反日勢力を斬る

反日を国是とする特定アジア諸国と日本内部に潜む反日勢力を糾弾します。

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

戦争体験記 その2

戦争体験記 その2

(伯父の回想は続く)

夜が明けて、自宅に戻ってくると、あたりは一面焼け野原だった。
自分の家には4個の焼夷(しょうい)爆弾が落ちていた。勝手口にひとつ、床の間にひとつ、隣家との間にひとつ
そして庭に作った防空壕のど真ん中にひとつ。
防空壕に避難していたら一家は全滅だった。この防空壕は一家四人が入れる大きい酒樽を土の中に埋めて、その上を鎌倉のように土で覆ったものだった。
空襲警報のサイレンが鳴るたびに飛び込んだが、いつも沢庵のような臭いがしていた。
自分の好きだった戦闘機や軍艦の絵本が灰になったまま、まだ本の形をしていた。

小さい一軒の民家に4個もの爆弾を落としたのだから、おそらく米軍の爆弾は雨のように降ったのだろう。

回り一面焼け野原で遠くの方まで見渡せてしまう。わずかにガスタンクが立ったまま数個残っていたが、時々、バッと紅い炎を上げていた。

隣組の親友の塚本キーボーは腰に焼夷弾が直撃して亡くなったという。
キーボーは小学校の校庭で行進中にボクの前を歩いていたが、我慢しきれずに脱糞したまま行進していた。
先生に言われて、彼のパンツを取りに家まで走っていたことを思い浮かべた。

近所の優しくしてくれたおばさん(今思えば嫁いで間もない若奥さん)の焼死体を防空壕から引き上げる光景が忘れられない。それは真っ黒に焦げた焼死体だったが、曲げた膝から真っ白な骨が三十センチくらい突き出していた。

家を失い、頼れるところは田舎にある母の姉妹しかなかった。母の姉は呉服屋に嫁ぎ、妹は隣の酒屋に嫁いでいた。
父がどうして汽車の切符を手に入れたのか、鉄道はなぜ動いていたのか分からない。
駅のホームで父はボクと姉を列車の窓から投げ込み、乗り込んだ。(終戦後も列車は窓から乗るのが当たり前だった)
一級河川のA川の鉄橋をゆっくりと列車が渡る時、下を見たら黒い焼死体が川にも岸にも山のように折り重なって倒れていた。人体の焼ける異様な臭いが鼻をついた。

大人たちの噂では、米軍はまず、市の周りに爆弾を落とし、次第に中に落としていく絨毯爆撃で市民殲滅作戦をとったらしい。大部分の市民がA川に向かって避難した。逃げ惑う人たちはA川へA川へ言い合って走って行ったがなぜか、父は広い畑のある方向に逃げた。
一説には川が光っていたので狙われたとも言われる。
家族四人が生き延びたのが不思議なくらいだ。

山本五十六元帥が戦死した時、先生は小学校の生徒全員に作文を書かせた。
小学校三年生の自分の作文が選ばれて、NHK放送局に行きマイクの前で朗読した。
軍国少年だった。あの頃はみんな軍国少年だった。
日米開戦のとき、父が「この戦争は負ける」と悲痛な面持ちでつぶやいたことが思い出される。

田舎に疎開すると、町からきたよそ者として特殊な目で見られた。母の妹の家では「居候」と呼ばれて肩身の狭い思いをした。酒屋の屋敷の一番奥の十畳間が自分達四人家族の生活の場所となった。少し年下のわがままな従弟が居て、祖母が溺愛してたたためにボクにつらく当たった。母には我慢しろと毎日言われた。温厚な父も雨の日、駅から一時間近く自転車に乗って帰宅し母によく当たった。父も子供以上にストレスが溜まっていたに違いない。

小学校では勉強ができるということで一目置かれた。呉服屋と酒屋という田舎では大家の庇護のもとにあったのかもしれない。

大人しい子だと言われていたが、ある時、近所のガキ大将に苛められて腹を立ててやっつけてしまった。それから子供たちの自分を見る目が変わった。仲間になった。
夏は川や池で泳いだ。田んぼに入って蛭に食いつかれた。
冬は寒くて股火鉢をして婆さんに叱られた。足の裏に垢切れができてパツクリ割れて紅い肉が見えた。
治療法は山から取ってきたユリの花の根っこを傷口に埋め込んで、焼き火箸で抑えて溶かした。
ぼくら子供たちの服の両袖はいつもゴワゴワニに固まっていた。垂れた鼻をこするからだ。
街から来た青白い少年も逞しくなった。

