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9月5日の産経新聞で石原慎太郎は連載「日本よ」のなかで、東條英機を自決し損なった軍人として侮蔑し、いわゆる「A級戦犯」を国民が裁いて分祀するかどうか決めればいいとまで言った。
石原のこの発言は物議を醸し、反論が巻き起こっている。
PONKOは石原のこの発言を「国民は悪くない。軍国主義が悪かった」と東條條英機ひとりに責任を負わせた米国の戦後教育の賜物(笑)だと思う。
雑誌「正論」11月号で「チャンネル桜」代表の水島聡氏は「なぜですか、石原さん!」と題して反論している。
石原の記事を読んだ水島氏は一瞬奇妙な既視感(デジャヴ)を覚えたという。
それは、14年前の三島由紀夫と石原の対談だった。
石原は「ぼくはぼくしかいないんだもの。ぼくはやはり守るのは自分しかないと思う」というのに対し三島は「身を守るというのは卑しい思想だよ」とたしなめ、自己放棄に達しない思想は卑しいと批判した。さらに石原が「自分の存在ほど高貴なものは無い。かけがえの無い価値は自分にしかない」と発言すると「そんなことはない」と三島が否定するくだりだ。
石原が今でも同じ考え方をしているかどうか知らないが、「自分があってこその日本」という石原と「日本あってこその自分」という三島との違いであった。
水島氏は、明言はしていないが、これは戦後民主主義の教育の「成果」と言える。「個人主義」の「個」を大切にするというと聞こえはいいが、早い話が「自己中」「Me」イズムである。
自分より大きなもの、現在の自分を生かしている過去からのつながりを無視しようとする考えである。
石原が「特攻の提唱者」大西大将と阿南陸相が靖国神社に合祀されていないと書いたのは事実誤認として翌日訂正された。
しかし、「(東條)を運び出したアメリカ兵は、彼が手にしていた拳銃が決して致命に至らぬ最小の22口径なのをみて失笑したそうな」という事実誤認は訂正されていない。
詳細は別記事で述べたが、さらに付け加えれば、口径22の拳銃でも十分に殺傷力があるという。
しかも実際に使ったのは32口径の重い拳銃だった。
当時、少年の石原と同じ刷り込みを占領軍から受けた人が多いという。
石原の発言を重く見るのは、この発言が特定近隣諸国(中・韓・朝)の反日戦略の片棒を担ぐ結果となるからである。
首相の靖国参拝の是非、既に決着の付いているいわゆる「A級戦犯」の分祀の是非など、ことさらに日本の世論を分断して日本を内部から崩壊作用させようとする特定近隣諸国の意図を見抜かなければならない。
人種の坩堝、個人主義の国といわれる米国でさえ、外敵に対しては瞬時にして一枚岩になる。
水島氏は東條英機の姿を次のようにえがく。
東條大将は、東條しかいないと周囲の推輓を受けて首相に就任した。
祖国日本を破滅させるかもしれない戦争の指導者に誰がなりたがったろうか。
まして、天皇陛下は和平を望まれていた。
開戦が決まった夜、東條は自室で鳴咽したそうである。
大東亜戦争は、日本にとっては止むを得ない戦争であり、国民に犠牲を強いる戦いであることを、東條は誰よりも知っていた。
戦争には相手があり、自分たちの思う通りにはならない。東條自身が統帥権の問題を承知もし、陸海軍の統一的運用をなし得ないまま扼腕のうちに戦争に突入したというのが実相でああろう。
それで敗戦すると指導者だからと非難され、敵国側に処刑されても、今もって侮蔑され嘲笑されている、これが東條大将である。
そして「国民が裁判でA級戦犯を裁いて靖国に祀るかどうか決めれば良い」と主張する石原慎太郎を批判して、
「戦争も知らないまま平和な今を生きる払たち戦後の国民に、一体彼らの何が裁けるのだろうか。現代のどのような事後法で、『A級戦犯』を裁く事が出来るのか、裁くとしたら、一体その法的根拠や法的権威は何に拠るのか、また、既に敵国側に罪を着せられ、処刑され、死亡して反論も出来ぬ人間に果たして裁判が可能なのだろうか」
と反論する。
また、江藤淳が大束亜戦争を西郷隆盛による「西南の役」にたとえたことから、
「『負け戦』でも戦うべきときに戦うのが、日本人であった。西郷隆盛は自らのいのちを賭けて、これを実践した。この高貴な日本精神を失って自己だけを信じているような戦後日本人が、大東亜の戦いに立ち上がり、全力で戦い倒れていった益荒男のひとりでも、誹謗したり、裁く資格などあるのだろうか。『無い』と私は断言する」
と結んでいる。
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