S市で米軍の空襲を受けた。 その夜、家族四人は夕食後、楽しい時間を過ごし、父と風呂に入った。 何がおかしかったのか忘れたが、よく笑った。 深夜になって空襲警報のサイレンが鳴り響き、隣家の大家との二軒つづきの間に 焼夷弾が1発落ちた。 火は見る間に家に燃え広がり暗闇を明るく染めた。 両親は水を入れたバケツをかわるがわる燃え盛る火にかけたが、消えない。 焼夷弾に入っている油が四方に散って、火を拡散させる爆弾が焼夷弾だ。 大家のおじさんに「これはもうだめだ逃げます」と父は言い、 自転車に非常用の荷物を自転車にくくりつけた。 さて、出ようとすると鍵がかかって動けない。 燃えさかる家の明かりの中で5分くらいだろうか、実際には途方もなく長い時間に 思えたが、偶然開いた。 降り注ぐ焼夷弾の火の粉に追われて街中を逃げ歩く。 自転車の荷台に手を掛けて、走っていくのだが、不思議と恐怖感がない。 むしろぞくぞくするような高揚感がある。 あれは何故なのか、いまだに分からない。 恐怖のどん底に落ちると、極限状態で笑ってしまうのだろうか。 似たような経験がもう一度ある。 成人して、バイクで曲がりきれず、大きい溝に落ち込んだことがある。 その時、溝から目が離せずに、そちらに向かって行く。笑っていた。 日本軍の高射砲の音とは別に、バリバリという機関銃の音がする。 そのたびに見知らぬ民家に飛び込むと、暗い玄関がひっつそりとして 誰も居ないのがたまらなく不思議に思えた。 他人の作った防空壕にも飛び込んだ。誰も居ない。 逃げ惑う人たちは、避難先を決めることができずに、右往左往していたが、 かなりの人が1級河川のA川に向かって逃げて行った。 後になって分かったことだが、A川に逃げた人たちはほとんど死んだ。 うちの家族は広い田んぼの方に逃げた。 軍服を着た兵隊もそばに居た。 「お父さん、兵隊さんがいるから大丈夫だね」と父に言ったが、 父がなんと答えたか覚えていない。 その時、愚かにもそう思っていた。 暗闇の中にたたずむ家々が焼夷弾に被爆して、突然明るく燃え上がり、 その瞬間、新築中の家のように、柱の骨組みだけが、骸骨のように 真っ赤に燃えたのを見て「あっ きれい」と何故か思った。 近くに避難した家族の少年が被爆して、「のどが乾いた、水が欲しい」と 言っているのを聞いて、看護婦の経験のある母は 「あの子は可哀想に水を欲しがっているから、助からないよ」とつぶやいた。 母の言うとおり、明け方、少年は亡くなった。 (続く) |
戦争体験記
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