると軍国主義の教育として非難された。
第二次世界大戦において、連合国が日本を「軍国主義」と非難したのは、日本を悪者にするための宣伝ラベルであつたのだ。戦前の日本は、軍国主義(軍人が支配する統制国家であり、戦争によって国家を拡大する主義)の国家であったことは一度もない。
冷戦時代における社会主義陣営の偉大な成功のひとつは日教組を取り込んだことであり、文部省役人を制圧したことである。その成功の第一歩は1948年、教育勅語が追放されたことである。第二の前進は82年の教科書事件であり、ときの宮沢官房長官は日本の教育主権に対して中国が干渉したときに、「歴史教科書を書き直す」と屈服した。
これを契機として文部省は悪名高い「教科書検定基準における近隣条項」を設けた。
こうして学校の卒業式に国旗を掲揚したり、国家を斉唱することすら愛国心の高揚につながるとして、左翼陣営から今もって攻撃されている始末である。これでは国防の基礎ができるわけもない。
冷戦が終焉して米国一国だけが強い「パックス・アメリカーナ時代」となったが、決して平和の時代ではない。
「軍事大国にならない」「専守防衛」「非核三原則」という防衛計画の大綱の基本政策は、冷戦時代の古臭い沈殿物である。この基本方針では戦うこともできない。
「なぜ、日本人は戦う気力がないのか?」それは日本人の農耕民族的特性によるものだろうが、
第一に、命を賭けて戦うような価値を戦争に見出せないのだ。
そして第二に戦わなくとも平和なら金で買えるだろう、誰かが解決してくれるだろうと考えやすいことである。
そして、第三にこちらが平和的態度でいる限り、相手は勝手に戦いを挑むことはあるまいと楽観する体質があることだ。
「楽観する体質」ではなくて、憲法ではっきりそう謳っている。
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変わり者もなかにはいるけど、世界でも指折りのこんな素晴らしい国を誇りに思わない、もしくは大切にしない日本人なんて、そんなにはいないと信じたい。
2005/5/19(木) 午前 2:35