小学校では被爆の実態を作文に書き、教室の後ろの壁に張り出された。
鬼畜米英というような言葉も書いたような記憶がある。

夏のある暑い日、大人たちが集まって深刻な顔をして話し合っていた。新型爆弾が広島に落ちたという噂が流れて来て数日後だった。

学校では教科書や壁に張られた作文もはがして燃やした。アメリカ軍に見られてはいけないということだった。
教科書を黒塗りした覚えは無い。

ロシアの兵隊は女を犯し、腕時計を略奪すると大人たちは噂し、米軍以上に怖がっていた。
米軍は上陸すると日本の売春婦と手をつないで歩いていた。売春婦を大人も子供も「パンパン」と呼んで蔑んだ。
言葉の由来は分からない。

終戦になって子供心にホッとした開放感を抱いた記憶がある。これでもう毎日B29の空襲を怖がらないで済むという安心感だった。

靖国代替施設の愚

靖国代替施設の愚

細川元首相、橋本元首相らの謝罪が如何に今日のわれわれを苦しめているのか計り知れない。
創価学会という特殊な宗教団体を母体とする公明党はもとより親中派であり、靖国分祀に熱心だ。
政権政党の味をしめた公明党にもとより国家観など無く自民党をゆさぶって甘い汁を吸うだけで、政権離脱の勇気も信条もない。


「日本を貶める人々」より

嘘で固められた追悼懇報告書


新田
代替施設構想の根底にあるのは中国からの圧力である。そもそも首相の靖国参拝を阻止するための施設なのに、それを隠して『若い世代に平和国家日本の担い手としての自覚を改めて促す(ため)』としている。

渡部
「外国の元首も参拝できる施設を」と言っているが、ブッシュ大統領が来日して靖国神社を参拝したいと言ったときに断ったのが当の日本政府、外務省であった。
戦後の日英関係ではビルマ(ミャンマー)のイギリス人捕虜の存在が深刻な棘だった。
天皇陛下が訪英されたりすると、ロンドンの街中で捕虜だった連中が座り込みをしては"抗議"の意思表示をした。
 
 それで、ビルマ戦線にいた旧日本兵とイギリス兵の相互の親交を深めようと彼らを日本に呼び、ビルマに居た日本の元兵士達と何度も交流させた。
 何回目かに来日したとき、旧日本兵が「当時、捕虜を扱った日本兵は戦後処刑された」と言うと。反日だった旧捕虜たちは「俺達は飯も悪かったし、ひどい目に遭った。しかし、日本人も決していい飯を食べていたわけではないし、死刑になるようなことはしていない」と愕然として、彼らは自発的に靖国神社に参拝した。

 その後は座り込みをすることもなくなり、ロンドンでの相撲公演でロンドンが日本一色になったこともあった。
これでようやく日英間に刺さっていた棘が抜けたとその事業に関わったわれわれも本当に喜んだ。

 ところが、平成五年の細川護熙首相のまったく思慮のかけらも無い「先の戦争は侵略戦争である」という言明ですべてがご破算になってしまった。
「日本の首相が自分達のやった戦争を侵略戦争だと認めたのだから、やはりわれわれに補償をするのは当然だ」ということになって、また彼らは座り込みをするようになった。
細川護熙氏に関しては、まことに無知の売国奴と声を上げざるを得ない。


新田
先の戦争を「侵略」と言うなら、それについての細川氏の祖父・近衛文麿の責任は重大です。「侵略」と言うなら、その責任を国家・国民のせいにせずに、一族の責任としてまず自らの財産を処分して、国が被った被害の穴埋めをしてほしい。

八木
橋本龍太郎氏も、首相時代の平成10年1月、イギリスの大衆紙サンに寄稿し、戦時中に英国人捕虜が受けた苦しみに対する「痛切なる反省と心からのお詫び」を表明した。
ちょうど両陛下のご訪英に先立つ時期で、それに勢いづいた元捕虜を中心とするイギリス人が、バッキンガム宮殿前でお召し列車に背を向けるという侮辱な行為をした。

渡部首相になる前まで日本遺族会の会長だったとは思えないほどの無知だ。

新田 代替施設は「無宗教の施設」と言っているが、これもまた無知ゆえなのか、あるいは非常に特殊な思想と特殊な宗教観を持っているとして言いようが無い。「功績を称える」という思想がひとつもない。
戦争は悲惨だとか残酷だとか、そういうことを思えという、それしかない。この施設は自己犠牲の尊さとか、参拝者に「あの人は偉かった」というふうに思わせてはいけないという、きわめて特殊な平和観に基づいている。

「祀る」「慰霊する」「鎮魂する」のは宗教行為だが、「追悼する」「祈念する」は宗教行為ではないという。
まるで戦前の神社非宗教論とまったく同じだ。


 

