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反日と闘うべき時来たる
「東アジア反日のトライアングル」(古田博司著)
http://blogs.yahoo.co.jp/blogger2005jp/15192845.html
の著者は、2003年3月から二年間、日韓歴史共同委員会のメンバーとして韓国の学者と丁々発止と議論した学者である。
彼はいう。
「東アジア地域は過去も、現在も、未来も多くの不協和音を抱えていることは誰の目にも明らかだが、その不協和音の最たる原因は、日本の朝鮮半島に対する植民地政策や、中国に対する侵略の歴史であると長いあいだ信じられ、日本の彼らに対する絶えざる贖罪がこの地域の和解と協調に貢献するのだという結論が、これまである倫理性を帯びて導かれてきた。しかし今、われわれはようやくその論理の未熟であったことに気づき始めている。
東アジアの不協和音は、むしろ彼らの側から来るナショナリズムの調べなのであり、譜面は何世紀にもわたって書きかえられることのなかった中華思想の楽章を記している。
その音色は当初のかそけきものから、次第に大音響を上げ、われわれの和解も協調も贖罪の声もかき消すものとなりつつある。道徳志向性の指揮棒がふられ、永遠の反日が唱えられ、われわれか近現代に築きあげてきた国際的遵法精神も、実証的歴史研究も、合理的な思考さえことごとく踏みにじられ、同胞は頬を打たれ、誤った彼らの「正史」を押しつけられ、子孫が先祖を祀ることさえ「典礼」にかなわぬと一喝され、戦後60年間営々と積み重ねてきた平和の実績は、島を掠め海を奪う核兵器保有者たちによって逆に「軍国主義」のレッテルを貼られる。そのような理不尽に気づかぬとすれば、もはや「良心的知識人」は、良心的たり得ないであろう。
今われわれには、終わりなき「反日」と戦い抜くべき時が来ている。
彼は日韓の共通歴史認識はあり得ないという。
それは主として韓国側の主張が学者としての立場ではなく、政治的な立場からくるものだ。
「足を踏んだものと、踏まれたものの共通認識はありえない」と卑近なたとえで共通認識を否定する一部のものが居るが、PONKOはその考えに組しない。
それは日本が植民地化や侵略をしたからいけないのだという誤った考え方が裏に潜んでいるからだ。
中国への「侵略」であったか、韓国の「植民地化」であったかは、両論があってまだ今のところ結論は出ていない。
彼は「侵略」「植民地化」派である。しかし韓国の植民地化のプラスの面が多かったことを認めている。
以下の彼の談話も韓国の実情と学術の発展、朝日新聞の愚かさを示していておもしろい。
『嫌韓流』に描かれていることは、われわれが韓国人と国際学術会議で戦う時のやり方とほとんど変わりがない。こんなふうにわれわれも闘いますよ。これでいいんです。
不当に相手を卑しめることなく、正々堂々としている。相手を尊重しながら、闘うべきことは闘っている。
韓国と言う国は言論弾圧監視対象国ですよ。
ご存知ですか。IPI(国際新聞編集協会)で2001年9月に、韓国を言論弾圧監視対象国と指定しています。
2005年以降にも、監視が継続されることになった。
韓国には言論の自由はない。中国は言わずもがな(笑)まして北朝鮮は・・・
要するに東アジア3カ国は、みんな言論の自由のない国ですよ。そこのところを錯覚している方がおられる。
付言すると学問の自由もありません。正直に申しますと、私も理想主義者になりたい。
けれども、理想主義は学者向きではない。学者が現実主義に依拠しなければ、どうやって研究ができるんでしょう。研究とは極めて現実的なものであって、現実的なものは教養的なのです。
西洋では上に行けば行くほど現実主義になる。
日本では上になるほど幻想主義者が増える。どうしてかなぁ。売れる新聞ほど幻想的になっていく(笑)
「竹島を友情島にして日韓で共同管理すればいい」なんて、いつだかの署名記事(『朝日新聞』2005年3月27日付「風考計」若宮啓文さんは、知り合いですけど無茶なこといってるなぁ。そんなことできるならもみんながするじゃないですか(笑)
アメリカなんて上に行けば行くほど、鬼のようにリアリスティック。彼らとは何度競争しても負けますよ。逆に東アジア諸国は上に行けば行くほどさらに幻想的で王朝的ですけど。
ですから、学術が発展しません。たとえば韓国には立派な研究者も当然います。だが、彼らは二重の態度をとる。個人として研究の結果は理解できる。しかし、日韓歴史共同研究などで一団となって来日するときには、イデオロギーが先立ってしまう。
そうして反日の錦旗を押し立てたほうがどんどん出世し、良心的な研究者たちは日の目を見ません。
これでは、ちゃんとした研究者が可哀相です。
いつまでたっても学術で日本にかなわないことになります。
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