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テレビは連日、東京町田市の高校生殺害事件の話題で持ちきりである。
同級生の容疑者(犯人)を知る回りの人間は「真面目でおとなしい子だった。とてもそんな事をする子には見えなかった」と少年犯罪の中心人物の印象をワンパターンで語る。
そして、先生は「人の命の大切さを教えなければ」と語る。
事件の解説をするテレビのコメンテーターもワンパターンだ。
今朝のテレビ朝日のやじうまプラスで、ゲストコメンテーターの
福岡政行:
「子供たちは何かを訴えようとしている。ざっくばらんに話し合うことが大切だ」
と愚かなコメントを展開。
そんなレベルじゃないでしょう。
北朝鮮とだって話し合いで一体何が解決したのだ!
と関係ないことを思い出して腹が立つ。
いや関係はある。
悪には制裁が必要だ。
戦後民主主義の『話し合い』は何の足しにもならないことに気づいた。
外国の幼児教育は厳しい。
親の言うことを聞かなければ、ビシバシと尻叩きをする。
こどもがまだ判断の付かない内は動物と同じだから、肉体的な痛みを与えて矯正する必要があるというのだ。
それに比べて日本の幼児教育は、親子ベタベタでレストランや公共施設で奇声をあげ走り回っても母親は注意しようとしない。たまりかねて注意すると逆に抗議されたりする。
その母親も碌な育て方をされなかったのだから無理もない。
切れやすい子供たちの体質を食生活のせいにしたり、社会環境のせいにしたりするが、そうではないと思う。
薪を背負った二宮尊徳の銅像が校庭にあった頃の学校には、こんな残酷な犯罪を犯す少年は居なかったと、戦前、戦中を知る人は言う。
その銅像も砲弾にするために供出されたり、戦後の民主主義教育の中で廃棄された。
それとともに、日本の美徳は廃棄された。
日本古来の伝統や美徳を否定したツケが今、回ってきただけである。
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