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「民族への責任」(西尾幹二 徳間書店 2005年5月)
西尾幹二(電気通信大学名誉教授)氏が短編二編を除いて
「諸君!」「Voice」「正論」に書いた論文集。
書名の「民族への責任」は自分の責任であると同時に、読者に対して「民族への責任」を感じて欲しいという念願から来ているという。
氏はご存知のように扶桑社の「新しい歴史教科書」のメインライターであると同時に、その出版に当たって反日勢力との戦いに多くの困難を経験し、戦後60年の日本の不決断、先送りが民族を衰亡させると警告している。
中韓の反日暴動と歴史認識(抜粋)
−序にかえて
「右傾化」などと暢気なことを言っている場合ではもはやない。民族の衰亡を防ぐにはどうするか。それを書いている。そのための処方箋はもう出来ているが、どう行動するかがいつも欠けているのである。
左から右までの多様な歴史観が自由に論争されているわが国の言論空間は貴重で、守らねばならない。
事実上全体主義化にある中国人や韓国人の理解を越えているからといって、無理難題を吹きかける内政干渉は排されて当然である。
歴史は過去そのものではなく、過去の見方であるから、個人によっても、民族によってもそれぞれ異なって当たり前である。
(南京虐殺についても)定説がなく、論争が続いている今の日本の状態は、日本が全体主義国ではなく、言論の自由を大切にしている国だということを証明している。
いまわが国が中韓両国と鋭い対立をなしているのは、この自由の意識の有無である。
中国はいまなお共産主義体制を堅持している独裁国家で、言論の自由はない。
韓国は民主主義体制をとっているが、こと日本に関する限り、学問の自由、意見公開の自由はまったく存在しない。
いかなる理由があれ、日本人の自国像を彼らの恣意の手で歪められるべきではなく、やれ対話による歴史認識の歩み寄りであるとか、やれ共通教科書であるとかは考えるだけムダで、お互いに傷つけあう結果に終わることは経験済みではないか。
EUの真似をして、「東アジア共同体」 などを想定するのは歴史の相違を無視している。
ヨーロッパは近代以前、一つの歴史だった。EUは中世キリスト教共同体への回帰である。
それに反し東北アジアは各王権が互いに独立して安定を保っていた地域である。
EUと比較することはできないし、まねをすべきでもない。
目次
第1部 平成17年(2005年)
第1章 民族の生命力をいかにして回復させるか
−性と政治の関係
第2章 領土問題
−和を尊ぶ日本的美質ではもう通らない
第3章 皇位継承問題を考えるヒント
−まず天皇制度の「敵」を先に考えよ
第4章 ライブドア騒動の役者たち
−企業、司法、官庁に乱舞する無国籍者の群れ
第5章 怪獣は四つの蛇頭を振りたてて立ち現れた。
第6章 アメリカとの経済戦争前夜に備えよ
−日本の資本主義はどうあるべきか
第7章 韓国人はガリバーの小人
第8章 第四次世界大戦に踏み込んだアメリカ
−他方、北朝鮮人権法で見せた正義
第2部 平成13年(2001年)
第1章 歴史の矛盾
第2章 文部省、約束を守ってください
第3章 売国官庁外務省の教科書検定・不合格工作事件
第4章 われわれの目指したのは常識の確立
第5章 「新しい歴史教科書」採択包囲網の正体
第6章 平和のままのファシズム
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「歴史は過去そのものではなく、過去の見方であるから、個人に、民族によってもそれぞれ異なって当たり前である。」歴史学者が怒るぜ。人それぞれの「過去の見方」で論を張れるなら歴史学は成立しない。日本は中国に不法に侵略し国権を侵害し各地で南京大虐殺、平頂山事件などの大虐殺をし強姦・略奪などを行った。大使館投石・ペットボトルどころの話でない。てめえ勝手なご都合主義で歴史歪曲をするなよ、ペテン師!
2005/6/10(金) 午前 9:52 [ 自己愛 ]
自己愛さんの意見に大賛成。未だに日本に社会科学が根づかないこの知的貧困さにうんざりしますねー。ただね、相手の中・鮮は日本以上に悪質なスターリン国家だということも踏まえておかないとね。韓は未だ19世紀的ナショナリズムを脱しきれていないね。その上で現実政治の外交と国家を開いていく理念の創出が必要でしょう。可なり難しいことだれど、日本はもうその道しかないね。だって国民ひとりの命の値段に格段の差があるから。
2005/6/10(金) 午前 10:06 [ - ]
「歴史は過去そのものではなく、過去の見方であるから、個人に、民族によってもそれぞれ異なって当たり前である」を聞いて起こる歴史学者なんか現在ではいません。何故なら、EHカー以来、これが歴史学方法論の通説だから。怒る歴史学者がいたとすれば、それはたまたま歴史学会に属しているプロ市民が<プロ市民の職業的利害>に基づいて怒っているのですよ。<虫除けに>TB1本つけておきます。
2005/6/10(金) 午後 1:49 [ KABU ]
>自己愛へ歴史学者は個人の過去の評価を論文としており、その集大成が歴史学である。→教科書や出版物となる。例=史記・正史三国誌。よって個人の評価でも成立する。過去の資料に基ずき正しく表記してるだけで別に歪曲してませんが何か??歪曲してる場所を参考のために資料名付で明記してよ俺みたく簡単でいいから。 >outsider20051948 国民一人の命の値段の差、ほうほう伺いましょう、上の値段と下とでどの位差有るの?、人種別なく上下無しが普通でしょ国内の教育受けてるなら。
2005/6/11(土) 午後 8:53 [ あきら ]