靖国神社分祀論者は中国の手先

今朝の産経新聞の世論調査(首都圏の成人男女500名の電話調査)によれば

靖国公式参拝すべきだ   38%
すべきでない    54%

だという。
まだ洗脳から覚めないひとたちがいる。残念だ。


昨日(2005年5月29日)のテレビで靖国神社のいわゆる「A級戦犯」の分祀を求める政治家が次々と発言した。
中川秀直自民党国対委員長は

「A級戦犯の方々も遺族の方々も靖国の英霊たちに本心は『すまない』という気持ちがあるかもしれない。遺族の方々もそう思っているかもしれない。遺族と神社し総代が話し合い、戦後60年の賢明な判断で分祀という形でやった方がよい」

とあからさまに、遺族、神社に対し分祀をみずから申し出るように圧力を掛けた。まったく許せない男だ。

民主党の仙谷政調会長は公明党に対し「日中の国交回復を切り開いたのが公明党。価値判断が問われている」と連立政権離脱を含む強い姿勢で参拝取りやめを迫るよう求めた(産経新聞)。

「日本を貶める人々」より

渡辺昇一氏の発言(本書の出版時には、日本の常任理事国入りや、海底油田開発などの動きは顕在化していなかった。現時点で靖国問題はますます中国の対日戦略のカードであることが分かる)

福田康夫元官房長官の私的諮問機関「追悼・平和記念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会(追悼懇)は外圧からできあがったものだ。
中国や韓国がガタガタ言わなければ、誰も考えなかったことである。

したがって、国民は追悼懇は彼らの手先として働いたのだという認識を持つ必要がある。
中国がなぜそれほど靖国神社に反対するかといえば、それが国防問題だからである。
国のために戦死した人を祀らないような国は全然怖くない。恐れるに足りずということを彼らは知っている。首相や天皇陛下が公式に靖国神社に参拝、ご親拝されるという事態は、彼らには50個師団が増設されるぐらいの脅威に感じられる。だからあれだけ騒ぐのだ。


靖国参拝自粛求める 神崎・公明代表

 公明党の神崎武法代表は24日午後、中国側が呉儀副首相と小泉純一郎首相の会談を歴史問題を理由に中止したと表明したことに関し「(靖国神社参拝が)日中関係に悪影響を及ぼしている以上、首相には大局観に立った行動をしてもらいたい」と述べ、重ねて参拝自粛を求めた。国会内で記者団の質問に答えた。
 神崎氏は中国の対応について「外交上、非礼を承知の上で国内感情や世論も考慮し、安易に妥協したと思われないよう打ち切ったのだろう」と指摘した。(共同)(05/24 19:33)


「靖国、中国は内政干渉でない」与謝野政調会長が見解

自民党の与謝野政調会長は29日、テレビ朝日の報道番組で、小泉首相の靖国神社参拝について「靖国問題は、単なる内政問題ではなく一定の外交的効果を持った問題だ。内政だけの問題としてとらえるのは、とらえ方が狭すぎる」と述べ、中国側の批判は「内政干渉」には当たらないとの考えを示した。
 また、与謝野氏は、A級戦犯の分祀(ぶんし)案について、「中曽根元首相は分祀論だ。日中間の問題を現実的に解決し、かつ両方がそこそこの満足度を得るのが正しいと思う」と述べ、支持する考えを示した。(2005年5月29日23時34分 読売新聞)

靖国「A級戦犯分祀を」自民・中川氏が強調

 自民党の中川秀直国会対策委員長は29日のフジテレビの報道番組で、小泉首相の靖国神社参拝問題の解決方法について、「ご遺族と神社側が話し合い、A級戦犯の分祀や分霊を自発的にやることが望ましい」と強調した。
 また、中川氏は、小泉首相が20日の参院予算委員会で「個人の心情として参拝している」と答弁したことに言及したうえ、「大平、鈴木元首相がこういう形で参拝した時、中国はあまり問題にしなかった。その状態に戻す意思表示と取れる」と述べた。
 1985年の中曽根首相の公式参拝以降、中国側が参拝を問題視するようになったことを踏まえ、小泉首相としては、私的参拝を強調することで中国側の理解を得たい考えがあると指摘したものだ。
(2005年5月30日0時48分 読売新聞)

開く トラックバック(1)

全1ページ

[1]


.

ブログバナー

blo*g*r2*05jp
blo*g*r2*05jp
女性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

標準グループ

登録されていません

過去の記事一覧

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
検索 検索

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト≪さとふる≫
実質2000円で好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事